ヘイルはその後、すっかり眠りこけたサクラを担いで、布団に寝かせた。その体重はとても軽く、ヘイルは驚いた。
そして引き止めるモミジの言葉もやんわりと断って宿を探した。その間中も、心の中の小さなしこりは消えてくれない。
それでもヘイルも疲れていた。その日は宿を見つけると、ベッドで寝転がっているうちにいつの間にか深い眠りに落ちていた。
――そして、次の日は何もせずすごした。
宿で出る飯を食い、宿で出る温泉に入る。ヘイルはここで初めてユクモ村の温泉に入ったわけだ。ヘイルは自分でも風呂に入らなさ過ぎだろ、と思った。しかしそれも今日で最後にしようとも誓った。……それだけお気に入りになったのだ。
そして、本当にハンターなのかわからない過ごし方で一日を浪費し、早くに寝て、次の日も平和におきようと思った。
しかしそんなことになるはずは無かった。
「――て……さい。……きてください。……起きろ」
ごす、っと何かがヘイルの腹に叩き落された。
「がはッ……、おま……」
寝ぼけていたヘイルはよくわからなかったが、それはサクラの拳だった。なかなかの威力で入ったそれは、幾分かの怒りも込められているように感じる。
ヘイルは目をこすりながらも、何事か聞く。
「……なんでサクラがこんなところにいるんだ」
「私とここの宿の店主は知り合いです」
それで全て察したヘイルがため息をつく。
「……で、なんだってんだ」
「なんだもかんだも無いです。今日、クエストに出かけるんでしょうが。何ちんたら寝てるんですか」
「あれ、……そうだっけ?」
「三日休息取るって言ったじゃないですか」
だとしたら一日早いんですが、とはヘイルは言えなかった。
「もう準備は出来ています。後はあなただけですよ、行きましょう」
そういうサクラに引きずられ、ヘイルは宿を後にした。そしてこんな理不尽に慣れてきている自分にも戸惑った。
◇
そうして二人は、預けていた武器や防具を返却してもらい、集会浴場へ向かった。
早朝だと言うのに、大勢のハンターで賑わっており、ヘイルもその様子に目が覚める。
そして、予定通りボルボロスという大型モンスターの狩猟クエストを受注すると、後は出発の時間である正午まで暇を潰すだけだった。といっても道具などの用意でほぼ潰れることになる。
少し残った時間でヘイルは風呂に入ろうと考えた。
不慣れな感じで、番台の派手な格好をしたアイルーにタオルを借り、ユクモ支部のギルド真横の浴場に入った。注意書きで、タオルは巻いて入ること、と書いてある。何故だかわからないがヘイルは指示に従って、腰にタオルを巻き入った。
昼前の微妙な時間だからか人も少なく、おもいっきり足を伸ばしている。――確かに、この気持ちよさを感じて狩りに出かければ調子よくなりそうだ、などとヘイルは考えながら風呂につかっていた。
そしてその人影を見た瞬間、ヘイルは世界が終わったのかと思った。
「な、なな、何でお前……お前入ってきてんだよ!!」
「は? 何言ってるんですか? 意味わかりません」
サクラだった。バスタオル一枚身体に巻きつけただけだ。それを手で押さえながら湯船に入ってくる。
――女性として完成されていない、華奢な体格だ。胸も小さく、幼い印象を与えてくる。ここ、ユクモの女性はこういったすらっとした体型の人が多い。背も小さく、細いそのしなやかな身体は、どうしてか美しい。
しかしその幸せな景観を目の前にして、ヘイルは恐ろしくてそちらには目も向けられなかった。
「ここは混浴ですよ。無知と言うものは恐ろしいですね」
そういって隣に座る。
そのときに――屈んだときに少しお尻がこっちに突き出したようになって、何かちらりと見えなかったわけでも無かったりもしたりしたかもしれない。ヘイルは心の中で悲鳴をあげる――丈が短すぎだろ!! ……女性に対してヘイルはかなり耐性が低かった。
そんなサクラに恐々としながらヘイルは言う。
「……そういう問題じゃなくて、そんな簡単に肌を見せていいのかよ」
「そう言われても……。今はいませんが、多いときは女性ハンターだってたくさん入ってきますよ。ここではそれが普通になってますし……」
でもそう言われたら、とサクラがほんのり頬を朱に染める。それはお湯が温かいからだろうか。
「あ、あんまり見ないでください……」
サクラはにじりにじり、とヘイルから少し逃げた。
どうしろってんだ、ヘイルは心の中で呟く。でもじろじろ見るつもりが無いのは最初から確かだった。
その気まずい空気をどうにかしようと、ヘイルは頑張ってみることにした。
「……あー、しかしここの風呂はきもちいいな。こんな温泉なんて見たことも無かったし、入ったことも無かったよ」
「へえ、そうなんですか。ユクモは盛んだって知ってましたが……。他の村とかでは存在すらも無いのですか?」
「そうだな、俺のいたところはそんなもの無かったな。元々山村で、しかもかなり寒い雪国だったから、風呂自体あまり入らなくてすんだ」
だからこういうのは新鮮でいいよ、とヘイルは続けた。
それにはサクラも興味が湧いたようだ。ちょっと身を乗り出して聞く。
「へぇー、雪国ですか。ヘイルさんの故郷って、ちょっと興味あります。お話聞かせてください」
そのサクラの言葉に、ヘイルは少し黙り込んだ。そして、気まずそうに言う。
「……あぁ、……まあ、そのうちな」
「その、お聞きしてはまずかったですか……?」
大雑把に見えて、他人の感情の機微は敏感に感じ取れるサクラに、ヘイルは内心感心する。それでもここでは聞き返されたくなかった。
「いや、そうでもないが……また次の機会にしよう。俺は先に入ってたからもう出ることにするよ。……のぼせそうだ」
ごゆっくり、とヘイルは言って、サクラの視界から消えた。サクラはその背中を、目で追うことしかできなかった。
◇
砂原、という土地はユクモから少し遠い。かといってかなり遠いわけでもないから、飛行艇で向かうにはコストが高くかかる。なので、三日ほどかけて、ネコタクを乗り継いで向かうことになる。
現地の村で少し準備をして、更に移動してやっと目的地に着いた。ヘイルはそんな長距離の移動も慣れているが、サクラのほうは来るだけで既に疲れが見え始めていた。
「大丈夫かサクラ」
「ええ、……大丈夫です」
風が少し強い。ばたばた、とヘイルの黒いコートがなびく。
やはり、かなり劣悪な環境だ――ヘイルは心で舌打ちを打つ。キャンプ作りも手が掛かりそうで、始める前からげんなりとしてしまう。
「例の"予習"では、ボルボロスは沼地に好き好んで生息するようです。早速向かいましょう」
それでもサクラはそんな素振りも見せず、地図を片手に強い眼差しをヘイルに向ける。
……少し、気張りすぎだ。ヘイルはそう思うが、口には出さなかった。
そして、一日目にしてターゲットを見つけられたのは幸いだった。
今回も、ヘイルとサクラで二人で戦っていたので、危ないながらもそこそこ楽には戦えた。――しかし、相手の体力が高い。
居心地のいい小さい洞窟を見つけ、そこでキャンプを張った。そして今のところそこに三日寝泊りすることになっていた。
そして四日目、ヘイルはペイントボールの匂いを嗅ぐが、風が強い。
しかし、いるのはあの沼地だろう。そう考えて、サクラに声をかける。
「サクラ、大丈夫か」
サクラはかなりの疲れが見えていた。初めてではないにしろ、二回目の大型モンスターとの戦闘だ。緊張でぶっ倒れてもおかしくないと言うのに、サクラは以前と変わらず毅然に振舞っている。
その様子をヘイルは見ながら、最悪自分だけで……、と考えたところだった。
「――大丈夫ですから、私も戦わせてください……」
その一言にヘイルはどきり、とする。
「もっと戦って、強くならなくては。――"あれ"はこの程度の強さではありませんでした」
そう誰に言うでもなく、自分に言い聞かせるように呟くサクラ。それにヘイルは心を痛めながらも、サクラに言い聞かせるように言った。
「あんまり考えすぎもよくない。身が持たないぜ」
「……はい。でも、私の手で"あれ"を殺すためには、もっと力が必要なのです……」
◇
ボルボロスは既にずたずたになっていた。三日間、ヘイルとサクラが追い詰めているせいだろう、疲れも見える。
しかしこちらの二人も同じだ。大怪我は無くとも、打ち身や擦過傷など、細かい怪我が目立つ。肉体的な疲労だって、ヘイルはそうでもないが、サクラはピークに近い。
――だが、ハンターならばこういうことにも慣れないといけない。
サクラは心の中で自分に言い聞かせる。――そして、ヘイルを見る。
見上げれば、ボルボロスに殺気の篭った視線を送っている。こっちまで冷や汗が出るくらいの恐ろしさだ。何故だかわからないが、日数が増えるたびにこの目の強烈さも増してきているように、サクラは思える。
獲物を前にした鷹のような、冷たい殺気を横目で盗み見る。
――妙だ。サクラはそう思う。
最初は、ニヒルを気取った偽善者かと思っていた。しかし竜を前にすると、恐ろしい竜殺しとして戦場を駆ける。そして、優しく心遣いが出来る一面も持っている。
こう付き合っていても、ヘイルの人間性といったものが、欠片として見えてこない。――つかみ所が無い。
どれが本当のヘイルなんだろうかと、サクラは考える。
しかし、答えは出ない。
――何か、ヘイル自身、自らの立ち位置を模索しているような……。
「サクラ、行くぞ」
そのヘイルの声に、はっ、と状況を思い出す。深く考えている暇は無い、と思ったようだ。サクラは素早く背負ったガンランスを展開する。
――そして、戦闘が始まる。
その大きな岩の塊のような頭殻を武器に、ボルボロスは突進してくる。
周りの風景に溶け込むような薄茶色の身体に、汚泥を塗りたくっている。その汚泥は防御に、ときに攻撃に使われる厄介なものだ。
その巨体を、二人は右に左に大きく散開し避ける。
そして、各自行動を起こし始める。
――二人とも、疲労がたまっていた。
サクラは自分でもわかるほどに肉体の疲労が激しかった。
しかし、ヘイルは自分の疲労に気付けない。――それは精神的な疲れだからだ。これまで一人で戦ってきていたものが二人に増え、更にその一人がまだ戦い方の拙い初心者。
どうすれば向こうに攻撃があまり行かないようになるのか。どうすれば向こうの負担が減るのか。そういったことばかり考えて戦闘をしていたことは、ヘイルはこれまでに一度も無かったのだ。
うまくやろうとすればするほど、疲労がたまっていく。そのサイクルが――怪我の功名だったのか、またその逆か。
ヘイルは――戻り始めていた。
「ヘイル、さん…………?」
サクラは小声で呟く。
昔サクラに訓練所で教官が見せてくれたような、スラッシュアックスの基本的な扱い方を綺麗になぞるような動きをしていたヘイルの攻撃が、変わってき始めていた。
斧形態のスラッシュアックスを右に左に、身体全体を使って振り回してボルボロスに叩きつけ、飛び上がりながら叩き上げる。そのたび苦痛の悲鳴を上げるボルボロス。
ボルボロスの攻撃もまるで通じていない。さきほどまで、攻撃の来る場所を察知しているように綺麗に動いていたヘイルが、だんだんとギリギリで避けるようになってきている。――拳一つ無いようなギリギリの回避もあり、サクラはひやりとする。
それでも当たらない。
――だんだんスラッシュアックスが本体であるかのようにも思えてくる。
重心が、徐々にスラッシュアックスに移動してきているのだ。ヘイルの身体がスラッシュアックスを振るっているように見えていたのが、少しずつスラッシュアックスが勝手に動いているようにも見えてくる。
アクロバティックに斧を扱うヘイルはまるで――暴風のようだ。
その暴風に巻き込まれないように、負けないようにサクラもガンランスを突く。
――そしてその暴風は時間が経つにつれ風圧を強めていった。
軽く飛び上がり、ぐるりと横に回転しながら斧を振り降ろす。
着地と同時に最小限の回避。
次は懐に潜り込み、足をなぎ払う。
一撃一撃が、ボルボロスに突き刺さり、食い込み、相当なダメージとなる。
そして、耐え切れなくなったようにボルボロスはひるみ、大きく仰け反る。
――そして、それを見逃すヘイルではなかった。
大きく振りかぶり、下からかち上げるように斧を叩き込む。ボルボロスの巨体が浮き、たたらを踏みながら後退する。
そしてそれを見てヘイルは、スラッシュアックスなどもっていないようなスピードで走り始めた。
「サクラ、一瞬でいい。動きを止めろ」
その声色のあまりの冷たさにサクラは小さく身を竦ませるが、指示通りボルボロスの巨体に砲撃を連続で叩き込む。
ボルボロスはその爆炎の威力に、少しだけ、ほんの少しだけ動きを止めた。
――その一瞬で十分だった。
ヘイルは大きく、大きく跳び上がる。ボルボロスの身長も優に通り越し、遥か上空に身を躍らせる。――それはもう跳躍ではなく、飛翔だった。
そしてその身体を大きく回転させていく。自分の身体を軸にする横回転。
徐々に速度が増していき、その遠心力に耐え切れないかのように、スラッシュアックスが火花を散らす。――剣形態に変形したのだ。
その様子をみてサクラは、もうそれがヘイルだと思えなくなった。
――黒い、竜巻だ。
まずい、巻き込まれる。そう思いサクラは素早く後ずさる。
その竜巻は最高高度に達すると――後は落ちていくだけだ。がくり、と急激に高度を下げていく。
その落下点には、ボルボロス。
ボルボロスも、その竜巻に心を奪われたかのように、身動き一つとらず、見上げていた。
そして――
――閃光。
サクラはまずその稲妻のような音に仰け反った。
腹の内まで響く、雷鳴のような一撃に焦燥する。
そして、次に襲ってきたのはおぞましいほどの風圧。――ごう、と身を叩く風と共に、砂が吹き荒れ、嵐を作る。
その砂塵に巻かれながら、サクラはこの光景を、前に一度見たことに気付く。
――ジンオウガを追い払った、あの一撃だ。
……そして、砂の幕が引き、ボルボロスが見える。
岩のように硬い頭殻ごと、その頭が破砕されていた。粉々に砕け散り、その下の頭まで完全に粉砕されてしまっている。
――そのボルボロスだった死体を前に、ヘイルがまるで鬼人のように、ゆらりと立っていた。
◇
帰ってくるのにも三日ほどかかり、全行程が終わるのに結局十日以上掛かった。
そして帰ってくる間、ずっとサクラは気がかりだった。――あのヘイルの異常なまでの強さだ。
ヘイルは、『我を失っていた』と言い訳していたが、我を失っただけで、全てを読みつくし、全てを屠り殺すような、あれほどの戦闘が出来るだろうか。
――ヘイルは一体、何者なんだろうか。
そう考えながらも、とりあえず勝負に勝った喜びを味わっていた。
風呂に入り、ゆっくり一日寝たら、サクラはいつもの元気を取り戻していたのだった。
「――いやぁ、今回も楽勝でしたね」
「……そうか? 最初は小物だと思ったけど、なかなか体力が高くて困ったぜ。それともあの個体だけが強い部類だったのか……」
今回入った報酬金で、いつの間にかサクラは新しく防具を新調していた。
槍を扱うのに適したアロイ装備と討伐隊正式銃槍を強化した――近衛隊正式銃槍である。銀の装甲に青いラインが張ったアロイ一式は、近衛隊正式銃槍のデザインともぴったり合って、中々かっこよかった。
そして二人は集会浴場で、依頼を確認している途中だ。そしていよいよ次はサクラのランク昇進をかけたクエストだ。難易度はかなり跳ね上がるだろう。
ギルドカウンターの女性に、ヘイルが話しかける。
「すみません、ハンターランク2に上げるためには、何を受注すればいいですか?」
その受付嬢はにっこりと営業スマイルをヘイルに返す。
「現在はこちらになっております。ご確認どうぞー」
そして、その依頼を見た瞬間、サクラは顔を歪めた。
「ナルガ、クルガ……ですか」
前まで中型モンスターを狩っていた人間がこのモンスターと戦うとなっては、普通の反応だろう。ナルガクルガとは大型モンスターの中でも脅威中の脅威だ。
鋭い爪と、柔軟でしなやかな尻尾。
そして一番特徴的なのはその素早さだ。竜の中で一、二を争うそのスピードは――トップスピードでは他の竜には敵わないが、瞬間的なスピードは恐らく随一だろう。
黒い体毛もあいまって、偶然居合わせれば、何もわからず殺される場合もある――暗殺者の呼称は伊達や冗談ではない。
しかしヘイルは平気そうに言う。
「ナルガ、か。俺はわりと慣れてるから、大丈夫だろうよ。このコートを見てみろ」
そういって真っ黒なロングコートを翻す。
その黒いコートは艶やかな色を跳ね返し、強靭さを思わせる。
「このコートはナルガクルガの素材から作った、特注品だ。これを造るまでにとても素材が必要だったよ」
だからその分戦った、とヘイルは続けた。その様子にサクラは安堵する。
「はあ、それなら大丈夫でしょうね。――あなたの強さなら、問題ないでしょう」
「じゃあ、これ受けます。お願いしていいですか?」
その声に、受付嬢が丁寧に答える。
「構いませんよ。それでは、いつご出発なされますか?」
「では、明後日――」
「明日で!」
ヘイルの声を、サクラが元気よく遮った。
「明日って……」
「急いだほうが良いに決まってるじゃないですか。なにちょっと休もうとしてるんです」
「はぁ、まあいいよ……。では明日でお願いします」
受付嬢はその様子に苦笑を浮かべていたが、仕事になると気持ちの切り替えが早い。色々な書類を見ながら言った。
「それでは明日の夜、出発になります。それでよろしいですか?」
「夜ですか……、もっと早く――」
「ええ、それで構いません」
今度はヘイルがサクラのセリフを遮った。
サクラは自分のことになると、ヘイルを仇のようにねめつけた。ヘイルはため息をつく……。
◇
そして、次の日。ヘイルは習慣になりつつある風呂に入って、出発のときを待っていた。
前と違い、夜になると入ってくる客も多くなる。そして、女性ハンターも多く入ってきて、ヘイルは生きた心地がしなかった。
あまりゆっくり出来ず、そそくさと風呂から上がって着替え、ギルドの方に向かうとなにやら揉めている。なんだろう、とヘイルは興味で覗き込むと、騒いでいる中心を確認できた。
サクラだった。
「お、おい、何してんだ!」
そういってサクラを落ち着かせようと近づくヘイル。いつもの癇癪が他人に発動したのかもしれない、とヘイルは思っていた。
――そしてサクラのあまりの必死な顔に驚いた。
「本当にどうしたんだ、サクラ」
サクラは必死に昨日の受付嬢に食いついている。それを手で制しながら、ヘイルはサクラに話しかけた。
「……ッ、ヘイルさん。それが……」
受付嬢を見ると、相当困っている様子だ。
意味も無く他人に迷惑をかけるような子ではないとヘイルは思い、理由を聞くことにした。
「サクラ、どうした。話してみろ」
肩を持って、ヘイルはサクラを自分のほうに向ける。そして、その泣きそうな目をしたサクラを優しそうな目で見つめた。
そのヘイルに少し心が落ち着いたのか、サクラはゆっくりと、口を開ける。
「――ジンオウガ討伐依頼が、消されてました」
そして、そのサクラの声に、ヘイルは苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
いずれその時が来ることになるとはヘイルは思っていたが、実際にそうなると、サクラにはどうにも声をかけることは出来なかった。
パニックになっているサクラの代わりに、ヘイルは受付嬢から情報を聞き出した。――ちょうど今日、昼ごろに四人パーティーがクエストを受注し、その出発予定日を四日後に予約し、賑やかに去って行ったという。
覚えのあるパーティーだ。確かリーダーである男は浅黒い肌で、チャラチャラとアクセサリをぶら下げていたことをヘイルは思い出す。
ヘイルは理不尽な怒りを覚えていた。しかし、当然その怒りは意味の無いものだとも、理解していた。
結局クエストの出発時間になり、二人は無言でネコタクに乗り込んだ。
……ガーグァの引く台車に乗り、到着を待つ。
ナルガクルガのいる渓流という場所は、このユクモ村からとても近い場所にある。半日程度でたどり着き、すぐに狩猟を始めることになるだろう。
――だから、このままの状態では、とても危険だとヘイルは思っていた。
「……ナルガクルガは、夜行性だ。大抵、昼間は木の上のような、ハンターの手の届かないところで眠っていることが多い。この分だと、俺たちは朝方に着くだろうから、昼間はキャンプ地を探して回ろう。……サクラ?」
サクラは反応を示さない。
座り込んだ自分のひざに頭を埋めて、表情もうかがい知れない。ヘイルは心配になる。
「サクラ、確かに残念だったよ。でも、ハンターなら今目の前にある狩猟目的から目を離すな。今はナルガクルガを倒すことだけ考えろ」
その声にも反応は返ってこない。
「……おい、サクラ――」
「…………ぁ、わか……て、…………ぅんですか…………」
小声で、サクラの声が聞こえてくる。しかし、あまりにも小さすぎてヘイルには聞こえない。
ヘイルは聞き返す。
「……すまん、聞こえなかった。なんて言った?」
サクラは、勢いよく頭を上げると、叫んだ。
「――あなたに何が、解るって、言うんですか!!!」
サクラは怒りの表情を浮かべていて、ヘイルは少しひるんだ。
「私は……、私は!! "あれ"を倒すためだけに、ここまで来ました! それなのに、あなたは意味が無かったと言うんですか!! 私の、この、怒りも、復讐心も、全て無意味だって言うんですか!!!」
「……何も、そんなことを言っているんじゃない」
ヘイルはなだめるように言っている。
――サクラは、爆発したのだ。
モミジの言っていた通り、目的と手段が逆になり、焦燥感に追われる日々に何かを積もらせていったんだろう。それが、予定外のことも重なり、心身の疲労も加え、――許容量を超えた。
サクラは、その押さえようの無い怒りに身を任せてしまう。
「だったら、どうしてくれるんですか……。私は、どうすればいいんですか! あなたなら知っているはずでしょう!?」
サクラは、その胸のうちから溢れる怒りを止めることは出来ない。その怒りは、ヘイルに対してではなく、自分の弱さに対してだ。
ボルボロス戦のとき、あまりのヘイルの強さに、サクラは縋った。このままヘイルと一緒に行けば、簡単にジンオウガにたどり着くと。
……しかし、サクラは自分でもおかしいと思っていたのだ。
――依存している。
ジャンゴの死も、自分の甘さが引き起こしたのだと、そう思っていた。だから、サクラは一人で戦おうと思ったのだ。――誰に頼むでもなく、自分自身で。
――しかし、いざ蓋を開けてみたら、サクラはヘイルに依存しきっていた。
あのとき、ヘイルが自分の本当の強さを見せたとき、まるでサクラは居ても居なくてもいいかのように、蚊帳の外だった。――そしてあの時サクラもそれを享受した。
あんな状態でジンオウガと戦って勝ったとしても、それは自分の勝利ではない。それは、ヘイルの勝利だ。そうサクラは思う。
だから、その怒りが湾曲してヘイルに向けられるのもおかしくは無かった。
「私を、助けてくれるんでしょう!? ――なら、助けてください! どうにか、してください…………」
その懇願に似た激情を――ヘイルは切って捨てた。
「それは不可能だ……」
「ッ…………!」
気付くと、サクラはヘイルのコートの胸倉を掴んでいた。
「じゃあ、あなたは何で私の手伝いをしてくれてたんですか……」
「………………」
ヘイルは、黙ってサクラを見ている。
「わかってますよ――私は馬鹿じゃありません。あなたが何故それほどの強さを持っているのに、私に構ってくれるのか……。よくいる、自己満足野郎でしょう? 初心者の手伝いと銘打ち、弱い敵に悪戦苦闘するヒエラルキーの底辺をみて、悪趣味な快感を得るクソ野郎……。私は女ですし、そういったことは感じやすい。……そういうことでしょう?」
「そんな訳じゃ……」
「じゃあ何で言ってくれないんですか! 私を助けてくれる理由を、聞かせてくださいよ……」
「………………」
サクラはなんて言って欲しかったのか。しかしそれでも、ヘイルはかたくなに喋ろうとはしなかった。
「答えてください。…………答えろッ!!!」
サクラは、掴んだ胸倉を激しくゆする。
ヘイルはそれになすがままになりながらも、苦い顔をするだけで口を開こうとはしない。
その様子をサクラは見て、手を緩める。そして、またさっきと同じように、座り込んで膝に頭を埋めた。
そのサクラから声が聞こえてくる。
「このクエストが終わったら……、私は――ハンターを辞めます」
ヘイルは驚いた顔で、サクラを見る。
「――っ、お前……」
「だからもう、これが終わったら――私には関わらないでください」
そう言って、サクラは何も喋らなくなった。ヘイルは、心中のよどみをどうすることもできない。
がたりがたり、と台車は目的地に近づいていく。その運転手であるアイルーは、最後までその様子を聞きながらも、何を言うわけでもなく……丸く大きい月を眺めていた。
◇
ナルガクルガは強かったが、大して苦戦することも無かった。
到着後すぐ見つかり、二日で勝敗は決した。というのも、ヘイルが慣れているのが一番だったのだろう。
サクラは、いつもの元気も無く、戦っている間もずっとヘイルに任せているような感じだった。観察しながら、少しだけ攻撃に参加する。そういったスタンスで戦っていた。
サクラは最初の揉め事以来、口を開いていない。いや、開いたといえば開いたが、簡単な応答に、はい、と答えるだけだった。
ヘイルも口数少なく、そのサクラに応じていた。
ナルガクルガが息を止めた後も、同様だ。
「……勝ったな」
「………………はい」
お互いに勝利を喜ぶことも無い。ただ確認のようにヘイルが言った。
「剥ぎ取りはしないのか」
「……………………」
そのヘイルの声に答えることも無く、サクラは地面を見つめている。
そのサクラを見ながら、ヘイルは、自分が間違えたことを理解していた。
最初のあの時、ちゃんと言えばよかったのだ。――不可能だと。
それで、ちゃんと納得させ、ハンターを辞めるなりさせていれば、サクラはこれほどまでの無常に苛まれることも無かったのではないか。そういった考えがヘイルの心を支配している。
それでも、終わった話だ。
ヘイルは意気消沈としたサクラを見て心を痛ませるが、それはどうにもすることが出来なかった。
「じゃ……、帰るか。今から帰れば、夜ごろには着くだろう……」
そういうと、サクラは黙ってついて来る。
ホームまで戻り、狩猟報告を済ませ、村に帰ろうとした――その時だった。
――ヘイルが、中空を見ながら、固まった。
ヘイルは虚空を見つめたまま、目を凝らしてそこを凝視し続ける。
サクラはその様子に、激しい既視感を感じた。どこかで見たことがあるのだ。そしてすぐに、記憶が頭痛と共にフラッシュバックする。
『何ニャ……? 何ニャこの感覚は…………』
「何だ……、この感じは…………」
記憶の中の声と、ヘイルの声が重なる。
――サクラは、まず歓喜した。
頭の疼痛の中、サクラはそのあまりの喜びに倒れそうになる。そして徐々に、自分もその奇妙な感覚を感じるようになる。肌がぴりぴりと痺れるような、この感覚は――
――奴だ。
ばきり、と木を薙ぎ倒しながら巨体が現れる。
青く刺々しい体殻。鋭い眼光。――王者の風格。
――ジンオウガ。
その登場に、ヘイルはうろたえながら言う。
「な……、確かに同じ渓流だが、方向は逆のはず……」
「……ヘイルさん」
サクラは久しぶりに自ら声を発した。その寒々しい声色に驚き、ヘイルが振り返る。
「……どうした」
「確か、ギルドの規約ではこうありましたよね――狩猟中に他のモンスターが乱入してきた場合、狩猟目的と違えど可能であるならば狩猟してよい……と」
「おい、まさか」
ヘイルの答えなど聞きもしない。サクラはガンランスを背中から取り出しつつ、走り出した。
目の前には――あのジンオウガが二人を見下ろしている。
「チッ……、無茶すんじゃねえぞ……!」
ヘイルもサクラに続く。
「うあぁぁぁああああああああ!!!」
ヘイルの声は既にサクラの耳には通らない。