ナイモノネダリ   作:ワレモコウ先輩

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用事に追われていた上難産でした。遅れて申し訳ない。



泥濘にて

 嫌な夢を見る。

 違う、これは夢じゃない。きっとそれまでが夢だった。長い、長い悪夢だ。

 

「お姉ちゃんすごい! わたしがやってもこんな綺麗にならないのに!」

「別に、これくらいふつうだよ」

「でも、わたしはできない……」

「……ほら、ここの茎とか切ればもっと綺麗になるでしょ」

「ほんとだ。お姉ちゃん、やっぱりすごい……! ね、もっと教えて!」

「もう、しょうがないなぁ」

 

 気持ちが悪い。

 

「お姉ちゃん、稽古始まるよ?」

「……行かない。先生にもそう伝えといて」

「でも、そろそろ行かないと次の昇級審査に……」

「どうせもう間に合わないし。桜には関係ないでしょ」

「そりゃ関係あるよ……。だって、家族じゃん」

「……行かないって。あたしのことは放っておいてよ」

 

 もういい。

 

「お、お姉ちゃん」

「……何?」

「ちょっと、また分からないことがあって。ほら、前みたいにまた見てもらいた──」

「しつこいッ!」

「っ」

「あたしはもう華道なんてやりたくない……! 桜なんかには──」

 

 解ってるから。

 もう、解っている。

 

 私は、私には──

 

 

 ▽

 

 

「……」

 

 汗で背中にシーツが貼り付いている。仰向けのまま目を開くと、カーテンが閉じたままの窓にまだ光は見えない。黒暗の中、背後に気持ちの悪い冷たさを感じる磔のままで、大きく息を吐いた。

 中途半端な時間に起きてしまった。寝直そうにも本来の起床時間まであまり時間がある訳でもないし、何より到底そんな気にはなれない。

 

 起き上がり窓を開けると冷たい風が吹く。寝汗で濡れた身体には少し堪えて、十秒とない内に窓を閉めた。朝焼けを待つ明け前の町並みはまだ暗い。

 じっとりと纏わりつく衣服がやけに重くて、私は覚束無い足取りで部屋を出た。

 

 脱衣所に入って服を脱ぎ、ベッドから剥がしたシーツも一緒に漂白剤を入れたお湯の中に放る。そのまま洗濯機にかけると汗汚れはそれほど落ちずに溜まるから、こういう下処理は大事だ。……そもそもの話、汚さなければいいだけの話なのだけど。

 そう出来るに越したことはないのだろうが、こればかりはどうしようもない。私が寝苦しい夜を過ごさずに済む為にやれることは、もう決まっているから。

 

 浴室に入り、頭からシャワーを浴びていく。髪に滴る水滴を避けながら鏡を見遣ると、当たり前だけどそこには自分がいる。

 比較的細い身体は、外遊びを覚えなかったせいか酷く白い。双子とは言え二卵性双生児だから元々蘭と瓜二つという訳ではなかったけれど、今となっては身体付きなんかは大分違ってしまっていた。

 それでも顔立ちはそこそこ似ていて、黒い髪や紅玉(ルビー)のような目は二人とも持って生まれたものだった。

 

「……」

 

 じっと見ていると、何かが顔にこびり付いているような気がした。何度も顔を洗う。何かは落ちない。

 どうしても拭いたいのに、お湯でも、石鹸でも消えてくれない。身体にかいた寝汗のことなんて忘れて、何度も、何度も洗う。

 いつの間にかもう陽は昇っていた。

 

 

 

「あら、桜……朝からお風呂?」

「母さん。ん、ちょっと寝てる時に汗かいちゃって」

 

 お風呂から出て部屋着に着替えたところで母さんが脱衣所に入ってくる。父さんと同じように家でも和服を着ていて、朝早いというのにその着こなしは完璧だ。

 

「寝間着とシーツも汚れちゃったし今から洗濯するけど、何か他にあれば纏めて……」

 

 桶に漬けておいた寝間着とシーツを取り出しながら言いかけるけど、瞬間母さんの目が細められる。

 

「──何やってるの。そんなことしたら手が荒れてしまうでしょ。洗濯なんてお母さんがやるから」

「……あ、うん」

 

 ぴしゃりと飛んできた言葉に、私はそう返す他なかった。奪うように洗濯物を取られる。

 

「貴女は華道に集中していればいいの。余計なことして手でも怪我したら支障が出ちゃう。そうならない為に私が支えるわ」

 

 黒い瞳が私を射抜いた。

 

「桜()、私の言うこと分かってくれるわよね?」

「……うん。心配かけてごめん、母さん」

 

 頷くと、母さんはにこりと笑う。その笑顔は美しくて、でもどこか既視感を覚えるものだった。心の中に靄のような、影のような何かが広がっていく心地がして、その時玄関のチャイムが鳴った。

 

「誰かしら、こんな時間に」

「私、出てくるね」

 

 これ幸いと脱衣所を出る。大方宅配便か何かだろう。人の応対をするのには少し緩い格好であることは否めないけれど、何故か今あそこにいるよりは良いと思った。

 思ってしまった。

 

「はい。……って、蘭」

「……」

 

 それが間違っていたのか私には分からないけど。

 少なくとも、それが今見たい顔でないことには違いない。どこか緊張した面持ちの蘭と、その後ろに四人。

 Afterglowのメンバーが勢揃いだった。

 

「改まってチャイムなんか鳴らして、どういうつもり?」

「……父さんに、話があるの」

 

 答えになっていない。後ろで私と蘭の対峙に息を呑む子もいるけど、流石に人前で口論をする気にはなれなかった。

 それに蘭は私に用がある訳でもない。訊いたところで「関係ない」というお決まりのセリフが怒号と一緒に飛び出すに違いないだろうし。

 

「……そ、分かった。お取次ぎします」

 

 紅い瞳で私を見据える蘭が、後ろの四人にちらりと目配せをしてから「お願い」と頷く。

 

「皆さんも来られますか?」

「いや、アタシらはここで待ってるよ」

 

 聞くと巴ちゃん──Afterglowのドラム担当の宇田川巴という子で、当然蘭の幼馴染だ──が首を横に振る。

 

「あ、でもでもー。あたしは桜とちょっとお話したいから、取次ぎ終わったら戻ってきてねー」

 

 そう言うモカちゃんに「了解」と返すと「なる早でよろしくー」なんて軽口が飛んでくる。

 蘭を伴って玄関に入るまで、彼女たちは姉の背中をずっと見送っていた。

 

「チャイムを鳴らしたのは、その……今日は父さんの娘としてじゃなくて、えっと。あたしがあたしとして……美竹蘭として話がしたいからって言うか」

「何も訊いてないけど」

 

 廊下を歩いて少ししてから、蘭が突然そんなことを宣う。

 

「さっき訊いてきたでしょ」

「あぁごめん、壁打ちのつもりだった」

 

 後ろを着いてくる蘭を振り返らずに返す。普段とは違う殊勝な態度に内心で少し驚嘆しながらも、何が言いたいかなんてことは薄々勘づいている。

 だから気に食わない。

 

 別に、私がつぐみちゃんのお見舞いの時に言った言葉でバンドが解散するなんてことはあまり期待していなかった。

 でも、まさか嘆願に来るだなんてことは思いも寄らなかった。メンバーとの衝突から今に至るまでに何があったのかは知らない。でも……。

 

 あれだけ父さんや私に息巻いていた癖に、今更頭を下げに来て。

 それが蘭の思う責任で、正しい在り方なのだろうけど。どうしても納得のいかない私がいて、それもまた腹立たしかった。

 

「言いたいことがあるなら父さんに言ってきなよ。私に何か言ったってしょうがないでしょ? 蘭にとって私は──」

 

 ただのお人形なんだから。

 

 言い終わる前に、父さんの部屋に着く。何か言い返そうとしてきた蘭を無視して扉を叩いた。

 

「何だ?」

「蘭が話したいことがあるって。ご丁寧に私を使いに回すくらいには重要な話らしいよ」

 

 中から尋ねる父さんにそう言うと、扉が開く。

 

「……蘭」

「父さんに、話があって」

 

 語気を荒げずに父さんに向かう姉を、久し振りに見た気がする。父さんも普段とは違う態度の蘭を見て、少し驚いているようだった。

 

「……じゃ、私はこれで」

 

 そんな二人を一瞥して、私は小さく言って去った。

 

 

 

 ▽

 

 

 

「お待たせ」

「ホントだよー」

「せいぜい一、二分でしょ。今のは社交辞令」

 

 玄関に戻ると四人ともいて、モカちゃんと適当な会話を交わす。皆恐らく蘭が戻るまで待つ気でいるようで、きっと私のしたことなんて何の意味もないらしかった。

 

「つぐみちゃん、体調良くなったんだね。良かった」

「うん! ありがとう、桜ちゃん」

「ううん。それから巴ちゃんとひまりちゃんは久し振り。元気してた?」

「おいおい、ものすごくついでみたいに言うなぁ」

「そうだよー! すっごい久し振りの再会なのにさぁ」

「ごめんごめん、そんなつもりはないって」

 

 私のおざなりの挨拶に巴ちゃんは苦笑で、ひまりちゃん──ベース担当の上原ひまりちゃんという子だ──はぷりぷりと怒りながら返してくれる。

 二人とも昔と同じように接してくれてはいるけど、蘭と私のことを知らない筈はないだろう。

 多分今からする話もそれだ。

 

「じゃあ、あたしはちょっと桜と話してくるね。ほら、行くよ桜ー」

 

 でないと彼女たちが私とする話なんてないだろうから。

 

「あそこで話すのかと思ってたけど、どこか行くの?」

 

 モカちゃんの横に並びながら訊く。身長は二人とも同じぐらいで、真横にある眠たげな目は私をちらりと見た後で前を向いた。

 

「桜も知ってるとこだよ。家の前で立ち話ってのもなんでしょー?」

「まぁ、それは分かるよ。……今三人ほど家の前で立ち話をしている訳なんだけど。あと部屋着のままだから寒い」

「まぁまぁ。それはそれ、これはこれということでー。寒いならモカちゃんの上着貸してあげるね」

 

 相変わらず適当なことを言う。渡されたフード付きの上着をありがたく羽織らせてもらって歩いていると、着いたのは確かに見覚えのある場所だった。

 

「ここって……」

「そー。あたしたちと蘭が初めて会った公園でーす」

 

 くるりと回って両腕を広げながら言う。そんな大仰な紹介をすることもないこじんまりとした公園は、遊具がかつてよりも色褪せていて、でも植え込みに咲くツツジの色は変わらず彩やかだった。

 

「桜もたまに一緒に遊んでたよね。蘭ってば、あの頃は今よりずっと口下手でさー、でも可愛かったなぁ」

「惚気話しに連れて来たの?」

「いやいやー。今はあんまり可愛くないよねって話。お父さんからも逃げて、その上この前なんてトモちんからも逃げようとしてさ」

 

 つぐみちゃんから聞いた話だ。

 

「だからあたしからぶつかりに行ってやったんだ。それは逃げてるだけじゃんーって」

 

 園内をぐるりと歩く。ブランコ、滑り台、回転式のジャングルジム。全ての遊具に何かしらの思い出があるのだろう、ひとつずつ、なぞるように回る。

 

「そしたら言い合いになったんだけど、蘭にも思う所はあったみたいでー。その後も色々話して、今回の蘭パパへの直談判に至ったという訳ですよ」

 

 砂場の前でぴたりと止まり、私に振り向いた。

 

「まー、そんな素直じゃなくて可愛くない蘭だけど、今は蘭なりに向き合おうとしてるからさぁ」

 

 ブルーグレーの瞳がじっと私を捉える。

 

「桜も向き合ってみなよ、蘭と」

「……それは蘭次第でしょ」

 

 何を言い出すかと思えば。そんな無意義な提案をする為にこんな所まで連れて来られたのだと分かると、疲れからか溜め息が出る。それと一緒に吐き捨てるように言葉を返した。

 

「あはは、そりゃそうだ。でも、それだけじゃないってこと……桜は分かってると思うけどー?」

「随分知ったようなことを言うね。モカちゃんが蘭のこと大好きなのはよーく分かってるけど、流石に出過ぎた真似じゃない?」

「いやいや、そんなことないよ。出過ぎた真似っていうなら、それは桜も同じだよねー?」

 

 なおも退かないモカちゃんが一歩踏み寄る。靴と地面が擦れて、じゃり、と音がした。

 此方を覗き込みながら、その目は私を離さない。

 

「つぐにバンドを休止にすればいいって言ったの、桜でしょ」

 

 そこに浮かんでいるものは、怒りか、哀しみか。

 

「……やっぱり、知ってたんだ」

「つぐのお見舞い行ったらいきなり言い出すんだもん。蘭がまた飛び出ようとしたりで、ホント大変だったんだよー?」

 

 やれやれと肩を竦めるモカちゃん。

 その話なのだろうと薄々分かってはいたけど、それなら尚更ここに連れて来た理由が分からない。四人で私を糾弾して、蘭と父さんの前に吊り上げでもしたら、父さんの同情を引けたかもしれないのに。

 

 だから彼女が何をしたいのか、私には──

 

「でも、桜には感謝もしてるんだ。あたしが蘭に言いたいこと言えたのは、桜とリサさんのお陰」

「……」

 

 ……でも、何となく分かってしまう。

 

「だからお礼に、モカちゃんからプレゼントがありまーす。はい、これ」

 

 多分この人は、この人達は本当に善意で私と蘭とのことに首を突っ込もうとしている。

 そういう人の優しさに触れる度、私は自分の醜さを思い知らされるのだ。そして、自分の空虚さも。

 手渡されたのは一枚のチケットだった。

 

「これって……」

「最前列のチケット、買おうとすると高いんだから感謝してよねー。で、まぁ来てみなよー」

 

 ニヤリとモカちゃんは笑う。その笑みは飄々としているようで熱くギラついていて、どこか姉に似ていた。

 

「あたしたちの音楽、桜にも認めさせるからさ」

 

 だから私は、すぐに目を逸らした。

 

「ありがと。時間があれば行くよ」

「うむ。どうぞよろしくー」

 

 モカちゃんが頷いていると、彼女のポケットから通知音が鳴る。取り出して画面をみたモカちゃんの顔は明るくて、それが何を意味するのか私には分かってしまった。

 

「話し終わったみたいだから、あたしは戻るけど。桜も一緒に来るー?」

「いや、私はもうちょっとここにいるよ」

「そっかー。じゃ、次はライブで、かな」

 

 上機嫌で去っていくモカちゃんに手を振りながら、手元のチケットを眺める。

 こんな紙切れ一枚に、きっとモカちゃんの──いや、五人の居場所とか夢とか、そんなものが掛かっている。

 そんなことは分かっている。私にはないものだからこそ、尚更。

 

 でも、そこに私は行くべきではないと思ってしまう。

 そこに行って見てしまえば、また私は気付いてしまう。いつか蘭に言われた言葉が脳裏を過った。

 

 ──桜なんかには分からない。空っぽの桜なんかには! 

 

 チケットをしまう。

 それに、どっちにしたって私はこのライブに行けそうになかった。

 

「ガールズバンドジャムvol.12……、ね」

 

 5月20日。私の出る花展の開催日と同日だった。




沢山のお気に入り登録を頂き驚きつつもモチベがかなり湧いてきました。ありがとうございます。
今後も是非お気に入り登録、評価、感想など頂けると嬉しいです。
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