天井のスプリンクラーが作動し、冷たい水が降り注ぐ中、視界はもうもうと立ち込める蒸気に覆われていた。
焼け焦げた壁紙の臭いと、目の前の「火を噴くトカゲ」のような存在が吐き出す熱気が混ざり合い、ひどく息苦しい。
「君たち! 気絶してる二人を運んで、今すぐここから離れろ!」
俺が『宇宙の欠片』のE.G.Oを展開し、真っ黒なスーツと音叉の槍を具現化させた姿を見て呆然としていた女子生徒たちに、声を飛ばす。ハッと我に返った数人が、倒れている一夏と箒さんを引きずるようにして廊下の奥へと避難していく。
背後の安全が確保されたのを確認し、僕は改めて槍を構え、端末の通信レコードを起動した。
『――情報チーム、応答しました。映像、確認。最近都市部でも目撃例が増加している、感情起因の大罪の一種ですね。直ちに鎮圧してください』
無機質なオペレーターの声に、僕は小さく舌打ちする。
現在のL社の鎮圧部門には、最強の「赤い霧」ゲブラーさんをはじめ、ローランさん、そしてその妻アンジェリカさんという規格外のエースたちが揃っている。
僕の師匠であるアルガリアさんもその一人だ。彼は妹のアンジェリカさんが生きてローランさんと結ばれ、二人の子供まで産まれたことで笑ってはいるものの、相変わらず義弟のローランさんには辛辣極まりない態度をとっている。あの平和で殺伐とした本社の空気が、今だけは少し恋しかった。
「了解。ワンオペ鎮圧、開始する」
廊下という閉所(ひろさ)では、長物の槍は十全に振るえない。
俺は壁を背にし、「後の先」を取る構えに移行した。
トカゲの肉塊が、耳障りな金切り声を上げて飛びかかってくるその瞬間。
コンパクトに引き絞った槍の柄で、飛びかかってきた巨体を下へと叩き落とす。
床に激突し、体勢を崩した肉塊の背中に、音叉の切っ先を深く突き立てた。
――ギャァァァァァァッ!!
炎のように熱い体液が吹き出し、絶叫が響き渡る。僕は一切の容赦なく、刺した部分をさらに大きく抉るように槍を回転させた。
断末魔と共に、肉塊はドロドロの肉片となって四散し、完全に活動を停止した。
「……ふぅ。鎮圧完了。対象は四散しました。」
ローランの口癖を借りて一つ息を吐き、E.G.Oを解除する。
直後、騒ぎを聞きつけた千冬先生と山田先生が駆けつけてきた。
「貴様、ここで何があった! この惨状はなんだ!」
「大罪との交戦事案です。これが鎮圧時の映像記録になります」
僕は淡々と端末の映像を提示し、事の顛末を説明した。一部屋が丸焦げになったことは事実だが、L社の事前契約と「証拠」を見せられたことで、千冬先生も渋々ながら納得し、事後処理を山田先生に任せて去っていった。
スプリンクラーの水でびしょ濡れになり、丸焦げになった部屋の前に転がされている一夏と箒さんの私物を見て、心底気の毒だとは思う。だが、それとこれとは話が別だ。僕は仕事をしただけである。
【事後処理と報告書の作成】
自室に戻った僕は、濡れた髪をタオルで拭きながら、重い溜息をついてPCの前に座った。
ここからが、L社職員としての本当の「仕事(地獄)」だ。
今回の件で、いくつか致命的な問題点が浮き彫りになった。
まず、武装の不適合。今日のような閉所戦闘では槍は取り回しが悪すぎる。狭い場所でも振るえる短射程E.G.O武器か、安全圏から撃てる遠距離攻撃用の装備(大口径ではなくピストルのような取り回しに優れた武器)が必須だ。
次に、初期対応の遅れ。今回は偶然自分の部屋の近くだったから良かったが、広大な学園の端で発生した場合、一人では被害の拡大を防げない。内情を理解し、かつ僕と迅速に連絡を取れる「相棒(連絡係)」のような存在が必要不可欠だ。
しかし、何よりも憂鬱なのは、この手探り状態の「報告書作成」だった。
【幻想体およびねじれ鎮圧報告書】
■ 対象の所感および特徴
トカゲのような形状の肉塊。口から消火不能な炎を吹く。
この炎を浴びると、対象の所在を問わず「目の前の物を燃やし尽くしたい」という強い怒りと破壊衝動が湧き上がる。本体を物理的に破壊し、息の根を止めることでこの衝動と炎は鎮火した。
発生源である二人の生徒に聴取(予定)した状況を鑑みるに、些細な口論から竹刀を振り回すほどの「怒り」の感情がトリガーとなり顕現した可能性が高い。
本能のままに動き回るため、収容室で管理されている幻想体よりは行動パターンが読みやすいが、無差別に人を襲うため被害の即応性は極めて高い。
■ E.G.O『宇宙の欠片』使用時の状態
装着時、常に意味不明な言語が脳内に直接響き続ける感覚に陥る。
武器で対象を刺突した際、その言語を対象の内部へ直接流し込んだような特異な手応えを感じた。
防御面に関しては、対象の炎を至近距離で受けてもスーツに燃え広がることはなく、極めて優秀。ただし、幻想体から抽出したE.G.Oの使用には、依然として術者側の高い精神的適性(親和性)が要求されると推測する。
■ 追記・要請事項
連絡体制の構築: 個室待機の場合、事案発生から認知までにタイムラグが生じる。L社の内情を理解し、迅速な情報共有が可能な学園内の人員(フォロワー)の配置を強く要請する。
装備の拡充: 閉所戦闘において長物は著しく不利。自身の根源E.G.O以外の「抽出E.G.O武器」の中で、狭所用の短柄武器、および遠距離攻撃が可能な火器類の支給を要請する。
情報統制: 今回の鎮圧は多数の一般生徒(非適格者)に目撃された可能性が大。記憶処理、または学園側と連携した情報統制の対応を求む。
「……よし、送信っと」
エンターキーを叩き、僕は背もたれに深く寄りかかった。
初日からこれでは、先が思いやられる。
翌朝。僕のささやかな平穏は、完全に焼け焦げていた。
「……で、どうしてこうなったんですか」
段ボール箱を抱えた僕は、ひきつった笑みを浮かべていた。
昨夜の「ねじれ」による火災の影響で、一夏と箒さんの部屋は物理的に消滅した。セキュリティと監視の都合上、彼らを別の寮に隔離するわけにもいかず、結果として一番広かった僕の角部屋が彼らに明け渡されることになったのだ。
「ご、ごめんなさいっ! でも、緊急事態ですし……それに、L社からの『連絡係との迅速な連携を構築しろ』という報告書を見た学園長が、それならこれが一番手っ取り早いと……」
申し訳なさそうに縮こまる山田先生。
そう、僕が今立っているのは、山田真耶先生の自室である。
「いくらなんでも、男子生徒と女性教師が同室って、この学園の倫理観はどうなってるんですか」
「うぅ……私だって胃が痛いんですよぉ……。一応、部屋の真ん中にパーテーションは引きますから!」
L社本社の連中は、現場の苦労など知ったことではないらしい。確かに連絡のタイムラグはゼロになったが、別の意味で精神的なノイズが増えそうだ。
隣のベッドスペースをちらりと見ると、そこには教師らしからぬ可愛いぬいぐるみや私物が並んでいる。僕は深い溜息をつき、L社の機材をパーテーションのこちら側に再設置し始めた。
割り当てられた山田先生の部屋。
L社への定時連絡や報告書作成のための「完全防音の個室」が用意されていたのはありがたかったが、生活スペースは完全に共有。しかも部屋のど真ん中には、学園側がわざわざ搬入したという真新しい「ダブルベッド」が鎮座していた。
いくら仕事とはいえ、年頃の男子と若い女性教師が同じベッドで寝るなど、正気の沙汰ではない。
昨晩は、お互い顔を真っ赤にしながらベッドの右端と左端ギリギリに横たわり、少しでも動けば落ちそうな緊張感の中で強引に目を閉じた。
だが、朝。
目を覚ました僕の腕の中には、温かく柔らかい感触があった。
「……んぅ……」
寝ぼけ眼をこすりながら見下ろすと、そこには僕の胸にすっぽりと顔を埋め、両腕で僕のパジャマをきつく握りしめている山田先生の姿があった。
「…………」
「……はっ!? あ、あああごめんなさい! 私、寝相が悪くて……っ!」
数秒後、覚醒した先生がバネのように飛び起き、顔を茹でダコのように真っ赤にして平謝りしてきた。僕も僕で、動揺を隠しきれずに頭を下げた。
だが、不思議なことに、この決定的なハプニングのおかげで「異性と同室」という極度の緊張の糸がプツリと切れたのも事実だった。
「……まあ、お互い疲れてますしね。今夜からは、もう少し真ん中で普通に寝ましょうか。落ちたら危ないですし」
「そ、そうですね……。よろしくお願いします、色々と……」
気まずさは残るものの、奇妙な連帯感が生まれた朝だった。
朝のHR前、教室の扉を開けた瞬間、僕は思わず後ずさりしそうになった。
しかし、その連帯感の代償は、登校直後に支払うことになった。
「ねえねえ! 山田先生と同室って本当!? どういう関係なの!」
「教師と生徒の同棲……これはこれで、すごくアリだわ……!」
「夜はどうしてるの!? ねぇ!」
IS学園の女子生徒の情報収集力を舐めていた。僕と山田先生の部屋割りの件は、一夜にして学園中の知る所となっていたらしい。
机を囲む女子たちの目は、好奇心と謎の興奮で血走っている。助けを求めようと隣の一夏を見たが、彼もまた悲惨な状況だった。
「織斑くん、篠ノ之さんと幼馴染だったのね! 隠してるなんて水臭いわよ!」
「昨日の夜、二人でなに話してたの!?」
幼馴染という強力な属性がバレた一夏と箒さんも、質問攻めの十字砲火を浴びて完全にフリーズしていた。
「あ、来たわよ!」
「ちょっと、昨日は凄かったじゃない!」
「あの火を吹くトカゲ、一撃で倒しちゃったんでしょ? あの武器ってISのプロトタイプ?」
「助けてくれて、その……ありがとね」
昨日までの「得体の知れない気味の悪い男子」を見る目はどこへやら。
クラスの女子生徒たちが、目をキラキラさせながら僕の席に群がってきたのだ。恐怖と警戒の不協和音は鳴りを潜め、代わりに「頼れる仕事人」を見るような、熱を帯びた好意の音が耳に押し寄せてくる。
(……これはこれで、非常にやりにくい)
僕は引きつる頬を必死に抑えながら、「L社の職務ですから」「怪我がなくて良かったです」と無難な対応でやり過ごす。
チラリと横を見ると、一夏は一夏で「同室の女の子(箒さん)」とのトラブルについて男子の意見を求める女子たちに詰め寄られ、白目を剥いていた。苦労人同士、後で胃薬を分け合おう。
「一夏、役には立たんかもしれんが胃薬をあげよう」
「お、おう…すごく助かる」
男子生徒の憂鬱は続く
昼休み、山田先生から「本社から支給品が届いてます」と小さなアタッシュケースを渡された。
昨夜の報告書で要請した『閉所用の短柄武器』だ。対応の早さだけは評価できる。僕は人目のない準備室でケースを開いた。
「……相変わらず、デザイン部の正気を疑うな」
中に入っていたのは、黒鉄で打たれた美しい造形のダガー(短剣)だった。
だが、その刀身の腹には、幼稚園児のクレヨンで描いたようなピンクのハートと黄色の星のペイントが、ポップに、そして絶妙にダサく刻まれていた。
『宇宙の欠片』の意匠を律儀に反映した結果だろうが、武器のような形状とのアンマッチさが酷い。
しかし、軽く指で刃に触れてみると、背筋が凍るほどの鋭さがあった。
これなら、昨日みたいな狭い廊下や室内でも、取り回しを気にせず肉を裂ける。文句は言えない。僕はダガーを指輪に格納するのだった。
放課後。
「生徒会室に来るように」という呼び出しを受けた僕は、指定された扉の前に立っていた。
学園の生徒会長、更識楯無(さらしき たてなし)。僕のL社所属や契約をあっさりと呑んだ、底知れない上級生だ。
「失礼します。1年の――」
扉を開け、中に足を踏み入れた瞬間だった。
――ヒュッ!
挨拶もそこそこに、僕の顔面めがけて鋭い回し蹴りが飛んできた。
殺気はない。だが、当たれば脳震盪は免れない速度と重さだ。
「おっと」
僕は半歩だけ後ろに下がり、蹴りの軌道を避ける。
追撃で放たれた手刀を左手で軽く払い、そのまま相手の重心を崩すように手首を軽く抑え込んだ。
「あらら。全部捌かれちゃった」
悪びれる様子もなく微笑んだのは、扇子を片手に持った更識会長だった。
「……初対面の挨拶にしては、ずいぶんと物理的ですね」
「ごめんなさいね。でも、あなたが『どれくらい動けるか』、直接確かめておきたかったの」
会長は扇子をパチンと閉じ、真剣な瞳で僕を見据えた。
「昨日の事件の報告は聞いたわ。見事な手際だったそうね。……知っての通り、ISを動かせる男子というのは、世界中から狙われる的よ。織斑くんも、そしてあなたもね」
彼女の言う通りだ。ここは平和な学園の顔をしているが、一歩裏に回れば各国の諜報機関やテロリストが目を光らせている。
「あなたがL社の人間だとしても、自分の身は自分で守れる実力がないと、すぐに喰われちゃう。……でも、今の動きなら及第点ね」
アルガリアさんの「見えない鎌」やゲブラーさんとの鬼ごっこを半年間こなし続けた僕からすれば、会長の攻撃は素直で真っ直ぐすぎた。とはいえ、彼女の実力が並のIS操縦者を遥かに凌駕していることは、その体捌きから十分に伝わってきた。
「それで、ご用件は? 僕のテストだけが目的じゃないでしょう」
「ええ。あなたには、生徒会に入ってもらおうと思って」
会長は一枚の書類をデスクに滑らせた。
「学園内の情報網の提供、および緊急時の生徒の避難誘導サポート。あなたが昨日の報告で求めていた『協力体制』を、生徒会という名目で確立させてあげる」
願ってもない提案だった。生徒会というポジションなら、学園のあらゆる場所に顔を出しても不自然ではない。
「ただし、条件があるわ」
「条件、ですか?」
「あなた、ISの操縦はまだ素人でしょ? 放課後、私が直々にISの操縦訓練をつけてあげる。L社の仕事も大事だけど、表向きは『IS学園の生徒』なんだから、しっかり乗れないと困るのよ」
彼女の目は、完全に「面白い相手を見つけた」と語っていた。
だが、断る理由はない。E.G.Oだけでなく、ISの機動力が加われば、学園のどこでねじれが発生しても即座に急行できる。
「……わかりました。謹んでお受けします、会長」
「よろしい。これからよろしくね、期待の新人くん!」
「紹介するわ。我が生徒会の自慢のメンバーよ」
そこにいたのは、学園の深淵を司る二組の姉妹。
更識簪(1年): 会長の妹。控えめだが、その瞳には冷静なエンジニアの光。
布仏虚(3年・会計): 姉。三つ編みに眼鏡、背筋を正したその姿は規律の化身。
布仏本音(1年・書記): 虚の妹。 袖の長い制服を纏い、常に眠たげでおっとりとしている。
かくして、僕の学園生活は「山田先生との同居」「クラスの女子からの熱視線」「生徒会長によるIS特訓」という、過労死一直線のスケジュールへと突入していくのだった。
夜。
山田先生との「共同生活」二日目。
昨日の一件を経て、僕たちはある種の諦念に近い合意に達していた。
「……あの、今日も端っこで寝ますか?」
「いえ……落ちたら腰を痛めますし、今日は普通に寝ましょう。お互い、仕事で疲れてますから」
学園が用意したダブルベッド。
効率性を重視して導入されたこの家具は、僕たちから「遠慮」という最後の壁を剥ぎ取ろうとしていた。
お互いに顔を赤らめながらも、掛け布団の中に滑り込む。
「……先生、寝相、気をつけてくださいね」
「うぅ……善処します……。あ、でも、L社への報告、ありがとうございました。おかげで現場の動きがスムーズになりました」
「仕事ですから」
背中合わせで、けれど昨日よりは少しだけ近い距離。
パーテーション越しに聞こえる先生の規則正しい寝息が、僕の神経を少しずつ解きほぐしていく。L社の本社では、常に誰かの悲鳴や警報音が響いていた。それに比べれば、この「異性との同居」という非日常的な緊張感の方が、ずっと人間らしいものに思えた。
翌朝。
僕と山田先生が連れ立って登校する姿は、もはや学園の「公認」になりつつあった。
「教師と生徒の禁断の愛」という噂は、尾ヒレがついてクラス中に広がり、もはや否定するのも馬鹿らしいレベルだ。
「ねえ、やっぱり先生と何かあったんでしょ!?」
「『これはこれでアリ』派が増えてるんだから、白状しちゃいなさいよ!」
クラスの女子たちの追及をかわしながら、僕は一夏の方を見た。
彼と箒さんも、昨夜の「同室事件」のせいで質問攻めの真っ只中だ。
「……一夏、生きてるか?」
「お、おう……。なんだか、ISを動かす事や勉強より疲れるよ、これ……」
苦労人二人は、戦場で見せるような鋭い視線を交わし、深く溜息を吐いた。
鎮圧作業とそれに伴う報告書の作成と対策案の提示を学生にやらせる企業があるって怖すぎる。
そして、山田先生との同棲がこの子にどのような影響を与えるのか
次回「私たち、飛びたい、沢山」
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