ナイモノネダリ 作:ワレモコウ先輩
イベントの細かい時期などは推測の上作者が勝手に決めているものになります。ご了承ください。
着付けを何度も確認する。
鏡の前で帯を整えて、大きく息を吸って吐いた。今日は私にとって大事な日だ。ここで評価を得ることができれば、目標に近付くことができる。
今頃、蘭たちもライブをしているのだろうか。いや、まだ準備中か。
結局あのチケットはクラスメイトに譲った。小学生の頃からギターを弾いている子で、今注目を浴びているガールズバンドが集うあのイベントには前々から興味があったらしい。
嬉しそうにチケットを受け取るその子に代金を調べて請求してみたら途端に哀しげな表情をするものだから笑ってしまった。お箸を震わせながらお弁当に入っていたハンバーグを差し出す彼女に冗談だよと言うと、安心したように胸を撫で下ろしていた。
その後、本当にいいのか、なんて遠慮がちに聞かれたけど、私は何の淀みもなく答えることができた。
私には必要ないものだからと。
だから、私があの人たちに割いてやる思考のリソースなんて要らない。少なくとも、今日これからは。
頭の中がすっと冷えていく。控え室を出て展示場に向かった。
「桜さん、大きくなったわね」
「ご無沙汰してます、先生」
父さんの知り合いの先生方と挨拶を交わしていく。瀟洒な着物姿からは少しきつめのお香の匂いがして、鼻をつまみたくなった。
「お姉さんは元気?」
「えぇ、まぁ。……今は少し、華道からは離れてますけど」
「そう……。でも美竹先生も安心ね。桜さんがこんな立派になって、お家も安泰ですもの」
「ありがとうございます。まだまだ未熟者ではありますが、今日はこの場をお借りして日頃の成果をお見せしますので、どうぞよろしくお願いします」
印刷機が動作するように定型句を吐き出し頭を下げていって、満足気に頷く先生方を見送っていく。
下げた
結論から言うと、花展は滞りなく終わった。
私の作品はそこそこの評価を貰うことができたし、私自身納得のいく出来でもあった。
カキツバタを使った簡素なものではあったけど、春らしい花のチョイスや伝統的な生け方なんかはこの手の展覧会では受けが良い。
選んで正解だった。
やってくる大人達にお褒めの言葉を頂いたり、世間話なんかをしたりして時間は過ぎていく。何度頭を下げたか数えるのもとっくに億劫になって暫くすると、いつの間にか花展は終わっていて。
終ぞ、蘭のライブを観に行った父さんが此方に来ることはなかった。
▽
私服に着替えた後、帰路で路面電車に揺られながら呆と外の景色を眺める。斜陽がビルの窓に反射し眩い白日を作り出していた。
あの日、蘭が父さんに言ったらしい。
自分たちのバンドは、ごっこ遊びなんかじゃなくて真剣だ。だから自分たちの音楽を聴いて、それで判断して欲しい。本気を見て、納得して欲しい。
随分と威勢のいいことを言う、なんて口では言っていたけど、父さんは笑っていた。
私の花展と日程が重なっているけど、Afterglowのライブだけでも観ておきたい。できるだけ私の方にも行くよう努力する、とも言っていたっけ。
(……ま、別にいいけど)
父さんが私のところに来ようが来まいが、私のやることは何一つとして変わらない。
私は今日為すべきことを為した。美竹の後継として、華道の家元に生まれた娘として。
お人形のプログラムと不良娘のパフォーマンスが同時に行われるとなると、親としては悩むものなのだろうか。私だったら、どちらも絶対にお断りだけど。
益体もない思考にくすりと笑いが漏れたところで、停留所に着いたことを報せる警笛が二回続けて鳴った。今の私の気色にぴったりの、牧歌的で間の抜けた音だった。
「おかえり、桜」
家に着いてまず目に入ったのは姉の姿で、耳に入ったのは幻聴と思しき言葉だった。
「ただいま。……珍しいじゃん、お出迎えなんて」
あまりに突然なことだったから、多分私は一瞬相当な間抜け面を蘭に披露したことだろう。
ただ蘭はそれを気にする素振りもなく、玄関から上がる私をじっと見てぼそりと呟いた。
「……ごめん」
「何が?」
「桜が今日花展あるってこと、父さんから聞いて初めて知って。その、ライブに来いってモカから言われたと思うんだけど」
この前もそうだったけれど、蘭の殊勝な態度にはどうにも慣れない。最近は家の中ですれ違う時や食事の時なんかも私の様子を窺うようにしていて、少し気味が悪かった。
「ううん、気にしてないよ。行く気はなかったから迷いもしなかったし、私の花展のことなんて蘭は知らなくて当然だろうから」
その所為で言葉にも棘が出てしまう。
蘭が今もこんな態度を取ること自体が、ライブの結果を如実に表していて──そういうことだと分かってしまったから。
「……そっか。うん、そうだね。知らなかったし、知ろうともしなかった」
本当は、この前から分かっていたけど。
「桜、あたしは……」
「ライブ、成功したんでしょ? その様子じゃ、父さんも無事言いくるめられたんだね」
「待って! まず話を──」
「花展の方も概ね成功したよ。父さんがそっちに付きっきりだったから、先生方への挨拶も私が全部しておいたし、作品も評価された」
だから、何も聞きたくない。
「蘭も私も、それぞれ納得のいく形に納まった。良かったね、おめでとう」
だって、蘭がそれで認められてしまうのなら。
「今は、これで良くない?」
──本当に今までの私は何だったのか分からなくなってしまう。
「桜……」
「私、疲れてるから。今日はもうお風呂入って寝るよ。父さん達にも伝えておいて」
「……」
「そっちもライブお疲れ様。おやすみ」
立ち尽くす蘭を置いて廊下を歩く。綺麗に磨かれた板張りの床が、少しだけ軋む音がした。
私が私を認められないだけなら、それは別によかった。蘭の方も変わらず反抗する不良娘のままで、蘭が人形呼ばわりした私の方が人として勝っていられるから。
だけど蘭を他の人までもが認め始めてしまったら、私とは──美竹桜とは一体何なのか。
固めてきた地盤が崩れていく。
対話とは、情けをかけた人間から生まれるものだ。つまり私は蘭にとって、そういう対象になってしまったということ。
考え過ぎだと思うかもしれない。けれど、私を空っぽだと言った時の蘭の顔が、私を人形だと叫んだ時の姉の表情が、どうしても私を捕まえて話さない。
それを私は振り払いたい。そうして私は間違っていないのだと、得たもの全てを姉に叩き付けてやりたい。
だから私は止まらない。空っぽだろうが人形だろうが、何かが欠落していようが、この矜持だけは譲れない。
それだけが、私の全てだから。
なんて。そう吠えたままでいられたなら、どれだけ良かっただろう。
「……今、なんて?」
「驚くのも無理はない。まぁ、桜にも何かと苦労をかけることになるとは思うが──」
次の日。稽古の終わり、父さんが放った言葉に私は愕然とした。
だって、そんなこと、それじゃあ……。
「今度の稽古から蘭も参加するので、そのつもりでいなさい」
あれだけ貶しておいて、私のたった一つさえ──姉は奪う気でいるらしい。
▼
あたしには妹がいる。
物心つく前から、いや生まれた瞬間から一緒に過ごしてきた、双子の妹。
小さい頃は仲が良くて、あの子……桜はあたしの後ろをついて回っていたし、あたしもそんな妹のことを可愛らしい子だと思っていた。たかだか数分だけ生まれるのが早かっただけで姉というのも、とは思うけど、とにかくあたしはあの子の姉なんだ。
最近はそんなことも忘れていた。
あたしが幼馴染達と一緒にいることに楽しさや安らぎを覚えて、反面家の色々なことを鬱陶しく思い始めてから、桜はあたしのことを「お姉ちゃん」と呼ばなくなった。
何か切っ掛けがあったのかは正直分からない。ただ前までのあたしは(ほんの一、二週間前までのことだからこの言い方はおかしいかもしれないけど)荒れていて、桜にも父さん達にもきつく当たっていたから、何かあったのは間違いない……と思う。
家の事でとやかく言ってくる口煩い妹だと思っていたのは、事実だし。
だけどそんなあたしが変わろうと思えた出来事が、つい最近起きたんだ。
『……蘭の腰抜け。トモちんとも、あたし達とも向き合えないようなやつがお父さんと……それから桜とも向き合えるわけないよね。蘭のヘタレ。腰抜け』
言われた瞬間は本気でムカついたし、何も知らない癖にって思ったけど。事実、あたしは向き合えずに逃げていただけだった。
『蘭の自由って責任がないよね』
昔あんなに輝いた目であたしを見ていた妹に、冷えきった目と声でそう言われても、何も言い返すことができなかった。
つぐみ達があたしのことを心配してバンドを休止しようと言った時も、授業に出ていないあたしをひまりが案じてくれた時も、向き合わずに。
それでもモカがぶつかってくれたお陰で、少しだけ立ち止まって周りを見られるようになった。
華道の家元に生まれたことを、ここ数年ずっと悔やんでいた。皆みたいに、もっと自由に過ごしたい。もっと五人で屋上に──同じ景色に立っていたい。そんな風に思っていた。
でも、皆足掻いているんだ。生まれた環境とか、色んな障壁とか、そんなものを乗り越えて飲み込んで、今がある。
だからあたしも、もう逃げたくない。
『父さんにあたし達の本気を見せたい。見て……納得して欲しい。……ライブが終わったら、真剣に華道のことも考えたいと思ってる。もっとちゃんと、色んなことに向き合って、答えを出していきたい』
今ここにいること。華道の家に生まれたこと。
『……蘭』
そして、あの子の姉であること。
『……おねがい、します……!』
全部ひっくるめて、あたしは
結果として、父さんは頷いてくれた。
ライブの控え室には恥ずかしくなるくらいの豪勢な花束や似合わない流行りのドーナツなんかを持ってきて、娘とその友達なんかに、軽く見て申し訳ないと頭を下げまでした。
『バンド活動を認めよう。……いい仲間に恵まれたな』
その言葉を聞いた時は、思わず目頭が熱くなってしまった。絶対に泣いてはいない。
ひまりは人目を憚らずに泣いていたし、巴は優しい表情であたしの背中を叩いてきた。
でも……。
『今度は、桜にも見せてやりなさい』
『え……、桜ちゃん、来てないんですか?』
『あぁ、桜は今花展に出ていてね。蘭なら知っていると思っていたんだが』
つぐみとモカは、少しだけ浮かない表情をしていて。
あたしの顔を見て、父さんも小さく息を吐いた。
『まぁ、これから少しずつ向き合っていけばいい。あの子もきっとお前の本気を分かってくれる』
熱気と歓声に包まれた会場。そこはその瞬間、あたし達の色に染まっていて──だけど。
モカがチケットを渡してくれていた筈の最前列の席に、桜の姿はなかった。
帰ってきた桜と話をしようとした。
でも、桜の底冷えした声にことごとく打ち切られて、あたしはまた何も言うことができなかった。
だからと言ってこんな所で引き下がる訳にはいかない。引き下がりたくない。今更なんて思われても仕方ないのかもしれない。
それでも……。
「父さん。今度の稽古から、あたしも参加させて」
「……蘭。しかし」
「無茶言ってるのは分かってる。今のあたしと桜じゃ差があり過ぎるし、二人に迷惑掛けるかもしれない。だけど……」
だって、あたしは。
「あたしは、これがあたしの責任の取り方だと思ってる」
あの子の──桜の、姉なんだから。
これにてAfterglow1章時点でのお話は終わりになります。
感想等よろしくお願いします。