アレクシアと偽恋人関係になってから二週間。僕の自由時間は減少したが、逆に言えばあとはアレクシアと付き合えた僕に対する生徒からの嫌がらせくらいだった。一番危惧していたゼノン先生は初日のように話しかけることはないが、僕やアレクシアに授業中は丁寧に指導してくれる。できる大人の対応である。
一方、そんなゼノン先生に対し、アレクシアはというと、
「全くむかつくわねあの男。少し剣が上手いからっていい気になって」
さすがに人前では猫を被って自重しているが、裏では罵詈雑言の嵐だ。反論してもあの男の肩を持つのかと僕にも飛び火するのが目に見えているので、アレクシアの言葉に頷くロボットに徹している。勿論、翌朝にはアレクシアの言ったことなんて綺麗さっぱり全部忘れている。
「うん」
「あの胡散臭い笑顔、ポチも見たでしょ」
「はい見ました」
今はここ最近の放課後の定番、普通のデートのように街中を散策して、少し遠回りして人気のない林道を使ってアレクシアを寮に送る最中だ。普通に歩けば十分程度なのに、ゼノン先生への愚痴を話し続けるため三十分は普通にかかる。ひどい時には星が見えるほど暗くなるまで愚痴を聞かされたこともある。童話ではないが、穴でも掘ってそこに愚痴ればいいのに。今日、とうとう我慢しきれなくなってアレクシアに尋ねた。
「ねぇ、ちょっといい?」
「何よ、ポチ」
「君がゼノン先生の何もかもが嫌いなのは理解したけど、そう言うのって基本的に相手の何かが嫌いだから結果的に相手の全てが嫌いになるってことが多いと思う。君がゼノン先生をそこまで嫌う根本的な理由は何?」
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつだ。相手が自分の嫌いな要素の塊であるのではなく、自分が嫌っているから相手に関連した何もかもが結果的に嫌いになる。少なくともアレクシアの嫌悪は、今のところゼノン先生の何かが気に入らないから、ゼノン先生の全てが嫌いになっているのだと思う。僕の質問に、アレクシアはお気に入りらしい切り株に腰掛けながら話す。
「私は人を上辺だけで判断しない。上辺なんていくらでも取り繕えるわ。私みたいに」
確かにアレクシアは僕とゼノン先生以外には猫をかぶっているから、人気が高い。
「なるほど、説得力のある言葉だ。でも、ならどこで人を判断するのさ」
「欠点よ」
アレクシアは表情を変えることなく平然と言った。
「なかなかネガティブな判断基準だ。君らしい」
「あら、ありがとう。ちなみに私、欠点ばかりでろくに美点のないあなたのこと嫌いじゃないわ」
「ありがとう、こんなに嬉しくないほめ言葉は初めてだ」
アレクシアは苦笑した。
「あなたは分かりやすいクズだから好感が持てるわ。だからこそあの男が嫌いなんだけど」
「ちなみに、イケメンで剣術指南役で現侯爵という地位も名誉も金もあって公私を弁えたいい人に見えるゼノン先生の欠点は?」
「私が見た限り欠点は無かった」
「やっぱり超優良物件じゃないの?」
「いいえ。欠点が無い人間なんていないのよ。もしいたとすれば、それは大嘘つきか頭がおかしいかのどちらかね」
そのアレクシアの言葉に不思議と納得する。どうしてだろうと考えると、七陰も腹黒・運動音痴・アホ・自尊心が高い・飽き性・倫理観欠如と欠点の持ち主だらけだからだ。アルファだけは欠点らしい欠点を知らないが、アルファが頭おかしいと思う心当たりがないので、僕には欠点を隠しているのだろう。
「なるほど、独断と偏見に満ちた回答をありがとう」
「どういたしまして、欠点まみれのポチ。今日の報酬よ、ほ〜ら取ってこ〜い」
アレクシアが金貨を放り投げ、僕がそれをダッシュでキャッチし、手を叩いて喜ぶアレクシアの下に帰る。
「よーしよし」
わしゃわしゃと頭を撫でられる。我慢だ、我慢するしかない。
「嫌がってる嫌がってる」
こいつの欠点を僕は一つ見つけた。こいつ、絶対にサディストだ。将来、この女に尻を敷かれるだろう男に今のうちに黙祷してやろう。
「顔に出てるわよ」
「出してるんだ」
「さて、帰りましょう」
「はいはい」
「ポチ、明日こそあいつのムカつく顔に木剣叩き込んでやるんだから見てなさいよ」
「それって、本気で言ってるの? いや、本気で木剣を叩き込みたがってるのはわかるけど」
「どう言う意味よ」
口を滑らせたかと思ったが、口に出した以上は撤回する術はない。そのまま言うしかない。
「確かにまだゼノン先生の方がアレクシアより強い。でも君が訓練の時みたいに万全なら、もう顔に木剣を叩き込むことができていると思うんだけど?」
いざ実戦形式でゼノン先生と立ち会うと、アレクシアの剣術に澱みが生まれているのだ。力と智(駆け引き・騙し合い)は十分、だが技と勇気に翳りが生まれる。あれでは、自分より格上を倒すのは難しいだろう。
「……私には才能がない。生まれつき魔力は多かったし、努力もしてきたつもりよ。私自身そこそこ強いとも思ってる。それでも、本物の天才には絶対に勝てない」
「努力しても追いつけない才能の壁か、残酷だね」
「私はずっとアイリス姉様と比べられてきた。周囲の期待もあったし、何より私自身がアイリス姉様を尊敬し、追い付きたいと思っていた。だけど、私はアイリス姉様と同じようには出来なかったのよ。何もかも、最初から持っているものが違ったの。だから私は私なりに考えて強くなろうとした。その結果私の剣が何て呼ばれているか知ってるでしょう」
アレクシアの剣を評する時、必ずと言っていいほど出てくる言葉がある。
「凡人の剣、だね」
「そうよ。ちなみにあなたも私と同じ凡人の剣。残念だったわね」
アレクシアは片頬で笑った。才能ある側への憎悪や怒り、そして積み上げてきた剣が無価値と評される恐れが彼女の剣を鈍らせているのだなと悟った。
「残念とは思わないよ。僕は自分の剣に自信を持ってる。そして僕と同じ君の剣も好きだ」
「……っ!」
アレクシアは僕の言葉に一瞬息を止めて、睨み付けた。
「かつて、同じ言葉を言われたわ。ブシン祭の舞台で無様に負けた私に、アイリス姉様が『私、アレクシアの剣が好きよ』って」
敗北の中、気休めにしか思えなかった言葉を、怒りと憎悪に唇を歪めて声真似をするアレクシア。アイリス王女がどんな心境だったのかその場にいなかった僕にはわからないが、口下手がすぎるなと思った。
「あの人に私の気持ちなんて分からないでしょうね。あの時私がどれほど惨めだったか。私はあの日からずっと、自分の剣が大嫌いよ」
己を自嘲するように、悲しみのあまり一周まわっておかしくなったように、アレクシアは暗い笑みを浮かべる。僕はそれを見てアレクシアに声をかけなければと思った。それが自嘲し続ける彼女への哀れみだったのか、彼女と同じように努力し続けてそれが報われる機会なく死んだ前世の自分と重なったのか、今も未来も僕はわからないだろう。
「僕は適当な人間でね。世界の裏側で不幸な事件が起きて、百万人死んでもわりとどうでもいい」
「……最低のクズね」
「同じように、アレクシアが乱心して無差別通り魔殺人犯になってもわりとどうでもいい」
「乱心したら真っ先にあなたを斬ることにするわ」
アレクシアの切り返しに口だけ怖い怖いと言いながら、表情を真面目にして言う。
「けどどうでもよくないこともある。それは他の人にとってはくだらないものかもしれないけれど、僕の人生において何よりも大切なものだった。僕は僕にとって大切なそれを守りながら生きてきた。僕の剣も僕のどうでもよくない、大切なそれを守るために培ったものだ。だから、僕と同じな、君が嫌いだと思う君の剣が僕は好きだ。そして自分の剣を嫌う君は、僕の好きなものを嫌っているから不愉快に思う。嫌いなのに、諦めることなくしがみついているだけ尚更にね」
そんなに姉と比べられるのが嫌なら、周囲の評価に押しつぶされるなら剣は嗜み程度として諦めればいい。凡人の剣と揶揄されたって所詮、王族として最低限振るえればそれでいいと思えばいい。今からでもそれまでの努力を捨て政治や経済、とにかく魔剣士として大成している姉と違う道を進めば、姉と比べられることも減るだろう。
なのにアレクシアはそれを選んでいない。姉に自分の剣を好きだと言われてからずっと自分の剣を嫌っていたのに、それでも剣を振るっている。僕を自分の早朝稽古につき合わせ、授業でも誰よりも鍛錬の目的を見据えて行なっている。それが長年努力し続けたものを捨てられない惰性なのか、それとも……。
ふと気がつくとアレクシアは立ち上がり、剣を僕に突きつけていた。
「その言葉に何の意味があるの?」
「何もないよ。ただ、自分が思ったことを口にしただけ。強いて言うなら、さっきも言ったように自分が好きなものが嫌われるのは不愉快だって気持ち」
「……そう」
アレクシアは僕の目を見て剣をしまい、寮へ向かって踵を返して歩いていく。
「今日は一人で帰る。……さようなら」
これで振られる……かどうかはまだゼノン先生との婚約話が片付いてないからわからないな。明日からアレクシアは僕にどう接するのかだけ気にしながら、人気がないのを確認して魔力を使い一直線に寮に帰った。
そして翌日。今朝は珍しくアレクシアの早朝練習に付き合わされなかったし、何なら昼食時の今までアレクシアの姿を見ていない。クラスが別だから当然だが。
「こうやって3人で食べるのも久しぶりですねぇ」
「こいつ毎日王女と食べてたからな」
「仕方ないだろ」
久しぶりに裏切り者のヒョロとジャガと学食を食べている。
「シド君、いい加減機嫌直して下さいよ。たしかに、罰ゲームのことをバラしたのは悪かったです」
「そうだぞ、男が細かいことでいつまでも根に持つんじゃねーよ」
「貧乏貴族向け日替わり定食980ゼニー奢ったじゃないですかぁ」
「そうだぞ、奢ってもらってんだから全部水に流せ」
「わかってるって」
僕は大きめの溜め息を吐いた。正直980ゼニーの一食では罰ゲームの裏事情を暴露され弱みを握られたことには釣り合わない気がするが、アレクシアからもらった二十枚くらいの金貨を考えると、辞める権利がない無期限の高額アルバイトを紹介された気がするので許してやることにした。
「よーし、それでこそ男だ」
「シド君ありがとうです」
「はいはい」
「それで……」
「実際どこまでいったんだよ?」
「なにが?」
「だーかーらっっ、アレクシア王女とアレだよアレ。2週間付き合ったんだから、ちょっとぐらいあるだろうアレが!!」
「うんうん」
アレが連呼される、とてつもなく頭の悪い会話だ。
「何もないよ、あるわけないだろ」
「かーッ、どうしようもないヘタレだな。俺だったらもう最後までやってるぜ」
「ですねぇ。自分でもチューまでは確実に……。いやもう少し先のソフトタッチ、セミハァァアドタァァッチまでは……」
「だからそういう関係じゃないって」
弱みを握られ明らかに釣り合わない婚約者候補の当て馬になり、投げられた金貨を犬のように追って拾ってくる関係だ。……あとジャガの気色悪い妄想を聞いて、頭で逆立ちしながら「猊下」と叫ぶ一頭身のピエロが脳裏に浮かんだのは何故だろうか。
「あと二人とも、王女様の純潔なんて奪ったら、それがどこであっても厳罰になるかもしれないってわかっている?」
この中世の世界で王族に手を出すと言うことはそう言うことだ。たとえアレクシアの方から誘われたとしても、手を出せば最悪こっちが一族郎党を巻き込んで極刑になる。身分差や権力で善も悪も裏返る、中世の暗黒面である。アレクシアとの妄想に溺れる二人をほっといて食事を進めていると、
「少しいいかな」
「ん……?」
金髪イケメンのゼノン先生が現れた。
「え、あっ!」
「はい、どうぞどうぞ!」
そう言って僕の背後に隠れながら、二人は置物になった。
「僕に何か?」
一応アレクシアがいない間に何か仕掛けてくるか警戒する。大勢の生徒という観衆のど真ん中でそんなことをするとは思えないが。
「もう聞いているかもしれないが、アレクシア王女が昨日から寮に戻っていない」
「ん……?」
もちろん初耳だし、失踪先に心当たりもない、だが彼女も思春期だ、感情のままにフラッと行方をくらますこともあるかもしれない。昨日の別れ際に、あんなこともあったことだし。
「今朝から捜索したところ、これが見つかった」
そう言ってゼノン先生が取り出したのは、アレクシアの物らしい片方のローファー。
「付近には争った形跡もある。騎士団は誘拐事件と見て捜査を始めた」
「本当ですか……!」
僕は驚愕と悲痛の入り混じった表情と声を作りながら、内心では「日頃の行いのせいだ、ざまぁ!!」と喝采する。
「捜査の結果、最後に接触した君が最有力の容疑者として浮かび上がった。騎士団も君に話を聞かせてもらいたいそうだ。協力してくれるね?」
僕は目の前にいる王国剣術指南役のゼノン先生を見て、ふと周囲を見渡せば食堂の入り口や周囲を固める殺気だった騎士団の皆様を見つける。僕は悟った。あっ、詰んだわ、と。
そして僕は基礎団の留置所で尋問、いや拷問を受けていた。
「オラァ! まだ足りんのかァ!」
「お前しか考えられないんだよ、犯人は」
「もう一度聞く。アレクシア王女をどこに隠した?」
漫画や小説から出てきたのかと思うほどテンプレートな悪役騎士が、僕をボコボコにして尋問する。もっとも肉体的な痛みは魔力で痛覚神経を鈍化すればいいし、自力でも耐えられる。こいつら、なんてモブな悪役騎士なんだと感心する余裕がある。
「何とか言ったらどうなんだ? 黙っていても、なんにも解決しないぜぇ」
「早く吐いてラクになっちまえよ。おおん?」
「だから、僕は知りません。林道の途中で……アレクシア王女と、わ、別れてから、……それっきりでした」
彼らのモブっぽい尋問に答えるため、僕も何の役にも立たない、知っていることだけを返す。機会があったら、こいつらを死なせてくれと懇願するほど報復してやろうと誓いながら。
そもそもこの拷問は茶番に過ぎないのだ、僕にとっても、こいつらにとっても。何故僕がそう思うかというと、こいつらの顔に焦りがないのだ。あるのは僕と言う弱者を一方的に嬲ることによる嗜虐心と愉悦感だけ。それで僕にはこの拷問はやらなくてもいいことなのだとわかる。
もしアメリカ大統領やローマ教皇が失踪して、自分がその捜査をすると仮定する。その時、最初は事件を解決した時の名声や報酬に目が眩むかもしれない。だが時間経過につれて事件が解決しなかった時の不安が膨れ上がるはずだ。被害者の生存率の低下、上司や大衆からの評価、国によっては自分の生死すら怪しくなる。
この世界でもそれは同じだ。物証がなく状況証拠だけで僕をここまで拷問するなら、こいつらは焦っていないといけないのだ。国王を筆頭にお偉いさんの心象は時間が経つほど悪化するし、行方不明になったアレクシアの生存率も低下する。なのにこいつらは焦りがない。そうなると二つの考えができる。
一つはもうアレクシア誘拐事件は手がかりが皆無で迷宮入り確定なので、容疑者筆頭の僕に全部の責任をなすりつけるために拷問中の事故と言う形で殺害、被疑者が死亡で手がかりが無くなったので仕方なく迷宮入りという主張で押し通す。
被疑者が事故で死亡したとしても王女誘拐事件の捜査が打ち切られるとも思わないし、僕の死亡によって迷宮入りしたとしてもその責任がこいつらに向かない保証はない。だが追い詰められた馬鹿は予想外の事を平気でする危うさがある。可能性は低いがそういう展開もありうる。
もう一つはこいつらがアレクシア誘拐の共犯だということだ。こいつらが共犯なら解決する方がどんな形にしろ不利益になるのだから、拷問で情報を聞き出す必要がない。仮に有益な情報を得ても、自分たちで処分するだろうしな。
ただアレクシア誘拐が未解決となればよくてこいつらは解雇、下手すると僕以外の生贄として責任を取らされ処刑されるかもしれない。こいつらはその場合、どうやって責任を回避するのか。……もしかすると黒幕にとってこいつらも生贄に過ぎず、僕だけで事件を処理できなかったらこいつらを口封じを兼ねて責任を負わせて殺すつもりなのかもしれない。
まあ、無駄に僕を拷問している奴の今後なんて気にしてやっても仕方ない。
「苦痛にもバリエーションをつけてやらないとな。ククク……」
三下のチンピラが浮かべそうな笑みを浮かべ、騎士団員の一人が三本のピックを僕の太腿に突き刺した。
「う、うああああああああ。ど、どうか、命だけはぁぁぁぁぁああああ」
いつまでこの茶番に付き合わされるのか、それが僕の今一番の問題だ。