前回のアンケート、ご協力ありがとうございました。拮抗していたようなので、私のやりやすいように原作稲妻編が終わってから、時系列通りにやってみたいと思います。
『かの冥人が侍の訓練指導役に就任』───。
この知らせは稲妻城のみならず城下町まで広まることとなった。
歓喜に沸く者、懐疑を抱く者、驚愕に歪めた者、幕府の侍を志す者。それを聞いた平民たちの反応は実に様々であり、そしてそれも無理のないことであった。冥人・境井仁の名は全ての人が知っていた。だからこそ、今この時を生きているかのような発言が気に掛かったのだ。
彼はもう死んでいる、そうおとぎ話には書かれている。
よもや境井家の末裔であろうか、そんな説すら立ってしまうほどであった。
町に大きな動乱をもたらしたその知らせから数日、またもや町は驚きに揺れることになる。
幕府の管理する掲示板には新たにこう張り出されていた。
『幕府軍公開演習、有志の者は指導役との手合わせ可能』
───と。
「───ふぅっ。終いだ、各々休息に入れ」
汗を拭いながら告げたのは境井仁。『奥詰衆』の相談役とはなったものの、初めから決められていたお役目である侍達への訓練や教練は果たさなければならない。そういう契約だ。
そして、仁はその職務を持て余すことなく果たすことができていた。もともとは武士として叔父や境井、志村の侍と共に訓練は日常的にしていたことに加えて、いつかの日の海賊たちを率いた経験が活きていたこともあるだろう。
しかしなにより、仁の教えを受ける侍たちの士気が非常に高いことこそが訓練を円滑なものとしていた。境井仁の全ての言葉を聞き、全ての動きを観、その全てを少しでも己のものとしようとする態度は教えを受ける彼らからすれば至極当たり前なものでしかなかったが、現代における自分の影響力をまだいまいち把握しきれていない仁からすればただ感心するばかりだ。こんなにも役目に忠実であるなら稲妻の今後も安泰である、と。
境井仁の武芸とは一対一の剣戟に収まらない。対複数人、対獣の類、対複数の弓兵。二桁に及ぶ敵をどのように己一人で殺し切るか、完全に囲まれた時に誰から突破するか。およそ刀ひとつで成し遂げるには夢物語であると言ってしまいたくなるようなそれらを、論理的に、時には実践を交えて教えられてしまえば、侍たちは信じるしかないのである。目の前にいるこの男こそが、稲妻の英雄であるのだ。この時幕府内に境井仁のことを疑うものはすでに一人もいなくなっていた。
「お疲れ。今日も精が出るな」
「娑羅か」
挨拶や礼をしながらめいめいに散って壁や隅で休み始めた侍たちを何をするでもなく見つめていた仁は、振り向いた先にいた同僚であり友人から水を差し出された。天領奉行の重役、九条娑羅その人だ。手拭いで汗を拭きながら受け取った水筒を煽る。
「……しかし、仁の教えは目を見張るものがあるな。少しだけ組み手の様子を見させてもらったが、彼らの動きが先月と比べると段違いだ」
「まあな、厳しくやっている。……それ以上に彼らの姿勢には助けられる。俺の教えの全てを食らわんとばかりだ」
「それはそうだろうな。かの冥人どのからの言葉だ、聞かん方が信じられん」
「ならば娑羅にも稽古をつけてやろうか」
「願ってもない、と言いたいところだがな。あいにく私にはもうお前が冥人ではなくただの侍にしか見えん」
「ほう、言うではないか。俺に憧れていると言ったのは誰であったか」
水を飲み干した仁と娑羅の目が合い、どちらからともなく破顔した。仁にとっては懐かしい、居心地のいい会話。まるであの――。
思わず郷愁に駆られそうになった思考を無理やり追いやって、仁はこの先のことを考え始めた。数日前に将軍より告げられた公開演習への準備は着々と進んでいる。この演習は冥人の実力を民、ひいては反幕府勢力へ見せつけることにあるのだろう。実際にそう言われたわけではないが仁は理解していた。
反幕府軍への抑止力。そうあれと期待されることには否やはないものの、ではどのように表現して、牽制とするか。そうして思いついたのが希望者との手合わせである。今この稲妻には在野の実力者が数多くいるというし、中には名の知れた者もいるだろう。もしそんな者どもを一蹴することができればわかりやすいのではないか、そう発言したのは仁だった。
「娑羅。お前、弓を扱うのだったな」
ふと思いついた仁が眼前の彼女にそう切り出す。
その言葉通り、九条娑羅の弓の腕前はかなりのものであった。そもそも実力がなければ将軍の御付きになど成れてなどいない。ゆえに娑羅は特に疑問もなくうなづいた。
「今、空いているか」
「ああ。午後まで予定はないが……」
「よし、少し付き合ってくれ。……聞け!休憩は終わりだ。これより、この九条娑羅どのと俺で組む。俺は刀のみ、娑羅どのは弓のみで相手しよう。どちらかに一本入れられたらその時点で今日の訓練は終いとする!初めはお前からだ、立て!」
なかば強制的に訓練に巻き込まれた娑羅は少し呆れたような顔をしながらも弓を取り出し、どこか楽しげであった。
「――境井仁?」
「はい。……ああ、トーマはここの生まれではないから知らないですよね」
「ああいや、流石にどのようなお方かくらいは知ってるさ。父に聞かされたこともあるし……」
神里屋敷。……ではなく、稲妻城下にある茶屋の一間。金髪に長身のその身を赤い衣装で飾る青年が、眼前にある湯呑みを怪訝そうな瞳をしながら下げた。
青年、トーマはもともとは稲妻の人間ではない。モンドからこの国に渡り、社奉行を勤める神里家の家司として生活していた。今この場にいるのはそのトーマと、主家である神里綾華の2人だけだ。窓の外から喧騒が飛び込んでくる。
「その様子では、やはり理解しきってはいないようですね。……まず、境井仁――"冥人"の名は稲妻の人々全てが知っていると言っても過言ではありません。その武勇も。もはや何年前かもわからないような英雄、将軍の語る"最強の人間"。そういう存在だったのです。……少し前までは」
「……幕府のあの御触れ、か?」
「そうです。何の理由か、境井仁が現世に帰ってきた。そしてそのままかつてのように雷電将軍に仕えている。……これがどれほど、稲妻の民を、私たちの心を動かすことか」
良くも、悪くも。そう言って締めた言葉は、その内容通り様々な感情が揺れ動いているようにトーマには感じられた。
生まれついてより聞かされるおとぎ話の主人公、その回生。それ自体は綾華当人にとっても歓迎するべきだと思っているのだろう。綾華も神里流を修める武人のひとりであり、その実力も飛び抜けている。そんな彼女にとっては、剣において悪を切り伏せた冥人という存在はまさに憧れでもあるのかもしれない。
だが、今はいささか時期が悪い。そう思わざるを得ない状況であった。
その心中を真には理解できないことを悟ったトーマは綾華の言葉の続きを待つが、何事かを考え込んでいるのか押し黙ってしまっていた。少しの間沈黙に包まれた茶室に、外の雑踏が響いている。
思案の邪魔をしてはいけない。なんとなしに窓の外を見たトーマは、民衆がドタバタと動き回っている様子が見えた。どこかに向けて走っていったり、興奮した様子で周りに話しかけていたり、内容までは聞き取ることができない。
「……?やけに騒がしいな。何だ」
「っ!ああ、もうですか。……さて、トーマ。境井仁の、冥人の実力をこの目で見るいい機会です」
湯呑みのお茶をちょうど飲み切った綾華が立ち上がり出口へと向かいながら、身分を隠すための市女笠を深く被り直した。いまいち何かわからないトーマは少し慌ててそのあとに着く。
「えっと、今日これから何か……?」
「ええ。数日前にトーマも見ている筈ですよ」
「今日……?ああ、そういえば……!」
先ほどの会話と、先日の記憶をもとにトーマはその事実を思い出した。幕府の侍たちに冥人が剣を教えていること。そして今日、それが初めて公になること――。
何が目的かを悟ったトーマに、綾華は振り向いて微笑んだ。
「行きますよ、幕府の公開演習に」
――タァン!
「……よし、いかほどか」
「はっ、はい。……中心より一寸五分のズレです」
「ふむ、鈍ったか」
――タンタンタンタァン!
「ご、……5秒です……」
「悪くないな」
城下町をさらに下った先にある野原、そこには簡易的ではあるが幕府の陣が敷かれていた。とは言ってもその目的がために一定間隔で刺された杭に縄を結んだ簡素なもので、陣の中は簡単に見ることができた。
陣にいるのはおよそ50人ほどの侍。3つほどの塊になって各々修練を進めている。今行っているのは型の確認、軽い組み手、そして弓の的当て。それぞれの塊ごとに教練役のような者と教えを受ける侍たちがいるようだ。
木漏茶屋を後にして公開演習を見にきた綾華とトーマが目にしたものはそれら侍たちと、その陣を取り囲む大勢の人の姿であった。
「なるほど、街にまったく人影が見えない訳だ」
「もしかしたら町人のほとんどがいるのでは……」
その盛況さを見て呆然と呟く2人。
実際のところ町人のみならず周囲村々や離島からも観客がいたりするが、それはこの2人には預かり知らぬところである。
あの数の人の群れに混ざるのは気苦労しそうだと考え、そのままなんとなしに演習と人々を観察する、そして、少し離れて群衆を見ていた2人は気づいたことがひとつあった。――明らかに人々の視線が集まっている場所がある。
この場において視線を集める者などひとりしかないだろう。視線の先、今は弓術の訓練をしている一団の中にはとりわけ関心を集める者がいた。その男が的を射るたびに周囲からはざわめきが漏れている。
団子に結った髪、白い鉢巻。黒い甲冑には二つ連なる三角形の家紋。
「お嬢、あの方が……」
「ええ。冥人、境井仁様で間違いないでしょう。……あの甲冑は私たち神里家が保管していたものです。私は居合わせることが叶いませんでしたが、お兄様が冥人様にお渡ししたと言っておりました」
今、その冥人は弓を手にして的を睨んでおり、およそ一五間ほど離れた位置には5つの的が置いてある。それも横一列に並べられたものではなく、そこにある大岩に貼り付けられた物や大岩の上にある物、岩のすぐ側に置いてある物など高さや距離もバラバラだ。
「あれを、狙うのでしょうか……?」
「確かにあれほどの距離離れた的を狙い撃てれば射手としても優秀といえるだろうけど……」
いささか、弱い。ふたりが抱いた感想としてはそれが正しいだろうか。
今、仁が弦を引こうとしている弓は四尺ほどで、あまり大きい方ではない。確かにその大きさの弓でこの距離の的を射抜けられればその腕は確かなものであるが、言ってしまえばその程度の弓使いならどこにでもいるのだ。この場が、実質的には境井仁のお披露目だと悟っている2人からすれば拍子抜けとも取れる取り組みであった。
無論、全ての行動が反幕府派への牽制にするとは思ってはいないものの、境井仁といえば弓においても英雄であると綾華は知っていた。あれは脚色だったのだろうか、なんて考えてしまった時――。
時間が止まったような、そんな気がした。
これだけの人がいるにも関わらず、まるで夜の原のごとき静謐さ。実際にざわめきが止まった訳ではない。そう感じさせるほどの気配、殺気。
幻視すらもたらすその集中力を放ったのもまた、境井仁であった。
境井仁が一度大きく息を吸い、吐き出す。そしてまた大きく吸って――。
気づけば、的には矢が突き刺さっていた。
「え、え?」
目を離した訳でもないのに、知らぬ間に矢を放ち終えている。いや、たった数秒のうちに起きた出来事と信じられないその光景に混乱してしまったのか。
目を白黒させるトーマの横、綾華は驚きながらも冷静に見据えていた。
「……1秒に満たぬ間に矢を番え、放ち、中てる。それを5回過たずに繰り返す。もとより疑ってはいませんでしたが……なるほど、真に冥人であられるようです」
市女笠を傾かせ、覗き見えた眼光はまさに侍のそれであった。お忍びでの敵情視察とあってその装いも普段の袴と甲冑を合わせた姿とは異なりただの町娘のようであるが、その瞳を見れば武人と一目でわかるほどの鋭さ。
あれほどの絶技を持つ相手が敵に回ったのだと本当の意味で理解したからこその視線。そこには最早冥人への憧憬は映ってはいなかった。
綾華やトーマ、他この公開演習を覗き見る武人たちとは異なり、稲妻の民たちからすればそれらの弓術もただの見せ物にしか過ぎなかった。ああ、かの冥人とはかようでなくてはと、老若男女めいめいにその実在を信じさせるものであったのだ。
最初の御触れを端に発された冥人への懐疑も最早晴れつつある。実際に人々に囲まれ、己の一挙手一投足に歓声やざわめきが漏れることを確認した仁は、そう確信した。
はじめの訓練を弓としたのは意図あってのものだ。刀での打ち合いというのは素人目には分かりづらい要素も多くあり、演劇にあるような殺陣というのは分かりやすい部分を強く見せるからこそ迫力が生まれる。実際の剣の場も確かに迫力はあるだろうが、人々に実力を見せつけるという点ではあまり向かないと仁は判断した。単調な型の稽古などもそうである。
短弓から弦を外しながら仁はざっと侍たちを見回す。確かにこの場が実質的には仁のみのための場であるとはいえ公開演習の形を取っているのだ。彼らに教えねば意味もない。
他の稽古をする者たちを見て、それぞれも順調に励んでいる様子を見て仁は少し安堵した。このように見世物になってしまうことで緊張や平常を欠くこともあるのではと危惧していたが、杞憂に終わったらしい。
一度休憩でも取らせようかと思っていたがその必要も無さそうだと判断し、予定通りに今度は長弓を取り出す。仁の身柄ほどもある、大きく太い強弓である。
「そこもと、的を」
補佐役を走らせ、新たな的を置かせた。三十間ほど離れた場所に3つ並べ立てたそれらは、的もそこまで大きな物ではなくちょうど人の胴体くらいの大きさに見える。
それを見た観衆は期待にざわめき始めた。これほど離れたものを狙い穿つのか、いやいや伝承ではもっと離れた距離でも射殺している、それならこれくらいできるはずだ、そんな騒音。
人々の声を聞き取った仁は僅かに頬を緩め、しかし次の瞬間にはきりりと的を見据えた。
再度放たれる、武に関わりのある者なら誰でも気づけるほどの集中。矢を放とうとしているのだ。
側に置いてある矢筒から取り出したのは、その長弓に見合う拵えの長さの矢。それを――
「3本……?」
2本とって次矢とするなら分かるが、3本とは。弓に携わる者が疑問を覚えたのも束の間、それら全てを指に挟み、そのまま3本とも弓に番えてしまったのだ。
ざわめきは歓声へと変わった。見せてくれるのか、そう言わんばかりに。
そうして放った矢は、それぞれ違わず的中した。
快音を立てて倒れる的と同時にわっと歓声が上がり、仁は残心を解いた。その顔は少し満足げだ。
興奮する群衆とは打って変わり、それを見ていたひとりの在野の弓使いは白けた顔だ。3本、同時に放つなど自分でもできる。実用性に欠けた演舞としての矢だ、と。
彼は稲妻の生まれではなかった。大人になり、武者修行として稲妻を訪れ磨いた弓の腕は確かなもので、だからこそこのごろになって行く先々で聞く冥人とやらの技を見ようと思いここに来たのだ。
伝承とは誇張されるものかと、弓使いが少し落胆したその時。補佐役が新たに的を設置した。今度は3つ並べるのではなく、間隔をあけて置いたようだ。それぞれ支柱の高さも違う。
それらの的をまた、仁は的中させた。
次の的は大きさが小さいようだ。先ほどのものが人の胴体くらいなら、今度は人の頭くらいか。しかも支柱の高さは六尺ほど。ちょうど人の頭のある位置に的を置いている。
弓を引き分け、数秒溜める。その所作のあいだにも両腕はブレることはなかった。
そうしてまた、中てる。
ここまで見た弓使いは理解した、慄いた、敬服した。先ほどの思考を改めよう、これは演舞などではない。この距離の的を射抜く、それはつまりこの弓は実用に足ると言っているのだ。かの冥人は、これほどまでに現実離れをした技を持っているのだと。
同時撃ち。鹿神の加護を得る仁だからこそできる絶技。3本の矢で相手を寸分違わず狙い穿つ、仁の弓の到達点。
観衆の高揚を見て、己のお披露目はここまでで良いだろうと仁は判断した。あとは幕府軍の誠実な訓練への態度を示して、信用を得ることが大事だろう。長弓の構えを崩し、それまで仁の訓練を後ろから見ていた弓兵たちに指導を始めたようだ。
それを遠くから観察していた綾華たちは、冷静に、しかし興奮を抑えられずにいた。
「弓も一流であると知ってはいたけど……あそこまでなんて」
「ええ、話で聞くのとはまた違う……。想像するだけだった技を見られるなんて。あれほどの弓を持つ者が今この稲妻にどれほどいるでしょうか」
ひいては、反幕府に。もし乱戦となった際にあの弓の腕は危険にすぎる。対抗できる者がいなければいいように射抜かれ、死んでいくのみになってしまう。
また考え込む綾華に対して、トーマは心配げな顔で見つめていた。せっかく尊敬すべき偉人の技を見る機会が得られたのに、それを素直に喜ぶことのできない状況が憎く感じる。
邪魔をするのは申し訳ないが、それでも今は楽しむことを念頭に置くべきだ。対策や思案ならこの演習を見た後でもできよう。トーマは綾華にそう助言した。
「しかし……決戦ももう近いかもしれないのに」
「それでも。お嬢、冥人様のお話好きなんだろ?」
「……そうですね。せっかくの場です。落ち込んでは勿体ない」
力量を見定めるという目的は変わらない。しかし、少しでも楽しもうとする感情がその鋭い視線に含まれるようになった。
だいぶ長くなったので分けます
綾華ってトーマ相手に敬語でしたっけ?ゲーム見直しても綾華がトーマと話している場面が見つからなかったので教えていただけると幸いです
与太話ですが、仁さんと魈って相性よさそうですよね
ふたりともダークヒーローになることをわかっていて、それでも人のために行動し続ける心の強さがあるので
あと面をつけるという共通点があります。原神の元素爆発モーションの中で一番好きなのは魈ですし、ghost of tsushimaでは仁さんが境井家の面頬をつけるムービーが一番好きです 性癖ですね