ナイモノネダリ   作:ワレモコウ先輩

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よろしくお願いします。



第1章 夕影に燻る
美竹桜には何もない


 敷かれたレールの上を歩くだけの人生、なんて言葉がある。

 歌や小説、或いは漫画なんかの創作ではお決まりの使い古された文句だ。擦られ続けて手垢に塗れたこの陳腐な定型句は、きっと私の人生で一番嫌いな言葉だろう。まだ16の子供だけれど、これだけは確信が持てた。いや、これだけではないか。

 

 私は華道の名家に生まれた。当主の父は家に道場を持っていて、物心つく頃には父さんやそのお弟子さん達が生けた花と花器、そして家名という名の枷に囲まれていた。

 

 そして、もうひとつ。双子の姉だ。

 名前を蘭という。華道の家の生まれらしい名前。

 

 私たちは家のため華道を学ぶことが生まれながらに決められていて、私自身それに何か思うところがある訳でもなかった。

 さっきは枷なんて言い方をしてしまったけれど、寧ろ私にとってそれは何処かへ飛ばされてしまわない為の錘であるようにも思えていたから。吹けば飛んでしまうような、そんな私にとっては。

 

 道を踏み外して倒れない為のレールだ。レールを外れた場所に道なんてない。軌道を外れた車がどうなってしまうかなんてものの結末は、誰もが知っている。

 だから私はこれで良かった。父さんの指導は厳しいけれど、上手く生けられた時には達成感も覚えたし、お弟子さん達は優しくしてくれた。波も風もない、植物のように平穏な人生、静かな日常。それだけで。

 

 けれど蘭はそうは思っていなかったらしい。

 

 中学に上がる頃になると、蘭は稽古に顔を出さなくなることが多くなった。

 静かに窘める父さんと、反発する蘭。二人の衝突は日に日に増えていく。それは二年生の時だった。

 

「あたし、バンドやるから」

 

 陽も沈みきった頃に漸く帰宅すると、蘭は開口一番そう言い放つ。父さんの目が一瞬だけ見開かれて、すぐ後には鋭く細い目つきに変わった。

 その次にはいつもの口論だ。蘭の怒声はうるさいから、いつも私は部屋に籠るようにしていた。

 なんで私が遠慮しないといけないのだろう。そもそも稽古だって授業だってすぐサボる蘭が悪い。姉に対する苛立ちを覚えながら部屋で過ごして、ほとぼりが冷めるまで待つ。いつも通りなら、そろそろ終わる頃だ。

 

 居間に向かってそのドアを開けようとした時だった。

 

「蘭はもう少し桜を見習いなさい。お前と違って桜は──」

「あたしは桜とは違う! 父さんの言うこと何でも聞く人形になんかなりたくないッ!!」

 

 そんな怒号が聞こえたのは。

 

 にん、ぎょう。

 

 心の中で呟いた。

 何それ。何だ、それは。

 

 華道の名家に生まれた。幼い頃からその自覚を持って、常に正しくあろうとし続けてきた。稽古だって必死に頑張った。両親の言いつけだって破ったことはない。全部私が決めたことだ。

 

 それが、人形? 

 

 蘭の目には、まるで父が手繰る糸に繰られて動くマリオネットにでも見えていたらしい。そして、決してそうなりたくないと吐き捨てるような生き方であると。

 

 苛立ちが、怒りへと変わるのが分かった。今身体を循環している血液が全て排水されて、その代わりに煮え滾った紅血が津波のように雪崩込んで全てを塗り替えていった。

 家から目を背けて、義務も果たさずに戯言を叫び散らかして、挙句の果てには人を人形呼ばわり? 

 

「ふざけないでよ……」

 

 ぎち、と拳を握り締めた。踵を返して居間から自室へと蜻蛉返りする。

 私には蘭が分からない。何をあんなに吠えるのか。レールから脱線して何処に行こうというのか。何が蘭を()()に駆り立てるのか。

 

 でも、ある日それが分かった。

 

 生徒会の仕事で遅くまで残っていた日、紅い夕陽が目を灼く暮れの空。ふと見上げた屋上に、家では見せないような笑顔を浮かべた姉がいた。その横には、同じように笑う姉の親友たちも。

 それは夕影から眺めるにはあまりにも眩しい気がして、私はふと目を逸らした。

 

 それから少し経つと、姉たちは学内で一躍有名となった。バンドをやるというのは嘘ではなかったらしい。Afterglowという名前で始めた彼女らのバンドは、ファーストライブを皮切りに注目の的へとなっていった。

 

「ねぇ桜ちゃん! お姉さんに昨日のライブカッコよかったですって伝えてくれない?」

「あ、私からも!」

「いいけど、直接言った方が蘭も喜ぶよ」

「それは何か畏れ多いって言うか〜。直接顔合わせたら緊張で何も言えなくなっちゃいそう!」

「分かる〜! 高嶺の花って言うのかな?」

 

 話しかけて来たのは向こうなのに、クラスメイトたちはすっかり蘭談義に夢中なようで盛り上がり始める。

 少し前まで、蘭は自分のクラスどころか学年でも相当浮いていた。取っ付き難いだの怖いだの、散々な言われようだった。

 それが今ではこうなっている。舌の根も乾かぬ内に、その不評は孤高だとかクールだとかの賛美に裏返った。

 それが可笑しくて──少しだけ笑いが漏れた。

 

「桜ちゃん?」

「ううん、何でもない。蘭には伝えとくね」

「ありがとう! 次のライブも楽しみにしてるっていうのもよろしく!」

「あ、ズルい! 私も!」

「えー、そんないっぺんに伝えるの面倒くさくなってきた」

「桜ちゃ〜ん!」

 

 ──本当は、可笑しいからではなかった。

 

 蘭には、親友がいた。

 

 薄っぺらな笑顔を貼り付けて対応しなければならない顔の知れた他人しか、私の周りにはいない。

 

 蘭には、居場所があった。

 

 藺草(いぐさ)の香るあの和室か、十数帖ほどある自室か。私の居場所と呼べそうな場所には、当然私以外誰もいない。

 

 蘭には、夢があった。

 

 家を継ぐ。教授*1の資格を手に入れる。これは課せられた義務であって、私が自分で見つけた夢が、私にはない。

 

 蘭の行く()()には、そういうものがあった。

 そしてそれはどれも、私にはないものばかりだった。

 

 そう気付いたらもう、私は笑うしかなかった。

 あれだけ理解し得ないと、身勝手な落伍者だと思っていた姉の手には、私が取り零してきたもの全てがあったのだから。

 

 私には。

 

 美竹桜には、何もないから。

*1
華道における資格、お免状の一種。教授の資格を得ることで初めて人への指導が行える。流派によって異なるが、脇教授、准教授、正教授の3種が存在し、この順で位が高い。




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