そう言って彼女は、ボリズリーにペコリと頭を下げた。今はもうアルウェスのおまじないの効果は切れているらしい。最初の態度に戻っている。
どうやら、ボリズリーのことをアルウェスとして認識して戦っていたことに申し訳無さを感じているようで(しかしそれはアルウェスが勝手にしたことであって、彼女は悪くないのだが)、彼を見上げる瞳に、無視できない気まずさが見え隠れしている。
それでも今回、ナナリーが彼との魔法戦で得たものはとても多かったから。地型の始祖級魔法使いと競り合えた経験は、それ自体が彼女の心を大きく成長させていた。
だから純粋に、また魔法戦をしてみたいと思ったのだ。アルウェスを相手にする時のような態度で臨むのは絶対に不可能であるが、一人の魔法使いとして、これからも彼と戦ってみたいと思った。
ナナリー・ヘルは嘘を付かない。いつだって彼女は自分に正直で、自分の思いをしっかり持っている。
そんな二人のやり取りを見守っていたアルウェスが、くすりと笑んだ。
「……というわけで、むしろ彼女からもお願いされてるくらいなんだけど。あと何か問題ある?」
「──ははっ!」
遂にボリズリーは耐えきれず、声を上げて笑みを溢し始めた。
急に笑い始めた彼にナナリーはびくりと肩を震わせ、近くにいたヘンリックも目を丸くさせて驚いている。
アルウェスだけは様子が変わらなかったが、笑う彼を見つめる赤色の瞳は、ひどく柔らかな色合いをしているように見えた。
(あぁそっか。そうか。分かったよアルウェス。だから彼女はこんなにも──……)
そうして一頻り笑ったボリズリーは、はぁと息を大きく吐くと、どこかすっきりとした表情で、ナナリーに向かって手を差し出したのだ。
「こちらこそ、また頼むよナナリーさん。今日は俺もすごく楽しかった。君と魔法戦ができて、本当に良かった」
こんなにもわくわくした魔法戦はアルウェス以来だった。いや、戦闘スタイルの意外性で見れば、もしかすると彼以上だったかもしれない。
だから久しぶりに、こんなにも心が満たされている。そしてもっともっと魔法戦を続けていたいと、時間を忘れて夢中になってしまった。
そう言ってほんの少し照れ臭そうにはにかむ彼に、きゅっと唇を結んだナナリーがおずおずと、それでいてしっかり手を握り返してきた。
白くて小さくて、属性のせいなのかやや冷たい彼女の手。けれどその掌にあるいくつかのタコは、彼女の紛れもない、これまでの努力の証なのだ。
それは、貴族の令嬢達の手入れされた滑らかな手よりも何よりも、ボリズリーにとっては美しく見えた。
令嬢達が美に費やしている間、彼女はひたすら真っ直ぐに魔法と勉強に時間を費やしてきたのだろう。アルウェスに追いつける自分になるための、これは彼女の立派な奮闘の証だから。
そしてそのおかげで、自分は充実した魔法戦をすることができたのだ。
彼女に彼がいてくれたから、また彼に彼女がいてくれたから、自分はこうして間接的にでも気持ちが救われることになった。
だから、本当に──ボリズリーは、ナナリー・ヘルという存在に感謝しているのだ。彼女はアルウェスにとって、そして驚くことに自分にとっても、かけがえのない存在になりえる女性であるから。
「俺達はもうすぐ帰国する。けれどまたそのうちドーラン王国に来ることになるだろうから、その時にな。あとヴェスタヌに来ることがあったらぜひ連絡してくれ。俺が直々に君に国を案内するよ」
「え、あ、ありがとうございます!」
「ヴェスタヌは魔法先進国と言われているだけあって、文献や書物もとても多いから。俺と一緒なら城の禁書スペースにも入れるからな」
「それはすごく魅力的ですね……!」
「それから、アルウェスに飽きたらいつでも俺のところにおいで」
「はい分かりま……むがっ!?」
「ねぇ」
流れで頷きかけたナナリーの両頬が、無残にも潰された。
いったい誰に……いや、そんな野蛮なことができるのは、この場に一人しか存在しないではないか。
アルウェスはうすらとした笑みをボリズリーに向けながら、その大きな手でナナリーの頬をむんずと鷲掴んでいる。
赤い瞳は面白いほど凍りついて、目元は微笑んでいるのに目の奥が微塵たりとも笑っていない。彼は火型の魔法使いであるが、どうやら絶対零度の笑みを習得しているらしかった。
「いひゃいいひゃいひょっほ!」
「寝言は寝てから言うから寝言っていうんだけど分かってるよね?」
「なんだアルウェス。彼女のことをもっと知りたいって言った俺に協力してくれるんじゃなかったのか?」
「さっきの魔法戦で頭でも打った? そんなことは一言たりとも言ってないんだけど」
バチバチと(見えない)火花が飛び散る。そして辺りに(これも見えない)ブリザードが猛烈に吹き荒れて、それまでの魔法戦で熱気が上がっていた第七演習場を一気に氷河期にしてみせた。
互いに笑みを向け合う(ただし意味は両極端)ボリズリーとアルウェス。
そんな彼にギリギリと掴まれ、可哀想なことに痛みに発狂して藻掻いている何の罪もないナナリー。
そしてそんな三人をはらはらとした視線で見つめるヘンリックと、どうも楽しげな様子を見せている上司に、またも精神的な危機を感じ取る敏感なヴェスタヌ騎士団勢の皆。
氷河期化していた第七演習場が、だんだんとその空気を混沌とさせていった。
「あひゅへふ! ははしははいほ! ほほはへひゅはひょ!?」
「え? 凍らせるって? そんな元気があるんなら、もう一戦くらいできそうだね。なんなら今度は皆でやってみる?」
「それはいいな! 魔力も大分戻ってきたし、俺は構わないぞ?」
「ちょっとボリズリー隊長! だから自分達がお願いしたこと覚えてますよね!? っていうか前から思ってましたけど、穏便って言葉の意味本当に分かってます!?」
「いやヘンリックお前も参加だからな。ニ対ニの混合戦にするから」
「何勝手に決めてくれてるんですか!?」
「そしたら当然ナナリーさんは俺とペアだな。なんたって一緒に魔法戦をした仲だし、なにより……二人だけの秘密を抱える仲でもあるから」
「──は?」
──ボワッ!
ここで火災発生。一向に動じない始祖級魔法使い二人に対し、ナナリーは一緒懸命アルウェスから抜け出そうとして火災に気付かず、ヴェスタヌ騎士団の水魔法使いが泣きながら飛び出してくる事態となった。
「おおおいヘンリック! 何とか二人を止めてくれよ!」
「頼むって! 俺達じゃあの二人に敵わないから! どう考えても燃やされて埋められる未来しか待っていないから!」
「お前らふざけるなよ! それができてたら俺だってこんな苦労してないわっ!」
「うん? ヘンリックそんな言葉使いもするのか。新たな発見だな」
「誰のせいだと思ってるんですか!?」
「ちょっとナナリーさっきから何。そんな暴れないでよ魔物ごっこのつもり?」
「ぷはっ……あんったねぇ! いきなり掴んできて何なの!? 喧嘩売ってるなら言い値で買うけど!?」
……そうして、一時は魔法戦で大いに盛り上がり、その直後に氷河期化し、さらに混沌に飲まれ、更にその後色々な意味で白熱することになった第七演習場。
その中に設置されている魔法灯は、今日に限って夜遅くまで消えることがなく、深夜に関わらず阿鼻叫喚な悲鳴がいつまでも飛び交っていたとかいないとか──。
その真実を知る者の多くは、皆示し合わせたかのようにだんまりを決め込んだのであった……主に自分達の心の平和のために。