IS×PM   作:本棚の一冊

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13話 着替えと訓練と同棲と

その日の昼休み、IS学園の食堂はちょっとした暴動の様相を呈していた。

 

なんたって、ただでさえ希少な「男子生徒」がもう一人増えたというだけでも大ニュースだというのに、その転校生が金髪碧眼の超絶美少年とくれば、女子生徒たちが放っておくわけがない。噂を聞きつけた上級生までもが、シャルルを一目見ようと教室や廊下に押し寄せる始末。俺たちは文字通り、群衆の波をかき分けるようにして食堂へと逃げ込んだ。

 

「急ごう、ここで立ち止まったら圧死するぞ……!」

「う、うん。日本の学校ってすごい熱気なんだね……」

「お前ら、早く席取るぞ!」

 

俺とシャルル、そして一夏。男3人でつるんで行動する。ただそれだけのことが、IS学園という特異な環境においては奇跡のように思えた。無事にメニューを注文し、空いているテーブルに陣取ると、俺は深い安堵の息を吐いた。

男たちの食卓と、掘り返された黒歴史

 

「はぁ……。こうして男同士で、他愛のない話ができる日が来るなんてな。L社の休憩室でエネルギー飲料をすするだけの生活より、よっぽど人間らしいよ……」

 

俺が感慨深げに呟くと、シャルルはクスリと微笑んだ。その爽やかな笑顔は、なるほど、女子が熱狂するのも頷ける。だが、そんな俺の安らかな心は、彼の次の一言であっさりと粉砕された。

 

「そういえば君、フランスでもすごく話題になってるよ。ほら、この間のクラス代表戦の映像……あの『レティシア装備』の活躍、本当にすごかったね! 赤と白のフリルが躍動してて……あ、魔法少女みたいで可愛かったって、向こうの女の子たちも言ってたよ」

 

「――っ!?」

 

俺は持っていた箸を落とし、両手で頭を抱えた。

フラッシュバックする忌まわしき記憶。真っ黒なL社の特殊装甲が剥がれ落ち、全校生徒の面前で顕わになった、あの赤と白のフリフリな魔女っ子衣装。あれのせいで俺の学園生活の社会的尊厳は死んだのだ。まさかその悪名が、海を越えてフランスにまで轟いているとは。L社の情報統制はどうなってるんだ、アンジェラ仕事しろ!

 

「うわぁぁぁぁ! やめろ、その名前を出さないでくれ! 違うんだ、あれはE.G.Oの特性上ああなるだけで俺の趣味じゃないんだ!!」

「お、おいシャルル、それ以上は言ってやるな。こいつ、あの件はガチで引きずってて、夜な夜なうなされてるらしいからな……」

 

一夏が苦笑いしながらフォローを入れてくれる。ありがとう一夏、お前は本当にいい奴だよ。女心は絶望的に理解していないが。

 

「あ、ご、ごめん! 悪気はなかったんだ。ただ、純粋にすごいと思って……」

「……いや、いいんだ。気にしてない。L社の業務に比べれば、社会的な死なんてかすり傷みたいなもんだ……」

 

俺は死んだ魚のような目でうどんをすする。

そんな俺を慰めるように、一夏が話題を変えた。

 

「ま、気を取り直してメシ食おうぜ。午後は実習があるから、早く着替えないといけないしな」

 

その言葉に、シャルルの動きがピタリと止まった。

「……そ、そうだね。着替え、か……」

どこか緊張したように視線を泳がせるシャルル。男同士、更衣室での着替えなんてなんてことないはずだが、フランスのお坊ちゃんには日本の集団着替えは抵抗があるのだろうか? まあいい、あとでフォローしてやろう。

渦中の山田先生救出作戦

 

食事を終え、俺たちは食堂を後にした。

しかし、廊下に出たところで、俺の視界にある光景が飛び込んできた。

 

「だから! 違いますってばぁ〜!」

「本当に何もなかったんですか!? 寮が全焼したからって、同じ部屋で、しかもあんな……!」

「証拠! 何もなかったという証拠を出してください!」

 

山田真耶先生が、数十人の女子生徒に壁際まで追い詰められていた。昨晩の「お嫁に行けない」発言から派生した、俺との熱愛(というより不純異性交遊)疑惑の追及だ。朝方に一応の収拾はついたはずだが、火種はまだ燻っていたらしい。

 

「一夏、シャルル。悪いが先に行っててくれ。俺はちょっと、火消しをしてくる」

 

二人を先に行かせ、俺は女子生徒の群れの中へと足を踏み入れた。

 

「はいはい、そこまでだお前ら。先生を困らせるな」

俺が山田先生の隣に立つと、女子たちの姦しさはさらにヒートアップした。

 

「あっ、主犯が来ましたよ!」

「どうなんですか! 先生とベッドで何を……!」

「証拠を出せーっ!」

 

血気盛んな女子生徒たち。L社の暴走した職員(パニック状態)よりはマシだが、物理攻撃が効かない分タチが悪い。俺は冷静にポケットから、L社から支給されている小型の録音デバイスを取り出した。

 

「証拠なら、ある」

 

スイッチを押す。

『……昨晩のことだが、こいつらは安全確保のために同じ部屋にいただけで、何もやましいことはない。私が保証する』

デバイスから流れてきたのは、今朝の織斑千冬先生の冷徹で絶対的な声だった。

 

「あっ……」

「織斑先生の、声……」

 

ざわめきがピタリと止む。

すると、まるでタイミングを見計らっていたかのように、廊下の奥からコツコツとヒールの音が響いてきた。

 

「丁度いい。私が言った通りだ」

 

腕を組み、冷ややかな視線を放つ織斑千冬先生の登場に、女子生徒たちはビクッと肩を揺らす。

 

「これ以上、根も葉もない噂で騒ぎ立てるようなら……午後の実習訓練は、通常メニューの3倍に引き上げてやる。分かったな?」

 

「「「ひぃっ! し、失礼しましたー!!」」」

 

鶴の一声。いや、魔王の咆哮。

女子生徒たちは蜘蛛の子を散らすように、あっという間に逃げ去っていった。

意外な評価と揺れる心

 

「……助かりました、織斑先生」

俺はデバイスをしまいながら頭を下げる。

「それに、今朝の発言を勝手に録音していてすみません。念のための保険というか、L社での癖が抜けてなくて……」

 

「フン、仕方あるまい。お前の置かれている状況を考えれば、防衛策としては妥当だ。事後承諾だが許可してやる」

千冬先生はため息をつきつつも、咎める様子はなかった。

 

俺は隣でへたり込んでいる山田先生に声をかけた。

「大丈夫ですか、山田先生。何か辛いことがあったら、いつでも俺に言ってくださいね。一応、同棲……いや、同室のよしみですから」

 

「ふぇ……? あ、あの、その……」

俺の言葉に、山田先生は今朝のベッドでの出来事を思い出したのか、顔から首までをリンゴのように真っ赤に染め上げた。湯気が出そうなほどの動揺ぶりだ。

 

「それじゃ、午後は実習なので先に出ます。更衣室に行かないと」

「ああ、遅れるなよ」

 

千冬先生に見送られ、俺は足早にその場を後にした。

 

俺が去った後の廊下。

静寂を取り戻した空間で、千冬は真っ赤になったまま固まっている同僚に、意地悪く口角を上げてみせた。

 

「……なんだ、山田。あいつとなら、案外お似合いだと思うぞ?」

 

「ええええっ!? そ、そんな! 私なんて、ドジで取り柄もないですし、あの子は生徒で……それに、あんなしっかりした子に、私なんかじゃ釣り合いませんよぅ……!」

 

山田は両手で顔を覆い、自分を卑下する言葉を並べ立てる。

しかし、千冬はそんな山田先生を面白そうに見つめながら、決定的な一言を放った。

 

「そうか? 私の愚弟(一夏)と違って、気遣いもできる。L社での経験のおかげか、肝も据わっている。……お前のその面倒くさい性格を受け止めるには、あれくらい図太い男が似合いだと思うぞ」

 

「ひゃうっ……!?」

 

千冬の容赦ない、だが確かな評価を含んだ言葉に、山田先生は全身を震わせ、その日一番の顔の赤さでその場にしゃがみ込むのだった。

 

更衣室に飛び込むと、すでに着替えを終えた一夏とシャルルが待っていた。

 

「悪い、待たせた!」

「いいよ、俺たちも今終わったところだし。……なぁ、そういえばさ」

 

一夏が、先に教室へ向かおうとするシャルルの背中をチラリと見て、声を潜めた。

 

「シャルルの奴、なんだか着替える時にすごく俺たちを避けてるっていうか、見られたくない素振りをしてたんだ。あいつ、フランスのお坊ちゃんだから恥ずかしがり屋なのかな? 男同士なんだから気にしなきゃいいのにな」

 

一夏の能天気な疑問に、俺は脱ぎ捨てた制服をロッカーに放り込みながら、苦々しい表情で答えた。

 

「一夏、 誰にだって見られたくない事情ってのはあるんだよ」

「え、そうか?」

「いいか。例え話だ。お前が毎回着替えるたびに、強制的にレティシアみたいなフリフリの魔法少女服を全身に纏わされて、しかもそれが全校生徒に配信される呪いにかかってたとしたら、着替えの時だって神経質になるだろ?」

 

俺の切実すぎる(実体験に基づく)例えに、一夏は「あ……」と絶句し、深く納得したように頷いた。

 

「……ごめん。今の例え、めちゃくちゃ説得力あったわ。そうだよな、事情ってあるよな」

「分かればよろしい。さあ、行くぞ。遅れると千冬先生の物理鎮圧が飛んでくる」

 

午後の実習は、女子とは別メニューでの男子専用訓練となった。

グラウンドには、シャルルの専用機『ラファール・リヴァイヴ・カスタム』がその姿を現していた。デュノア社製の洗練されたフォルムは、いかにも「最新鋭」といった趣で、L社の無骨で「狂気」すら感じる兵装を見慣れた俺の目には、かえって新鮮に映る。

 

「さて、今日のメニューだが……」

 

俺は指示を仰ぐため、腕を組んで立っている織斑先生の元へ歩み寄った。千冬先生は少しの間、俺と、そしてISの調整をしている一夏を交互に見やり、試すような視線を向けてきた。

 

「……。お前、あの一夏を鍛えられるか?」

「一夏を、ですか?」

「ああ。白式(びゃくしき)は強力だが、あいつの操縦はまだ直線的すぎる。特に遠距離からの攻撃への対処が甘い」

 

俺は一瞬考え、L社の職員としての「鎮圧経験」を脳内で検索する。

 

「メニューとしてなら、対遠距離の回避・対応を重点的に鍛えることは可能です。俺のISは、狙撃と弾幕形成には自信がありますから」

「よし、頼む。許可する」

 

千冬先生の指示を受け、俺は覚悟を決めてISを展開した。

『鎮圧用兵装先鋒型』が俺の身体を包み込み――そして、お約束のように装甲の中に現れる。

 

赤と白のフリル。大きなリボン。そして、無機質なISのパーツとは絶望的にミスマッチな、魔法少女の如きE.G.O『レティシア』の姿。シャルルが「あ、可愛い……」と呟いたのが聞こえて、俺の精神汚染度はMAXに達したが、これは仕事だ。仕事なんだ!

 

「一夏! 訓練を開始する。ルールは簡単だ。俺の弾幕を躱しながら、俺に武器を突きつけるか、時間いっぱいまで躱しきればお前の勝ちだ。勝ったら放課後、好きな飲み物を奢ってやる!」

「お、いいな! 負けないぞ!」

 

「それじゃあ、始めるよ。……レディー、ゴー!」

 

シャルルの合図とともに、俺は跳躍した。

 

右手にL社製の鎮圧用ライフル。左手にはレティシアのギフトを模した狙撃銃。

2丁持ちは思ったよりバランスがいい。鎮圧用ライフルは反動が抑えられていて連射しやすく、レティシアの銃は俺の思考に呼応するように、まるで悪戯を仕掛ける子供のように軽い。

 

「まずは挨拶代わりだ!」

 

鎮圧用ライフルで一夏の本体を直接狙い、レティシアの弾丸は「彼が回避しそうな場所」へとあらかじめ置いておく。

チェスの駒を動かすように弾道を重ねる。これがL社の技術部が提唱する「効率的鎮圧理論」の基本だ。一夏の反応速度を強制的に引き上げるための、計算された殺意の弾幕。

 

「うわぁっ!? なんだよこれ、弾が逃げ道に先回りしてくる!」

「甘いぞ一夏! 避ける方向が固定化されているし、タイミングがバレバレだ!」

 

一夏の動きは、ISの性能に頼りすぎていて単調だった。危機が迫ると右へ、次は上へ。そのパターンを読み切るのは、狂った幻想体の挙動を観察し続けてきた俺にとっては、赤子の手をひねるようなものだ。

 

数分後。息を切らして膝をつく一夏に、俺は録画していたホログラム映像を見せた。

 

「いいか、今の自分の動きを見てみろ。ここはフェイントを意識すればもっと楽に躱せたはずだ。一度あえて高度を下げて、弾の軌道を見定めてから、上下のZ軸を使って掻い潜る方法もある」

「上下の、Z軸……。そうか、俺は平面でしか考えてなかったのか……」

 

「そうだ。相手を幻想体だと思え。あいつらは理屈じゃ動かないが、ISのパイロットには必ず『癖』がある。それを見抜いて、相手の『見たい未来』を潰していくんだ」

 

俺のアドバイスに、一夏だけでなく、近くで見ていたシャルルも感心したように目を輝かせていた。

 

「すごいな。君の戦い方、IS学園で教わるセオリーとは全然違う。……まるで、命のやり取りを何度も経験してきたみたいだ」

 

シャルルの言葉に、俺はレティシアのフリルを恥ずかしそうに隠しながら、苦笑いした。

「……まあ、命の予備がいくらあっても足りないような職場で働いてるからな」

 

その時、遠くで見ていた千冬先生が、微かに満足そうに口角を上げたのを、俺は見逃さなかった。

 

「次は僕が相手をするよ、一夏君!」

 

俺と交代する形で、今度はシャルルが一夏の相手を務めることになった。

デュノア社製の最新鋭機『ラファール・リヴァイヴ・カスタム』がグラウンドを滑るように飛翔し、一夏に向けて精確な射撃を放つ。俺のような「幻想体の異常な挙動を前提とした」変則的で殺意の高い弾幕とは違い、シャルルの射撃は洗練された教科書通りの美しい遠距離戦術だった。

 

「くっ、さっき教えてもらったZ軸の動き……ここで!」

 

一夏もただやられているわけではない。俺のアドバイスをスポンジのように吸収し、単調だった回避軌道にフェイントや上下の動きを混ぜ込み始めた。シャルルの精密な射撃を、紙一重で掻い潜り、時には弾幕の隙間を縫って距離を詰める。

その様子を腕を組んで見つめていた織斑千冬先生の口元に、微かな満足げな笑みが浮かんでいた。どうやら、俺とシャルルによる特訓の効果は、彼女の目から見ても合格点だったらしい。

 

そして放課後。

ホームルームにて、転校生であるシャルルの部屋割りが発表された。

 

「シャルル・デュノアの相部屋だが……織斑、お前の部屋が空いていたな。お前たち二人で同室と定めた」

 

千冬先生の決定に、教室が一瞬どよめく。

俺と一夏が昼休みに「そうなるんじゃないか」と予想していた通りの展開だ。

 

「よっしゃ! 男同士、夜通し語り明かそうぜ、シャルル!」

「あ……う、うん。そうだね、一夏君……アハハ……」

 

無邪気に喜ぶ一夏に対し、シャルルは引きつった愛想笑いを浮かべていた。明らかに顔に冷や汗をかいているし、視線が泳いでいる。

L社で日常的にパニックを起こす職員や、擬態する幻想体を観察してきた俺の『直感』が、シャルルの態度の裏にある微かな違和感を鳴らした。……何か、一夏と同室になることに対して「致命的な問題」を抱えているような顔だ。だが、今はそれどころではない。

 

「じゃあ一夏、引っ越しの手伝いするよ。早く済ませよう」

「おっ、サンキュー!」

 

俺が一夏の荷物を運ぶべくダンボールを抱えた瞬間、背後から突き刺さるような殺気を感じた。

振り返ると、箒が「なぜ私が一夏と同室じゃないんだ」と言わんばかりの、怨み骨髄に徹するようなジト目で一夏(と巻き添えの俺)を睨みつけていた。

これはマズい。完全に八つ当たりの対象になるパターンのやつだ。俺はL社での脱走鎮圧時以上のスピードでダンボールを抱え、一夏と共にそそくさとシャルルの部屋へ退散したのだった。

 

「ふぅ……」

 

自室(といっても、学園が用意した特別防護室だが)に戻った俺は、L社の専用端末に向かい、本国へ提出する日報をタイピングしていた。

『本日の業務報告。E.G.Oレティシアの稼働状況は極めて良好。ただし、装着者の精神汚染(主に羞恥心による)が著しいため、早急な精神力回復措置、もしくは別E.G.Oの支給を要請する……』

 

そんな愚痴めいた報告書を書いていると、電子ロックのドアが開き、山田先生が重い足取りで帰ってきた。

 

「ただいま戻りましたぁ……」

「お疲れ様です、山田先生。今日はお互いに、災難な一日でしたね」

 

俺が苦笑いしながら振り返ると、山田先生は力なく「ええ、本当に……」と頷きながら、ソファにへたり込んだ。その顔は、朝の騒動の時からずっと熱を持っているように赤い。

 

「どうしたんですか? まだ女子たちに何か言われたとか?」

「そ、それが……。午後になったら噂に尾ひれがついてて、『結婚式はいつですか』とか『学園長には報告済みですか』とか、もう、とんでもないことになってて……。凄く恥ずかしかったですぅ……」

 

両手で真っ赤な顔を覆いながら、山田先生は涙目で訴える。

 

「それに、千冬さんまで……『お前たち案外お似合いだぞ』なんてからかってくるんです。私なんて、ドジで頼りなくて、ISの知識くらいしか取り柄がないのに……あなたみたいな立派な子に、釣り合うわけないじゃないですか……」

 

いつものように、自分を卑下し始める山田先生。

確かに、教師としては少し抜けているところがあるかもしれない。けれど、俺にとって彼女は違う。

 

「山田先生。俺にとっては、先生は十分頼りになる人ですよ」

「え……?」

「昨日の夜……酔っ払って俺に抱きついてきた時、先生、寝言で仕事の愚痴や不安をこぼしてましたよね。それでも毎日一生懸命生徒のために動いてくれてるし、俺のL社関連の厄介な事情にも、こうして文句一つ言わずに付き合って、助けてくれている」

 

俺は端末から手を離し、山田先生の目を真っ直ぐに見た。

 

「俺は、そんな先生に感謝しています。だから、自分をそんなに卑下しないでください」

 

「あ……ぅ……」

 

俺の言葉に、山田先生はポカンと口を開けた後、顔の赤さをさらに限界突破させた。大きな瞳が潤み、俺から視線を逸らすようにオロオロと宙を彷徨う。その仕草が年上の教師とは思えないほど可愛らしく見えてしまい……気づけば、俺自身の心臓も、警報音のようにドクドクと高鳴り始めていた。

 

その後、俺が簡単な夕食を作って二人でテーブルを囲んだものの、空気は完全に変わってしまっていた。

「いただきます」と箸を動かしても、緊張と互いを意識するドギマギとした感情のせいで、自分が作ったはずの料理の味がまったくしない。山田先生も同じらしく、無言でサラダをひたすら小突いていた。

 

そして、訪れる就寝の時間。

部屋には、否応なしに大きなベッドが一つしかない。

 

部屋の照明が落ち、暗闇の中。背中合わせでベッドの端と端に寝転がる。

毛布の擦れる音と、互いの呼吸音だけが、やけに大きく響く。

 

「……あの、山田先生。起きてますか」

「は、はいぃ……」

 

ビクッと、背中越しに山田先生の身体が跳ねるのが分かった。俺は天井を見つめたまま、ゆっくりと口を開く。

 

「独り言として、聞いてください」

「……独り言、ですか?」

「はい」

 

俺は、静寂な空気に溶かすように、その言葉を紡いだ。

 

「昨日……あの時、先生に抱きしめられて、実はすごく嬉しかったんです」

「――っ」

「……もし、あのまま俺が抱き返していたら、どうなっていたんでしょうね」

 

隣で、山田先生が息を呑む音が聞こえた。

布団をギュッと握りしめる微かな音と、彼女の胸の鼓動が、まるで物理的な波のようにこちらまで伝わってくる気がした。

 

俺もまた、自分が口走ってしまった言葉の破壊力に、今更ながら心臓が破裂しそうになっていた。

L社のどんな恐ろしい幻想体と対峙するよりも、今のこの沈黙と緊張の方が、よっぽど俺の精神を削り取っていく。

 

結局その夜、俺たちは二人して限界まで高鳴る心臓の音に苛まれ、朝が来るまでまともな睡眠をとることはできなかった。

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