アイルランド出身ウマ娘さんと、それを見守る一般人さん 作:佐月檀
胸元に掛かったゼッケンを伸ばし、皺になっている部分を修正する。
もう少し、もう少しで
失礼のないように、ちょっとでもよく見えるように。想い人に自身を強調したい。
もちろん、勝負にも抜かりなどない。むしろ今日はそちらが主だ。
だがそうであっても、恋する乙女は止められない。
今日のレースで自分に気づいてもらえるよう、手回しもしてある。
あとは彼がどう動いてくれるか。一瞬でも気づき、目を向ければ、彼女にとってレースはほぼ勝ったも同然。
姿形こそ変わってしまったが、きっと気づいてくれるはず。
深く息を吸って、吐いてみる。
自然と、緊張はなかった。それどころか、高揚しているような気さえしてくる。
「おうい、そろそろや。……しっかし、どっか感慨深いなぁ」
控え室に彼女のトレーナーを務める男が立ち入る。
前世では『魔術師』と呼ばれていたが、その手腕とやらは今生でも健在らしい。
「あら、どうかした?」
「いやぁ、こうしてタッグを組むのは前世ぶりというわけやからな。
……あのときのように、世話ばかりなんてさせへんで」
「相変わらずね、トモヒコ。けど残念ね、魔術師さん。あなたは
「ほーう? 言うてくれるやん。なぁ? 王族さん?」
「それにしても、王族と魔術師が一緒にいるなんて、まるで何かの御伽噺みたいね」
「まっ、魔術師は控えて、王族のほうが戦うっていうちょい奇抜なことにはなるけどな」
「だから導かれるのよ、魔術師さん?」
「……なるほど、やられたわ」
くすくすと笑んで、ウマ娘は立ち上がる。
「……あんたにとっちゃ、このレースは楽勝やろな」
「わからないわよ? あっさり負けるかもね」
「元ダービー勝ちが何を抜かすのやら。
……他の娘には悪いが、俺が今まで担当してきた中で、やっぱりあんたが一番抜けてる。魔術師がそう評するのだから、誇ってもええんやで」
「あら、ありがとう、魔術師さん。誇りにはしないけど」
「あらら……」
ウマ娘のトレーナーである友彦は思わず苦笑する。
前世での相棒にまさかここまで切り返されるとは。こんな不思議もあるものだと、友彦は痛感する。
「そういえば、そろそろパドックね。……じゃあ、行ってくるわ」
「おうよ。ああ、そうそう。
あんたに相応しい舞台は整えてある。思う存分暴れてくるとええわ!」
「そこには感謝するわ、トモヒコ」
「頑張ってくれよ、――
一方で、パドックの時間だというのだからやってきたわけだが、宗正は唖然としている。
いや、そうするしかなかった。
電光掲示板にはウマ娘たちの名前が表示されるのだが、そのひとつに、思い当たりしかない名が存在していた。
今頃目は飛び出しているに違いない。そう錯覚しかねないほどに、目を見開いている。
彼女を知っている。いや、宗正が知らないほうがおかしい。
だってその名は、宗正の前世での
やがて呆然と立ち竦んでいるうちに、そのときは訪れる。
宗正にはわかる、わかってしまう。そのウマ娘が只者でないことを。
ウマ娘は背まである鹿毛を靡かせ、ジャージを放り投げる。
刹那、実況が場内に鳴り響く。
『3番、シャーガー。このメイクデビューでは圧倒的な1番人気を誇っています』
エメラルドのように美しくて、透き通った双眸の先には。
誰にもわからないゴールが、確かに見えていた。