「いつか、夢を叶えられるかな」
その言葉が、脳に刻まれた刺青のようにまとわりついては離れない。
鳴り響く音楽をかき消すほどに脳が思考を巡らせる。
虹夏の夢。バンドを組むこと。STERRYでライブをすること。ステージで輝くこと。
独りでピアノを弾いていただけの僕には見付けられなかった、仲間を得るという夢。
いつも日陰で寝ていた僕にはわからなかった、”輝く”という夢。
虹夏の夢なら全力で応援したい。全力で手伝いたい。でも、今の僕には何の力も知識もない。
「リョウを誘ってみたら?」
これが、今の僕にできる精一杯の助言だった。
「リョウは...他のバンドで忙しそうだから」
虹夏が諦めたような言葉を漏らす。しかしその表情は、どこか涼しげだ。
ー意外だった。リョウが唯一の友人である虹夏を放って、他人とバンドを組むとは。
何故だか怒りが湧いてきた。
「虹夏は、それでいいの?」
「私のわがままでリョウを巻き込むわけにはいかないよ」
虹夏の言う通りだ。リョウにも、虹夏とは違う大きな夢があるのだろう。
でも。
「僕にできることなら、何でもする。...だから、絶対に諦めないで」
虹夏には、もう何も諦めて欲しくはない。もう、何かを諦める虹夏の姿なんて見たくない。
僕の夢は、虹夏の役に立つ人間になること。虹夏のために生きること。
あの日からずっと、そう心に決めていたから。
「うんっ!」
♪ ♪ ♪
「卵焼き、出来たよ」
「...」
「ネギ入りだけど」
リョウはびしょ濡れの体をピクリとも動かさぬままソファに腰掛け、窓の外の景色を眺めている。
生憎天気は雨、それも土砂降りの。雪の予報に浮かれる僕を裏切って、雨はただひたすらに景色を曇らせていた。
リョウもまた、何かに裏切られたような悔しげな表情で、滴る雫を目で追っていた。
いつもは喜んで全部平らげてしまう卵焼きにも、一切の無反応を貫くままだった。
ーネギ入りがお気に召さないだけ...なんてことはないよな。
僕はそっとリョウにタオルをかける。
「濡れたままの服じゃ、風邪引くー」
「うるさい」
「...ここじゃ寒いから、布団の中でゆっくり温まってー」
「うるさい」
「...」
大声で僕の言葉を遮りながらも、リョウはじっと窓を見つめる視線を揺らさない。
リョウの身に何かあったのか。それとも周りで嫌な事件が起こったか。
とても、それを訊ねられるような状況ではない。
だからといって、放っておくわけにもいかない。
ーこんなとき、喜多さんならどうしていただろう。
ー確かあの時僕は、喜多さんの胸に顔を埋めて...。って違う!
僕は海辺で号泣したあの時を思い出して悶え、それを誤魔化すようにポリポリと頭を掻いた。
どうしたものか、と逡巡し、部屋の奥に目をやる。そこには古ぼけたキーボードが置かれていた。
ピクリ、とリョウの体がはねた気がした。
ー僕が泣いたのは、喜多さんの歌声を聞いたからで...
再度、古ぼけたキーボードに目を向ける。
ーこれしかない。
意を決して、鍵盤に手を添える。使い込んですっかり軽くなった白鍵を押さえ、アルペジオを鳴らし始める。
ぼやけた電子音だけが、部屋中に響き渡ってゆく。
ー相変わらず下手な演奏だな、こんなレベルでリョウを慰めようなんて、傲慢が過ぎたか。
リョウの反応はない。が、構わず弾き続ける。スカスカ、という鍵の音が大きくなる。
最後の和音を弾き終えて、そっとペダルから右足を下ろす。
恐る恐るリョウに目をやる。変わらず窓を見つめるその横顔に、一筋の光が走った。
慌てて僕はリョウに駆け寄る。
「大丈夫?」
「一のせいだ」
「え」
「一があんな曲を弾くから」
そう言ってリョウは、僕の胸に顔を埋めてきた。
「あんな曲って」
僕が弾いたのは、虹夏から教わったリョウのバンドの曲だった。
結成して初めて完成させた、思い出の曲らしかった。
◆
...一があんな曲弾くから。
私ー山田リョウは、バンドを抜けた。
売れるために個性を捨てて、つまらない工業製品のような音楽を作る仲間を見るのが辛かった。
感情を持った私という人間が、ただの平凡な商品に成り下がっていくのが怖かった。
「自分で自分を殺すくらいなら、音楽なんてやらない方がよかった!」
心の声が口から漏れ出てしまった。
いつになく感情のこもった大声が雨音をかき消した。
青臭いけど真っ直ぐなあの歌詞が好きだった。
それぞれの夢に向かって無我夢中で頑張るあのメンバーが好きだった。
売れ線に寄せた個性のない歌詞など、死んでいるも同然だ。
ーそれが私の本心だった。
だから悔しかった。私の気持ちを理解してくれないことが悔しかった。
最後まで仲間と揉めるような自分の不甲斐なさが悔しかった。
私のわがままで、一つの夢を潰してしまったことが悔しかった。
ーそれでも、私は私を殺めることはできなかった。
「...」
「ごめん」
「何が?」
「...今は音楽なんて聞きたくなかったよね」
一が顔を落として小さくつぶやく。
...違う。私が聞きたくないのは死んだ音楽だけ。
一の、必死で生に縋り付くような演奏が好きだった。
一の、命を削って奏でるような強い音が好きだった。
「...僕には、バンドのことなんて何もわからない。」
一が俯いたまま言葉をつなげる。
「でも、きっとみんな夢を持っていたんだよ。」
「夢を叶えるためには、何かを犠牲にしなきゃいけない事も、きっとあるんじゃないかな」
「何も分かってない癖に!」
私は再び一の腰に手を回し、しっかりと締め付けた。
何かを犠牲にして叶えた夢なんか、本物の夢じゃない。
何かを犠牲にしなければ叶わない夢など、永遠に夢のままでいい。
私が声を荒げても、一は落ち着いた表情を崩さなかった。
「僕には何もわからないよ。でもー」
そう言って一は私の腕を振り解き、再びキーボードの前に腰を下ろした。
「リョウがまだ音楽を嫌いになっていない、ってことだけは、はっきりと分かるよ」
そう言って一は、ゆっくりとその音楽を奏で始めた。
私が心から好きだったあの頃の曲。夢のための犠牲など想像さえしなかった頃の、痛いほど青臭いあの歌。
ー相変わらず下手だな。一は。
一の演奏は、初めて弾く曲かのようにどこかぎこちない。
...だから、私がサポートしないとね。
ソファを立ち、ペタペタと足跡をつけながら、玄関に立てかけたままのベースケースを手に取る。
雨でびしょ濡れだ。
ーまったく。ひどい持ち主だな。私は。
首にかけたタオルで雨を拭い、ファスナーを引いてベースを取り出す。
白く輝くその艶やかなボディは、リョウに何かを訴えているようだった。
「ごめん、今弾いてあげるから」
早足で部屋の中へ戻り、一を一瞥する。
「わからせてやる」
4つ並んだ太い弦が、空気を振るわせはじめた。
弦を弾くたび、涙が溢れてくる。弦を押さえるたび、悔しさが込み上げてくる。
「遅い」
私のベースに、一のキーボードがついてこない。
「まだまだ」
そう言って一はテンポを早める。意外とやるじゃんか。
雨の滴にぬるい汗が混ざって、背を伝う。それでも左手は止まらない。
もう二度とあの場所には戻れない。もう二度とあの頃には戻れない。
...それでも、この場所さえあれば。
◆
「疲れた」
「僕も疲れたよ」
「でも、楽しかった」
「僕も楽しかったよ」
「なかなかやるじゃん」
「リョウだって」
「私はベーシストだから」
当然でしょ、とでも言うように目を閉じて頷く。
グゥー。
二人のお腹が同時に低い音を奏でた。
「冷めちゃったけど...食べる? 卵焼き」
「...その前に、お風呂貸して」
リョウは雨と汗でびしょびしょになったシャツの裾を摘んで言った。
リョウが風呂をでて、二人で遅い昼食を食べ終わる頃には、雨はすっかりあがっていた。
何事もなかったかのようにベースを仕舞うリョウの顔には清々しさすらも感じられる。
「あ、あのさ...」
「何」
「さっき、演奏してて思ったんだけどさ...」
「だから何」
「リョウは最高のベーシストだよ」
「うん。知ってる」
リョウは当然、という顔でこちらを見る。
その無垢な瞳の輝きに一瞬狼狽えるが、意を決して直球の誘いを投げかける。
「もう一度、バンド、やらない?」
虹夏のバンドには、リョウが必要だ。
その思いは、リョウとセッションしたこの数時間で確信へと変わっていた。
リョウがいれば、虹夏はきっと輝ける。リョウのベースがあれば、きっと虹夏の夢を叶えられる。
「僕にはリョウのベースが、いや、リョウが必要なんだ」
僕を見るリョウの瞳は動かない。
「...わかった、やろう」
沈黙の後、小さく微笑んでリョウが言う。
「ちょっと待ってて」
リョウは立ち上がって、玄関に向かって歩く。
「どこへ行くの?」
と不思議そうに訊く僕を宥めるように、リョウは小さくサムズアップして扉を閉めた。
「すぐ戻るから」
1時間後、一とリョウは二人で夜の駅前に並んで立っていた。
「やろうって...まさか路上ライブとは」
リョウは慣れた手つきでアンプとコードを繋いでいる。
「大体、ベースとキーボードだけで成り立つものなのか?」
返事はない。
「この端子を裏側の穴に挿して」
「ああ、うん」
言われるがままに僕はキーボードに金色の端子を差し込む。
確認のつもりで軽く鍵に触れると、後ろから大きな音が響いて僕の鼓膜を叩いた。
びっくりして固まっていると、リョウが呆れたようにアンプのノブを回す。
「...ごめん、使い物にならなくて」
「大丈夫」
「本当に?」
「なにか心配でも?」
リョウが不思議そうにこちらを見上げて訊く。
「いや、人前で演奏するのは初めてだから...」
リョウの整った容姿に惹かれてか、ポツポツと足を止める人々の視線が僕を刺す。
「何言ってんの。一はずっと人前で演奏していたじゃん」
「え?」
ー確かに、喜多さんに聞いてもらったことは何度もあるけど。
「じゃ、いくよ!」
そう言ってリョウは軽く弦を弾き、テンポを刻む。
合図と同時に、精一杯の力で8つの鍵を押さえる。それに応えるように、リョウがコードを鳴らす。
リョウの素早い弦捌きに遅れないよう、必死で鍵を追う。
左手が追いつかない。このままでは、リズムが乱れる。
観客の視線が痛い。手が震えて思うように音が出ない。
「頑張って!一くん!」
遠くから、僕を励ます声が聞こえたような気がした。
幻聴だか何だかわからないけれど、ありがたい声援だ。
「いくよ」
チラリと横を見ると、リョウがこちらを見てつぶやいた。
ー落ち着いてしっかり弾いて。私が合わせるから。
左手の動きを減らして、しっかりとリズムを保ったまま鍵を押さえる。
次第に落ち着いて、安定した音になってゆく。ピタリと合った二人の音が、辺りを包み込んでゆく。
ーやっぱり私の思った通りだ。
「やっぱり一は上手いな」
夜の駅前を照らす橙色の街灯の下で、二人の奏でる音だけが力強く響いていた。
機材を乗せたカートを引いて、自宅へと歩みを進める。見上げる夜空は、一層黒さを増していた。
「やっぱり上手い、って?僕は下手なんじゃ」
「下手だよ。でも、私の側にいる時だけは上手」
「...どういうことだよ」
でも、なんとなくリョウの言いたいことがわかる気がした。
「寒いね」
口を開ける度漏れ出る息は、すっかり白くなっていた。
「もう2月だから」
そう呟くリョウの目に確かな決意があることを、僕はまだ知らなかった。
「ぼっちちゃーん!早く出ておいでー!」
前回から20日以上空いてしまいました...すみません。
2月14日に合わせてバレンタイン回を書くつもりが、とっくに過ぎてしまいました。
という訳で(?)次回はバレンタイン回です。
現実世界では時にうざったくも感じる年中行事ですが、小説のネタとしては最高ですね。
季節が巡るだけで向こうから勝手にやってきてくれる。なんて最高のネタなんだ。
...拗らせオタクは、こうして常識を取り戻していくのでした。
一話あたりの最適な文字数は?
-
〜3000字
-
3000〜5000字
-
5000〜7000字
-
7000〜10000字
-
10000字以上
-
15000字以上