──ドゴォォッ!!
辺りに劈く破壊音。そして地をも揺るがす衝撃と振動。
砂塵が吹き荒れて茶一色に染まる視界は、ひどく見晴らしが悪い。
そしてゴウゴウと残音を奏でる空気が、咄嗟に跳躍して回避したボリズリーの身体を未だ容赦なく叩いていた。
「…………なっ」
ボリズリーが言葉を失う。回避した体勢で硬直したまま、その瞳を限界まで剥いて。
──今、何が起きた?
周囲を見渡せば、観客席の方で部下達があんぐりと口を開いているのが見えた。
そして立ち会いとしてこの場に降りていたヘンリックも、同じように絶句しているようで。
そんな彼の隣に立つアルウェスは……この場に似つかわしくない、端然とした笑みを浮かべている。
「……っ」
ボリズリーは視線を正面に戻した。パラパラと砂が溢れ落ちる音と共に、その場に空気が流れ込んで舞っていた砂塵を吹き飛ばし、視界が一気に開ける。
「“俺の勝ちだ”……ですって?」
やがて声がした。ひどく強く、低く唸るようなそれは、パキリと何かが踏み締められる音と共に、ボリズリーの耳を真っ直ぐに打った。
「まだ時間はきてないっていうのによくもまぁ……自惚れるのも大概にしなさいよ」
放射状に亀裂が入った地面。その中心に立ちながら低く言葉を発する彼女。
俯く水色の髪が、ゆらりと揺れて。小刻みに震えている身体に背負うのは、紛れもない“憤怒”の空気で。
「……ナナリー、さん?」
ボリズリーは恐る恐る呼びかけた。いつも自信に溢れ、その裏でひどく冷静に物事を見通している彼にしては珍しい、ひどく慎重な声で。
なにせ自信がなかったからだ。これまでに見てきた彼女からは想像もできないほど、今目の前に立つ彼女の態度が、先程までとは明らかに異なっているから。
いつだってナナリーは、ボリズリーに対して敬語を使っていた。もちろん会話の中でたまに口調が崩れることはあれど、基本的には彼のことを目上の者として尊敬しているのだ。
そんな真面目な彼女だからこそ、ヴェスタヌ王国の天才魔法使い相手に常語で話し掛けるなどありえないのである。
例外として彼と同じ立場であるとされるアルウェスに対して、ナナリーが気安い態度でいられるのは……あくまでアルウェスとは学生時代からの付き合いで、彼が彼女の態度を許していて、さらには二人が婚約関係にあるからである。
一方ボリズリーとはまだ知り合って早々で、しかも年上である。そんな彼相手に、あのナナリーが常語で話せるわけもないのだ。
……にもかかわらず。
「ふざけないで。まだ勝負はついていない。早々に勝手に決めるな!」
彼女は今、ボリズリーに対して常語を使用している。しかも叫んできている。
明らかにおかしい。ナナリーがボリズリー相手にこんな口調、こんな言葉を発するだなんて。
(……いや。思えばこの戦いが始まってから、彼女は俺に常語だったような)
ここで初めて、ボリズリーはこの場に立つナナリーに対して違和感を抱いた。酒場での彼女の姿と戦いの時の彼女の姿。自分に向けてくるその姿勢が、あまりにも違いすぎるのではないかと。
(待てよ。そういえば彼女、俺に強気で向かってくる割に、躊躇して狼狽えることもあったな)
自分が魔法を使う度に、何かに戸惑っているように見えた彼女。それだって本当はおかしい。だって自分は地型の魔法使いなのだ。地型の魔法使いとして地属性魔法を使うということに、戸惑う理由なんてないはずなのである。
それなのに、どうして……いや、そもそも──どこから彼女は違っていた?
(何だ……? もしかして俺は何かを見誤っている?)
こちらを捉える碧色の視線も、もう先程までの戸惑うような迷いは一切なく、しっかりと自分を見据えて……違う。これは睨み付けてきているのだ。隠すことなく堂々と。
「????」
ボリズリーは混乱した。いくらなんでもナナリーの変わりようがおかしい。彼の中の彼女とあまりにも違いすぎて、思考が追いつかない。
(別人……なわけないよな。二重人格……いやいや、さすがにそれはないだろう。もしそうならアルウェスから事前に聞いているはずだ)
何がどうなっているのかが全くと言っていいほど分からない。ボリズリーは思わず頭を抱えて顔を歪めた。
ちなみに、あのサレンジャ・ボリズリーが状況を把握できずに狼狽える姿など、近年稀に見る貴重性である。普段から彼と行動を共にしているヴェスタヌ騎士団勢でさえ、初めて目にした光景のはずであった。
けれど今、そんなボリズリーの姿に反応できる者は、誰一人としていなかった。ナナリーの変貌ぶりに戸惑うのは、なにも彼だけではなかったのである。
「え、あ……?」
「へ、ヘルさんてあんな性格だったっけ?」
「なんかボリズリーさん相手にめちゃくちゃ怒ってるように見えるんだけど!?」
「え、何で!? どうして!? 何があった!?」
ヘンリックも唖然としながら、様子が一転したナナリーをぽかんと見つめている。
「あ、あの……ロックマン殿。自分の目がおかしいのでしょうか。自分には……ヘルさんがボリズリー隊長をギラッギラに睨みつけて怒りを顕にしているように見えるのですが……」
「奇遇だね。僕も同じように見えているよ」
アルウェスはくつくつと笑いながら、ヘンリックの言葉を肯定した。
そして荒ぶるナナリーと混乱に硬直するボリズリー、そして思考が右往左往してパニックに陥っているヴェスタヌ騎士団勢をゆっくりと見渡した後、赤色の瞳をとろりと細めてみせる。
「──あぁ、ようやく吹っ切れたみたいだね」
「…………?」
その言葉にヘンリックが首を傾げると、ちょうど視界の先でナナリーが仁王立ちしたところだった。
そして。
「私はまだ負けてない! そんな簡単に負けてたまるかってのよこの“馬鹿炎”っ!!」
碧色の瞳を釣り上げて、顔を真っ赤にさせて、びしっと指先を突き付けて“馬鹿炎”呼ばわりしたその先にいるのは──地型の始祖級魔法使いサレンジャ・ボリズリーである。
「「「…………っ!?!?」」」
その堂々たる宣言に、ナナリーとアルウェスを除く第七演習場にいる全ての人間が絶句した。
「……………は?」
ボリズリーも心の底から疑問の音を発した。目の前で自分に向けて指差してくる彼女はどうしたのだ、いったい何を言っているのだと、今しがたの彼女の台詞に脳内処理が追いつかない。
思わず背後を振り返って他に誰かいるのかと確認した──しかし当然のことながら誰もいない。
ならば近くにアルウェスがいるのか──いや、彼は今ヘンリックと共に自分から見て右側に立っている。つまり彼女から見れば左側にあたり、それならばその指先は左側を指しているはず。
もしかして酔っているのか──いやいや、彼女は今日酒を飲んでいなかった。しかもこの瞬間までは普通に戦っていたのだ。酔っているわけがない。
「な、にを……ナナリーさんいったいどうし……」
狼狽えながらナナリーに手を伸ばしかけたボリズリーであったが、不意に視界の隅に映った金髪に視線を奪われた。
誰もが事態を飲み込めていない中、唯一彼だけが、この場の支配者であるかのようにひどく落ち着き払って事の成り行きを見守っている。
その表情に、うっそりとした笑みを張り付けて。その赤色の瞳に、唖然とするボリズリーの姿を写し込みながら。
彼は成り行きを見守っている。最初からずっと、アルウェスはナナリーとボリズリーの反応を見守っていた。
(…………っまさか!)
その瞬間、ボリズリーは全てを理解した。そして、驚愕に満ちた表情でナナリーを振り返る。
「……どうやら気付いたみたいだね」
「アルウェス! お前もしかしてっ」
信じられないといわんばかりに動揺するボリズリーに向かって、この場で唯一全てを理解しているアルウェスは淡々と、かついけしゃあしゃあと言ってのける。
「正解。君の予想通り、僕が彼女にかけていたおまじないの力だよ──彼女の目に君の姿が“僕”として映る、“認識変化のおまじない”」
──なにせ彼女が、僕との魔法戦だったら、皆に見られていようが関係なしに全力で臨めるって言ったから。
そう笑んだアルウェスは、まるでこの状況を大いに楽しんでいるように見えた。