見学の許可をとりに行くと言った有栖と早苗。そして事の発端となったララと昇降口で別れたリト達は、上履きに履き替えて教室に向かっていた。
有栖と早苗は下駄箱にある上履きに。ララは、アリスから渡されていた上履きに履き替えて職員室の方向へと向かっていった。
そうしてリトと春菜は二人きりとなったが、落ち着いて話せる状況ではなかった。
慌てた様子で教室に向かっていく男子生徒の背を見送る。これで何人目になるかは、もう数えていなかった。それほどまでに廊下を走る男子の数が、今日は一段と多かった。
その全てがここに来るまでにララに見惚れていた男子生徒だ。
ララの存在を知らせに教室に向かったか、声をかけようと追ってきたのか。どちらにせよ、ララが目的なのは違いなさそうだった。
「ごめん、西連寺。入学式の時みたいに、また迷惑かけるかも」
「謝らなくていいよ。あの時、私は何もできなかったから」
入学式に起こった騒動は記憶に新しい。
おかげでリトが何に謝っているのかを、春菜も理解していた。
入学式の日。有栖目当てに集まった男子たちが廊下を埋め尽くし、チャイムが鳴っても教室に戻ろうとしなかった。
教師の骨川が声を上げる前に春菜が席を立ち、男子たちに教室に戻るように注意した。
しかし注意と呼ぶには小さな声は、喧騒にかき消されてしまった。
その後、イラついた霊夢が男子たちを一喝。強引に黙らせた上で、何人かの尻を蹴り飛ばして追い返した。
春菜自身は事態の解決には何も貢献していない。そう考えての言葉。しかしリトは、その考えに同意できなかった。
「そんな事ないって。オレなんか、集まってる奴らに呆れるだけで、注意しようとすら思わなかったし。あそこで真っ先に動けたのはすごいと思うよ」
春菜にとって特別でもなんでもない行動。
それを意中の相手から褒められるというのは、いい意味で複雑な心境だった。喜びや羞恥が胸の内で渦巻く。
返事に困ってしまった春菜が黙り込んでしまう。その反応を勘違いしたリトは、冷や汗を流した。
「って。いきなりこんな事言われても、困るよな。その、今のは、聞かなかった事にしてくれ」
「ううん。こっちこそ、ごめんなさい。その、結城くんも、同じような事を考えていたことに驚いたの」
思い出すのは中学時代。当番でもないのに、教室の花瓶の水を入れ換えているリトの姿。
リトを好きになる前に見たその光景は、彼の人となりを知るきっかけでもあった。
当時の光景を思い出した春菜の心が温かくなる。そしてリトの優しさを再確認した今なら、自分の想いを言葉に表せるような気がした。
「結城くんが優しいのは、ずっと前から知ってるから」
「…………え?」
思わぬ言葉にリトが疑問符を浮かべる。記憶を掘り下げてみるが、春菜にそう思われるだけの何かをした覚えはなかった。
その時の事を思い出している春菜が、柔らかな微笑みを浮かべた。
「中学の頃にね。結城くんが、お花の水を換えているところを偶然見かけたの」
「ああ、あれか」
覚えのあったリトが、当時を思い返して呟く。
家での習慣の延長としてやっていた水の取り換え。リトとしては当たり前の事をしているつもりで、あまり意識はしていなかった。
「別に大した事じゃないって。うちにも花とか結構あるんだけどさ。オヤジは仕事が忙しくてほとんど家にいないし。妹は家事が忙しくて。自然にそーゆー世話はオレがやる事になってから、習慣ついちまったっつーか…………」
リトが照れくさそうに頬を掻く。
高校に入ってからは春菜や有栖たちが先に水を換えている事もあるので、リトが水を換える機会は減っていた。
有栖たちが水を換えているのを意外に思って話を聞いたところ、神社や寺では花の世話は当たり前。加えて花好きの知り合いがいるので、ぞんざいに扱えないと苦笑気味に話していた。
リトにとって特別でもなんでもない行動。
おかげで、さっき春菜が口を閉ざした理由にも思い至った。
「なんか、こういうのって恥ずかしいな…………」
「私は、嬉しい、かな。結城くんとは、前から話したかったから」
「そうなのか?」
「うん。中学で同じクラスだった時も、クラス委員だったのに、お花の世話はほとんどできなかったから。お礼を言わなきゃ。って、ずっと思ってたの」
もちろん、それだけが全てではない。
花の礼を言いたいというのは事実だ。そしてそれをきっかけにリトと親しくなりたいという、春菜なりの打算もあった。
打算と言うには、あまりにも可愛い内容。しかし真面目な春菜は、この考えを後ろめたいものとして捉えてしまっていた。
そんな春菜の心情を知る由もないリトは、春菜の言葉をそのまま受け取る。少しばかり赤くなった頬の熱を無視して、話を続けようとした時だった。
カタン
「…………ん?」
固いものが何かにぶつかったかのような音が耳に届いた。音がしたのは前の方からで、階段前の廊下には音の原因と思われる長方形の何かが落ちていた。
何かの絵が描かれているそれは、遠目からではメモ帳のように見えた。
それを拾ったリトが周りを見渡す。朝の廊下とあって人通りはあるが、持ち主と思われる人物は見当たらなかった。
「なんだこれ…………?」
手にして分かったが、拾ったのはメモではなくプラスチック製のカバーのようなものだった。
薔薇の花束が描かれたシンプルなデザイン。反対側を向けてみれば、ガラス越しの画面には廊下の床が写っていた。どうやら動画の撮影をしていたようで、画面の上には録画時間が表示されている。
カバーだけでは何か分からなかったリトだったが、画面を見てこれが何か思い至った。
「結城くん、それって?」
「多分、携帯電話だと思う。時兎たちが同じのを使ってるのを見た事がある」
リトが拾ったのはスマートフォンだった。
リトが使っているようなガラパゴス携帯とは違い、画面に触れて直接操作する変わった携帯電話。
知り合いが作ったというそれは、一般には普及していない代物だった。
別れたばかりの有栖と早苗がここに落としたとは思えない。なら霊夢たちが落としたのだろうかと考え、昨日聞いた有栖の素性を思い出した。
────…………そういえば、幽霊の知り合いがいるんだっけか。この近くにいるのか?
幽霊や妖怪ですら認識するのが難しい妖怪。光を操り、姿を消す妖精など。常人ではその存在に気付くことすら不可能に近い知り合いもいると聞いていた。
イタズラはするかもだが、悪い奴らじゃない。そこまで言った有栖は、愉快そうに笑っていた。
スマートフォンをオフにする。有栖が触っていたのをマネただけだが、画面が暗くなったのを見ると成功したようだった。
スマートフォンをカバンの中にしまう。失くして困っているだろうから、早く持ち主を知っているであろう有栖たちに渡すつもりだった。
念の為に、もう一度周りを見渡す。今度は幽霊やそれらしい存在を探したが、やはり見つかりそうにはなかった。
────まあ、見つかるわけないか。
軽く見渡したところで、幽霊の様な超常の存在は見当たらない。目を凝らしても無駄だと判断したリトは、これ以上の捜索を断念した。
不思議な世界に足を踏み込んだとはいえ、リトは何の力も持たない一般人だ。昨日までそういった存在が身近にいたとしても、突然見えるようになるわけでもない。
見つかればラッキー程度に思っていたリトなので、それらしい人物が見つからないのも予想の範疇だった。
「結城くん、どうかしたの?」
「博麗たちが近くにいないかなって思ってさ。やっぱり、教室に行った方が早そうだな」
まさか、幽霊や妖怪を探していた。とは言えるわけもないので、それらしい答えを返す。
霊夢たちを探していたのも事実なので、嘘はついていない。納得した春菜は、それ以上追求しなかった。
教室の入り口はすぐそこだった。いつもと同じ道を通っての登校だが、その時間が春菜はいつもよりも短く感じられた。
もう少しで終わってしまう。そう思ってしまった春菜は、足を止めて視線を落とした。
────少しだけ、積極的に…………!!
「あ、あのね、結城くん! また朝に見かけたら、声をかけてもいいかな? クラスも一緒だし、一人より二人で登校した方が楽しいと思うの!!」
大きく息を吸った春菜は、勢いに任せて自身の望みを言い切った。人目のあるこの場所で、心の準備もせずに告白する勇気はない。そもそもリトとの接点がほとんどない時点で、告白が成功するとは思えなかった。
ここで断られてしまえば、間違いなく春菜の心は折れる。勢いで動いた春菜だが、冷静に状況を見定めてもいた。
積極的に、しかし焦りはせずに。
ララたちと合流した際に得た教訓を、早くも生かした格好だった。
思わぬ提案に、リトは目を丸くしていた。ここまでの話題を振り返るが、これといって春菜の気を引きそうなものに心当たりはない。
中学の頃の話が、最も春菜の興味を引いていた。しかし目的を達した春菜が、わざわざまた一緒に登校したい。と言い出すようなものにも思えなかった。
「いいよ。時兎も一緒の時があるけど。それでもよかったら付き合うよ」
とはいえ、春菜が望むならリトとしても断る理由はない。登校中に遭遇する事の多い有栖が一緒にいる場合が多いと伝え、それでもよければと春菜の提案を受け入れる。
緊張していた春菜の表情が、明るいものに変わる。提案を受けてよかった。そう思えるくらいに、春菜は喜んでいた。
女の子ってよく分からない。心中でそう呟いたリトは、嬉しそうに笑む春菜を見て小首を傾げていた。
スキップでもしそうなくらいに、上機嫌な春菜と並んで教室に入る。入り口から教室を見渡すが、霊夢たちはまだ来ていないようだった。
春菜と分かれて自分の席に向かう。カバンを置いたリトに、ニヤついた表情の猿山ケンイチが声をかけてきた。
「珍しいな、リト。お前が有栖ちゃん以外と来るなんて」
「いろいろあってな。それより、時兎をそう呼ぶのはやめとけよ。どんな皮肉で返されるかわからないぞ」
「本人はいないし。博麗たちもいないからバレないだろ。それにオレは、有栖ちゃんが男だってまだ認めてないからな!」
「認めるもなにも、それが事実だろ…………」
リトが呆れた表情を浮かべる。熱弁するケンイチに、話を聞いていたクラスの男子と一部の女子が頷いていた。
未だに、有栖の性別について抵抗する勢力はそれなりの数が存在していた。しかもその多くが、同級生。それもクラスメイトに多く見られる。
有栖を目当てに集まる生徒の数は減っている。しかしそれは表立って行動する生徒が減っただけで、有栖狙いの生徒は水面下で蠢いていた。
リトの呟きに、ケンイチが怒りの形相を浮かべる。
「そんなわけないだろ! お前は、あんな風に相手をされて何とも思わなかったのか!?」
「そりゃあ、楽しんでるとは思うけど」
有栖の人気が冷めない理由は、その容姿によるものが大きい。しかしその一端には、有栖の自業自得とも言える言動があった。
普段は乱暴な男口調の有栖だが、しばしば視線に対する報復をとっている。それが女子の言動で霊夢たちやリトと接し、周囲に見せつけるというものだった。
レパートリーも多岐に渡る。幼馴染、クール系、ボクっ娘、ロリ、母性持ち、などのオーソドックスなものから。ツンデレ、ギャル、電波系、地雷など、異性に慣れていないリトにとっては対応に困るものまで。数多くの属性を演じ分けている。
それを週に一度から二度。それも全てが高い完成度で見せつけられているおかげで、リト以外でそれを目にした男子の性癖は大きく歪み始めていた。
「そもそも、なんでお前は有栖ちゃんと話して平然としてられるんだ!? 水着のグラビア見ただけで気絶するような、純情クンなのに!!」
「そ、それは昔の話だろ! 今は違うぜ!! つーか、例えそうだとしても。男の水着で気絶するわけないだろ!?」
自分が異性に対して免疫がないのは、内心で認めている。それでも、有栖の水着姿で気絶すると思われているのは心外だった。
反論に出たのもあって、有栖の水着姿を思い浮かべてしまう。ポニーテールに縛った髪。膝辺りまであるハーフパンツ水着。上にはアロハシャツを着て、いつもの軽薄な笑みを浮かべる有栖。
性格はともかく、容姿に似合っていないアロハシャツに笑いそうになりながらも、ケンイチたちのように反応しない事に少しだけ安堵していた。
「そういうわけだから。あんまり時兎に…………猿山?」
「有栖ちゃんの水着かぁ。プールの授業が待ちきれなくなったな!!」
「いや、オレは別に…………。って、聞いてないし」
リトとはまた違う有栖の水着姿を想像しているのか、だらけた表情のケンイチが離れていった。何をしに来たのか分からなかったが、本人が幸せそうならそれでよしとしておいた。
教室内を見渡し、霊夢たちの姿がないのを確認する。拾った携帯電話の事もあるので、教室の入り口に意識を向けてすぐに動けるようにしていた。