大宴会場での賑やかな夕食を終え、俺と山田先生は自分たちに割り当てられた部屋へと戻ってきた。
ふすまを開けると、そこにはすでに二組の布団が綺麗に敷かれていた。
「わあ……いつの間にか、お布団が敷いてありますね」
「本当だ。夕食のあの短い時間で、百人以上いる全部屋の布団敷きを完璧にこなすなんて……仲居さんたちの手際、凄すぎませんか?」
「ふふっ、本当にプロの技ですね」
俺たちは感心しながら、部屋の中央に敷かれた布団の横に腰を下ろした。
「今頃、他の生徒たちの部屋はすごいことになってるんでしょうね。お菓子を持ち寄って遊ぶ準備をしてたり、他の部屋の子を招いて恋バナに花を咲かせてたりするのかな」
「そうですねぇ。臨海学校の夜は、生徒たちにとっては特別ですからね」
そんな和やかな会話を交わしていると、俺のスマートフォンのバイブレーションが短く鳴った。
画面を見ると、L社の教育チーム長であるミシェルさんからの着信だった。
「すみません山田先生、ちょっと電話に出てきますね」
「はい、どうぞ」
俺は広縁の方へと移動し、声を潜めて電話に出た。
「もしもし、〇〇です」
『お疲れ様です、〇〇君。臨海学校の初日、いかがでしたか? 今日の『訓練』はどうでしたか?』
電話の向こうから、ミシェルさんの穏やかな声が聞こえてくる。
「……ええ。バスを追跡してきたシルバーのセダン、ブラフに使った黒のSUV、それと海沿いで合流した黒の大型バイクですね」
『ふふっ、大正解です! お見事ですね』
ミシェルさんは嬉しそうに褒めてくれた後、少しだけ苦笑するような気配を見せた。
『ただ……スペシャリストさんたち曰く、『警戒しているのが周囲にバレバレだった』とのことです』
「うっ……」
『気配の消し方などの基礎を、いきなりの本番で教えなかったこちらの落ち度でもありますね。彼女たちも『先に直接教えた方がいい』と判断したようですので、本格的な技術指導は、夏休みの出勤日に直接指導してもらうことになりました』
「なるほど……了解しました」
『彼女たちも、夏休みの出勤であなたに会えるのを楽しみにしているそうですよ。では、引き続き臨海学校を楽しんでくださいね』
通話が切れ、俺は小さく息を吐いてから部屋の中へと戻った。
「お仕事のお電話ですか?」
「あ、いえ。明日こっちに届く予定の、俺のISについての連絡です」
L社の訓練のことなど言えるはずもなく、俺はとっさに嘘をついた。
「まあ、そうだったんですね。メンテナンスに出していた機体、ちゃんと改良されているんでしょうか?」
「ええ、そんなところです。バッチリ調整されてるみたいですよ」
俺が笑顔で返すと、山田先生も安心したように微笑んでくれた。
「よかったですね。……あ、〇〇君。テレビ、つけてみてもいいですか?」
「はい、もちろん」
山田先生がリモコンの電源ボタンを押すと、画面には『全国のおすすめデートスポット特番!』という文字が大きく映し出された。
綺麗な夜景の見えるレストラン、海辺のおしゃれなカフェ、イルミネーションが輝く遊園地。画面越しに、幸せそうなカップルたちの姿が次々と紹介されていく。
「わあ……すごく綺麗な景色ですね」
「……ええ、本当ですね」
俺たちは並んでテレビの映像を眺めながら、無意識のうちにお互いの横顔を意識してしまっていた。
(……もし、何も気兼ねすることなく、山田先生と二人でこんな場所にデートに行けたら……)
俺がそんな妄想をして顔を熱くしていると、隣に座る山田先生も、なぜか耳まで真っ赤にして、そわそわと落ち着かない様子で画面を食い入るように見つめている。
お互いに言葉には出さないものの、同じような想像をしてしまっていることは明らかだった。
やがて消灯の時間が近づき、俺たちはそれぞれの布団へと入った。
部屋の照明が落とされ、窓の外から聞こえる静かな波の音だけが、暗闇に響いている。
目を閉じても、昼食の時に織斑先生から『好きな人はいるのか?』とからかわれた時のことや、今日一日、隣でずっと笑ってくれていた山田先生の浴衣姿が脳裏に焼き付いて離れなかった。
(……言おう)
俺は意を決して、天井を見つめたまま、静かな部屋の中で口を開いた。
「……山田先生。起きてますか?」
「……はい。起きてますよ。どうしましたか?」
「いや……これはあくまで、ただの『寝言』として聞いてほしいんですけど」
「……寝言、ですか?」
布団が擦れる音がして、山田先生が少しだけこちらに顔を向けた気配がした。俺はゆっくりと、言葉を紡ぎ始めた。
「今の俺って、一応ただの学生じゃないですか。だから……好きな人と、テレビで見たみたいなデートとか、してみたいなって思うんです」
「…………」
「実は……その好きな人は、今、近くにいるんですけどね」
その言葉が出た瞬間、隣の布団から「ひゃうっ」という、息を呑むような小さな声が聞こえた。
「でも……今それを言ってしまうと、その人に、立場上すごく迷惑がかかっちゃうかもしれない。……何より、L社の人間なんていう、いつ命を狙われるかもわからない関係者に、大切なその人を巻き込んでしまうのが……俺は、すごく怖いんです」
俺の正直な吐露に、部屋の中はしんと静まり返った。
波の音だけが、俺の胸の鼓動を誤魔化すように響いている。
「だから……」
俺はギュッと布団の端を握りしめ、言葉を続けた。
「俺がこの学園を無事に卒業して、『生徒』じゃなくなったら。……その時は、本人に全部、俺の口からちゃんと伝えたいなって。……そう思ってるんです。……寝言、ですけどね」
言い終えて、俺は深く息を吐き出した。
遠回しすぎる、言い訳じみた告白。けれど、これが今の俺に言える、精一杯の誠意だった。
数十秒の、長い長い沈黙。
やがて、隣の布団から、少しだけ潤んだような、それでいてとても優しく、温かい声が返ってきた。
「……本当に、変な寝言ですね、〇〇君」
「……すみません」
「でも……ふふっ」
山田先生は、暗闇の中で顔を真っ赤に染めながら、胸元まで布団を引き上げて、ゆっくりと答えてくれた。
「……もし私がその人だったら。……あなたが立派に卒業するまで、絶対に待っていますよ」
「……っ!」
「あなたが『生徒』じゃなくなる日を、ずっと。……だから、その時のあなたの言葉は、全部、一つ残らず……ちゃんと聞いてくれるはずです。……その人は、絶対に」
遠回しな言葉で、彼女は俺の想いを正面から受け止め、そして、彼女自身の本心も真っ直ぐに伝えてくれた。
「……はい。ありがとうございます」
俺は、暗闇の中で自然とこぼれた笑みを隠すことなく、深く頷いた。
お互いに抱えている障害は大きい。それでも、心は確実に通じ合っている。その事実だけで、俺の心は温かいもので満たされていた。
「おやすみなさい、〇〇君」
「おやすみなさい、山田先生」
波の音を子守唄に、俺たちはこれまでにないほど穏やかで、幸せな気持ちのまま、静かに眠りについたのだった。
山田先生SIDE
大宴会場でのとても賑やかな夕食——織斑君を巡る女の子たちの激しいアピール合戦や、セシリアさんのわさび事件など、本当に息つく暇もない時間——を終え、私と〇〇君は割り当てられた部屋へと戻ってきました。
ふすまを開けると、そこにはすでに二組のお布団が綺麗に敷かれていました。
「わあ……いつの間にか、お布団が敷いてありますね」
「本当だ。夕食のあの短い時間で、百人以上いる全部屋の布団敷きを完璧にこなすなんて……仲居さんたちの手際、凄すぎませんか?」
驚いている〇〇君の横顔を見ながら、私はふんわりと心が温かくなるのを感じていました。
日中の激しい訓練や、常に周囲を警戒しなければならないL社でのお仕事。そんな過酷な世界に身を置いている彼が、今この瞬間だけは、普通の学生の男の子のような無邪気な顔をしてくれているのが、なんだかとても嬉しかったのです。
「ふふっ、本当にプロの技ですね」
私たちがそんな会話をしていると、不意に彼のスマートフォンが震えました。
「すみません山田先生、ちょっと電話に出てきますね」
広縁の方へ移動し、声を潜めて電話に出る〇〇君。
その背中を見つめながら、私は少しだけ胸がチクリと痛みました。
(……L社の方からの、お電話でしょうか)
電話を終えて戻ってきた彼に尋ねると、〇〇君は「明日届く予定のISについての連絡です」と笑って答えてくれました。
「よかったですね」と返しつつも、私は彼が私を心配させまいと嘘をついてくれたことに気がついていました。彼がどれほど危険な世界で生きているか、私は知っています。だからこそ、深くは踏み込まず、ただ彼の帰る安全な場所でありたいと思うのです。
その後、彼がつけてくれたテレビには『全国のおすすめデートスポット特番!』が映し出されました。
「わあ……すごく綺麗な景色ですね」
「……ええ、本当ですね」
画面に次々と映る、綺麗な夜景やイルミネーション、そして幸せそうに寄り添う恋人たちの姿。
浴衣姿の〇〇君と並んで座り、こんな映像を見ていると……どうしても『もし、私と彼が普通の男女として、こんな場所に行けたら』なんて、恥ずかしい想像をしてしまいます。
(だ、だめですよ真耶! 私は教師で、彼は生徒なんですから……っ! でも……)
横目でチラリと彼を見ると、〇〇君もなんだかそわそわとしていて、耳の先がほんのりと赤くなっているように見えました。
もしかして、同じことを考えてくれているのかな……そう思うだけで、顔から火が出そうなくらい熱くなってしまいました。
やがて消灯の時間が来て、部屋の明かりを消し、私たちはそれぞれのお布団に入りました。
波の音だけが聞こえる暗闇の中、私の心臓はずっとドキドキと高鳴り続けていました。昼間、彼がクラスの女の子たちから好きな人を尋ねられ、「自分じゃ迷惑がかかるから」と切なそうに笑っていた時の顔が、頭から離れなかったからです。
(……〇〇君)
私が心の中で彼の名前を呼んだ、その時でした。
「……山田先生。起きてますか?」
「……はい。起きてますよ。どうしましたか?」
静かな部屋に、彼の声が響きました。
「いや……これはあくまで、ただの『寝言』として聞いてほしいんですけど」
寝言。
その前置きに、彼がどれほどの覚悟と迷いを抱えて口を開いてくれたのかが伝わってきて、私は思わず息を呑みました。
「今の俺って、一応ただの学生じゃないですか。だから……好きな人と、テレビで見たみたいなデートとか、してみたいなって思うんです」
「…………」
「実は……その好きな人は、今、すぐ近くにいるんですけどね」
ドクンッ、と。
心臓が跳ね上がり、思わず「ひゃうっ」と小さな声が漏れてしまいました。
真っ暗でよかった。今の私の顔、きっと茹でダコみたいに真っ赤になっています。
「でも……今それを言ってしまうと、その人に、立場上すごく迷惑がかかっちゃうかもしれない。……何より、L社の人間なんていう、いつ命を狙われるかもわからない関係者に、大切なその人を巻き込んでしまうのが……俺は、すごく怖いんです」
震えるような、彼の切実な吐露。
彼がずっと抱えていた恐怖。私を巻き込みたくないという、あまりにも不器用で、優しすぎる想い。
胸がギュッと締め付けられて、目頭が熱くなるのを感じました。
「だから……俺がこの学園を無事に卒業して、『生徒』じゃなくなったら。……その時は、本人に全部、俺の口からちゃんと伝えたいなって。……そう思ってるんです。……寝言、ですけどね」
静寂が降りました。
私は、お布団を胸元までギュッと引き上げ、溢れそうになる涙を必死に堪えました。
教師と生徒。そして、彼が背負う危険な宿命。
そのすべてを乗り越えて、彼は私に「待っていてほしい」と伝えてくれたのです。
……こんなの、答える言葉は一つしかありません。
「……本当に、変な寝言ですね、〇〇君」
震える声を必死に抑え、私は暗闇の中でゆっくりと言葉を紡ぎました。
「でも……もし私がその人だったら。……あなたが立派に卒業するまで、絶対に待っていますよ」
あなたの重荷になりたいわけじゃない。
でも、あなたが一人で危険な世界に立ち向かうのなら、せめて私は、あなたが帰ってくるのを信じて待ち続ける場所になりたい。
「あなたが『生徒』じゃなくなる日を、ずっと。……だから、その時のあなたの言葉は、全部、一つ残らず……ちゃんと聞いてくれるはずです。……その人は、絶対に」
「……はい。ありがとうございます」
暗闇の向こうから聞こえた彼の声は、ホッと安堵したような、とても優しい響きをしていました。
お互いの立場もあって、今はまだ「好きです」と直接言葉を交わすことはできません。それでも、私たちの心は確かに繋がり合えたのだと、そう確信できました。
「おやすみなさい、〇〇君」
「おやすみなさい、山田先生」
目を閉じると、彼の言葉が何度も胸の中で反響して、幸せな気持ちでいっぱいになりました。
波の音を聞きながら、私はいつか来る『その日』を夢見て、ゆっくりと眠りについたのでした。
この場合、事実婚ならぬ事実恋人なのかな?