「やぁナナリーさん。こっちだこっち」
大通りに所狭しと並ぶ数多の酒場の一つ。他店と比べよりいっそうの賑わいを見せるその店の奥から、びどく陽気な声が掛けられた。
声がした方向、店の最奥まではそれなりに距離がある。にも関わらず、その奥のテーブルの上の大皿料理や取り分け用の薄皿、そして乱雑しているグラスや酒瓶が、扉から一歩足を踏み入れただけのこの位置からでもよく見えた。
「……」
陽気な声とは裏腹に、ひたりと捕らえられるような視線を受けて、ナナリーはしばし逃げるように視線を巡らせる。
けれどそれも無駄な抵抗だと分かっているので、早々に観念して足を店奥まで進ませることにした。
最大限歩幅を縮め、なるべくゆっくり、なるべく到着しないよう、というかなるべく間違いであってほしいと願いながら。それでも重い身体は無情にも目的地へと到着してしまう。
「ハーレの仕事お疲れ様。随分早く終わったようで何よりだよ」
目の前で機嫌よく微笑むのは、黄土色の髪に緑色の騎士服を纏っている美丈夫である。
“ヴェスタヌ王国の天才”であると同時に“地型の始祖級魔法使い”、“現代の崇高なる魔法使い百選の一人”、そして“ウォールヘルヌスでの自国優勝の立役者”という輝かしい栄誉の数々を手にするその人は。
「ね、ねぇ! もしかしてあれ、あのサレンジャ・ボリズリーじゃない⁉」
「え、うそ本物⁉」
「やっばいめちゃめちゃ格好いい~!」
店内からの視線を一気に搔っ攫っている彼──ヴェスタヌ王国の魔法使いサレンジャ・ボリズリーは、盛り上がっている近くの女性客テーブルに向かってニコリと肯定の笑みを返した。(その瞬間、女性達が悲鳴を上げて椅子から崩れ落ちた)
そして、目の前までのそのそとやってきたナナリーに向かって、まるで当たり前であるかのようにメニュー表を差し出す。
「とりあえず飲み物だな。前回のアメジスト酒とかどうだろう? あとはここの店長は南のエルピス島国から珍しい品を取り寄せているみたいでね」
「…………」
「あぁ立たせたままですまない。この席で構わないか?」
そう言って彼は自然に一脚の椅子を引く。その席には既にカトラリーが一式揃えられ、添えられた小瓶には可愛らしい一輪の花が──まるで、誰かの髪色のように鮮やかな水色の花が活けてあって、なんだか席次表のように見えてしまうから不思議である。
「あ、あのっ……」
「心配しなくてもアルウェスなら所用で席を外しているだけだから、どうせすぐに戻ってくるよ」
「いえ、あの……っ」
「ん? あぁすまない。元々アルウェスと約束していたんだろう? 偶然この店で会ってね。ナナリーさんも来るっていうし、せっかくだから一緒にどうかと誘ったんだよ……まぁ、この際彼が了承したかどうかはまた別の話だけどな」
「えぇと……っ!」
明らかに声を掛けようとしているナナリーを無視する彼、サレンジャ・ボリズリーは。彼女に一切の否を言わせない、圧倒的に完璧な笑みで軽やかに言い放った。
「そういうわけで、座って?」
──どうしてこうなった⁉
口元をヒクヒクと盛大に引き攣らせながら、ナナリー・ヘルは目の前の現実から逃避するかのように、碧色の瞳で天を仰いだのだった。