ただ期待するようなものかは…。
先の戦争で聖書の神が消えたことで、神器のバランスは大きく変化し、より強大になることがある。それを禁手と呼ぶのは、イータムたちもハーデスから聞いていた。これが近年では信じられないほど増えており、いずれも結果を残している。それを思えば、目の前にいる悪魔が手負いであろうとも警戒するのは当然であった。
目に見えた変化は、大一の影であった。彼を中心とするように円形になると大きくなっていく。半径が1メートルほどに広がると変化は止まり、そこから黒いもやが漏れ出ていた。
「あの影に入るのは賢明とは言い難い」
「あたしも賛成だ。しかし大した変化には見えないが…」
『だったら、その身で味わってみな!』
シャドウの高らかな宣言と共に、大一は形成された右腕の手の平を上に向けると手招きするかのように動かす。それに呼応するかのように足元の影から、バレーボールくらいの黒い球体が10個ほど飛び出てきた。
『さあ、避けられるものなら避けてみろ』
球体が一斉にイータムとガルドワンを目がけて飛んでくる。スピードはそれなりであるうえに、魔力を通して硬度と重さを上げているのは、彼女らも感づいていた。
2人はすぐに分かれるように飛んで攻撃を回避するが…
「へぶっ!?」
「ぐっ…!」
ガルドワンは顔のない頭部に、イータムは腹部に痛烈な衝撃を感じた。完全に攻撃を避けたと思ったため、この不意の一撃には驚きつつ大きく体勢を崩すこととなった。
すぐに立て直して頭を上げると、そこには避けたはずの黒い球体が5つほど空中に留まっていたのが確認された。これが攻撃してきたのかと思ったが、それにしたって距離がいくらか離れているため、球が直接当たったとは思えなかった。
しかしすぐにその答えを目の当たりにした。黒い球体から腕が伸びてきて、弾丸のようなパンチをしてきたのだ。
ガルドワンとイータムは咄嗟に防ぐも、再び体勢を崩してしまう。
『追撃する』
さらに影から球体が同数出てくると、それぞれが向かっていき拳が飛び出して殴りつけていく。
身体をひねったり、得物で防いだりした2人は、間もなく後退してさらに距離を取った。
「そういうことか…!」
イータムは苦々しく呟く。先ほどの攻撃と魔力の動きから彼女は禁手の仕組みを把握した。それは大一の身体から発生させたシャドウを、影にも適応できるようになったことだ。しかもその影からまた別の黒影を生みだしていく。それらは空中でも操作できるし、当然ながら魔力を通すこともできる。
「しかし結局のところは手数が増えただけだ。決定打に欠けるこの攻撃で…」
『だからわかってないんだよ!ここからが本領発揮さ!行くよ、大一!』
『任せろ!』
黒影の球は空中を縦横無尽に駆けまわっていくと、ガルドワンやイータムに対して飛び出ていく拳で攻撃していく。先ほどは油断していた彼女たちもジャンプして回避したり、得物で防いだりするが、それによって生じる隙に追撃が迫ってくる。避ければその先に攻撃が来るため倍以上の体力を消耗させられるし、防ぐにしても動きが止まったタイミングで別の方向から攻撃が来る。
逆に合間を縫って攻撃を仕掛けようにも、球自体が盾となって防がれる。それで球が霧散しても大一が発生させるため、尽きることが無かった。
「この物量で動きに統率が取れている。しかもあたしらの動きや攻撃を読んでいるってことは…」
『気づいたな。僕らだからこそ、この禁手は強いのさ』
シャドウは自信たっぷりに言い切る。黒影の球は大一自身から切り離されていても魔力を通せるだけでなく、魔力感知のアンテナ代わりにもなっていた。これにより感知の範囲や精度も広げることができる。
加えて、禁手発動中は大一とシャドウの思考がいつも以上に密接になっているため、感知能力と相まって、これほどの物量を展開させることができるのだ。
「退け、イータム!攻撃の規模を上げてうっとうしい球ごと消し去ってくれる!」
苛立ちながらガルドワンは斧を振り回し、周囲を囲んでいた黒い球を薙ぎ払っていく。同時に刃には炎が燃え盛り始め、そこにひとつの魔法を付属させた。
大一の背中にぞわりとした感覚が走る。幾度となく体験していた悪魔にとって致命的な感覚であったが、想像以上の力に警戒を強めた。
『光の魔法か…!』
「俺が同じ属性しか掛け合わせないと思っていたか。場合によってはこちらの方が破壊力はある」
次の一撃が凄まじいと予見した大一はすぐさま距離を取ろうとするが、イータムがばらまくようにヘドロを撃ち出してきた。防ごうにも爆発と皮膚を焼く酸が飛び交って退路を断っていたため、攻撃事態を阻止しようとガルドワンの方に黒影の球を向かわせる。しかし相手の動きの方が素早く、飛び上がった彼は炎と光を纏った斧を大きく振りかぶっていた。
「消え去りな!」
斧が叩きつけられると、凄まじい轟音とともに辺り一帯を覆うような爆発が起こった。地面が揺れたのではないかというほどの破壊力は、衝撃によって周辺の木々を倒していく。それどころか樹木自体を消し去るようなほどだ。
間もなく戦塵が晴れると、そこには大きなクレーターがぽっかりと出来ており、その前でガルドワンは大きく息を吐く。
「余計な体力を使わせやがって」
「派手にやったな…」
隣に降り立つイータムが眉をひそめてつぶやく。苛立ちに身を任せて、大一もろとも消し去るような一撃を放ったことで、小言を受けるのは覚悟していた。
「わかっているが、まだ計画は失敗じゃない。死体や肉片が無くても、騙すことは───」
「球が消えていない」
弁明を遮ったイータムの視線は上を向いていた。いくつかの黒い球が浮かんでおり、わずかに魔力も感じられる。それが意味することを察すると、ガルドワンは斧を握りなおして警戒を強める。
「まさか俺の攻撃を避けたのか!?あの状況でいったいどこに…!」
「すぐに探し出してやるさ。だがどうやって…」
イータムは両腕の口を少しだけ伸ばしてクレーターより奥の感知を始める。あの状況で回り込むというのは考えられないため、普通に考えれば一気に後退して森の中に身を潜めたのだろう。ただガルドワンの一撃の規模は相当な大きさであり、彼女自身も攻撃を続けて退路を塞いでいたため、発動していた禁手の力を使ったのだろうと考えた。
あれこれと考えを巡らしていると、ふと思いついた違和感が自然と口から出てきた。
「最初の黒い球はどこに行った?」
「最初?」
「不意を突かれて気に留めなかったが、もっと多かったはずだ。最初に10個ほど出現させて、留まってあたしらに攻撃したのは半数程度。残りはどこに行った?」
「そのまま突き進んで、俺らの後ろに行ったんじゃないのか。それか途中で戻して、他の球と一緒に攻撃に参加させたか」
「…まさか」
イータムは後ろを振り向くと、爆発するヘドロを何発も放っていく。一見、無造作に撃ち込んでいるようにしか見えないものの、空中に浮かんでいた黒い球が動いてヘドロにぶつかって相殺させていった。
爆発の余波でいくつかの木が倒れていき、さらに煙が晴れていくとそこには大一が立っていた。
『やっぱり感知できる相手がいると厄介だよ』
『さっきの攻撃を避けただけで十分だ』
「いつの間に…!」
先ほどから攻撃スタイルを踏まえると、黒い球の動きは完全に把握しコントロールしているはず。そのように考えた彼女は、最初の黒い球もなにかしらの方法で利用したと推測して、感知範囲を一気に広げた。その結果、自分たちの後方にいることに気づいた。
渾身の一撃がかわされたことに、ガルドワンは腑に落ちない様子で問う。
「どうやって俺らの後ろにまで…!」
「おそらく最初に撃ちだした球だ。複数まとまることであいつの広がっている影と同じようになるんだろう。そして影同士の移動も可能にする…ってところだな」
『ご名答。僕らの禁手はただ手数を増やすだけじゃない。それを起点に至る所に範囲を広げることもできるのさ。影はいかなる場所にも付きまとうものだしね』
シャドウは自信満々に答える。相手の言う通り、最初に放った球の半数はそのまま直進させて敵の後方奥へと忍ばせていた。まとまって地面へと広まった影は木の影と同化していたのだが、あの大技を受ける直前、大一は自身の影へと潜り込み、先ほどの影へと移動していた。まだ時間と数は必要になるが、飛ばした黒影を使って干渉できる範囲を広げることも出来るのであった。
再び足元の影が円形へと変化すると、黒影の球が生みだされていく。
『範囲を拡大し、生みだした黒影を自在に操り、一帯を実質的に制圧する。これぞ俺たちの禁手』
『名を“
「なるほど、その厄介さは理解した。だがちょっと甘いんじゃないのか?」
イータムの腕の口から波型の刃が飛び出し、ガルドワンは巨大な斧に光の魔法を付与する。
「かく乱には向くが、この程度であたしらを倒そうなんざ無理な話だ」
「種も理解した。ここから先は容赦しない」
『…たしかにお前らは言っていたな。決定打に欠けると』
『そんなの僕らも理解しているのさ。しかしキミたちを出し抜くことはできる』
そう言うと同時に、再び黒影の球がイータムとガルドワンに向かっていき腕を伸ばしていく。もっとも特性を理解した2人は、落ち着いて攻撃を捌いていった。いくら手数が多く、的確な動きをしているとはいえ、黒い球から出てくる拳は本人の硬度よりもいくらか劣る。そうなれば同じように魔力をまとって威力を軽減することもできる。さらに隙を見つけて鋭い斬撃を飛ばしていけば、球が防ごうとしていくため数を減らすことにも繋がった。
『たしかに言う通りだ。僕の力ではキミらを倒しきれない』
勝ち誇ったシャドウの声と共に、黒い球がいきなり霧散した。ほぼ同時に相手が繰り出した攻撃が大一に命中する。戦塵が彼の身体を覆い隠すも、たしかに手ごたえを感じて追撃をしかけようと構えた。
しかし戦塵の中から大きな体格をした怪物が飛び出てきて、イータムとガルドワンに痛烈なラリアットを叩きこんだ。丸太のように太い腕が容赦なくぶつかり、その勢いに2人ともふらつくどころか、クレーターを超えた後方へと一気に飛ばされてしまった。
『ならば、倒せる力を引き出すために隙を作るのさ』
龍魔状態へと変化した大一が吠え、シャドウが満足そうに話す。新たな禁手は相手の隙を作るのに充分であった。
吹き飛ばされたイータムとガルドワンは咳き込んだり、頭の血を拭ったりしながら起き上がってきた。
「あー、ちくしょう…!警戒はしていたんだがな」
「もはや形にこだわっていられない。叩き潰すぞ」
『やれるものならな!』
大一の両腕が黒く染まると伸びていく。砲弾のような勢いで突っ込んでくる拳であったが、相手も負けてはいない。祐斗ほどではないが消えるような素早い動きで回避すると、一気に距離を詰めてそれぞれの得物を振るっていく。
ガルドワンが叩きつけるように雷光を帯びた斧を振るが、それを大一は左腕で防ぐ。金属同士がぶつかったような耳障りな音が響いた。
「硬い…!」
『さっきまでの状態とは皮膚も魔力も違う。この状態なら接近戦は負けやしない』
そう答えると手の平から黒影の錨を生みだす。龍魔状態では手斧のようなサイズであったが、威力や重さは変わらない。力強く空を切る音が鳴るほど軽快に振っていき、容赦なく攻撃していく。相手も斧でいなすが、一撃ごとに足取りが怪しくなるほどであった。
「後ろ貰った!」
いつの間にか背後に回り込んでいたイータムが両腕を合わせた巨大な口で攻撃していく。先ほどは勢いとパワーで押し切られたが、倍近くなった体格に加え硬度と重さも上がっているため、身体の半分近くを噛まれても微動だにしなかった。
すぐさま半身に噛みついている口を強引に開けると、そのまま振り回してイータムをガルドワンへぶつけるように投げ飛ばした。
「さっきとはパワーもまるで違う!」
『…俺としてはまだ本気を出しきっていないお前らの方が不気味だがな』
新たな禁手、龍魔状態、これらを通してでも相手は本気を出していないように感じた。殺気こそ本物だが、魔力にはまだ底が見えない。その違和感は膨れ上がっていき、不気味さを加速させていく。
その不全感を抱えながら、大一は口を開けて魔力を溜めていく。
『こいつでとりあえず終わらせてやる』
放った重力の玉はすさまじい大きさで進んでいく。辺りの木々も巻き込み、容赦なく幾多の重力で潰していく。まともに受ければ並のダメージでは済まないだろう。
イータムとガルドワンは一瞬だけ驚いた様子を見せるも、すぐに分かれるようにして回避した。
「その程度の速度で当たるか。イータム、次だ」
「おうよ。そろそろ終わりにしないと、あたしらも時間が迫っているのでな」
『なら、もう終わりだ』
たしかに冥府の悪魔への謎は残っている。しかし気づいたこともあった。相手の援軍を待つような遅延する戦い方、わざわざ異界の地の者と偽ったこと、まるで死体を残したがるような発言を踏まえると…。
『多分、大一を殺す姿を見せつける。それを異界の地の仕業にするつもりってところだね』
『ハーデスが共倒れを狙っているのか、俺にそんな価値があるとは思えないが…』
どちらにせよ、相手の狙いが予想できてからは取るべき行動は決まっていた。撃ち出した重力の玉は直進を続けていき、間もなく周辺に展開された結界へと激突する。戦いの最中に魔力の感知で弱いところを見つけ、重力の玉がそこにぶつかるようにした。
この一撃により結界にひびが入っていき、内部から崩壊していった。
「こいつら…!」
『戦いに熱中しすぎたな!欠陥神器に出し抜かれた気分はどうだ!』
『煽るな。とにかく北欧の人たちが来ているのは生命力で分かるし、これで…ん?』
「殺す!」
上空からガルドワンが斧を振り下ろしてくる。刃には再び雷光が纏っているが、大一は怯むことなく腕を交差させてその一撃を防いだ。
『雷光はむしろ慣れているのでな。これくらいは…!』
その瞬間、身体がぐっと沈みかけた。自身の重さ調節によるものではなく、相手の腕力によるものだろう。魔力や魔法で腕力を引き上げたのかと思ったのだが、それ以上に凄まじい生命力を感じた。ここまで戦って2人の生命力はお世辞にも強く感じなかったため、これにはまたもや疑問を加速させた。しかも悪魔のものとも違う。戦いの中でも生き物として格の違いを感じるような力強さは、少し前に何度も感知していた気がする。
『…邪龍?』
「その頭をカチ割ってくれる!」
「それは困るのよね」
軽快な声と共に炎の車輪がガルドワンを襲う。当たる寸前のところで気づいた彼は回避するも、大きく後退して構えなおす。さらに別方向から攻めようとしたイータムには、彼女にも負けないほどの滑らかな動きと棒術で攻めたてる相手が現れて、同様に後退を余儀なくされた。
攻撃が落ち着くと、大一の横にはひらりと黒歌と美猴が降り立った。
「愛しい彼を助けるために参上にゃん♪」
「俺っちは連れてこられただけなんだが…」
禁手の能力はわりと原型を残しているつもりです。
そして毎度のことながら、それっぽい名前を考えるのに苦労します。