木曜日。放課後の教員用玄関に俺は呼び出されていた。
呼び出したのは桃先輩。アルバイトや部活でも関わりがあるから、ということで連絡先を交換していたRainで一方的に呼び出されたのだ。有無も言わせず、というか反論はないが。
俺が行くと既に桃先輩の姿があり、側にはうちのクラス担任教師の冬海雪菜先生が。
思わぬ組み合わせに警戒しながら近づくと、桃先輩が気づいて大きく手を振った。
「おーい、後輩君。こっちこっち」
呼ばれて少しだけ速度を上げる。早歩きにならない程度で急ぐと、桃先輩の手前で停止して開口一番要件を聞くことにした。
「なんですか桃先輩?」
「顔合わせってやつだよ。一応、顧問が誰か知っておいた方がいいでしょ。それに顧問も部活に所属している生徒を把握しておかないといけないし」
「なるほど」
「あともう一人来るから」
雪菜先生はじっとこちらを見つめている。話すわけでもなく、ただずっと観察するような視線を向けられて俺はなんとなく顔を逸らしてしまった。
冬海雪菜は常に氷のように冷たく、無表情なことから『鉄仮面』とか『氷の女王』とか呼ばれている美人な女教師だ。それは悪い噂などではなく、美人な女教師に対する憧れや恋慕が入り混じった不純な動機によるもので、憧憬のようなものであろうか。生徒達の間では人気の教師なのである。ただ少し何を考えているのかわからないだけで。
美人な女教師に観察されるというよくわからない状況に居た堪れない気持ちを抱きながら待っていると、廊下の奥から赤髪ツインテールの女子生徒が姿を現した。遊んでいそうな見た目の、いわゆるギャルっぽい女子生徒。彼女は真っ直ぐにこちらに向かってきており、桃先輩の前に来るとぴたりと止まった。
「あ、来たね。雪菜先生揃いました」
「そう。わかったわ」
今まで一言も発さず観察に留めていた雪菜先生は、微動だにしないきっちりとした姿勢で、俺たちに向き直った。
「私が園芸部顧問の冬海雪菜です。以上」
ざっくりとした自己紹介一つで終わらせた雪菜先生に、俺達は無言で次の句を待った。
……え、まじ、あれだけ?
いくら待っても女教師は動かない。
さっきと同じように傍観の体制に入ると、桃先輩に任せて後ろに下がった。
それと入れ替わるように桃先輩が前に出て、笑顔でポンと手を打った。
「うん。これで顔合わせは済んだね」
「……いいんですかそれで」
「と言っても話すことなんて別にないからね。あと、雪菜先生って会話が苦手っぽいんだよね」
「どうやって授業してるんですか」
「決められた役割を果たすだけだから。常に黒板と会話しているようなものね」
「少しは生徒を見てください」
あまりにも口下手で会話の成り立たないとかそういうわけではなく、無駄な会話を一切しないというような、消極的な人間であるらしい。さすがは氷の女王と呼ばれるだけはある。
「あとはよろしく」
「はい、任されました」
桃先輩に一言頼むと、雪菜先生は職員室に戻っていった。
その背中を見送って、桃先輩はくるりと反転。
「後輩君。この子は新入部員の如月綾乃ちゃん。あとバイトとしてはキミの後輩になるからよろしくね」
紹介された女子生徒は赤髪ツインテールをくるくると手先で弄んでおり、こちらを睨むように観察している。さっきも浴びせられた視線に首を傾げて、ふと引っ掛かることがあった。
「ん?如月綾乃?」
「何見てるのよエータ。キモいんだけど」
「おまえまさか、あの綾乃か?」
「だったらなに?」
“如月綾乃”は幼馴染の一人で、かつてよく遊んでいた間柄である。
智香の親友で、幼馴染だった。当然、ヨッシーも俺も四人一緒に遊んでいたことだって一度や二度ではなかった。
昔はこんなギャルっぽいやつではなく、真面目な性格だったのだが何があったのやら……。
俺に対する態度のキツさに戸惑っていると、桃先輩が身体を傾けて割り込んできた。
「あれ?知り合い?」
「あ、はい。まぁ……幼馴染というか」
「じゃあ、後輩君に綾ちゃんの指導任せちゃおっかな」
「すみません先輩、俺まだ新人なんですけど」
「あはは、冗談だよ。流石に私もついてるって」
楽しそうに笑って、桃先輩は真面目な顔になった。
「それより後輩君にはお願いがあるんだけど……」
すすすっと寄って、軽く胸を押し当ててくる。
桃先輩は上目遣いに俺を見て、精一杯その身体を伸ばして耳元に囁いた。
「これ運んで♡」
甘えるような仕草で、指差したのは職員玄関に積まれたガーデニング用の肥料。それが十袋も積み重なっていれば、思わずげんなりとした表情を浮かべても誰も文句を言わないはずだ。
「ちなみにどこへ?」
「屋上」
「さて、帰るか」
「あ、待ってよ。キミ園芸部員でしょ!?」
「幽霊部員です」
「女の子二人で運べっていうの!?」
「元よりそういう契約で園芸部員になったはずですが」
踵を返して生徒玄関へ行こうとした俺に、がっしりと抱きついて桃先輩は帰らせまいと抵抗する。なんだか柔らかい感触が背中に当たっているせいか、少しは話を聞いてもいいだろうと足を止めた。
「これを女の子二人で運ぶと、すっごい時間が掛かるんだよ」
「それが俺と何の関係が?」
「薄情者!鬼!」
「人聞きが悪いですね。桃先輩の仕事では?」
「私の仕事じゃなくて、園芸部の仕事!」
「だったら幽霊部員ではなく、正規部員の桃先輩が片付けるべきでは」
取り付く島もない俺に桃先輩は大慌てで、ついには涙目になってしがみつき始めた。
流石にいじめ過ぎたかと反省して、子供のようにしがみついてくる彼女の頭を撫でる。すると両手でぎゅっとしてきたていた桃先輩はそのまま顔を上げて、不機嫌そうに膨れた。
どうやら揶揄われたことに、今更気づいたようである。
「……キミって意地悪だよね」
「先輩って揶揄い甲斐があるので」
「まったくもう」
本気で怒ったわけではないらしく、不機嫌そうな顔をやめた桃先輩は離れた。
俺は積み上げてあった肥料5kgを二つ重ねて担ぎ、もう片手に一袋抱えた。気分は屋上にグラウンドを作ろうとしている野球部部員である。
「……桃先輩、実は園芸部って文化部じゃなくて、運動部じゃないですか?」
「まぁ、肉体労働も多いからね」
そう言って、桃先輩は先導するように前を歩く。何も持たずに。手ぶらで。綾乃もただついてくるだけだった。
「桃先輩、肥料は?」
「私の細腕であれを運べると思う?」
「そんなに“手ブラ”が好きなら、やってあげましょうか」
「……それえっちな意味で言ってるよね」
–––結局、肥料は全部俺が運んだ。