私はバイオリンを演奏していた。練習用のカーボンの弓で、新調した弦を擦る。最初の感覚は左手の細い構造物を抑える感触、次に右手に弦の震動が伝わる。そして曲が進むと、手先だけでなく身体を大きく動かす必要も出てくる。動きで、血管や骨に響く音で音楽を感じる。
そして激しい動きに、楽器が発火した。木材という時代錯誤な材料で出来た楽器は忽ち燃え上がる。楽譜も私自身も炎に呑まれる。そして焼かれる熱を感じる前に悟った。これは夢だ。
今朝見た夢を思い出しながら私は楽譜の音をなぞる。オリジナル曲が存在しない結束バンドの練習曲は流行りの音楽だ。通りを歩いていると気付けば聞こえてくる、そんな音楽だ。薄っぺらい物もあれば、永遠に聞いていたいと思うものもある。
私のバイオリンの腕は結束バンドでは周知の事実だ。弦を新調した時に試しに一曲弾いてみた。曲目はクライスラーの『プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ』。ミシミシ(EHEH)から始まる前奏曲は音の数が少なく、更にはリズムも一定であるにも関わらず、一瞬で異世界に連れ込まれたかのような感覚を思わせる旋律だ。それを巧みな強弱変化とヴィブラートで演奏する。音の余韻すら意図的に望んだものを繰り出せてしまう私は、結束バンドの中で群を抜いた腕を持つらしい。
続くアレグロは、速い旋律の中で和音やスタッカート、トリルをこれでもかと使いながらも一気に高揚感を与える曲もさることながら、それを狂いもなく、そして独自の旋律に落とし込めてしまう私の演奏を前に、聴衆は言葉を発せなかった。紛れもない私の青春をその身に感じていた。
その結果、
「ギャー! ぼっちちゃんが音圧で潰れた!」
「なんでだよ! ここでやってるライブより音量小さいだろ! バイオリン一本なんだから!」
「彩加……君はロックだった」
「クラシックだ。まあ言葉は受け取っておく」
というてんやわんやな騒ぎがあった。その後、人間形態を取り戻した後藤は称賛の言葉を私に送った。
(そうか……)
そして私はそれを思い出して気が付いた。
(私は怖いのか……)
今朝の夢は
(手に入れた物を燃やしてしまうのが)
弓と弦の摩擦で燃え上がる楽器と楽譜、そして自分自身。その腕を妬まれ、目立った友人もおらず、家族からも拒絶された私。それを思い出してあの夢を見た。死にたくないから音を奏でた。春も夏も秋も冬も弾いた。死にたくないから。大人になるのは本当に楽しかった。虚無感と引き換えに演奏の腕を買った。
私はバイオリンの演奏を止めて、同じくギターの練習をしていた後藤と喜多の方を見る。残念ながら、私は彼女らには干渉できない。ギターの知識など無い。同じ弦楽器とはいえ、弾き方も違うものだ。後藤に任せた方が良い。と思っていたら、後藤が猛烈な勢いで頭を振り出した。「むむむむむむ!」とか言う声も聞こえる。
「何やってんだ?」
「あ、彩加先輩。後藤さんにボーカルやってみないか聞いてみたらこうなっちゃって……」
「ああ、なるほど」
「彩加先輩はどうですか? ボーカルなんてやってみたり」
「残念ながら事実上不可能だ。首に押し当てる楽器だからな」
「あ、そうですね……」
喜多と他愛無い会話を繰り広げている間も後藤は頭を振り続けていた。そろそろ三半規管にダメージが行きそうだが、それ以前に疲れないのだろうか。本人曰く体力はあまり無いそうだが……
「そういえば虹夏先輩とリョウ先輩はどこに……」
「虹夏は委員会があるらしい。山田は草でも食べているだろう」
「え゛……本当に草食べてるんですか?」
「朝一番に食べられる野草を聞かれた。経験と知識の中で食べられるものを教えたが……」
実は喜多が間違えて購入した多弦ベースは山田が買い取り、現在喜多が弾いているのは山田から借り受けたギターなのである。そして山田はそれを買った金で所持金が底をつき、草でも食べて生きていくという宣言をしていた。
喜多がやや不可解な顔をしていた。まあ、新宿ほど混みあっているわけではないとはいえ下北沢はそれなりに都会だ。車もバスも走っている。野草を食すなど不衛生である。ただまあ、人間の身体は存外頑丈だ。腹は壊せど死にはしないだろう。
と、そんな会話をしていると山田が入ってきた。片手に野草を持ち、口に草葉を咥えた姿で。うむ、毒草は含まれていない。セリ科の物は止めておけと言った甲斐があった。さしもの私もドクゼリと食用の物の区別がつくほど野草に詳しくはない。
「ほ、本当に草食べてる……」
「万物の霊長として思う事は?」
「ぼっちのそれ、新しいライブパフォーマンス? いいね」
「おう会話しようや」
「えっ、先輩これ好きですか!? じゃ、じゃあ私も練習を……!」
「私はしないぞ」
「しないでいいそんな練習!」
喜多が三半規管を投げ打つ所であったが、虹夏の制止により防がれた。因みに私は端からやる気は無い。三半規管にはそれなりの自信があるが、バイオリンを弾いている時にそんな事をすれば音が定まらなくて仕方が無い。やはり弦でも切るか、背を後ろに傾ける程度が限界だろう。折角のライブだし、状況が許すなら私も莫迦な事をやろうではないか。
「ほらほら、リョウも来たことだしミーティングするよミーティング!」
「はーい」
「あっはい」
「了解した」
私が実行に移すかどうかも知らぬ阿呆な事を考えていると、虹夏が招集をかけた。この結束バンドなる集団が成り立っているのは偏に彼女のおかげだろう。私には音楽以外で人を纏めるなど無理な相談だ。
そして、バイトの無い今日集まった理由は自主練ではなくミーティングだ。無論私も参加を快諾した。断る理由も無い。
「はい! それでは第一回結束バンドミーティングを始めます! 拍手!」
素直に拍手をした。山田は相変わらず草を食っている。まあ、テーブルに置くわけにもいくまい。
「それじゃあ今日の議題の前に、よいしょっと。まずは新メンバーである彩加に、色々と自己紹介してもらおー! という事で、こんなのを用意しました!」
虹夏が角の丸い
とはいえ、ランダムに議題を選ぶというのは賢明な判断だろう。虹夏以外とは友人となってからは日が浅く、話す事と云えば得体の無い戯言しか思い浮かばない。
「何が出るかな? 何が出るかな?」
投げた虹夏が節をつけてそう歌っている。思えば幼少期にテレビで聞いた覚えがあるかもしれない。番組名も思い出せないが。そして上を向いたのは『学校の話』だった。
「学校の話ー。略してガコバナー」
図鑑に一つは載っているおかしな名前の植物のような言の葉だ。それにしても学校の話か。
「そういえば、先輩達って皆同じ高校なんですよね?」
「うんそうだよ。
「のっけから興が乗らず恐縮だが、学校に限って言うならあまり話す事は無いな。それほど友達もいない」
「えっ」
後藤が親近感を帯びた視線を向けてきた。タイミング的に「友達がいない」と言ったところだろう。私も好きでそうなっているわけではないからな。苦痛ではないが、一人でいる事を熱望しているわけではない。
「ぼっち達は秀華高。しかもぼっちは片道二時間かかる」
「随分な遠距離通学だな。入りたい学科でもあったのか?」
「高校は誰も過去の自分を知らない所にしたくて……」
「なるほどな……まあ、気持ちは分からんでもない。私も、昔の知り合いはあまり会いたくない人物が多いからな」
随分と妬まれたものだ。暗礁に乗り上げた奴に言われたセリフを涅槃に入っても暗唱できるぞ。
「そうだな。お前達は私を天才と呼んだが、その手の天才なら数多いる。塩酸を投げれば天才に当たるぞ」
「何故塩酸を投げたのですか!?」
「はい! ガコバナ終わりー!」
虹夏が慌てたように止めた。まあ、学校の話からは脱線していたからな。無理もない。そして更に賽子が投げられる。そして出た面は『すべらない話』だった。これも私にとっては実に困ったお題だ。
「何を話せば良いのやら……都市伝説、街談巷説、道聴塗説、そう言った物を話せば良いのかも知れないが、生憎とあまり精通はしていない。
「ああ、うん、小難しくなりそうだからいいや」
「おい」
「それっ――次は、ノルマの話ー」
賽子は『ノルマの話』と書かれた面が上になっていた。これに関しては親睦を深めるというよりも、知っておいた方が良い事という意味だろう。虹夏の話によると、アマチュアが参加するような多くのブッキングライブではバンド側にチケットノルマが課されるらしい。チケット代での収益と聴衆の数を確保するためにも重要なのだそうだ。そして、ノルマ以上に売れればライブハウス側と折半にはなる物のバンドの利益になるが、逆にノルマが達成できなければ不足分をバンドが自腹で買い取る形になる。
「つまり、売れるまでめちゃくちゃお金がいる」
「相変わらずざっくりしすぎだけどいいや……そんなわけで、前回のライブはあたしの友達を呼んでなんとかしたんだけど、あの出来じゃ二回目は呼べないし……喜多ちゃんなら呼べるかもしれないけど、何度も同じ手は使えない。というわけで、バイトして稼がなきゃならないんだ」
オーケストラであろうとロックバンドであろうと金がかかるのは変わらんようだ。そう考えると此処で鳴る音楽も祇園精舎の鐘のように諸行無常の響きを持っているかのように思える。
無論、断る理由も無い。昨夜の夢のように、彼女らを燃やす事を避けられるというのなら。それに、先日体験してみたが私の病魔はこの程度では返事もしない。
「アットホームで和気あいあいとした職場です」
「お前は他人のやる気を削ぐ天才か? 山田リョウ」
「何故だ。良い事しか言っていないのに」
「私みたいな人間は、他に言う事が無かったのかと解釈するんだよ」
「彩加、ひねくれてる……」
「何を今更。私が純粋に見えるか?」
飛び交う言葉の危険球に後藤と喜多が右往左往し始める。しかし、山田と私は特段仲が悪いというわけではない。コイツに対してはこういうやり取りの方がスムーズに話が進むというだけだ。
ただ、対人恐怖症レベルのコミュニケーション障害を持つ後藤と、基本的に温和な話し方をする喜多にはあまり縁が無い話だろう。わざわざバンド内の空気を険悪にする必要もないので黙る。そう言えば塩酸の下りでも喜多は吃驚し、後藤は気絶しかけていた。あまり刺激しないようにしなければ。
ふと別の方向を見ると、虹夏が半眼でこちらを見ている。確か山田が虹夏の自室に入り浸る程仲が良いと聞いた。あまり独占しない方がいいかもしれない。
「……リョウ、あんまり彩加に変な事教えないでね」
「失礼な。私がいつそんな事をした」
「彩加が喜多ちゃんみたいになっても困るんだからね!」
「えっ!? 私ですか?」
「安心しろ虹夏。山田は話しやすいとは思っているが尊敬はしていない」
例えば浪費癖。楽器等に金をつぎ込み、実家が富裕層で小遣いも潤沢に貰っているにも関わらず常に金欠だという。無論、楽器に金がかかるのは私とて知っている。バイオリン自体が高価であり、月に一回は切れる弦の新調も無料とはいかない。しかし、十万円を超える楽器を次々に買い込み、散財するというのは幾ら何でも規格外だろう。
そんなこんなで最後の話『好きな音楽の話』になった。大抵の人間には想像もついていようが、私はクラシック音楽が好きだ。ヴィヴァルディ、クライスラー、パガニーニ……彼らの作り出す音色は素晴らしい。
虹夏はメロコアやジャパニーズパンクと言った分野を聞くらしい。残念ながらその手の分野には疎い。後で聞いてみる事としよう。虹夏に頼めば聞かせてくれるだろう。
山田はテクノ歌謡やサウジアラビアのヒットチャートを好んで聞いているようだ。嘘か真かは知らないが、どちらにしろ私は無知だ。機会があったら是非とも聞いてみたいものである。
喜多は特定のジャンルやカテゴリではなく、流行やその日の気分により決めているらしい。私はあまりしたことが無いので今度試してみよう。
なお、最も興味深いのは後藤の音楽論だ。曰く、
「私は青春コンプレックスを刺激しない曲ならなんでも……」
「何だ? そのアドラーが提唱する心理学にでも出て来そうな言葉は」
「あっ、夏とか、海とか、花火とか、私とは縁が無さそうな言葉です……ごめんなさい」
「『老人と海』は読め無さそうだな」
中々に難儀な人生を送っているようだ。彼女の心には又三郎が現れ、怒りの葡萄が書かれた1930年代のオクラホマ州のように耕作不可能となった土地が溢れているのかもしれない。オクラホマミキサーなど踊ろうものなら、黙示録に描かれた神の手によって摘み取られた人間達のように潰れてしまうかもしれぬ。
「そもそもロックというのは負け犬が歌うから心に響くのであって成功者が歌えばそれはもうロックとはいわない……」
成功者とて苦悩が皆無というわけでもないと思うが、まあ、後藤の観測する世界では違うのだろう。人は得てして観測できない世界を見落とすのである。
「まあ、成功する過程で何かを捨てているのだろう。アダムとイヴは知恵を得た代わりに楽園を追い出され、人間より遥かに楽欲を受ける六道の最高位たる天人ですら五衰からは逃れられぬとする論もある」
「キャー! 後藤さんが! 後藤さんが!」
「情報量と希望の無い展開に身体が耐えきれず萎んでしまったのか……」
これはいけない。早急に蘇生せねば。
「まあ、色々言ったが、あまりにも堪えるようであればこう考えればいい。花火は愉快な爆弾魔どもが色とりどりの爆弾を爆破している。陽キャ? とやらはそれと知らずに眺めて喜んでいる。実に滑稽ではないか」
「アッアッアッ」
「きゃーー!! 後藤さんが火花と共に爆発したわ!」
「何故だ。青春コンプレックスとやらは突いていないだろう」
「彩加一回黙って! 花火師さんに失礼だし内容が過激すぎるよ! あーもう皆結束してよ~!!」
大変な事になってしまった。思えばいろは歌にも「この世で誰が不変であろう」と書かれていたではないか。いかに浅き夢を見ようとも私が何も言わなければ穏便に済んだのである。無常な世ではあるが、徒に花を散らす事も無い……
結局、ミーティングが再開したのはそれから時計の長針が十ほど移動した時であった。そして私は虹夏に半眼を向けられながら耳を引っ張られている。妥当な判断だろう。私がこの関係を焼却してしまうよりは。
彩加も充分コミュ障だと思います。元ネタもあって集団行動とか苦手でしょうし。
タイトルは出来れば次回に回収したい。
下は彩加の挿絵です。
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