◇ ◇ ◇ ◇
「いや……いやいや待て待て待て」
ボリズリーはヒクリと口端を震わせた。そして呆れの空気を隠そうともせず、むしろ前面に押し出す勢いで、アルウェスに向ける胡乱気な視線を全開にする。
「アルウェス、お前なぁ……っ」
「別に彼女自身の魔法力に干渉したわけではないんだから、問題ないよね?」
「それはそうだがそういうことじゃなくて」
あまりにしれっと堂々としてくるアルウェスに、つい頭痛を覚えてしまいそうになる。
いやめちゃくちゃすぎるだろう。よくもまあそんなことを思い付けるものだ。
けれど驚きに呆れ果てるのと同時に、それでも彼女に全力を発揮させる手段として、確かにこれ以上はない最善策だと思えるから不思議だ。
ボリズリーは最近、アルウェスに向ける彼女の思いの強さを知った。彼女の、彼に対する決意の固さを知った。
そんじょそこらに溢れる愛の言葉なんぞより、よっぽど重くて深い、一生をかけられる思い(意訳)……彼女が抱く“打倒アルウェス・ロックマン”の執念は、ボリズリーが想像していたよりもずっと年季があって、かつ日々更新されていくものだったのだ。
(つまり今、彼女の目には俺がアルウェスに見えているってことで、だから最初あんなに緊張していたはずの彼女が、戦いが始まった瞬間人が変わったように強気で俺に向かってきていたのか)
その考えを裏付けるように、ボリズリーの目の前にいるナナリーが、身体についていた砂塵を手で払いながら、唸るようにぶつぶつと言葉を零していた。
「やっぱりアルウェスは火型の魔法を使うって前提条件があるから、地型の魔法を使うあんたに調子を狂わされっぱなしだったけど……でも、もういい。あんたがどんな魔法を使ってこようが関係ない。今日こそ勝利して“参りました僕の負けです”って言わせてやるんだから!」
「おいアルウェス、お前が使ったのは認識変化の魔法だけだよな? 洗脳魔法使ってないよな? 彼女完全に俺のことお前だと認識しているんだが大丈夫だよな?」
完全に目が据わっているナナリーは、アルウェスが言うところの“吹っ切れた”状態になっているらしい。
先程までボリズリーが地型の魔法を使う度に見せていた微妙な反応は、もうすっかり消え失せている。あの拙さはどこに行ってしまったというのか。
彼女のこの様子。ボリズリーは絶対に、アルウェスが認識変化の魔法ではなく、洗脳魔法の類をかけたのだと思った。
しかしアルウェスは、まるで心外だと言わんばかりに手をひらひらと振って否定する。
「曲がりなりにも婚約者相手に洗脳魔法なんて使うわけないでしょ。それにそもそも彼女が吹っ切れるきっかけを作ったのは君の方だろう?」
「は? 俺が? いったい何を……あ」
突如ボリズリーの口の動きが止まった。察しの良い彼はその瞬間、全てを理解した。
彼女に止めを打とうとした時、彼は言ってしまったのだ。自分のことをアルウェスとして視界に写し、防戦の中それでも必死に食らいつき、かつ彼への勝利に並々ならぬ執念を燃やす彼女に向かって──。
『悪いが、これで俺の勝ちだ』
(あれか──っ!)
ボリズリーは思わず脱力した。いやまさかそんなと狼狽えながら、それでもすんなりしっかり納得できる十分な理由に、ついつい頭を抱えてしまう。
「うん? 気付いててナナリーにそう言ったんだと思ってたけど、違うんだ?」
「当たり前だろう!」
胡散臭く尋ねてくるアルウェスに、珍しくボリズリーが吠えた。
決して断じて、彼女を煽るために言ったわけではない。そもそも彼女がそんな状態でいることを知っていたら、むしろ口になんてしていなかった。
ボリズリーは、アルウェスに追い付こうと前を見据えるナナリーに、もはや尊敬にも似た念を抱いている。
だからこそ、どんな言葉が彼女を刺激するのかも良く分かっているし、そう安易に突ついていいものではないと、しみじみと理解しているのだ。
(彼女の、アルウェスに対する思いの強さと、決意の固さと、なんなら執念の深さまで理解している俺が、迂闊にそんな逆鱗に触れるような真似するわけないだろう!)
しかしそんな慎重性も虚しく、結果ボリズリーは見事、ナナリーの闘争心に火をつけ、油を撒き、かつ空気を送り込みさらに激化させる言葉を吐くに至ってしまった。
おかげですっかり吹っ切れたらしいナナリーは、ボリズリーに対して怒りの形相を向けると、ぱしんと合わせた両手を一気に広げて魔法を展開してみせた。
「パゴスフェラ(氷弾)!」
「っ!」
無数に現れた氷の弾丸が、ボリズリー目掛けて飛んでくる。しかし即座に反応し【砂盾】で防いだ彼は、ひくりと小さく息を飲んで目を瞠った。
(最初の【氷弾】と、まるで威力が違う)
盾越しに感じる氷弾に込められた魔力量。魔法の質も上がっているのか、盾を破壊できないまでもその貫通力が増しているのを大いに感じる。
さらに。
「カラザ・キオノスティバス(雪崩)!」
次にナナリーが繰り出したのは、ウォールヘルヌスでアルウェスと共に彼女と戦ったムイーシア・ヘルドランが使っていた高難度の氷魔法である。
大量の雪の波が押し寄せるそれは、かつて優秀な氷の魔女と評されたムイーシアがナナリーに放ったものより巨大かつ強力だった。
そして、それを彼女よりも短い発動時間で展開させるあたり、ナナリー・ヘルの驚異的な実力の高さと、それに見合う膨大な量と質の努力の痕跡が見て取れる。
(しかも、それまでに俺との対戦でかなり消耗しているはずなのに、まだこれだけの規模の魔法を展開できるとは)
その魔法力も然ることながら、完全に切り替えた彼女の集中力と精神力の凄まじいまでの高さに、ボリズリーの口から思わず感嘆の息が漏れる。
彼もナナリーの魔法を淡々と捌いていくが、次々と仕掛けられるどの魔法も、先程までとは威力が桁違いなのを肌で感じていた。
どうやらそれまでの彼女が本気を出せていなかったのは真実のようで、実際の彼女の魔法はこんなにも激しいことを彼は今まで知らなかった。
そしてこれまで余裕がなく防戦一方であったナナリーが、ここにきて盛り返しを見せ始めたことで、観戦していたヴェスタヌ騎士団勢も大いに沸き立つ。
「すごい! 何かヘルさん強くなってる!」
「覚醒したのか!?」
「よく分からないが、これならもしかしてもしかするんじゃ!?」
「いけぇヘルさん頑張れー!」
「いやだからいい加減ヘルさんて何者なんだよ!」
興奮する仲間と同じように、ヘンリックもまたナナリーの勢いに圧倒されているのか、まるで言葉が出てこないようで、息を飲んで彼女を見守っていた。
「ペトレス・ヴロヒース(岩の雨)」
「プネウマ・パゴス(氷の息吹)!」
ボリズリーがナナリーの頭上から雨のように岩を降らせようとすれば、彼女は片足引いて、最大限の肺活量からなる氷の息吹で全てを凍らせる。
そしてすかさず氷の蔓でそれらを弾き飛ばすと、そのままボリズリーを捕らえんと目にも止まらぬ速さで蔓を彼に向けて放ってきた。
(……まずいな。ここにきてこれだけ調子を上げてくるとは。不意を突こうにも隙がこれっぽっちも見えない)
氷の蔓に砂嵐で対抗しながら、ボリズリーがふと小さく息を吐く。