OPサイズならなんとか弾けるんですが、フルで弾くにはまだまだ時間が掛かりそうです。
これをギターでやってのけるとは...後藤ひとり、恐ろしい子...!
苛立ちが収まらなかった。
身体中が熱を帯びる。ボンヤリする脳を必死で回転させ、原因を探る。
何故あんなことを言われなんだ。
アイツが初対面で僕のピアノを酷評したからー?虹夏にあんな"男"友達がいたと分かったからー?
虹夏に近づくな、と言われたからー?
違う..
違う...
違う...!
どれも絶対に間違っている。
間違っているのはーー僕自身だ。
虹夏に近付くなというのは尤もだ。小学生の頃でさえ、変な噂を立てられていたというのに、虹夏はもう高校生だ。
こんな奴が虹夏と仲良くしている事を知られたら、虹夏に迷惑がかかるってことくらい考えなくても分かるだろう!
虹夏と、ずっと一緒にいたいと思っていたのは僕だけなんだ。
虹夏はただ、弱い僕を放って置けないくらい優しいだけなんだ...!
退院した今、もう患者と見舞い人という関係ではいられない。幼馴染同士という関係もー
アイツの言っていたことは正しい。つつく隙もない正論だ。
考えれば考えるほどに、その結論の正しさを理解させられる。
「心まで弱かったのか、僕は」
今更すぎる真実だった。
入院中、何度枕を濡らしたことか。何度虹夏に弱音を吐いたことか。
気がついたら、家を飛び出していた。
人混みをかき分け、駅に向かう。
チャージ残高も確認せず改札を通り、行き先も確認せずに電車に飛び乗った。
半人分ほど空いた座席のモケットに腰を押し込む。
車輪がレールの継ぎ目を通るたび、心臓が打ちつけられるような痛みがした。
夕陽に照らされて赤く染まった風景が左へ左へと流れていく。
ひとりぼっちで電車に揺られる僕を嘲笑うかのように、列車は加速度を増してゆく。
知らない街の知らない景色。知らない駅の4番ホーム。知らない学校の制服とリボンー
ー知ってる声。
「失恋、しちゃったの?」
そう言って、俯く僕の顔を覗き込んだ制服の彼女ー喜多さんの双眸は、心なしか輝いてみえた。
失恋、か。そうであればどれほど良かったことか。
恋人なんていくらでも変わりがいる...たぶん。でも、僕にとって幼馴染は虹夏ただ一人だけ。
長い年月をかけて構築されたこの関係を代替できるものなど存在しない。
「してない...かな」
いや、違う。僕は失恋したんだ。アイツは虹夏の恋人だったんだ。
だから僕にあんな事を言って、虹夏を守ろうとしたんだ。
心の中で、疑問のピースが組み合わさっていく。描かれた赤いハートがひび割れてゆく。
「...そっか」
赤い夕日は暖かさを奪い取りながら沈んでいった。
師走の潮風は冷たい。冷えた欄干に乗せた手が震える。
視界の端を航く貨物船の明かりが波に揺れている。
真横で同じように海を見つめている喜多さんに目をやると、彼女はそうだ!と呟いて手を叩いた。
カバンから何やら取り出そうとしている。
不思議そうに見つめる僕の目に気がついたのか、喜多さんがクスッと笑う。
「目を閉じて」
言われるがままに瞼を落とす。潮風の香りが一層強くなる。
両耳が何かに包まれるような感触。
赤く高い歌声が、鼓膜を震わせ始める。
「ひとりぼっち東京 優しくない街に降りたー」
いつもの喜多さんの歌声。優しく、それでいて潮風を押し返すほど芯の通った声。
「人の波に乗って抜ける駅の改札ーー」
まるで今の僕の状況を予想していたかのような歌詞。
初めから喜多さんが、全てを知ってくれていたかのような歌声。
それなのに。
「一くん...?」
泣いてない。泣くわけない。こんな所で泣くなんて、馬鹿みたいじゃないか。
同級生の女子を目の前に泣くなんて、情けない男みたいじゃないか。
顔に皺を寄せて瞼を強く閉じる。こうしていれば、涙は自然と止まるはず。
グッ...と、頭を強く引かれた。
暖かく、そして柔らかい感触が顔中を覆った。
街灯の光が足元を照らす中、僕は彼女の胸に抱かれていた。
☆ ☆ ☆
もっと泣いてもいいのよ。もっと悲しんでもいいのよ。
そうすれば、私が助けてあげられるから。そうすれば、私がそばに居てあげられるから。
♪ ♪ ♪
「ピック...キーホルダー?スコア?ドラムスティック...は、要らないか」
かれこれ5時間は悩んでいる。喜多さんへのクリスマスプレゼントだ。
あの日、僕は喜多さんの歌が入ったプレーヤーを受け取った。
貰っちゃ悪いよと一度は断ったが、もう使っていないから、と押し切られてしまった。
母の店ー下村楽器にはギターやキーボードからリコーダーまで、さまざまな楽器が置いてある。
が、その選択肢の多さが仇となって、未だプレゼントを決めかねている。
クリスマスは2日後だ。虹夏の分も買いにいかなくちゃいけないから、残された猶予は少ない。
「虹夏...」
あれから虹夏には会っていない。アイツの言いつけを守る...というのは癪だったが、生憎僕は幼馴染の恋路を邪魔するほど野暮な心は持ち合わせてない。
「これ、試奏させて」
背後から低い声が飛んできた。
僕は腰にショーケースの鍵をぶら下げてはいるものの、一目で店員と判る服装はしていない。
僕がここの息子だと知っている人間は...虹夏以外には、昔の同級生くらいか?
「おーい」
そう催促の声を発したのは、意外な人物だった。
艶のある青い髪は真っ直ぐに切り揃えられ、片目を覆っている。
端の毛を纏めるように付けられた二本の髪飾りは、どこか見覚えのある...
「...なんでここが分かった」
「虹夏から聞いた」
そう言いながらリョウは右手のベースを持ち上げてみせた。
ーリョウだろうと世紀末人間だろうと、僕に試奏を断る権限はない。
「あちらにソファがありますので、ご自由にどうぞ」
内心の苛立ちを悟られないように、不慣れな営業ボイスと共に掌をソファに向ける。
リョウはソファに腰を下ろし、ベースを構える。
「いくよ」
ーーーーーー♪
4つ、平行して並んだ金属線が、鈍い音を立てて振動を始めた。
素早いピックの動きを生み出す右手。高速でコードを変え続けても力の抜けない左手。
ベースに疎い僕の耳にも、その激しい動きの難しさだけは理解できた。
暖房の効いた店内で汗を滲ませながら弦を弾くリョウの姿は、とても格好良く見えた。
ーー ーーー♪
リョウが刻む音が空気を震わせるたび、僕の中の疑惑は確信へと変わっていった。
上手い。ーという評価が正しいのかはわからないけれど、そう形容する他ないほどに上手い。
これまで聴いてきたどの客の試奏よりも断然うまい。
まるで、世界がベースを残して消滅してしまった時のような、そんな真剣な眼差しでベースを見つめるリョウの横顔は、青空のように晴れやかに見えた。
ー僕の負けだ。
空気の震えが止まった。
ピックを放し、額の汗を拭って大きく息を吐くリョウの隣に、僕は腰掛けた。
「認めるよ」
何を、とリョウの目が伺う。
「僕が下手だってこと」
今の演奏を聴いてしまったら、認めるしかない。楽器が違っても、腕の差は明確だった。
リョウは小さく頷いて答える。
「それとー」
「...悔しいけど、僕が虹夏に相応しくないってこと」
僕はすっかり吹っ切れてしまっていた。あんなに苛立っていた心も、喜多さんに醜態を晒してしまった恥ずかしさも、ベースの音と一緒にどこかへ飛んで行ってしまった。
店内に響くのは、流しっぱなしになっているMVの微かな音だけだった。
「ププ...何それ...けっさく...」
「笑うなよ」
「もしかして、私が虹夏の彼s
グゥー。
リョウがベースの次に試奏したのは、どうやら弦楽器ではないようだった。
時計を見ると、いつに間にか時刻は20時を回っていた。
「うちで食べてく?」
我ながら不思議に思うほどサラリと、誘いの言葉が出た。
リョウを"敵"扱いしていた頃の僕はもうそこには居なかった。
「では、遠慮なく」
契約は締結された。
僕は店の奥にいる母に一言伝えてから、リョウと共に店を出た。
「リョウの家はこの辺り?」
歩きながら尋ねる。
「病院のそば。親が院長やってるから」
「それで病院に?」
謎が解けた。リョウがあそこに居たのは、彼の体が悪いせいではなかったようだ。
「そう」
「一は、どうして入院してたの?」
いきなり名前呼びか、と少し驚いた。
とはいえ僕もリョウと呼んでいる手前、人のことは言えないけど。
そういえば、リョウの苗字は虹夏から聞いてなかったな。
「少し肺が悪いだけだよ」
悪いのは、肺だけじゃないんだけどね。
今ここで病名を明かして、無駄に心配をかけることもないだろう。
親が医者とはいえ、分かることも少ないだろうし。
十分程歩いて、僕のマンションまでやってきた。
「どうぞ」
扉を開いて中へ招き入れる。少し散らかっているけど、リョウになら見られても大丈夫だろう。男だし。
虹夏にはとても見せられたもんじゃないけど。
「ご飯の用意してくるから、適当に寛いでて」
「わかった」
「院長の息子様に喜んでもらえるようなものは無いけどね」
殺風景な部屋を見渡して苦笑する。リョウは何故か不思議そうな顔を僕に向けていた。
卵を3つボウルに割り入れ、出汁と醤油、味醂に細葱を入れて切るようにかき混ぜる。
よく温めた卵焼き器に油を敷いて、卵液を流し込む。
火加減を調節しながら卵焼き器を傾けて全体に広げつつ、膨らんだ泡を潰していく。
少し柔らかいかな、というところで手前に巻いて、再び卵液を流し込む。
料理は久しぶりだけど、卵焼きの作り方だけは鮮明に覚えていた。虹夏のおかげだ。
巻き終えた卵を皿に盛り付け、豚汁とご飯をよそって食卓に並べる。
あとはグリルの鮭が焼きあがれば完成。
「おーい、できたよ」
と、呼びかけるまでもなくリョウはそそくさと席に着き、卵焼きを頬張っていた。
「お口に合いますか?」
「うん、美味い」
素直に喜んでぼーっとリョウを眺めていたら、卵焼きを全部平らげられてしまった。
「ごちそうさま」
食事を終えて、玄関前までリョウを見送る。
「リョウのベース、また聴かせてよ」
今度は僕のピアノと一緒にセッションを、とは流石に言えなかった。
「うん」
「私も、また一の卵焼き食べたい」
「気に入ってくれたなら嬉しいよ」
「じゃ、また」
おやすみ、と手を振って部屋に戻る。
私も、また一の卵焼き食べたい...かぁ。やはり友人に料理を褒められるのは嬉しいものだ。
...私?
...今、わたしって言った?
思い返せば今日こそはズボンを履いていたものの、初めて会った日はスカートを履いていたような。
あれはキュロットで、私呼びは僕っ娘のようなもの...なんて、そんな訳ないよな?
まずい。
今閉めたばかりの扉を押し開き、階段を駆け下りる。
街灯の下を数十メートルほど走って、自販機の前でようやく追いついた。
「待っ...て」
白い息を吐いて呼吸を整え、声を振り絞る。
「何」
眉ひとつ動かさぬままこちらを振り返ったリョウに問いかける。
「もしかして...女の子...なの?」
◆ ◆ ◆
もうすぐクリスマス、か。
私は手で口を覆ってはっと息を吐く。太腿に触れる土管が体の熱を奪う。
駅前には巨大なツリーが飾られ、道ゆくカップルたちが写真を撮っては去っていく。
ブー、ブーとパーカーのポケットが震え出した。
スマホを取り出し、通知を確認する。
「なに...これ」
目線の先には、リョウから送られてきた画像があった。
そこには、手をピースにして笑うリョウと共に、楽しそうに料理する一の後姿が映っていた。
明日も来てね、って言ったのにな。
...一くんのばか。
さらっと関係性のまとめ。
主人公:虹夏が好き(幼馴染として)
虹夏:主人公が好き(幼馴染として)
郁代:主人公が好き
リョウ:???
「ぼっちちゃんもこの修羅場に入ってみたら?」
「むむむむむむむむ無理です絶対!!!」
人気度調査(2話時点)
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伊地知虹夏
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喜多郁代
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山田リョウ
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伊地知星歌
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後藤ひとりを出せ