ARIA The NAVIGATIONE 異世界に転生して麗しの水先案内人と過ごすスローライフ♡ 作:neo venetiatti
溺れていた。
間違いなく、おれは溺れていた。
どこにも掴めるところがなく、身体はいうことがきかない。
あらぬ方向へと回転してしまい、上下左右ともがきまくっていた。
だが、そんな状況の中であることに気がついた。
ひとつの方向から光が差し込んでいた。
おれは必死にその光を目指して泳いだ。
人が見たら泳いでいるようには見えなかったろうが・・・
それだけ、とにかく必死だった。
その甲斐あってか、少しずつ光の方に近づいているようだった。
すると、誰かが語りかけるような声が聞こえてきた。
とても優しそうな、慈悲深いその声に導かれるように、その光の方向に向かって進んでいった。
そしてついに水面から顔を出すことに成功した。
必死になって水面に飛び出した。
苦しい状況の中、その先にぼんやりとだが女性がひとり、なんだか豪華な造りの椅子に座り、脚を組んだ膝の上で頬杖をついて、こちらを見ているのがわかった。
いや、眺めていた。
「あらあら、大丈夫?」
「ゲホッゲホッ」
「少し落ち着いたかしら?」
「いや、この状況を見れば、わかると思いますけど・・・ゲホッゲホッ」
「そうなのね。じゃあ少し待ちましょうか?」
とぼけているのか?
それともおちょくっているのか?
まるでこの世に生きているように思えない、現実感の乏しい話し方。
というか、目の前の状況を見て、なんでそんなに落ち着いているんだ?
こっちは、さっきまで溺れる寸前だったというのに。
「もう落ち着いた?」
「落ち着いたところまではいきませんが、まあ、なんとか・・・」
「それはよかったわ」
その目の前の女性はふわりと浮かんだシースルーの衣を身にまとっていた。
そう。それはまるで天女の羽衣という表現がピッタリだった。
金色に輝く長い髪が、その美貌をいっそう引き立てている。
その美貌の持ち主は、優雅に脚を組み換えると、少しため息をもらした。
「それでね、早速なんだけど」
「あの~」
「ん?なんなのかしら?」
「話の腰を折って申し訳ないのですが」
「いいわよ。どうぞ」
「とりあえずこの状況を説明してほしいわけなんですけど」
「あら?そうだった?」
「そうなんです!今さっき、水の中から出てきたところなんです!しかも、溺れそうだったんですよ!」
「まあ、それは大変だったわね」
「大変すぎます!」
「生きていれば、そんなこともあるものよ♡」
「こんなこと、そうちょくちょくはありませんよ?」
「そうなの?」
「そうです!少なくともおれの人生では!」
すると、その美貌の主は何かを思い出したように、はたと何かに気づいた表情に変わった。
「ごめんなさい。わたし、訂正しなければならないことを思い出したの」
「訂正?」
「そうなの。言っていい?」
「べつにいいですけど」
「生きていればそんなこともあるって言ったのだけど、実はあなた、もう死んでるの」
実にあっさりしていた。
人がひとり死んでいることを告げるのに、こうもあっさりという人を、これまでの人生で見たことがない。
いったいなんなんだ?この人は!
だが、ふと思った。
このシチュエーションは、これまでに何度か見たことある気がする。
アニメだとかラノベだとかで、よく出てくるシーン。
もし、おれの直感がそれを告げているのなら、目の前にいる人は人ではないはず・・・
「死んでるって、どういうことなんですか?」
「言葉の通りよ。お前はもう死んでいる!」
自分で言っておきながら、顔を赤らめていた。
「エ、エヘン!」
咳でごまかそうとしていた。
でもなんだか、ちょっとかわいい。
「覚えてないの?」
「だって、いきなり死んでいるって言われても」
「それはそうねぇ。いきなりだったものねぇ」
「いきなりだったんですか?おれが死んだのって」
「そうねぇ。たまたま」
「た、たまたま?」
「悪い偶然が重なってしまったのね」
絶句してしまった。
突然死んだと聞かされ、その上悪い偶然が重なったと。
しかも、たまたまだと?
いったい、たまたま重なる悪い偶然てなんなんだ?
おれの人生て、そんなことで終わりを告げたというのか?
「ごめんなさい。謝罪します」
「えっ?どういうことですか?なんであなたが謝らなきゃならないんですか?」
「だって、手違いで・・・」
「て、手違い?」
聞き捨てならない言葉が出てきた。
「大体あなたは誰なんですか?さっきから死んだの手違いだの、人の人生を弄ぶようなことを言って!」
「弄ぶなんて、人聞きの悪いこと言うのはよくないわよ」
「言っているのはあなたの方でしょ?」
その女性は、少し斜め上の方に目線を向けた。
「そんなこと、私が言うなんてこと・・・ホンマや!」
開いた口がふさがらないとは、上手く表現した人がいたもんだ。
「一度言ってみたかったの♡」
その美しい顔がとてもはにかんでいた。
「ちなみに、満足されたんですか?」
「ウフフフ」
「笑ってるよ、この人」
だが、その女性はこれまた予想通りといえるような言葉を、何事もなかったように不意に口にした。
「私は女神アリシアーネといいます」
「女神って・・・」
「意外でした?」
「ちょっと予想してたようなところはありますけど」
「ええー?そうなのー?それはちょっとショック」
「あっ、いえ、その~、そんなことないような・・・」
なんでこっちが気を使わなければいけないんだ?
そう思いながらも、なぜかそう言いたくなってしまったわけなんだが・・・
「つまり、あなたはこれまでいた世界で最後の時を迎えた。そういうことになるわ」
「ということは、ここは天国?」
「だとよかったわね」
「じゃあ地獄なんですか?」
「というわけでもないの」
「はぁ?」
掴み所のない話だ!まったく!
「ねぇ」
「なんですか?」
「なんか顔が怖いのだけど」
「そりゃそうなりますよ!」
「でも、もうちょっと付き合ってね。これからが大事なところだから」
「わかりましたよ」
彼女、女神アリシアーネはこう言った。
「あなたはサン・マルコ広場の大鐘楼から、頭から真っ逆さまに転落したの」
ちょっと待ってくれ。
なんでそんなところからおれが?しかも頭から真っ逆さま?
「覚えてないの?」
「はい」
「ホントに?」
「ええ」
「おかしいわねぇ」
女神アリシアーネは、考える人のポーズそのままに頭をかしげていた。
「ほら、あなた、先輩のことが好きだったでしょ?」
「ほらと言われても・・・」
先輩という言葉を耳にした瞬間、突然記憶が甦ってきた。
そして、正に糸を手繰り寄せるように、次々と過去の記憶が甦ってくる。
まさに走馬灯のように。
「ね?」
納得したように女神アリシアーネは、その美しい顔に優しく慈悲深い微笑を浮かべた。
「でも今から考えても、やっぱり変よね?」
「はぁ?」
「だって、あなた、なんであんなところにいたの?」
「なんでって言われても・・・」
「ホントに覚えてないの?」
「なんとく思い出してきたようなんですけど」
「そういうところよね?」
「えっ?」
「だから、そういうところがあるから、こんなことになったんじゃない?」
「おれのせいだっていうんですか?」
「あなたのそういう優柔不断なところが、こういう事態を招いたんだわ」
「なんかこの人、だんだん印象が変わってきた」
「なに?」
アリシアーネは、どう見ても不服そうな顔になっていた。
さっきまではすまなさそうにしてたのに・・・
「私ね、これまでミスをしたことがなくて有名だったの」
「そうなんですか」
「なのに今回ついにやってしまったわ」
「それはご愁傷様で」
「どうしてくれるの?」
「そう言われてもおれには関係が・・・」
「ないの?」
「あるんですか?」
そう言うと今度は、シュンとしてしまった。
「仕方がないわ。起こったことは起こったこと」
「結構割りきりが早いんですね」
「そうかもね。だから」
「だから?」
「だからてっとり早く終わらせましょう」
アリシアーネはキリッと表情を変えた。
「あなた、ヴェネツィアが好きなの?どうなの?とりあえずそこんところをハッキリとさせておきましょう」
「あ、あのですね?さっきから聞いてると、アリシアーネさんが一方的に話してるだけで、結局ちゃんとした説明をしてもらってない気がしますよ?」
アリシアーネはわざとらしいくらい、大きなため息をついた。
なんか、こっちが悪いみたいに感じてしまう。
おかしい。
「しょうがない子ね」
「子?」
「ちゃんと聞いてるのよ」
「わかりましたよ」
納得いかない展開だが、いい加減早く終わらせたい気分になってきていた。
こんな人、いや、こんな女神に付き合っていてどうなるんだろうと。
「あなたはね、ヴェネツィアの大鐘楼から真っ逆さまに頭から落ちたの」
「それは聞きました」
「なぜだと思う?」
「だからそれをですね?」
「あなたが片思いをしていた先輩からもらったペンダントを落としたからなの」
ペンダント。
そう言えばそんなことがあったような・・・
「サン・ジョルジョ・マッジョーレ島を最上階の展望室の窓からからぼんやりと眺めていたまさにその時、あの大きな鐘楼が鳴り始めた!」
あっ!確かにそんな感じだったような・・・
「それに驚いたあなたは、手に持っていたペンダントを空中高く放り投げた!」
えっと、そうだったかなぁ・・・
「それが運悪く、落下防止の金網の隙間から外へと飛び出した!」
落下防止の・・・
「普通ね?落ちないようにと落下防止の金網ってあるのよ?そこでなんで落とすの?どういうことかしら?ねぇ?教えてくれる?」
思い出した。
いきなり鐘楼が鳴り出して、あまりの大きな音にビックリしたっけ。
「すみません」
「今さら謝ってもらっても仕方がないわ。問題はその後よ。あなた、その金網を突き破って外に出ようとしたでしょ?なんでそんな無茶なことしたの?」
そこは覚えてなかった。
突き破った?金網を?そんなバカな・・・
「ちょうど老朽化がひどくて、変えないといけないタイミングだったとしてもよ?」
あれ?
ちょっと待て。
「それって、おれの責任じゃないですよね?間違いなく、そこを管理しているところの責任ですよね?」
「あなたがそのタイミングでそこにいて、大事なペンダントを放り投げたりするからよ」
屁理屈もいいとこだ。
こいつ、ホントに女神なのか?
なんか怪しい。
「だけど、その時に聞こえたの」
「聞こえた?何がですか?」
「あなたの心の声」
「心の声ってなんなんですか?神通力か何かなんですか?」
「違うわ。あなたはこう言ったの。神様女神様ぁ~~!どうか助けてぇ~~!って」
「そんなこと言ったのか・・・」
「あなた、大体なぜヴェネツィアへ行ったか覚えてないんでしょ?」
「まあ、そうですねぇ」
「あなたが好きだった先輩が、ヴェネツィアのファンだったからでしょ?だから一度そこへ行ってみたいとなったわけじゃない?」
「そんな理由だったのか・・・」
「だから、勘違いしてしまったでしょ?」
「えっと、それはそういう・・・」
アリシアーネさん?
なんかさっきまでの威勢の良さはどうなったんですか?
「勘違いとおっしゃいますと?」
「だからぁ~先輩大好きぃー!という気持ちを〈ヴェネツィアのことが大好きぃー!〉と聞き間違えたの!」
「はぁ?」
いったいこの人は、いや、この女神は何を言っているんだ?
「だってしょうがないじゃない?命を投げうってでもそこまで思い詰めてるなんて、この女神アリシアーネとしては放っておけるわけないでしょ?」
アリシアーネは、少し頬を赤くしながら言ってのけた。
おれはといえば、ため息ををつくしかなかった。
「つまり、アリシアーネさんが勘違いしたことで、おれは命拾いしたということですか?」
「まあそうとも言うかしら?」
アリシアーネはにっこりと微笑んだ。
「でも死んだのよ?あなたも勘違いしないでね♡」
なんか一気に力が抜けてしまった。
「それでこれからどうなるんですか?」
「そこなの」
「で?」
「もう手続きしちゃったの」
「なにをですか?」
「転生手続き」
「転生手続き?」
「だってそこまでヴェネツィアに恋い焦がれていた人を、ヴェネツィアを見守り続けた女神として放っておけなかった」
「違いますよね?」
「そこはおいおいと」
「わかりました!それで?!」
「それでね、あなたにうってつけの場所があるの。是非そこを第二の人生を過ごす場所にすればいいんじゃないかと思って」
「どこなんですか?」
「ネオ・ヴェネツィア」
「ネオ?ヴェネツィア?なんですか、それ?」
「未来のヴェネツィアなの」
「未来って、将来そういう名前に変わるんですか?」
「違うわ」
「違うって?」
「アクアのヴェネツィア。そこがネオ・ヴェネツィア」
「アクア?」
「惑星アクアよ。火星を大改造してテラフォーミングした、人類の叡知がつまった水の惑星。それがアクア」
「火星って、まさかあの火星?」
「他に火星ってあったかしら?」
やっぱりこの女神は大丈夫なのか?
いきなり火星だと?
しかもヴェネツィアにネオなんてつけたりして・・・
マンガの読みすぎか?それともラノベか?
ファンタジーにも程がある。
「そこには私のかわいい後輩たちがいるから、一度訪ねてみるといいわ。なんだったら色々と相談してみるのもいかもね」
「はいはい。わかりました」
「ふーん」
「なんですか?」
「その感じだと信じてないわね?」
「まあ」
「じゃあ元に戻る?」
アリシアーネがそう言った途端、おれは大鐘楼から真っ逆さまに落ちている真っ最中になっていた。
「わかりました!」
「よかったわ。わかって頂けて」
目を開けると、また元の場所に戻っていた。
「偶然とはいえ、あなたはもう一度人生をやり直すチャンスを与えられることになった。それを生かさない手はないわ。でしょ?」
「確かにそうとも言えます。本当はあそこで死んでいたんなら、ありがたい話です」
「そうよね?じゃあこのおまじないを唱えて?」
「おまじない?」
女神ウンディーネの手には、長く金色に輝く船をこぐオールのよう長い棒が現れた。
そして目を閉じると、こういい始めた。
「ムラーノ、ブラーノ、フローリアン!」
「な、なんですって?」
「言わないの?」
優しい笑顔の向こうに抵抗できない圧を感じた。
「わかりました!言えばいいんですね?」
「そうよ。人は素直なのが一番よ」
「僕はまだ人なんですね」
「細かいことはいいから」
「は、はい!」
えーいっ!
どうにでもなれ!
こなったら、そのネオ・ヴェネツィアってのを見てみようじゃないか!
「ムラーノ、ブラーノ、フローリアンっ!」
「よく出来ました♡」
「ちょっと!なんでアリシアーネさんは言わないんですか?」
女神アリシアーネは、ちょっと頬をピンク色に染めた。
「だって、恥ずかしいじゃない?」
その言葉が最後だった。
目を覚ましたおれは、その街に再び降り立った。
いや、それは勘違いだった。
そこは来たことのあるヴェネツィアとはそっくりだったが、まったく違う街だった。