「我が名はシャドウ。陰に潜み、陰を狩る者……」
漆黒のボディスーツとロングコートを纏った男がいた。顔は深く被ったフードの影に隠れ 、口元と奥に爛々と輝く赤い瞳しか見えない。その声は深く、低く、深淵から発せられたようだった。
「漆黒を纏いし者……。なるほど、君が近ごろ教団に噛み付いてくる野良犬か」
ゼノンが鋭い眼光で漆黒の男を睨む。
「小規模拠点を幾つか潰していい気になっているようだが、君たちが潰した拠点に教団の主力は1人もいない。ただ雑魚を狙っているだけの卑怯者だ」
シャドウと名乗った男はどうやらゼノンと敵対しているようだった。それはアレクシアにとって朗報だ。しかし、この男が味方だとも思えない。
「何時何処で、誰を狩ろうと同じことだ。同じ狩られる運命にある以上、その順に意味はない」
「残念だが同じにはならない。教団の主力はここにいる。今日、私の手によって君こそ狩られる運命にある」
ゼノンがシャドウに剣を向けた。
「次期ラウンズ第12席ゼノン・グリフィ。君の命、ラウンズへの手柄とさせてもらおう」
その言葉と同時に、疾風の突きをシャドウと名乗る男に放つ。だが、
「なっ……!?」
その突きは虚空を貫き、同時にシャドウは自分の側に腕を組んで立っていた。そしてシャドウはゼノンに注意を向けながら、無言で何かを探すように周囲を見渡す。
「それで……教団の主力とやらは何処だ」
お前程度が教団の主力なわけがないだろう。そう遠回しに告げられた言葉にゼノンの顔が屈辱に歪む。再び間合いを詰め、剣を薙ぎ払う。だが、
「バカなッ……!」
シャドウはいつの間にか抜かれた漆黒の刀で、ゼノンの剣を容易く受け止めていた。誰よりもゼノン自身が驚いていた。何時剣を抜いたかではなく、その剣から伝わる相手の力量に。自分の打ち込みがまるで水飛沫のようにシャドウの剣を小揺るぎもさせなかった。
「な、なるほど、少し見くびっていたようだ。さすが、小規模とはいえ幾つもの拠点を壊滅させただけはある」
そして今度は油断なくシャドウを見据え魔力を高める。高まった魔力が大気を震わせた。先ほどアレクシアの剣を砕いた一撃以上の高まり。
シャドウは確かに規格外の実力者だが、ゼノンもまた尋常ではない実力者なのだ。幼い頃から神童と騒がれ、数多の大会で優勝し、剣術指南役にまで登りつめた男だ。この国でゼノン・グリフィの名を知らぬ剣士などいないのだ。
「見せてあげよう。これが、次期ラウンズの力だ」
その言葉と共に放たれた斬撃は、起動が遅れて白い光として目に映る。目にも留まらぬという形容がふさわしいその斬撃は、
「鈍い剣だ……」
漆黒の剣に、容易く受け止められた。速さが足りないなら、今度は力とゼノンは鍔迫り合いで押し勝とうとする。
そして、魔力の圧に押されシャドウが軽く吹き飛ばされた。それを好機と見たゼノンはそのまま力でシャドウをねじ伏せようとする。だが次の鍔迫り合いの最中、シャドウが剣を受け流し、その結果生まれた僅かな隙をつきゼノンの顔を片手でぶん殴った。
ゼノンは壁に叩きつけられる寸前で、かろうじて受け身を取って剣を構え直す。だがその表情からは動揺が隠せないでいた。速さは通じず、力は受け流される。総ての動きが封じられたような、そんな錯覚にゼノンは動けずにいた。
「来ないのか、次期ラウンズ?」
「ッ……!」
だがシャドウの問いかけにゼノンの表情が憤怒に染まった。敵への怒り、そして何よりも自身への怒りに。
「舐めるなァァァァァァァアッ!!」
絶叫と共に剣が幾度となく振られる。疾風の速さで、烈火のごとき蓮撃。だが、しかし、その全てが通じない。まるで闇雲に剣を振り回す子供の相手をするように、シャドウの剣はゼノンの剣を受け止める。
外からこそアレクシアは二人の戦いを客観的に見ることができた。
今までゼノンがこのような姿を曝すことがあったと記憶を振り返り、刹那になかったと自答する。余裕の笑みも人格者の仮面も脱ぎ捨てて、それでも尚まるで届いていない。アレクシアの知る最強の存在は姉のアイリスだった。その姉ですら、今のゼノンを相手にこれほど圧倒出来るとは思えなかった。
そしてアレクシアはその漆黒の剣が、自分と同じ『凡人の剣』だと気づく。アレクシアの剣の遥か先を行く、されどアレクシアが自身の剣に思い描く完成形。それが現実となり、自身を一蹴したゼノンを圧倒している。ゼノンでもシャドウでも、両者の剣戟でもなく、シャドウが振るう漆黒の剣のみに魅入られ、目が離せない。
今目の前で、ただ基本の積み重ねによって辿り着ける持たざる者の剣が、ゼノン・グリフィという天才を圧倒していた。
『私、アレクシアの剣が好きよ』
ブシン祭の舞台で無様に負けた後、自分をより惨めにし、自分の剣が嫌いになる決定打となった姉のあの言葉。あの言葉の真意を理解し、アレクシアは時を超えて姉の思いに共感していた。
「ガッ……く、クソッ……!」
ふと現実に戻ると、もう何度目かわからない、シャドウの剣戟の隙を突いた斬撃がゼノンを切り裂いた。ゼノンは致命傷こそ無いものの全身ボロボロで、息も乱れている。それに対し対しシャドウは無傷で息一つ乱れていなかった。この現実を受け入れられない憤怒の瞳で、ゼノンはシャドウを睨む。
「き、貴様、いったい何者だ……! それだけの強さがありながらなぜ正体を隠す!」
ゼノンもアレクシアもシャドウの剣を、存在を知らなかった。一目見れば忘れない剣も、世界でも上位に位置するその埒外の強さを二人は知らなかった。
「名乗らなかったか? ……我が名はシャドウ。陰に潜み、陰を狩る者。貴様ら『ディアボロス教団』を狩る、ただそれだけの為に我らは存在する……」
「! 正気か貴様ッ……!」
『ディアボロス教団』。その言葉にゼノンは強く反応したのをアレクシアは見た。自身の血、魔人、教団。キーワードがいくつもあったが、アレクシアは今まで全ての知識を総動員しても何もわからなかった。彼らの目的も戦う動機も、何もかも。狂人の戯言のようで、されどもし世界の裏側で起こりつつある何かの予兆なのではとアレクシアの勘が訴える。
「いいだろう。貴様が本気だと言うのなら、私もそれに応えようじゃないか」
ゼノンはそう言って懐から赤い錠剤を取り出した。
「……お前たちはその薬に頼ってばかりだな。借り物の力に縋るのは弱者の証だと何故わからん」
「他の雑魚どもと一緒にするな。飲めば人は人を超えた覚醒者となるが、常人ではその力を扱いきれず、やがて自滅し死に至るこの錠剤。だがラウンズは違う。その圧倒的な力を制御できる選ばれし者だけが、ラウンズになる権利を得るのだ」
ゼノンはそう言うと錠剤を一気に飲み込んだ。魔力が暴風となって吹き荒れ、一瞬にしてゼノンの傷が治っていく。筋肉は膨れあがり、瞳は充血し、毛細血管が浮き出て、押し潰されそうな圧倒的なまでの力の重圧を纏う。
「覚醒者3rd、最強の力を見せてやろう」
その刀身から溢れる魔力だけで、周囲が破壊されていく。その荒々しい力は姉のアイリスさえ超え、世界最強に嘘偽りないとアレクシアを萎縮し絶望させただろう。……シャドウの剣を見るまでは。
「「醜い(な)……」」
奇しくもアレクシアの声はシャドウと全く同時に放たれた。
「醜いだと……?」
自身の力に臆す様子がない二人に、苛立ちながらゼノンが問う。
「醜い……と言ったのだ。その程度で最強を騙るな。それは最強という至高への冒涜だ」
「貴様ッ」
「借り物の力で最強に至る道はない」
嵐の如き猛攻を放つゼノンを、シャドウは的確に捌いていく。時に受け止め、時にいなす。ゼノンの膨れ上がった力も、シャドウには何の痛手になっていない。それどころか先ほど以上に、シャドウの反撃が苛烈になっていく。時に拳で、脚で、剣で、ゼノンの迎撃をものともせずに一方的に蹂躙する。そして、
「遊びは終わりだ」
この場で初めて、今までほとんど使っていなかったシャドウの魔力が高まった。あまりに緻密すぎて、その存在を知覚できない魔力。そのシャドウの魔力が無数の青紫の線として具現した。稲妻のように、血管のように、シャドウとその周囲の空間を取り巻き、美しき光の紋様を描いていた。
「綺麗……」
アレクシアは思わず光景に見惚れた。ただ光の美しさにではなく、その緻密に練られた魔力の美しさに見惚れ、憧れた。
「何だ、これは……! これは、魔力なのか!? だが、こんな……個人の魔力でこんな……!」
ゼノンもまた、衝撃を受けていた。魔力の密度を高め、可視化する。ある程度の力量の魔剣士にとって、シャドウや己ならできて当然の技術。だが未だかつて、魔力をこのような形態にした者などいなかった。
「真の最強の一端を……その身に刻め」
漆黒の刃に魔力が集い、螺旋の紋様を刻みながら力を集約させていく。
「くッ、この化け物がぁぁぁぁぁ!!!」
ゼノンが今までで最大の魔力を刀身に纏わせ、シャドウを魔力ごと薙ぎ払おうとする。だがシャドウに触れた瞬間、魔力は剣ごと消し飛んでしまった。覚醒した自分の最大の力が、シャドウの無造作に纏う魔力に負けた。そのことに恐怖したゼノンは無意識にシャドウから距離を取り、膝を落とす。
「これが我が最強の一端」
それはこの場ではシャドウ以外知るはずもないが、嘗て『霧の龍』に痛手を与えた刺突。時を得て肉体が成熟した今、その余波のみで森羅万象に『最強』の高みを示し、鳴動させる一撃。
「『フォトン・レイ』」
『それ』が放たれ、音が置き去りにされた。光の奔流は絶望するゼノンを呑み込み、その先の全てを地盤ごと蹂躙していく。地盤は地上の構造物ごと掘り起こされ、実に王都最大の大通り一つ分の面積が消滅した。王都とその空をしばらく青紫の輝きが満たし、……やがて爆音と爆風が王都の天地全てに吹き荒れる。
その軌跡には何も残らず、ただ月と星が夜空に輝くのみ。ゼノンも、地盤も、跡形も残らず蒸発した。そしていつの間にかシャドウも影すら残さず消えていた。
あの後、私は騎士団と協力する形で私を捜索していたアイリス姉様に発見され、自分が目撃・体験した全てを、国王であるお父様やお姉さま、騎士団や大臣たちなどに何度も説明させられた。そして私はあの事件の経緯を聞いて弱みを握ってゼノンへの当て馬をやらせた彼が事件の最有力容疑者として騎士団から拷問の取り調べを受けたことを知った。
そしてようやく解放され、学園に通えるようになったその日の昼、私は彼、ポチことシド・カゲノーを屋上に呼び出した。
「裏のありそうな事件だけど、表面上は解決ということになったわ。でも姉様は専門の調査部隊を立ち上げる準備をしているし、私も協力するつもりだからまだこれからね」
私が言った。
「ほどほどにね」
彼が言った。
「というわけであなたの容疑は晴れたわ。迷惑かけたわね」
「それはいいんだけどさ、クソ暑いから中に入らない?」
今日は天気が良く、初夏だと言うのに真昼並みの太陽が燦々と照りつけてくる。 私たちの足から濃い影が伸びて、遠くからはもう夏虫の声が聞こえてくる。
「待って。その、二つ、言っておきたい事があって」
「ここで?」
「ここで」
彼は「こんな暑いところで?」と私の正気を疑うような視線を向ける。私は目を細めて、青い空を見上げた。
「まず、一応感謝の言葉を言っておこうと思って。前に、私の剣が好きって言ってくれたでしょ。遅くなったけど、ありがとう」
「いいよ、あれは君のためっていうより、僕自身のために言ったんだから」
「ようやく自分の剣が好きになれたの。あなたのおかげじゃないけれど」
「一言余計だとは思わない?」
「事実だから」
彼の嫌そうな視線と、そんな彼を楽しげに笑う私の視線がぶつかった。先に視線を外したのは彼だった。
「まぁでも、君が自分の一部を好きになれたんならよかったと思うよ」
「そうね、よかったわ」
私は久しぶりに心から微笑んだ。
「それで二つ目は?」
「その……、これまで私たち付き合っているふりをしてきた訳だけど、今回の事件でゼノンが死んでくれた訳だから……」
「僕はようやくお役御免になれるの?」
「そこで一つ提案なんだけれど」
私はどこか告白のような状況に、言い辛くなり言葉を探す。
「もし、あなたさえ良ければ……」
思わず瞳が周囲をキョロキョロする。
「もう少しこの関係を続けてみないかなって」
少しだけ、小さな声で私は言った。
暫くお互いに固まり、やがて彼は爽やかに微笑んだ。
「謹んで、お断りします!!」
左手は中指を突き立て、右手は握り親指のみを立てて下に向け、彼は言った。
私はにこやかに微笑んだまま、護身用に持っていた剣をスラリと抜いた。後になって謝らないと、と思ったが後悔だけはなかった。
夕方、たまたまそこを訪れた生徒は大量の血痕を発見し、腰を抜かす羽目になった。しかし多量の血が流れているにもかかわらず、遺体は付近に見当たらなかった。生徒や学園関係者を調べても、被害者はおろか重傷者や行方不明者は存在せず事件は迷宮入りとなる。
後に、この事件は『死体のない殺人事件』として学園七不思議になった、と小耳に挟んだ。
そして、
「ほう、そのような人斬りが現れたと?」
僕のところに事件の顛末とシャドウガーデンの諸々を報告に来たベータの、最後の内容とともに差し出された一枚のビラを見た。そのビラは血塗れで、『シャドウガーデンが死の裁きを!』と書かれていた。