イヤホン越しに、"guitarhero"の弾く弦の音が鼓膜を揺らす。
2週間ほど前、偶然にもこのチャンネルを見つけてから、勉強中はずっとこれを流すほどにハマってしまった。
ーこの図形にはメネラウスの定理が使えるから、辺ABとBCを掛けて...
どんな有名アーティストかと思っていたら、普通の女の子らしい。しかも、同い年の。
ーこっちは...チェバの定理か。外周を掛けて=1になればいいから...
1度くらい生で演奏を聴いてみたいな...いかんいかん、勉強に集中しなくては。
「終わった...」
机から顔をあげ、時計に目をやる。そろそろ夕食時か。
母さんは今日も店だし、何か作らないと。
イヤホンを付けたまま台所へ向かう。ベーコンが残っているから、パスタでも茹でて...
「ちょっとリョウ!アラザンはチョコに乗せるの!そのまま食べちゃダメ!」
聞き慣れた声がする。
「うまい」
...聞き慣れた声がする。
「こ、こんにちは」
恐る恐る声をかける。
そこには、口元をチョコまみれにしてアラザンを貪るリョウと、それを必死に止める虹夏の姿があった。
「お、お邪魔してます」
虹夏がかしこまって挨拶する。何やら様子が変だ。
「虹夏はいいよ。でも、なんでリョウまで」
「え」
リョウが驚いたように目をパチクリさせる。
「わ、私が誘ったの。一緒にチョコ作ろうって。ほら、明日はバレンタインだから」
「母上に許可は取ってある」
そう言ってリョウが鍵をひらつかせる。全く、今度はどんな嘘で母さんを騙したんだか。
「別にいいけど...なんで僕の部屋で?」
「お、お姉ちゃんにバレちゃうから...」
なるほど、星歌さんにチョコをあげるのか。それなら納得だ。
「じゃあ、リョウも星歌さんに..?」
僕の知る限り、リョウと星歌さんが親しくしているという情報はなかった。
虹夏に付き合わされているだけか?
「私は違う」
そう言ってリョウは冷蔵庫からバットを取り出し、僕の目の前に差し出した。
中には小さなカップに入ったチョコレートが整然と並べられている。
「食べて」
チョコをつかんだリョウの腕が、僕の口元に向かって伸びてくる。
もしかして、僕のためにチョコを作ってくれたのか?
...って、ないない。妙な勘違いは、破滅への第一歩だ。
戸惑いつつも口を開くと、舌の上に柔らかな甘みが広がってきた。
「...美味しい」
「当然だね」
リョウのキメ台詞に、思わず笑みがこぼれる。
釣られてリョウも笑い出した。
「もしかして、僕のために作っ」
「ちょ、ちょっと二人とも!」
虹夏が間に割って入ってきて、僕とリョウを引き離す。
「あ、ごめん。星歌さんにあげる為、だったよね」
「そうだけど...そうじゃないって言うか...」
「へ?」
「とにかくもう食べちゃダメ!」
そう言って虹夏はリョウからバットを取り上げて冷蔵庫に戻した。
「ごめん虹夏。怒った?」
いつの間にか僕の背後に回っていたリョウが、肩越しに禁句を放つ。
それは今一番言っちゃいけない台詞では...
「...怒ってない」
虹夏はため息をつき、呆れた様子でこちらに振り向いた。
「ってか、二人はいつの間にそんなに仲良くなってたの?」
虹夏が息を荒くして問い詰めてくる。
「別に、そこまで仲良くはないって言うか、その」
僕はこれまでの経緯を虹夏に話した。
リョウに500円玉を渡したこと、リョウにチャーハンを作ったこと、リョウとセッションをしたこと。
ーリョウを男の子だと勘違いしていたこと。
唯一、バンドのことだけは言わなかった。
隠しているわけじゃないが、今は言うべきじゃないし、僕が言うべきじゃない。
ーそう思っただけだ。
「...なるほど。それじゃ一は、私のいないところでコソコソとリョウに会っていたと」
虹夏が腕組みをして僕の顔を睨んでくる。
「そうだけど...人聞きが悪いな」
「ププ...虹夏、浮気を問い詰める彼女みたい」
リョウが涙を堪えながら笑っている。
「ちょ、また余計なことを」
余計に怒らせて、どうするつもりだ。
「ま、リョウと同じことをさせてくれたら、許してあげなくもないけど?」
僕の予想に反して虹夏の反応は意外にも優しいものだった。
「同じこと、ってこれのことか...」
虹夏は満面の笑みを保ったまま、ソファに腰掛ける僕にチョコを差し出してくる。
「はい、あ〜ん!」
「あ、あーん」
「私は何を見せられているんだ」
リョウが冷ややかな目で呟く。って、リョウもさっきやってただろうが。
5つほど食べさせられたところで、ようやく虹夏の許しを得た。
「でも、僕に食べさせてよかったのか? 星歌さんにあげるんじゃ」
「お姉ちゃんの分はまだあるから大丈夫。それに、一にもあげるつもりだったし」
友チョコならぬ幼馴染チョコとは分かっているけれど、やっぱりそう言われると嬉しいものだ。
「さすが虹夏。ホワイトデーには何か返すよ」
僕のその言葉に、虹夏は嬉しそうに台所へ戻っていった。
「私にも頂戴」
「ああ、もちろん...って、リョウも僕にくれるつもりだったのか?」
「そう」
「ありがと。嬉しいよ」
虹夏以外から貰うのは初めてだったから、素直に嬉しい。
「うん」
台所から、虹夏の陽気な鼻歌が響いてくる。
「一」
か細い声が僕の名を呼ぶ。
「ん?」
「ありがと」
何に対する礼なのかは分からなかったが、とりあえず受け止めておこうか。
「夕食、何が食べたい?」
「一の作るものならなんでも」
「そうか。じゃ、パスタにしようかな」
♪ ♪ ♫
夕食を終え、虹夏を見送ってから部屋を片付ける。
少しだけ横になると言ったリョウは一向に起きる様子がない。
「もう十時だぞー」
「...虹夏も帰ったぞー」
リョウの肩を揺らすが、反応はない。
固く結ばれた瞼に掛かる髪をのけて、頬をつつく。
「おーい」
すやすやと息を立てる寝顔が美しい。
こんなに可愛い女の子を男と間違えるなんて、酷い奴だな。僕は。
今更ながらリョウを男と勘違いしていた頃を思い出して、申し訳なさが込み上げてくる。
「お〜い」
正面から声が飛んできた。
いつの間にかリョウが目を覚まして、今度は逆に僕の頬をつついていた。
「わっ」
びっくりして上体を起こす。
「もしかして、私の寝顔に見惚れてた?」
「いや。申し訳ないなと思っただけ」
正直に言えば少しだけ、”可愛いな”なんて思ってしまっていた。
「まだ私を男だと思ってる?」
リョウも体を起こして、真剣にを見つめる。
「そんなことなっ
チュッ。
僕の右頬に、暖かく、柔らかな感触が走った。
<ちょっとしたお詫び>
ここまで書いておいてなんなんですが、1話から読み返して修正しようとしたら大幅に変わってしまったので、新たに再構成版を投稿することにしました。
...ぼっちちゃんが登場するまで十話くらいかかりそうだった、ってのもありますが。
ともかく、この作品はこれにて終了です。
初めての小説執筆でしたが、思いのほか多くの方に読んで頂けてとても嬉しかったです。
が、思うような文を書けなかったのも事実です。
再構成版ではもっと読みやすく、面白く書けるように頑張りたいと思いますので、ぜひお読みいただければと思います。
最後に、感想や評価・お気に入り登録をしてくださった方々、そしてここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。
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