ナイモノネダリ   作:ワレモコウ先輩

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傍観者

「ミタケさん、少しよろしいでしょうか?」

 

 透き通るようなソプラノボイスだった。

 放課後。帰り支度をする私の背中に投げ掛けられた声に、半ば反射的に振り向く。後ろに立っていたのは、長身に銀髪という何とも目立つ出で立ちの女の子だった。

 

「若宮さん。どうしたの?」

 

 若宮イヴ。同じA組のクラスメイトで、フィンランド人の母親を持つハーフの少女。聞いた話だとモデルとして芸能事務所にまで所属しているという、私とは無縁の世界に生きる人だ。

 対面して見るとやはり周囲とは掛け離れた見た目をしているのがわかる。スラリとした手足やアジア人とは異なる肌の白さ、整った目鼻立ち。存在だけで周りの目を引くような子が、一体私に何の用なのか。鬼気迫るような表情と改まった口調に、思わず面食らう。

 内心の疑念や動揺を悟られないように答えると、彼女は真剣な面持ちのまま言った。

 

「私に華道を教えてください! お願いします!」

「え?」

 

 

 

 誰かと帰り道を一緒に歩くのはとても久しぶりな気がする。ましてやそれが今日まで会話らしい会話をしてこなかった同級生だというのだから、何だか変な気分だった。

 話を聞いてみると、彼女は先日行われた花展に来ていたようで、私の作品を気に入ってくれたらしい。それで作者名を見てみるとなんと自分と同じ高校の、それもクラスメイトだったと知り居ても立ってもいられなくなったとか。

 ただ私が放課後いつも直ぐに帰るのを見ていたから、声を掛けるか掛けまいかと逡巡して今日のあの表情に至った、という訳だ。

 

 若宮さんは幼い頃、母親の故郷である北欧で過ごしていたという。その頃から父親の影響で日本の文化に興味があり、花展に来たのも華道に触れたい一心だったとのこと。部活も剣道に茶道に華道と三つも掛け持ちしているのだから、その熱意は本物だ。

 

 何より、澄んだ瞳を輝かせながら私の話を聞く姿からそれは明白だった。その瞳を知っている。いつかの自分を見ているようだった。

 私がそんな目で父さんを、そして姉を見ていたのは、一体何時のことだっただろう。

 

「でも、本当にいいんですか? 今からサクラさんのお家で教えて頂けるなんて」

「大丈夫。折角華道に興味持って貰えたんだし、このまま教えない方が家元の娘としては心苦しいから」

 

 思い出せない。

 だからその代わりに、ここ数年で随分と立派になってしまった外面を貼り付ける。

 

「かっこいいです! サクラさんは家名を背負っているのですね!」

「……ありがとう。でも、当然のことだよ」

 

 本当に、何てことはない。ただそこに生まれたからそうしているだけなのに。

 まるでテレビの前に座る日曜日の朝の子供のような遠い憧憬。その青い輝きに、私はそう返す他なかった。

 

「聞いたことがあります。これがイッシソウデンというものですよね。私、感動しました!」

 

 本当は一子ではなく二子なのだけど、別に身の上話を語る必要は無い。適当に流しながら喋るけれど、若宮さんの瞳の輝きは翳ることを知らなかった。

 そんな彼女を連れて玄関に上がると。

 

「……」

 

 鉢合わせた蘭が目を丸くするのがよく見えた。私が人を連れてきたことが余程驚きなのだろう。実際珍しいことなのだから無理はない。

 ただ正直どんな反応をしようと私にとっては姉の顔なんて見ていて気分のいいものではないから、別にどうだっていいけれど。最近は稽古と食事の時以外は以前よりも徹底して避けるようにしているから、尚更。

 

「こちら、若宮イヴさん。華道に興味持ってくれてるから、ちょっとだけ教えようと思って連れてきたの」

「若宮イヴです。お邪魔します!」

「……どうも。美竹蘭、です」

 

 深々と頭を下げて挨拶する若宮さんに蘭が返す。

 

「父さんと母さんは?」

「今は出掛けてる。少ししたら帰ってくるとは思うけど」

「そっか。一応部屋使う許可貰いたかったんだけど……蘭は使わないよね?」

「……今日は、バンドの方行くから」

「……そ。じゃあ行こっか、若宮さん」

 

 蘭の横を通り過ぎて奥へと行く。すれ違いざまに若宮さんが会釈する。蘭はまた何か言いたげな表情をして、けれど立ち尽くすだけだった。

 

「サクラさん。ランさんって……」

「ん? あぁ、私の姉。って言っても双子だから同い年だけど」

「お姉さんがいたんですね。知りませんでした」

「まぁ、わざわざお姉ちゃんいるんだー、なんて言いふらすことでもないしょ」

 

 蘭のことが気になるのだろうが、強引に話題を逸らす。

 前まではこの時間には家にいなかった癖に、なんて理不尽な不満を飲み込んで若宮さんを和室へと案内した。

 

 

 

 もう華道部に入部しているだけあって、若宮さんは基本的な知識を殆ど抑えていた。

 それだと私の教えることなんて無いようにも思えるけど、引き受けた以上は何かしらやらなければならない。家までの道すがら花屋で買ってきたチューリップを生けることにした。

 

「イメージの通りに生けるのって、すごく難しいですね……」

 

 若宮さんは少し苦戦しているようで、暫くの格闘の末、肩を落としてそう呟いた。

 

「最初はやっぱりそうだよね。茎の切り方一つで結構形も変わってきちゃうから、慣れも大事だと思う。もっと立体的に見せたいなら……こうかな」

 

 基本的に華道に正解不正解なんてものはない。自由花というスタイルも確立しているくらいだ。ただ当たり前だけどイメージを形にする技術には巧拙はあるし、正解が必ず存在する。

 

「わぁ……! 凄いです!」

 

 それだけは、私が華道の中で積み上げたものだと言える。

 

 それから、若宮さんの要望で私も生けてみることにした。教えていることになるかは分からないけれど、本人が構わないなら私が断る理由もない。

 

「私、やっぱりサクラさんの作品、とっても好きだなって思います」

 

 完成した花を眺めながら若宮さんが言った。

 

「シンプルだけど、綺麗で力強くて。花展で見た時、私もこんな風にお花を生けたいって思いました」

 

 それはそうだろう、と思った。自分に自信があるとか、そういった傲慢な考えではなく。

 ただ単純に、私が教本をなぞっているだけだからだ。そうすれば失敗しない、そうすればある程度の評価はされる、そういう理由で。

 個人的に花を生ける時なんかはその限りではないけれど、私はそれを表に出すことは一度もしたことはないし、これからもするつもりはない。

 

 家元の娘としての華道。

 きっとそれが、周囲に求められている私の道だ。

 

「今度の文化祭、華道部は花展をやるんです。初めて沢山の人に見てもらえる機会が貰えました。だから私は私がやりたい風にお花を生けて、皆さんに見てもらいたいなって」

 

 私と若宮さんの花を見比べる。

 二つは似ているようで、でも全く違う思いから生まれたものだ。

 

「……ひとつ訊いていい?」

「はい! 何でしょう?」

「若宮さんって確かモデルやってるんだよね」

「知っててくれてたんですね! でも、何でそんなことを?」

 

 首を傾げられた。当然の反応だろう。華道とモデルなんてなんの関連性もない。だけど私にとっては、だからこそ肝要だった。

 

「モデルだけでも忙しそうなのに、華道も茶道も剣道もやるって正直疲れない? 何でそんなに打ち込めるの?」

 

 物事には優先順位がある。

 私にとっての最優先は華道でも、若宮さんにとっては違う筈だ。仕事としている以上、モデルを優先するのは然るべきことだろう。

 でも若宮さんは華道に対しても本気だ。でないと殆ど話したこともないクラスメイトに頭を下げてまで教えて貰おうとなんて思わない。モデルの仕事だって多忙だろうに、貴重なオフの日を消化までして。

 

 何が。誰が。どんなものが。

 

 一体、彼女たちをそこに駆り立てるのだろう。

 

「私、ブシドーに憧れているんです」

「……ん?」

 

 彼女の返答に、今度は私が首を傾げる番だった。

 

「日本に来たばかりの頃は、憧れのブシドーをずっと探していました。もちろん今もですよ? でも、前まではもっと手当り次第といいますか……」

「──あぁ。それで色々やってるってこと?」

「はい。キッカケはそうでした。でも、やっていく内にひとつひとつが好きになって。今は全部全力でやりたいなって、そう思っているんです」

 

 でも、すぐに分かった。

 

「……」

「えっと、分かりにくいでしょうか? ごめんなさい、私まだ日本語も勉強中で……!」

「ううん、ちゃんと伝わってるよ」

 

 やはり、どうしたってそれは──

 

「すごく綺麗な言葉だったから」

 

 私には、分からないということだけが。

 

 

 ▽

 

 

 文化祭の日が近付いてきた。

 私たちのクラスでは、戸山文化祭実行委員の主導の下(山吹さんが相方として頑張ってくれている。凄く)、カフェをやることになった。そこでは山吹さんの実家であるパン屋さんからパンを格安で流して貰えることになり、浮いた予算で内装や衣装に凝ろうと皆気合いを入れている。

 

 ちなみに、いつもモカちゃんが通っているというパン屋さんは山吹さんの実家のやまぶきベーカリーだったということを私はこの時初めて知った。店名だけは知っていたけど、まさかそこまで世間が狭いとは思うまい。

 デッキみたいにポイントカードを集めている大飯食らいの客、という特徴を挙げてみると、山吹さんは一瞬でモカちゃんだと見抜いていた。

 思いもよらぬ共通の知人の発覚で、少しだけ山吹さんとの距離が縮まった気がした。

 

 若宮さんは相変わらずで、教室でも時たま華道についての質問をしてくるようになった。

 その所為でクラスメイトにも華道の家元の娘だということが知れてしまったけど、別に若宮さんを恨むようなことではない。

 

 そんな感じで校内が文化祭のムードに染まりつつある、ある朝のこと。

 戸山さん達バンドメンバーが廊下に集まってチラシを披露していた。彼女らのバンドは、文化祭のステージでデビューを迎えるらしい。その為のオリジナル曲作りにもここ最近ずっと励んでいて、多分若宮さんの言う全力と同じように、戸山さん達も必死に頑張っているのだろうとぼんやり考えていた。

 

「桜ちゃん! 見て見て、私達のバンドのチラシ! やっと完成したんだ」

「へぇ、どれどれ……。わ、可愛いね。このイラストも戸山さん達で?」

「これはね──あ、さーやー!」

 

 私に声が掛かったすぐ後、山吹さんもやってきた。呼ばれた彼女は用件がすぐに分かったのだろう。

 以前中庭で見せた時と同じ優しい表情で、戸山さん達に向かう。

 

「その顔は、もしかしてバンド名のお披露目?」

「ふっふっふっ……。それは勿論だけど、じゃーん! チラシも作っちゃった!」

「おぉー。文化祭のためにこんなのも用意してたんだ。あはは、このイラスト可愛い」

「あ、桜ちゃんと同じこと言ってる! 二人とも目の付け所がいいねぇ」

「これはりみの力作」

「えへへ、ありがとう〜」

 

 何故か牛込さんよりも得意げな花園さんと、にこりと笑う牛込さん。

 そんな皆を微笑みながら見つめる山吹さん。その目は大きく書かれたバンド名へと向けられる。

 

「ええと、バンド名は『Poppin'Party』?」

「いいね。弾む感じの語感で、何か楽しそう」

「それ、有咲が考えたんだよ!」

「山吹さんがいいって言ったから、一応提案しただけだし」

 

 ぶっきらぼうに市ヶ谷さんが呟く。でも嫌がっている訳ではなさそうだ。

 

「うん、香澄達にぴったりのいい名前」

 

 きっとそれは山吹さんも分かっているのだろう。彼女の染み入るような一言が私達の耳朶を打った。

 ただ、その柔らかな表情が、次の瞬間に凍りつく。

 

「それと……メンバーのとこ見て」

「……え? 私の名前……?」

 

 チラシに書かれた、自身の名前を見たことで。

 

「さーやもメンバーだよ」

「……」

「ホントは桜ちゃんとも歌いたかったけど」

「私はパスって前から言ってたでしょ? 家のこともあるし、気持ちは嬉しいけどさ」

 

 戸山さん達はまだ気が付いていない。多分その方がいい。何故か私は、咄嗟にそう思ってしまった。

 

「分かってますー」

「代わりになるかは分からないけど、チラシ貼りくらいなら手伝うよ」

「ありがとう! よーし、がんばらなくっちゃ!」

 

 適当に話を誘導して、戸山さん達とその場を離れる。そっと後ろを振り向く。

 苦しそうな、哀しそうな顔をして、山吹さんは立ち尽くしていた。

 

 

 ▽

 

 

 昼休みもこの時期は普段と違っていて、皆作業をしつつ食事を摂っている。戸山さん達もいつもの中庭ではなく、教室でご飯を食べていた。

 

 でもそこに山吹さんの姿はない。

 授業が終わるとすぐに出ていって、そのまま戻ってきていないのだ。戸山さん達は気にしていないようだけど、あの様子を見てしまった後だとどうにも後ろ髪を引かれるような、そんな気色になってしまう。

 

「……」

 

 でも、できることなんてない。

 そもそも私は部外者だ。彼女たちの領域にずけずけと踏み入る理由も義理も権利もない。

 

 戸山さん達も、山吹さんも、若宮さんも。

 皆、私とは違う場所にいる人達だ。

 

 だから、勝手にやっていればいい。

 

 私は、ただの傍観者だ。

 

 ──携帯の通知が鳴った。

 

『今から屋上来れる?』

 

 新着メッセージの通知だ。

 

『相談したいことがあるの』

 

 山吹さんからのものだった。




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