自分一人の為の料理というのは、あまりやる気になれない。普段は振る舞う相手がいるとなれば尚更だ。
結城家の食卓を担う美柑もまた、同じ気持ちだった。
いつもなら兄であるリト。そして最近増えた同居人のララの二人がいて、作り甲斐もある。
しかし今日から二日間、リトたちは臨海学校で家を留守にする。
帰ってくるのは明々後日の夕方。父親も締め切りが近いという事で、家には帰れない。
今日の夕飯をどうしようかと考えていたのが、ほんの一時間と少し前。帰りのホームルーム前の話。
帰宅後、準備を終えて家を出た美柑は今、両開きの巨大な門を見上げていた。
「………………」
「稗田さんち、すっごく大きいね〜」
「いや、デカすぎでしょ。これ、あたし達が入って良いんだよね?」
一緒に来た小暮幸恵と及際真美も、同じように門を見上げていた。
瓦屋根に木製の重厚な門は、美柑たちを圧倒するには十分なもの。加えてこの門がまだ入り口でしかないのは明らかで、この先にある光景を想像して冷や汗を流していた。
ここで本当に合っているのかという疑問も湧くが、門の脇にかけられた表札には『稗田』の文字がある。
場所は間違っていない。後はインターホンを押すだけだが、それすらも躊躇う威圧感があった。
「あんた達、そこで何してるのよ?」
横から声をかけられる。三人揃って顔を向ければ、怪訝な表情をした本居小鈴がこちらを見ていた。
その服装は学校で見るような洋服ではなく、丈の短い袴に市松模様の着物といった和装となっている。
小鈴の問いかけに、三人は苦笑交じりに曖昧な返事を返す。本当の事を話すのは、気恥ずかしかった。
気のない返事をした小鈴は、横目で三人を見ながら門の前にやってくる。インターホンを鳴らし要件を伝えてしばらくすると、脇にある大門が開いて一人の女性が出てきた。
「小鈴ちゃん、いらっしゃい。阿求ちゃんから、話は聞いてるわ。…………そっちの子達も、同じお客さんかしら?」
「「「…………」」」
大門から出てきた女性を見て、美柑たちは絶句していた。出て来たのは、白い和服を着た女性。長い髪を簪でまとめ、家事の最中だったのか前掛けを腰に着けている。
しかしそんな特徴も、美柑たちの頭に入っていなかった。出て来た女性の最大の特徴。それは見上げるほどに高い身長だった。
小学生である美柑たちは、年上が相手なら大抵は見上げる形となる。大人と話す時は、視線を上に向ける事は珍しくない。
ただこの時ばかりは、事情が違った。成人男性ですら見下ろせるであろう身長は、二メートルは軽く超えていた。
予想もしなかった容姿をした女性を前に、美柑たちは反応が遅れた。不思議そうに大柄な女性が首を傾げていると、緊張を唾と共に飲み込んだ幸恵が首を縦に振る。
「は、はい! 稗田さんに誘われて、お泊まりに来ました!!」
美柑たちがここを訪れたのは、阿求に誘われたからだった。
彩南高校の臨海学校。有栖たちを通じて行事について知っていた阿求は、学校で美柑に声をかけていた。
今夜お一人なら、家に泊まりませんか? 一緒にいた幸恵と真美も巻き込んで外堀を埋められた美柑は、最初は遠慮していたが最終的には誘いに乗った。
家に帰って宿泊の準備をしつつ、父親に事情を説明した。父である結城才培は、帰れない事を謝りながらも楽しんで来いと電話の向こうから送り出していた。
そうして準備を終え、三人揃ったところで第二彩南商店街へと出発した。阿求から手書きの地図を受け取っており、第二彩南商店街からも迷う事なく辿り着いた。
「ぽぽぽ…………こほん。そう緊張しなくても大丈夫ですよ。確かに大きなお屋敷ですが、住んでる人たちはみんないい人ですから」
「クセも相応に強いけどね。色々と驚くでしょうから、今のうちに心の準備をしておきなさい」
小鈴が苦笑気味に付け加える。この家にいるのは、阿求以外は全て妖怪の類。
容姿、性格、技能。そのいずれか、あるいは全てにおいて超常の域にある存在。幸恵や真美はもちろん、原作初期の美柑にも心の準備は必要そうだった。
案内に従って大門をくぐる。門の先の光景は、美柑たちが想像した以上のものだった。
大門から家屋へと伸びる石畳。視線を横に見えれば、見事な日本庭園が広がっている。
紅い橋がかかった大きな池の一角に青々とした植木が広がり、周りには砂利が敷かれている。砂利の中には飛び石が敷かれており、近くには灯籠が並んでいた。
大門に恥じない広大な家屋と日本庭園。呆気に取られながらも、小鈴たちの後をついて行く。
知り合いの家というより、老舗の旅館にでも来たかのような心地だった。
玄関先にまで辿り着き、引き戸を開けた大柄な女性に中に入るよう促される。
幸恵が元気に挨拶をしながら中に入り、真美がその後に続く。美柑も後に続こうとしたところで、大柄な女性の視線が庭に向いている事に気付いた。
「もう、あの子ったら。小鈴ちゃん、案内をお願い。私は、あの子を捕まえてくるから」
小鈴が頷くと、大柄な女性がその場を離れて行く。その行き先には、池の近くで踊っている少女がいた。
歳はリトと同じか少し下くらい。白いTシャツに白のハーフパンツといった、動きやすい服装をしている。
踊りと言っても、庭園に合わせた舞踊のようなものではない。まるでブレイクダンスのような、激しい踊り。
ダンスに関して詳しくない美柑なので、具体的な感想を求められると答えに困ってしまう。しかし素人から見ても、目を離せない何かがあった。
心を揺さぶられ、奥底にある何かが目覚めそうになる感覚がある。
もっと見ていたい。もっと近くて見たい。もっと詳しく見たい。
そんな欲が次々に湧き出し、一歩前に踏み出す。次いでもう一歩前に足を踏み出そうとしたところで、腕を掴まれた。
「ほら、行きましょ。阿求たちも待ってるわ」
「あ…………。う、うん。ごめん…………」
小鈴に呼び止められ、足を止める。先程までの執着は嘘のように消え去っていた。奇妙な心変わりに内心で小首を傾げつつ、ぼんやりとしながらも謝罪する。
美柑の手を掴み直した小鈴が、玄関に向かう。後ろを歩く美柑には見えないが、その額には大量の冷や汗が流れていた。
────あ、危なかった。もう少しで、美柑がSAN値直葬するところだったわ…………
美柑たちには、阿求の部屋で魔除けの術をかける予定になっていた。地図を兼ねたお札を持たせて応急処置としていたが、幸恵が真美が持っていたのだろう。
二人が先に行った事で、美柑に効力が届かなくなっていた。
治療法はいくつもあるとはいえ、狂ったように笑い乱舞する美柑の姿など見たくない。
ひとまずの危機を回避した事に安堵しながら、これ以上は何かあってはいけないと先を急ぐ。
見ただけで精神に異常をきたす妖怪はここにいないので、急いで合流すれば何も問題はなかった。
「こっちをこうすれば…………」
「こうして…………あれ?」
「ざーんねん。一手足りないよー」
阿求の部屋への途中、襖が開いた先の部屋からそんなやりとりが聞こえた。幸恵と真美の声が聞こえたのもあって、足早に進むと部屋の中を覗き込む。
覗き込んだ部屋の中では、幸恵と真美が並んで床を見下ろしていた。その向かい側には座布団に頭を乗せ、うつ伏せとなっている女性が一人。
長い黒髪が乱れているのも気にせず、床の上に並んだマッチ棒を指先で突いていた。
一見すると、何の変哲もないマッチ棒パズル。ただそれをしている人物に問題があるのを知っている小鈴は、無言で近づくとしゃがみ込んでパズルを覗き込む。
「…………変な知識、吹き込んでないでしょうね?」
「だいじょーぶ。ただのマッチ棒パズルだからね。発想力だけが必要な、何の変哲もないパズルだよー」
飄々とした態度はいつもの事だが、いまいち信用できない。
ただのマッチ棒パズルと言っても、彼女の正体を知る小鈴からすれば疑念を抱くには十分だった。
時間切れという事で答え合わせとなり、その内容に幸恵と真美が感心した様子を見せる。
そもそもの問題を知らない美柑の興味は、うつ伏せになっている女性を半眼で睨む小鈴に向いていた。
うつ伏せの女性を横目で見つつ、口元を小鈴の耳に寄せて小声で問う。
「あの人が、どうかしたの?」
「んー。悪い人じゃないんだけどね。両腕を怪我したふりして仕事を辞めて、ずっとニート生活をするくらいにはダメ人間なのよ」
「誰がダメ人間だー。そもそも遠回しにやめろって言われてたから、先に自主退職しただけですー」
話は聞こえているようで、うつ伏せの女性が口を尖らせる。それが事実なのは小鈴も知っている。だからと言って、自主退職までの道が壮絶すぎる。
環境を考えれば書き置きでも残して立ち去れば穏便に済んだものを、わざわざ式神まで使って一芝居打った。
そんな努力するニートに、小学生である美柑たちを近づけたくない。悪い影響を与えないうちに、ここから立ち去りたかった。
半ば引きずる形で、幸恵と真美を部屋から連れ出す。手を振って送り出す女性に、美柑たちは手を振り返しながら部屋を出た。
「次は挽き肉〜。挽き肉です」
「次は豆腐〜。豆腐です」
「次は豆板醤〜。豆板醤です」
「次は活けづくり〜。活けづくりです」
────…………麻婆豆腐と活けづくり?
台所の前を通ったところ、小柄な女性三人が食材の確認をしているのが見えた。淡々とメモを読み上げる姿を少し見ただけで、なぜか背筋に冷たいものが走った。
しかもその内容は、日常的に料理をする美柑にとって不思議なもの。純和風な外観をしたこの家で中華料理が出るのもそうだし、一緒に活けつくりも出るという組み合わせにも疑問があった。
疑問を抱きながらも、そういうものかと納得する。そもそもここは、住み込みの使用人が何人もいると聞いている。
麻婆豆腐と活づくりが、同じ人に出るとは限らない。好みなどに合わせて、出す料理を変える。レストランやホテルのようだが、人数が多ければそうなっても不思議ではなかった。
他の家の台所事情に感心していると、小鈴がある部屋の前で足を止める。部屋を仕切る両開きの襖は、ここまで通ってきたどの部屋よりも大きいように思えた。
「小鈴、入るわよー」
「返事くらいさせなさいよ、まったく」
返事を聞く前に、小鈴が部屋へと上がり込む。
手を止めた阿求が呆れた顔で出迎える。手にしていた筆を脇に置くと、あらかじめ用意していた座布団に座るよう促した。
無遠慮に座った小鈴に苦笑しながらも、三人も並んで座布団へと座る。ひとまず落ち着いたところで、小鈴が語気を強めて阿求へと問いかける。
「あんたねえ、使用人の教育くらいしっかりしなさいよね。さっきも仕事中なのに庭で踊ってたり、よりにもよって客間でサボってるのがいたわよ」
「それは、ごめんなさい。今日は来客があるから、大人しくしてほしいって言っておいたのだけど」
ここに来るまでに見かけた二人の報告をしているようで、迷惑をかけたと阿求が頭を下げる。別に迷惑だなんてと美柑たちは返したが、恥ずかしいところを見せてしまったと阿求が返す。
実際にはそれ以上に危ない状況だったのだが、それは伏せておく。下手をすると精神が崩壊していたかもしれない。などとは、口が裂けても言えなかった。
謝罪がひと段落したところで、阿求が立ち上がって振り返る。近くの棚の前に移動した阿求は、そこから一つの巻物を取り出した。
「稗田さん、それは?」
「お呪いの巻物です。初めてのお客さんには、これを行うのが我が家の習わしなので」
質問に答えながら、元いた座布団に座る。広げた巻物を床に置き、机の引き出しから数珠を取り出した。
巻物には右半分に草書で書かれた字が並び、左半分に魔法陣のようなものが描かれている。
右手に数珠を持ち、お経を思わせる言の葉を紡ぐ。これが神職に携わる人間ではなく、同級生の少女がしている光景はここに来て何度目が分からない不思議な感覚があった。
思わずその光景に見入っていると、心なしか体全体を暖かい何かが覆ったような気がした。
それと同時に阿求が口を閉ざし、深々と頭を下げる。お呪いが完了したと暗に告げられた美柑たちは、揃って大きく息を吐いた。
無意識のうちに体が強張っていたようで、今更ながらにお呪いに緊張していた事を自覚する。
とはいえ、既に済んだ事。お呪いという珍しい風習を前に、じっとしていられないだろう友人を美柑は知っている。
「それで! さっきのおまじないって、どーゆーものなの!?」
案の定、幸恵が食いついた。何も言わずにされたので、仕方がないとも言える。
幸恵の質問に対し、阿求が微笑を浮かべる。
「良縁を招くお呪いですよ。これで恋愛運爆増! 運命の人にも出会えちゃうかも!? なんて」
楽しげに笑う阿求には悪いが、さっきのお呪いがいっきに胡散臭くなった。
実際は精神防護の術をかけられてるのだが、美柑たちがそれを知るのは高校へと入学した後だった。
都市伝説の有名どころ(美女、美少女化)in稗田家
今回描写した以外にもいますが、今後出るかは不明。