「美味しいわね。甘酸っぱくて、紅茶にも合って…」
リアスはイチゴのチーズケーキをじっくりと味わい、紅茶と共に流し込む。言葉の感想よりも、味わった後の口角の上がり方がより彼女の満足感を表しているようだと、対面に座る朱乃は思った。
午後3時を過ぎたあたり、リアスと朱乃はとある喫茶店にいた。この日の大学での講義も終わり、高校生組はまだ学校のため休憩がてら親友同士でお茶を楽しんでいた。
「スイーツは美味しいし、雰囲気も落ち着いている…こんなに良いところ知っていたのね」
「前に大一とデートした時に教えてもらったの」
「え!?大一がこういうところを知っているの意外なんだけど…」
「生島さんに教えてもらったらしいわ。もっとも私が初めて教えてもらった時は入れなかったから、後日に来たんだけど」
朱乃は肩をすくめながら答える。この店は初めてデートした時に教えてもらった場所だ。偶然、店の前でオーディン、ロスヴァイセ、そして当時は険悪の仲であった父と出会ったことは今でもよく覚えている。あれからまだ1年も経っていないというのが信じられなかった。
懐かしむ表情になっていた朱乃を見て、リアスは頬杖をつく。
「ふーん、大一とは上手くいっているのね。羨ましいわ」
「リアスだってイッセーくんから将来の告白まで受けたじゃない」
「そうだけど、どうしても大学生と高校生の違いがね…」
「気にしていたのね。難儀だわ」
「アザゼル杯の件で時間取れないことは、仕方ないってお互いに自覚はあるわよ。私もイッセーも勝つために手を抜くつもりは無いからね。でも学校の方は…」
「あらあら、同居までしているのに贅沢な悩みなんだから」
朱乃はくすくすと笑いながら、目の前の親友に答える。当時は何度か大一から家での様子を聞いたものだ。アーシアと一緒に裸エプロンまで披露した親友が、そんなことをぼやくのはどうにも可笑しかった。もっとも朱乃自身も押しかけた節はあるので、あまり人のことを言えないのだが。
「でも私はリアスの方が羨ましいわ。イッセーくんは安心して見ていられるもの」
「どういうこと?」
「イッセーくんはどんなピンチでも諦めずに戦い続けて…そして必ずと言っていいほど奇跡を起こすわ。それに強くて優しい人…多くの人から慕われる彼は安心して見ていられると思うの」
悪魔になってから一誠が数々の活躍をするのを目の当たりにしてきた。彼女自身、彼が起こした奇跡に救われたこともあった。
一誠を目の当たりにするほど、それと比べて自分の愛する男には不安定さも抱く。大一は前に進んでも、同時に失っているように見えるのだ。かつての身体を、尊敬する師匠や主を、大切な相棒を…。
そんな彼の姿に、朱乃は内心穏やかではいられなかった。数か月前に告白された時も、なにかを隠していることも確信した。失うだけでなく、背負いながらも進み続ける大一の姿を、安心して見守るというのが難しい話だろう。いつかシャドウの事件のように、ディオーグを失った時のように取り返しのつかないことが起こるような気さえしていた。
「大一にイッセーくんみたいになって欲しいわけじゃないわ。でも彼のように絶対大丈夫だと思えない時があるの」
「また急に心配になっているわね。なにかあったの?」
「ううん…ただこの前の深夜におにぎりを作ってあげたの。全部食べてくれて、一緒にいることが幸せだった。…でもアザゼル杯に出てなくても忙しくて、いろいろなお仕事を任されて、期待よりも負担が大きい彼を支えたいけど出来るか不安なの。それに…」
もっと愛されたい、そんな出かかった言葉を朱乃は飲み込む。かなり子どもっぽく思えた願望であったが、自分の甘えや弱いところをもっと彼にさらけ出したかった。一誠とリアス並みに、いやそれ以上に踏み込んだ関係を欲しがった。しかし今の彼の様子を見ると、どうしても二の足を踏んでしまう。
これに対して、リアスは思案したような表情を見せる。同時にその青い目は朱乃の想いを見透かしたような印象を感じさせた。
「まあ、朱乃の気持ちはわからなくもないわね」
「ごめんなさい。リアスに話すことじゃなかったわ」
「親友に遠慮はいらないわよ。でも…意外と私の方が大一のことを分かっているかも」
リアスの出し抜けの発言に、朱乃はチョコレートケーキを切ろうとしたフォークを持つ手が完全に止まった。その後に紡がれる言葉は、驚きに震えていた。
「い、いきなり宣戦布告かしら…たとえリアスでもそれは…」
「そんな本気でとらないの。この前のお返しよ」
「心臓に悪いことをしないで…」
「でもあながち間違いじゃないと思うわよ。信頼においては、私は彼のことをイッセー以上に感じているところもあるの。それにね、あなたの心配は杞憂だと思うわ」
「だったらいいのだけれど…」
「保証するわ。いつか必ず私の言葉が嘘ではないとわかる時が来るから」
そのままリアスはチーズケーキを食べ進める。対面に座る朱乃の腑に落ちない表情と違って、興味深いプレゼントをもらった子供のように面白そうな表情であった。
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夕方に大学の講義を終えた大一は冥界に来ていた。着替えもせずにそのまま来たため、いつも使っているリュックサックを背負い、服装も堅苦しいものではない。
しかし彼が転移を繰り返してたどり着いた先は、あまりにも場違いな雰囲気であった。
苔が生えた古びた石壁、気味の悪さが煮詰まったような空気感…かつて旧魔王派が利用していた監獄は、先日来訪した冥府とも張り合える不気味さであった。
身体と持ち物、魔力の検査を受けた彼は一つの小さな部屋に入る。いくつもモニターがあり、暇そうにしていた悪魔が3人ほど席に座っていた。
「お疲れさまです、皆さん。こちら差し入れです」
「ああ、ルシファー眷属の。いつも悪いね」
少し眠そうに瞳をこすりながら、大一が渡した紙袋を受け取る。それに続くように他の2人の悪魔も軽く頭を下げる。監獄にしては見張りや警備の数はかなりお粗末であったが、現時点でここに閉じ込められているのはほとんどが知性の無い怪物や非力なはぐれ悪魔であった。特殊な方法で逃げることに特化していたが、この監獄はあらゆる封印術や結界が壁に浸透しており、その手の相手を封じるのにぴったりである。同時に監獄にいる者たちの中で、警戒されるような人物がほとんどいなかったのも大きいだろう。ひとりを除いては…。
「それでギガンはどうしてましたか?」
「前にあんたが来た時と変わらずだよ。何も食べていないし、ほとんど動かない。たまに水を飲んでいたことはあったみたいだが」
分厚い記録書を手近なテーブルに置くと見張りの悪魔はモニターのひとつに目を向ける。そこに映されていたのは、岩のような筋肉を持つギガンが四肢を鎖につながれて座っている様子であった。クリフォトのひとりとして活動していた彼の肉体は衰えた様子も無く、一種の疑問と不気味さを抱かせた。
記録書のページをめくる大一に、対応している看守の悪魔が苦々しく話す。
「正直、あれをいつまでここに置くのは疑問があるね。アザゼル杯で世間が忙しいのはわかるけど、お偉方は然るべき処遇もさっさと決めて欲しいものだよ」
この悪魔のぼやきは一般的な意見だろう。世界を混乱に陥れたテロ集団など早々に厳格な対応を取ることを求めるのは、当然のことであった。とはいえ、人手も足りない現状な上に異世界の脅威も予想されるため、禍の団やクリフォトの残党は貴重な情報源であり、簡単に処断できないのが現実であった。
これに対して、大一は何も言わずに記録を目で追っていく。2週間前に見た時と違った内容はほとんど書かれていなかった。
間もなく記録を閉じると、看守の悪魔に問いかける。
「会えますか?」
「問題ないよ。しかしあんたもよくやるね。何も話さないテロリストを相手に、定期的に足を運ぶなんて」
もはや恒例のように、看守は準備を始める。彼の言う通り、大一は卒業してから何度もギガンの下に足を運んでいた。
再び検査を受けて、必要な書類を記入した大一は、ゆっくりと開いていく重そうな扉からギガンの部屋に入っていく。もっとも部屋と言えるようなものではなく、特殊な紋様が刻まれている石壁が円形になって囲んでいるだけの場所なのだが。
現れた大一に対して、座っていたギガンは目こそ向けるものの何も言わずにただ座り込んでいた。
「2週間ぶりだな。調子はどうだ?」
「…」
「差し入れに雑誌を持ってきた。必要な場合は看守さんに言ってほしい。他に何か欲しいものはあるか?」
「…」
大一の問いかけにギガンはまったく反応しない。けだるげな目に自分を倒した相手を映すだけで無気力さが漂う。
この状況に大一は特に驚きもしなかった。面会をまともに出来たことなどこれまで1度も無かった。ただ大一が話しかけるだけでギガンから返答はまったく出てこない。これまで彼もユーグリットのように何度か拷問を受けたそうだが、その際にも声すら上げなかったと大一は聞いていた。それを踏まえれば彼が反応しないことにも驚きはしない。それでも情報が欲しい上層部の意向も考慮しなければならないため、大一は質問を続ける。
「この前、冥府にいるコカビエルから『異界の地』について話を聞いた。そこで教えてほしいんだが、あの地にはお前たち以外にも誰かいるのか?」
「…」
情報筋まで明かしたものの、ギガンは眉ひとつ動かさずに大一をじっと見ている。その表情からは何も読み取れない。もっとも理解したところで、今の大一にはどうしようもできなかった。
そもそも大一がギガンの下に通い続けていることについて、彼自身明確に説明できない節があった。確かに有権者からは情報を求められたものの、別にこの面会は強制されたものでも無い。彼を倒したからといって、それについて責任が伴うわけではない。
なぜ…自問すると決まって彼の脳裏には、自分の命を救った相棒の龍や死にかけている魔王の血筋を持つ人物の顔が浮かんだ。
その後も普遍的なことを何度か話すが、ギガンは何も答えない。15分ほど経ったところで、大一は彼に背を向ける。
「また来るよ」
「…」
相手からの別れの言葉は無いが、特に気にした様子も無く大一はそのまま扉へと脚を動かすのであった。
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約1時間後、大一は目を細めながら頬杖をついている。対面では銀髪の男性が座りながら雑誌をペラペラとめくっていた。
「差し入れどうも。あなたの無駄な自己満足のおかげで、私も暇つぶしになる」
「お前くらい性格が悪い皮肉を言ってくれると、俺も考えすぎないから楽だよ」
歯に衣着せぬ物言いで返す大一に、ユーグリットはにやりと悪意ある笑みを浮かべる。ギガンへの面会と同じように、彼は定期的にグレイフィアの弟であるユーグリットとも依然と同じ異空間の部屋で面会していた。もっともギガンよりも頻度は少なく、ふと気が向いた時に手紙で差し入れを相手から要求する図々しさがあるが、そのバイタリティは呆れと同時に一種の感心すら湧いた。
「実際、あなたには感謝してはいますよ。義兄上や兵藤一誠に負けたならまだしも、あなた程度に負けたからこそ吹っ切れたものだから」
「褒め言葉として受け取っておく」
なんとも言い難い不服さを抱く大一であったが、ユーグリットは気にせずに雑誌の写真に目を通す。彼が見ているのはアザゼル杯の記事で、一誠が率いる「燚誠の赤龍帝」チームの試合の特集であった。
このチームの「女王」はビナー・レスザンという仮面をつけた人物であった。まったくの無名であるこの人物はこれまで目立った活躍こそしないものの、見る人が見ればその実力を感じさせる立ち回りを披露していた。そして大一はその人物が、ルシファー眷属「女王」のグレイフィアであることを知る数少ないひとりであった。
さらにビナーの正体について、ユーグリットも知っていた。直接グレイフィアから教えられたわけではなく、雑誌の記事だけで分かったのだという。仮面に加えて見た目の年齢も若く変化させているのに一目見ただけで気づく辺り、彼の姉への執着は相変わらずなのだろう。
「やはり姉上は美しい…赤龍帝のチームにいるのは気に食わないが」
「グレイフィアさんが選んだことだ」
「1度ならず2度も紅に…そんなに好きですか…まったく度し難い」
雑誌を閉じるとユーグリットはフッと息を吐く。頭の中で何かを整理しているのか、天井を見つめたままぼんやりとしていた。
長居の必要性を感じなくなった大一はだんだんと立ち去ろうと考えていたが、いつの間にかユーグリットが品定めするように視線を向けていることに気づくと、訝し気に目を細める。
「なんだ?」
「いや、あなたがどうしてアザゼル杯に出なかったのかと思ってね」
「自分のチームで出場したかった。そんなところだ」
「…なるほど。今からでも私があなたの眷属になりましょうか?」
ユーグリットが鼻で笑うように言う。これに対して、大一は目を細めるどころかハッキリと眉間にしわを寄せる。
「どういうつもりだ?」
「言葉のままですよ。あなたがチームを作って出場してくれたら、私は堂々と赤龍帝を倒す機会を得られるのでね」
「…アザゼル杯のチームエントリーは決まっている。今更チームを率いて出場はできないぞ。それにお前はここから出たいだけだろう」
「もちろんそれはありますよ。姉上にロスヴァイセまで、赤龍帝のもとにいるのはどうもね」
どこかあくどい微笑を見せるユーグリットに、大一はため息をつくと立ち上がる。
「お前にあの人を会わせるなんて、俺がさせないよ。チームだってお断りだ。それでこの話はお終いだ」
「おやおや、怖いことで。ま、今後とも差し入れは頼みますよ」
「その分、お前も尋問にはしっかり答えろ」
このやり取りを最後に、大一は彼との面会を終える。扉を開けて消えていく後姿を、ユーグリットは静かに見守った後、誰に言うでもなく小さく呟く。
「まあ、これでもあなたの野心は理解しているつもりだけどね」
ユーグリットが原作以上に絡んでいる状況です。