この話はしばし時間を遡る。
———まだ春先の頃の出来事。
まだ日が昇ったばかりの朝方。ランサーは部屋の中にバゼットの姿が見えないことに気づいた。
「バゼット? こんなに朝早くからどこに行ったんだよ?」
ランサーがあたりを見回しながらバゼットを探すと、
「ここにいますよ。ランサー」
庭からバゼットの声がした。
ランサーも庭に出る。庭先でバゼットは地面に穴を掘ってなにかを埋めていた。
「アンタが庭仕事とは珍しい。なにか植えてるのか?」
ランサーはひょいとバゼットの手元をのぞく。
「ん?」
バゼットが穴の中に入れていたのは花の種や球根ではなかった。なんだか重そうな球体である。
「お、それはもしかして」
「フラガラックの元です」
「手作りなのかよ!土に埋めて作るのか」
「ええ、私の血をかけて埋めておくのです」
バゼットは穴の中の球体に土を被せながら答えた。
「へええ」
「このフラガラックは一発限りの使い捨てで、一つ出来上がるまでにだいたい一ヶ月くらいかかります。年に10個程度しか作れないのです」
バゼットの生家、フラガ一族のルーツは太陽神ルーに仕えた魔術師である。彼らはルーの宝具であるフラガラックを神代から現代まで、それこそ気の遠くなるような長い間ずっと伝え続けているのだ。
だがまさか宝具を手作りとは……。槍の英霊にしてルーの息子であるランサーもびっくりだ。
「もっとも出来映えには埋める土地の魔力の強さや相性も関係します。ここは故郷や時計塔の土地に比べたらフラガラックを作るのには向いていないでしょう。
ですが冬木は聖杯が現れる土地ですし、この館は以前フィンランドの名門魔術師エーデルフェルト家が使用していた場所です。ある程度の魔力を持っている土地のように思います。
なので試しにフラガラックを作成してみようかと」
「ふうん、試しにねえ」
「フラガラックの能力は5つあるのですが、私はまだ2つしか使えていないのです。いまだ私は研鑽中の身。神代からの秘伝の技と言えど進化、研究は必要なのです、ランサー」
バゼットは穴を土で埋め終え、表面を叩いて整地している。その姿を見ながらランサーは呟いた。
「よし、じゃあオレもその隣でなにか作ってみるか」
次の日、商店街に出かけたランサーは細長い鉢を持って戻ってきた。園芸用のプランターだ。
「よーし、これを作るぜバゼット」
「作るって、フラガラック……じゃないですよね」
バゼットはプランターの中を覗き込んだ。中には土が詰まっており苗が植えてある。
「サツマイモの苗だ。アルバイト先の人に教えてもらって買ってきたんだよ」
ランサーは「庭でかんたん!家庭菜園」という本まで用意してきていた。サツマイモ栽培のページを見ながら鍬をふるう。
「ランサー、日頃槍を振り回しているあなたが畑で鍬を振っている姿を見るのは妙な気分です……」
「はっはっは、なかなか様になってるだろ?」
戸惑うバゼットに笑い返しながら、ランサーは器用に土を盛って畝にし、黒いビニールシートを敷いて畑を作り上げた。
「サツマイモ……。イモということはジャガイモのようなものですか?」
「まあそうだな。この国じゃ秋の味覚らしいぜ」
ランサーとバゼットは手分けして苗を畑に植え付ける。
全部の苗を植え終わったところでランサーは小さな立て札にマジックペンできゅきゅっとダイヤ型のマークを書き込んだ。その立て札を畑の端に刺す。
「それは
「おうよ。豊作のお祈りだ」
ランサーが立札に書いたのは豊穣の神イングの象徴である
「なるほど。きっとこのサツマイモにイング神の祝福があることでしょう」
「ああ、秋の収穫が楽しみだな!」
———季節は過ぎ行く。
毎月バゼットは庭でフラガラックを収穫している。ランサーが彼女の様子を見るに、やはり出来映えは時計塔で作ったものほどではないようだ。
「フラガラックにも
とバゼットは苦笑していた。
畑のサツマイモの方は青々とした蔓を伸ばし、とても順調に育っている。
「よーし、サツマイモの方にはばっちり効いているようだな」
ランサーは畑を眺めて満足げに呟いた。
ある日、バゼットは暇つぶしに棚に置いてあった家庭菜園の本を見ていた。日ごろ見ているのはサツマイモ栽培のページだけだ。
だがこの日は何の気なしにぱらぱらとページをめくっているうちに、ふと巻末に乗っている読み物に目が止まった。
「む……、これは。もしかすると我々の力を世の中に役立てる事ができるのかもしれません」
バゼットは本を綴じ、ペン立てからマジックペンを取り出すと庭に出て行った。
翌日、庭を眺めたランサーはふと畑に違和感を覚えた。昨日と何かが違う……。よくよく眺めてみて気がついた、畑の端の立札が増えているのだ。
「あれ? ルーン増えてないか」
「ルーンを追加してみました」
さらっとバゼットが答えた。
「いつの間にっ!」
バゼットは棚の家庭菜園の本の巻末のページを広げた。
「ランサー、近年の農業ではバイオテクノロジーを使って品種改良をしています」
「ほう」
「それによって様々な農作物をより品質を良くし、病気や害虫への耐性を高め、効率よく収穫できるようになるのです」
巻末には農業に関する社会問題についてのあれこれを解説したコラムが載っていた。バゼットはたまたまこれを見つけて読んだらしい。
「うーん。すごい世の中になったもんだなあ。
オレが生きていた時代は農作物に害虫や病気が流行ったらどうしようもなかったんだぜ」
ランサーもバゼットが広げたページを読んだ。
昔の農業は自然頼み、すなわち神頼み。人間は自然の猛威の前にはなすなべがなく、ただ祈願する事しかできなかった。それもあってかルーンには豊穣の意味をもつ文字が複数含まれている。
ランサーの時代よりもずっと現代に近い19世紀ですらヨーロッパ全域に広がる大規模な飢饉があった。ジャガイモの疫病が4年間に渡り蔓延したのだ。ジャガイモを主食としていたアイルランドはこの飢饉により一時期は人口が半減した。その人口減はなんと現代になってすら回復できていない。
そういう被害を現代では科学の力で防ぐ事ができているのだ。
いい時代になったものだねえ、とランサーはしみじみ思う。
「そこでです、ランサー」
「ん、なんだ、バゼット?」
バゼットの声を聞いてランサーは読みふけっていた本から顔を上げた。
「農作物に対する同じような効果をルーンでも与えられるのではないかと思います」
「えっ、アンタそれで畑の周りにルーンの立て札増やしてたのか!?」
「その通りです」
バゼットは頷く。
「バイオテクノロジーは大変便利で効果的なものです。ですがその進歩の早さは人々に若干の不安をもたらす事もあるようです。
たとえば遺伝子組み換え作物などです。これは以前から品種同士の交配などで徐々に品種改良をしていたものをある意味てっとり早くしているのですが、未知の方法であるため反対意見もあるのだとか」
バゼットは表情をきりっと引き締めて続けた。
「そこで、神代から伝わるルーン魔術によって農作物に効能を付加すれば、
演説しきったバゼットは名案でしょう、と自慢げな表情をしている。
「バゼット、アンタどっちかというと漁村の出身じゃなかったのか。農家になるつもりなのかよ」
「ウチは代々魔術師ですよ、ランサー。
科学に魔術が負け続けていてはなりません。……第一このままでは世の中での魔術の必要性がさらに減って、私ができる職業が減ってしまいます」
「そこかよ!」
そんなわけで、バゼットは日々庭の畑でフラガラックの仕込みのついでにサツマイモの手入れを続けていた。
季節は移り変わり、既に秋。そろそろ収穫の時期がやってきた。
はたしてルーンテクノロジー栽培のサツマイモはどんな出来映えになったのだろうか?
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inguz(イングス)
象徴:豊穣/イング神
英字:ing
意味:豊穣の神イング(フレイ)のルーンであり、多産、豊穣を象徴する。収穫・安定・満足・幸福・発展等の前向きな意味を表す。また、完成という意味もあり、何かの出来事に決着がつく、完了するなどの意味も示す。
ルーン図形:
次回は収穫編です。