「にもかかわらず、隊長てば自分にヘルさんを誘ってくるように上司命令してきたんですよ! またヘルさんと語り合いたいとか言って! その先のこと絶対に考慮してくれてない! あの人全然反省してないんですよぉ!」
今度はヘンリックがわああっと打ちひしがれた。可哀そうなほど丸くなった背中に、彼の苦労と苦悩が透けて見えるようだった。
もちろん当初、彼はボリズリーからのお願いを撥ねつけようとした。絶対に平和な語り合いのままで終わらないと思ったからだ。
なにせ、ナナリー・ヘルを呼べばもれなく彼女の婚約者であるアルウェス・ロックマンが付いてくる。そうなれば、もれなく前回の修羅場の再現になることは容易に予想できる。
いったい誰が好き好んで、あの冷戦の最中に身を置きたいと思うだろうか。少なくとも、あの場に居合わせた全てのヴェスタヌ騎士団隊員勢はそんなこと微塵も思っていない。
当然拒否の一択。だがしかし、彼の返答を予想していたボリズリーによって発せられた次の言葉で、ヘンリックは陥落を余儀なくされることになる。
『前の任務で俺がお前のフォローに回った時、言ってたよな──この恩は忘れない。何でも協力するって』
『……』
『今だと思うんだけどな、その恩を返す時……俺はなヘンリック、お前が嘘を吐くような不誠実な奴だとは思ってない。お前が騎士として一度交わした約束を違えるような、そんな不義理な奴だとは思ってないんだ』
『…………』
『俺は、俺が信じているヘンリックのことをこれからも信じたい』
そう微笑んだ上司に油断も隙も容赦も見られなかった。もちろん全て計算なのだろう。彼の掌で良いように転がされているなとは感じていた。それは分かっている。
けれど、あの見目麗しい顔面を、まるで情に訴えるように切なげに歪めて迫ってくるのは、些か卑怯ではなかろうか。
彼はアルウェス・ロックマンと並び立つ美貌の持ち主なのだ。そんな御尊顔を惜しげもなく武器にして、しかも自分への信頼までちらつかせて、これで断れる輩がいるのなら見てみたい。
そして先の任務で助けてもらい、それに対して恩義を感じ、彼の願いには何でも協力すると誓ったことは紛れもない本心だった。
己の失態のせいで彼の足を引っ張ったというのに、まるで気にしていないとでもいうようにフォローに回ってくれて。彼に手間をかけさせてしまった自分自身がひどく許せなくて、恥ずかしくて、情けなくて。なのに、それでも……どうしようもなく救われたから。
だからその時の話を持ち出されると、非常に困るのだ。誓った気持ちが強いからこそ、自分にできることなら何がなんでも叶えてあげたいと思ってしまうから──例えそのせいで、自分が被害を被ることになったとしても。
眉を寄せ唸るヘンリック。心の中で壮絶に葛藤した結果、不意に視線を上げると、どうやらその間自身のことを観察していたらしいボリズリーとばちりと視線が合って。
『頼む、ヘンリック』
極めつけの止めといわんばかりに、祈るようにそう言われてしまい、とうとうヘンリックは天を仰いだ。
『〜〜〜っ! 分かりましたよ!』
……以上が、彼が断腸の思いでナナリーの元を訪ねるに至った経緯である。
そして、現在。
「お願いしますヘルさん! 自分と一緒に来てください!」
「いやそんな急に言われてもっ……そ、そうだ! 今日は既にアルウェスと先約があるので……」
必死の形相で縋るヘンリックから目を反らしつつ、ナナリーは咄嗟に思い付いた正当な理由を口にした。
先約、紛れもなくアルウェスとの約束だ。
「先約ですか? ロックマン殿と?」
「はいっ、お互いに多忙でなかなか仕事の調整ができなかったんですけど、今日は向こうが奇跡的に時間に余裕ができたと言ってくれたので、この後食事をすることになってるんです」
ナナリーは早口に言葉を並べた。
嘘ではない。ドーラン王国魔術師長兼、第一小隊の隊長兼、フォデューリ侯爵であるアルウェスは実際に多忙だ。騎士団として遠征に行くこともあれば、貴族としての仕事や社交に勤しむ必要もある。
ナナリーだって夜勤の仕事をこなしているし、ハーレは今が繁忙期のため、人手が足りていないソレーユ地や他の支部を飛び回っている。内容の濃さという点で見れば、そこそこ多忙だと言って差し支えないだろう。
そんなわけで、今回珍しくアルウェスの仕事がかなり迅速に片付き、ナナリーの方も都合を付けられたため、かねてから彼女が行きたがっていた兎鳥料理のお店に行く約束をしていたのだ。
「(美味しいと評判だから)すごく楽しみにしてたんですよ! (兎鳥が)本当に好きなので」
「(ロックマン殿と会うの)とても嬉しそうですね。彼のことがすごく好きなんだろうなって伝わってきます」
「(彼? まぁ兎鳥の雌雄にはこだわりないから)そうですね」
互いに指している物が違っていても、会話とは成立するものなのであった。ナナリーはキラキラと表情を輝かせているし、ヘンリックはそんな彼女を微笑ましげに見つめ、そして少し眉を下げた。
「そうですか。先約……」
さすがに婚約者との時間を削って付き合ってくれとは、いくらボリズリーにお願いされている彼としても言えなかった。なにせ目の前の彼女は、己の婚約者との食事をこんなにも楽しみにしているのだから。
(そうだよな。先約があるならしょうがない)
ならばその言葉の通りを上司に伝えて、今回は諦めてもらおう。彼だって事情を説明すれば理解してくれるはず。しかもいきなり誘ったのだから断られる可能性があることくらい分かっているはずだ。
ただ、彼女が誰と会うのかを言ってしまえばまた拗れることになりそうだから、アルウェス・ロックマンの名前を出すのは控えるべきだろう。
即座に考えを纏めたヘンリックは、ナナリーに向き直った。
「分かりました。それでは仕方がない。隊長には自分の方からそう伝えますので、ロックマン殿との時間を楽しんでください」
「えっ、あ、ありがとうございます」
どこかほっとしたように口元を緩める彼女を見て、ヘンリックも笑みを誘われる。双方穏便な解決の空気を見出し、今までどこか漂っていた緊張感が溶けるように霧散した。
「引き止めてしまってすみませんでした。彼との約束の時間に間に合いますか? なんなら自分が同行して経緯を説明しますが……」
「大丈夫です。具体的な時間は約束していませんし、【赤目のラゴース】というお店なので場所もここからそう遠くないので」
「……なんだって?」
突如ヘンリックが驚愕したように声を荒げた。これまで丁寧な言葉遣いでいた彼の口調が崩れている。まるで予期せぬ出来事に思わず素が出てしまったかのような、呆気にとられた表情で。
「えっと、ヘルさん……ロックマン殿との待ち合わせは【赤目のラゴース】というお店なのですか?」
「えぇ、そうですけど……?」
「なんてことだ……」
ナナリーの肯定に頭を抱えたヘンリックは、唖然とした表情で自身の髪をくしゃりと握り潰している。心なしか息が粗くなり、身体も小刻みに震えているようで、どう見ても彼に異常事態が起きていることは明白だった。
「あの、ヘンリックさんどうし……」
「……です」
「へ?」
突如様子が変わってしまった彼のことを心配したナナリーであったが、ボソリと呟かれた言葉を上手く聞き取れなくて。
そして。
「今、ボリズリー隊長がいる店の名前が【赤目のラゴース】なんです」
「え」
「前回利用した【黄尾のラゴース】の姉妹店ということで、もともと今夜のヴェスタヌ騎士団の飲み会開催場所になってまして」
「………………………え?」
ナナリーは顔から色を失い絶句した。焦燥しているヘンリックの様子に嘘は見られない。
ということはつまり、これから自分が【赤目のラゴース】に向かえば彼と出会ってしまう可能性があり。
そしてなんなら、もう店に向かっているはずのアルウェスが、既に彼と鉢合わせしてしまっている可能性もあるということ。
目立つアルウェスが店内に入って、注目を浴びないわけがない。そしてこれまた目立つボリズリーが既に店内にいれば、当人達はもとより周囲が気付いて絶対に騒ぐ。
今からアルウェスに店の変更を願い出ることは不可能。それは以前から予約を入れていたお店に対して失礼だ。つまり。
──二人の接触は避けられない。というより、三人の接触は免れないということである。
「〜〜〜っ」
いやいやまさか、まさかそんな。
「そんなことってある!?」
素で感想を顕にしたナナリーは、盛大に膝を地に付けて呻いたのだった。