ARIA The NAVIGATIONE 異世界に転生して麗しの水先案内人と過ごすスローライフ♡ 作:neo venetiatti
おれは灯里さんから手渡された地図を頼りに職業紹介所を目指した。
彼女が勤めるARIAカンパニーから少し歩き始めたとき、何気なく振り返った先で、灯里さんが猫の手を真似るような仕草をしながら「ニャ~」と小声で呟くのが聞こえた。
彼女が何故そのようなことになったかは、もちろんこのオレに原因があった。
「猫のことならちょっとくらいならわかるかも・・・」
「ええー?アキラさんて猫の言葉がわかるんですかぁー?」
その横でまやもや大きなため息をついた藍華が呆れたように言った。
「いったいなんなんですか?私がお聞きしたいのは、何か仕事に繋がりそうなことってありますかとお聞きしてるんですけど?」
そう言って今度はその横で嬉しそうに微笑んでいる灯里さんの方を向いた。
「それにねぇ灯里?あんたもなに?猫の言葉がわかるのぉ~?なんて言ったりして」
「だっててっきりわかるのかと思って・・・」
すると今度は冷静にその会話を聞いていたアリスが口を開いた。
「もしかしてアクア猫ならわかるってことなんじゃないですか?」
「アクア猫ならぁ?」
藍華とアリスは、じろりとおれの方に目を向けた。
「い、いや、というか、その先ほど言った先輩が猫を飼っていたもので、その猫とちょくちょく会っているうちに、なんかわかるような気持ちになったというか・・・」
ふたりは同時に「はぁ~」とため息をもらすと、冷めた目でこちらを見た。
「でもちょっとわかる気がする」
灯里さんはふたりとは正反対に真顔だった。
「あんたねぇ、またそんなこと言っちゃって・・・」
「ほんとだよ?アリア社長といるとわかってくるの」
「何がわかるって言うの?」
「例えば・・・」
「例えば?」
灯里さんは伸ばした人差し指の先を顎に当てて考えた。
「例えばねぇ・・・今朝のオムレツはちょうどいい固さだったとか」
「あ、あのねぇ・・・」
「こないだなんて、洗濯ものを取り込むのを手伝ってくれたんだよ」
「誰に手伝ってもらってるの?あんたってひとは・・・」
「そしたらその後すぐに雨になって、さすがアリア社長ー!てなって」
「それってあんたじゃなくて、アリア社長の方がしっかりしてるって話でしょ?」
灯里さんはばつが悪そうに頭をかいた。
「エヘヘヘ」
だがその後が悪かった。
ズングリムックリとした白くて丸い物体がのっそりと近づいてくると、会話のなかに入ってきた。
「ぷいにゅい?」
「なんですか?アリア社長?」
振り返った灯里さんはそれに答えていた。
社長?なんで?
ああ、わかった。あれだ。いわゆるマスコット的なやつだ。
灯里さんは少し膝を折るようにして、そのアリア社長とやらに笑いかけていた。
「お腹の具合でも悪いのですか?」
その様子にふたりが反応していた。
「アリア社長のもちもちポンポンは、いつものように変わらずにわがままポンポンですが?」
アリスの冷静な言葉にアリア社長はギクッと固まった。
「アリア社長のことだから、また食べ過ぎたんじゃないの?」
またもやギクッと反応した。
藍華の言葉は、どうやら正解のようだ。
「ぷぷいぷいぷい・・・」
「なんか言い訳してるわよ?灯里?」
「どうしたんですか?アリア社長?」
アリア社長は汗をかきながら、身振り手振りで何か説明しようとしていた。
「アリア社長?何が言いたいのですか?」
「そりゃあ後輩ちゃん?アリア社長の言いたいことと言ったら大体わかりそうなもんじゃないの?」
「やはりそこは、おやつが欲しいとかですか?」
「まあそんなところじゃない・・・」
そこで口を挟んでしまった。
「そうじゃないみたいですよ?今朝のオムレツは柔らかすぎて・・・」
三人が一斉にオレの方に顔を向けた。
「えっ?なに?」
「オムレツ?」
「そうだったんですかぁ~?アリア社長?」
藍華は思わず突っ込んでいた。
「あんたはまた、なんでそこなの?」
「そこって、どこ?」
「だからさぁ~、オムレツのことでなんか文句言ってるとか、わけのわからないことをこの人が言い出したりして・・・」
「柔らかすぎて物足りなかったらしいですよ?」
藍華はまさに開いた口がふさがらないといった感じで、口をポカンと開けていた。
灯里さんとアリスも黙ってこちらを見ている。
「だからちょっと食べ過ぎたとか・・・」
聞き間違いではないと思う。
確かにそんな風に聞こえたんだが・・・
「アキラさんて、アクア猫の言葉がわかるんですか?」
灯里さんが驚いた顔で聞き返してきた。
「というか、まあ、わかるというのかなんというか・・・」
またもやまずいことをやっちまったのか?
あのアリア社長とやらが確かにそう言っていた・・・に聞こえた・・・はず。
でも三人の驚きようはそうではないようだ。
つまり、聞こえてはいけないものが聞こえた。ということになる。
どういうことなんだ?
オレは思わずアリア社長の方に目を向けた。
コイツ、冷静な顔して片手を挙げやがった。
「やぁ!」
何が「やぁ!」だよ・・・
「やぁ!」だって?
アリア社長がオレに向かって少し微笑んで見せた。
「それでアリア社長は、オムレツの固さがなんだといってるんですか?」
灯里さんはこちらの動揺も気にせず無邪気にたずねてきた。
「ですから、柔らかすぎて物足りなかったので、つい食べ過ぎたって・・・」
「そうだったんですね。すみませんアリア社長!もっとアリア社長の好みを研究しないとですね!」
「あ、あのねぇ・・・」
またもや突っ込み役を担当している藍華が呆れていた。
そして冷静なアリスが続けた。
「あのー、先輩方?そもそもこのアキラさんがアクア猫であるアリア社長と会話が通じているということでよろしいのですか?」
藍華が振り返った。
「ホントなんてですか?」
だがその横の灯里さんはアリア社長の方を見ていた。
アリア社長は自信満々で大きくうなずいた。
「ほらぁ~」
「何がほらぁ~よ!それが本当ならホラーよ!オカルトよ!」
「でっかいダジャレですね」
藍華は「なっ!」と言って口を開けてフリーズしていた。
ARIAカンパニーから少し遠ざかってから、オレはもう一度振り返ってみた。
ドアのところから桟橋を渡ったところで、灯里さんはニッコリと笑っていた。
その足元にはアリア社長が手を振ってオレを見送ってくれていた。
それを見た灯里さんは胸の前で小さく猫の手の仕草をしてみせた。
このふたりは・・・い、いや、ひとりと一匹の中では、完全にアクア猫としゃべれるひととして確定していた。
でもそれって喜んでいいのかどうか・・・
「アキラさん?仕事をさがすのなら、ちゃんとしたほうがいいですよ?」
冷静に忠告してくれた藍華の、なにかおかしなものを見るような、その疑いの眼差しが心にズキンと響いていた。
それに比べてあのふたり・・・い、いや、あのひとりと一匹は。
これから先、どちらの反応を信じて行けばいいのか。
ちゃんと生活することを考えたら、藍華のことばがまっとうで正しい。
だが、灯里さんとアリア社長の笑顔には心が揺らいでしまう。
だって、聞こえたんだよなぁ・・・
職業紹介所の中は思っていたよりも広々としていた。
テーブルがいくつも置かれていて、どのテーブルにも幾人かの人たちが座っていた。
奥にはカウンターがあり、そこで相談にのるという格好のようだ。
とりあえずどのカウンターへ行ったらいいかをわかることが必要だ。
だれか声をかけて聞いてみるのが手っ取り早いかもしれない。
事情がわからないところでは素直に誰かの助けを借りるもんだろう。
そう考えていると、偶然とはいえ適任といえる人と遭遇することになった。
白地にオレンジ色の配色だったが、灯里さんたちと同じデザインの格好をしている女の子が立っていた。
あれは確かアリスも着ていたか。つまりは同じ会社ということだろうか?
つまりはウンディーネ。
観光案内をしているということだ。
だがなんだか様子がおかしい。
明らかにあたふたしている。
目の前には男性がひとり。
そのウンディーネの身振り手振りがだんだんと大きくなってきた。
「あの~その~つまりですね?う~ん、何て言ったらいいのか・・・」
なんとなくわかるのは、つまりはその男性はオレの先客のようだった。
彼女の格好を見て渡りに舟と思ったのだろう。
だが、たずねられた彼女は印象とは正反対のあたふたぶりが凄かった。
少し近づいてわかった。
彼女はたずねられていることを把握できていなかった。
なぜなのかわからないが、そのことは理解できた。
男性はさっきから同じことを繰り返している。
「トイレはどこですか?」
なのに彼女はキョロキョロして困っていた。
「あのー」
なんか歯がゆくなってきたオレは声をかけてしまった。
そんなことに付き合ってる場合じゃないのに。
「はい?」
彼女は突然に声をかけられて、驚いて目を大きく開いてこちらを見ていた。
「わからないなら、ここのひとに聞いたらいいんじゃないですか?」
「それもそうなんですが・・・」
そう言いながら辺りを見回している。
「お忙しそうですし・・・それに言葉がちょっとわかりずらいといいますか・・・」
「言葉?言葉ってどういうこと?」
「おそらくマンホームの、今ではあまり使われなくなった言葉ではないかと」
マンホーム?使われなくなった?
この人は何を言ってるんだ?
トイレの場所を聞いてるだけじゃないか?
男のひとの額から汗がにじんできていた。
お察しします。ホント。
「この人はただトイレの場所を聞いてるだけじゃないですか?」
ウンディーネの彼女はまたもや驚きの表情で目を大きく見開いた。
「おわかりになるんですか?」
「おわかりになるかって・・・」
そこでハッとした。
そうだった。
ここはネオ・ヴェネツィア。
まだよくわかっていない世界。
「よかったぁ~!」
彼女は顔を一気にほころばせていた。
「ところで、どこにあるんでしたっけ?」
急いで職員らしき人にたずねていた。
またもやうかつにも反応してしまっていた。
オレが置かれている状況をオレ自信がまだ把握できていないというのに。
反応次第ではどう思われるかわからない。
気を付けないといけないのに。
「ありがとうございます。助かりました」
彼女は恐縮して頭を下げていた。
「いや、まあ、なんというか、助かったのならよかったです」
「ホントです!私も仕事柄いろんな言葉を耳にしますけど、先ほどの方の言葉はさすがにわかんなかったです」
「そ、そうなんですか・・・」
「もしかしてマンホームからいらしたんですか?」
「う~ん、なのかなぁ・・・」
「やっぱり!そうだと思いました!」
今このネオ・ヴェネツィアで観光案内をしているひとがわからなくて困ってしまう言葉。
それをなんの迷いもなくわかってしまうオレ。
というか普通に聞こえてたんですけど?
その時だった。
少し離れたテーブルから呼び掛ける大きな声が聞こえてきた。
「あんずぅー!なにやってんのー?」
彼女が振り返った先には、ふたりのウンディーネ姿の女の子がいた。
同じユニフォームを着たメガネをかけた女の子がこちらに手を振っていた。
もうひとりはテーブルに頬杖をついて顎を乗せている。こちらのウンディーネのユニフォームは見たことがあるような・・・
「そうだ!」
ふたりに向かって手を振っていた彼女は、振り返って突然そう言った。
「いいこと思いついた!」
「どうしたの?」
「時間あります?」
「えっ?時間?」
仕事がまだ見つかっていない男に、時間なんてたっぷりあるに決まっている。
いや、ない。
ここへ何しに来たんだ?
おい!
「まあ、ないわけでもないけど」
彼女のかわいい笑顔を見ていると、つい反対の言葉が口から出ていた。
「ちょっと付き合ってもらってもいいですか?」
なんですとぉー?
いきなりですかぁ?
どういうこと?
目の前のふにゃふにゃしたかわいい笑顔に、仕事探しは明日からでって心が命じていた。
「そうですねぇ、あなたさえよければ・・・」
「ホントですか?」
「ホントもなにも」
「見つかったよ~~!」
「見つかったんですか・・・はい?」
彼女はその離れたテーブルに座っていたふたりに向かって手を振っていた。
「あ、あの~」
「私たち、グループを結成するつもりでいたの。そしてゆくゆくは独立して会社を立ち上げて・・・」
「ちょ、ちょっと待って!何を言ってるの?」
「だからぁ、観光案内会社を立ち上げて手広くやろうって話」
「会社?手広く?」
「だけどひとつ問題があったの」
「はぁ」
「私たちあんまり勉強が得意じゃないの。だからやっぱり通訳を雇わないとって話になって」
「はぁ?」
「でもすごいですよねぇ?言葉がわかるってやっぱりすごい!」
オレは彼女に手を引っ張られて、もうふたりのいるテーブルまで走って行くことに。
「ちょっと待ってくれる?オレここへ仕事を探しに来たんだよ!」
そんなオレに彼女は立ち止まると振り返ってこう言った。
「何を言ってるんですか?ここはネオ・ヴェネツィアですよ!心配いりませんから!」
オレの手を引く彼女の希望に満ちた後ろ姿とは裏腹に、その時のオレには心配しかなかった。
なんなの!この子!
かわいいけど・・・