肥料を運んだ翌日の金曜日。
軽い筋肉痛に悩まされてバイトに顔を出すと、既に桃先輩と綾乃がメイド服に着替えて休憩室にいた。
俺もさっさと学校の制服からバイトの制服、執事服に着替えて二人のところへ行く。
「女性の準備って長いって聞いてたのに、早いですね」
学校が終わった時間は同じだ。
それからバイト先までは十五分ほど歩かなければならず、着替えも入れると五分くらいはさらに掛かるはずなのだが、いくら渚と智香に捕まっていたとはいえ二人が着替え終えるよりは早く到着する予定だった。
予想より遥かに早く準備を終えていた二人に疑問を覚えていると、桃先輩が朗らかに笑いながら答える。
「長い間通ってるからね。裏道とか、近道は得意なの」
「で、その道を綾乃も教えてもらっていたと」
「一緒に来たからね」
その綾乃はツンとした表情で俺を睨んでいる。
上から下まで眺めていると、身を守るように自らの体を抱きしめた。
「ちょっと何見てるのよ」
「いや、似合ってるなーと思って」
赤髪のツインテールにスカートの短いメイド服。脚はニーソに包まれて絶対領域が露わになっており、その引き締まった脚の細さは運動部特有の柔らかさがありつつも、無駄な脂肪がついていない。実に素晴らしい太ももだ。本人の性格もあって、ツンデレメイドといったところだろうか。妙な人気が出そうである。
俺は改めて、ここのバイトに応募して良かったと思った。
「キモいんだけど」
「そういうのを我々の業界ではご褒美って言うんだよ」
もちろん、オタク気質のある俺としては“ツンデレ”からの罵倒には理解がある。どれだけ蔑まれようとも、そこに温情があれば十分に楽しめるアイデンティティーとなり得た。
「意味わかんないんだけど」
「大丈夫だ。きっと人気が出る」
「そういう店じゃないからね後輩君」
懐かしいやり取りを堪能したところで、俺はふと誰かがいないことに気づく。
「そういえばあの下心先輩は?」
「下心先輩?……あー、あの客に聞かれてもいないのに連絡先を教えるバカのことね」
心の中で呼んでいた敬称でも桃先輩には通じたらしく、その桃先輩も嫌悪感を露わにして腰に手を当てて、肩を竦めてこう言った。
「彼なら辞めたわよ」
「へー、そりゃまたなんで」
「一身上の都合で」
「すごいざっくりとした理由ですね」
「バイトを辞める理由なんてそんなものよ。と、言いたいところだけど、その穴を埋める役割を担うキミ達には話しておくね」
最初はぼかして教えてくれた桃先輩だが、呆れた顔でその理由を説明し始めた。
「実はあの日、美少女二人をバイト中に口説いていた動画が有志から学園に拡散されてね。部活の先輩からは可愛がられたり、知らない番号からひっきりなしに電話が掛かってきたらしくて、それで翌日の朝には私のスマホに辞めるって一言。もう、急だから困っちゃうよ」
誰が穴埋めをするんだか、とぼやく桃先輩だが明らかに関与している疑いがある。俺はあの日、手早くスマホを操作して誰かに連絡を取っているのを見たのだ。間違いない。
「そういう桃先輩こそ、情報提供したんじゃないですか?」
「やだなぁ私そんなことしないよ。立場を利用してバイト君の連絡先を売るなんて。“伝票に紛れていた連絡先を提供”しただけで、私は何もしてないよ」
「桃先輩って意外に黒いですよね」
「やぁんエッチ」
桃先輩はお茶目にウインクをして、スカートを抑える。
舌を小さく出す仕草ですら様になっており、俺はこの人だけは敵に回さないことを心に刻んだ。
もし覗こうものなら、どんな制裁が待ってることやら。
「そういうわけで悪いけど、しばらく新人二人を扱き使うことになるからよろしくね」
「まぁ、俺は構わないですけど」
元より原因はあの先輩にもあったが、渚と智香が関係ないわけじゃないのだ。多少はそれに振り回された桃先輩に罪悪感はある。それでバイトを辞めた下心先輩に思うところはないが。
「私も特には」
「うんうん。特に難しくはないから安心して。抜けたのはホールスタッフで、たまに無断欠勤もある困った人だったし」
前から下心先輩のことは嫌いだったようで、明確に切る理由が出来て嬉しそうな桃先輩が、これまた屈託のない笑顔で笑うので、思わず俺は顔が引き攣りそうになった。
「連絡は以上、今日も頑張りましょう」
勤務時間になり、俺達は休憩室を出た。
ホールスタッフのやることは基本的に変わらない。
慣れれば楽な仕事だし、変な客さえいなければ困ることはなかった。
まだ初日の綾乃は業務内容に慣れておらず、桃先輩に指導されながら業務をこなしていた。
俺に対してはツンとした態度を取る癖に、客に対しては笑顔で対応する。対応差に釈然としないながらも、客に愛想良く出来てるならまぁいいかと自分を無理やり納得させて、バイトに勤しんでいる時だった。
「いらっしゃいませ」
チリリン、というドアベルの音が響く。
綾乃が対応するべく笑顔で振り返ったのだが、その営業スマイルから一瞬にして表情が抜け落ちる。
視線の先をたどってみると、そこにいたのは渚と智香の二人。
また来たのか、と思ったのだが。それよりも綾乃がそんな表情をした理由が分からず僅かに首を捻って、智香の方を見るとその理由が明らかにされた。
「瑛太君、また来ちゃいました」
「え、あぁ」
綾乃を一瞥した智香が、まるでいないものを扱うかのように無視したのだ。
その気持ちはわからぬでもないが、親友らしからぬ対応に俺は思わず首を傾げて疑問を覚える。そうしているうちにも二人に纏わりつかれ、振り払うために取り敢えず席へ案内した。
水とおしぼりを二人分用意して、提供してから戻ると綾乃がずっとこちらを見ていた。正確には、智香の方を悲しそうな眼差しで。
「おまえら喧嘩でもしてるのか?」
「……別になんでもいいじゃない。あんたには関係ないことよ」
「ふーむ、まぁ今はそういうことにしておこう」
軽率に女同士の争いに首を突っ込むとロクなことにならないため、俺は肩を竦めて綾乃には聞かないことにした。そのうち智香の方に聞けばいいことだ。
「あ、そうだ。ちゃんと仕事はしろよ」
「何の話よ?」
「注文取りに行けって話」
「嫌よ、あんたが行ってきなさい」
「くっ、先輩相手に生意気な」
「数日程度でしょ。それにあんたが行った方が智香は喜ぶんじゃない」
否定できないので肩を竦めるしかなかった。
「何があったのか知らないけど、ちゃんと仲直りしろよ」
「そんなことができるなら、とっくにやってるわよ」
また悲しそうな顔をして、視線を伏せがちに綾乃は呟く。
普段のツンとした態度が、翳るような何かが二人の間にはあったのだろう。
俺が知らない、俺がいなかった間の出来事。
だからこそ容易に首を突っ込むことができず、悔しさにため息を吐いた。
「はぁ。……随分と長そうな喧嘩だな」
綾乃と話している間にも、智香の卓からお呼び出しが掛かっていた。
ポケットに入れた端末を指先で確認しながら、綾乃を置いて二人の卓へ駆けつけた。
「御注文は?」
「瑛太君をお持ち帰りで」
「あたしもそれで」
「お客様。当店、そのようなサービスは行っておりません」
「じゃあ、店内で」
「非売品です」
戯れついてくる智香を今日も上手くいなして、端末を手に仕事を再開する。
「御注文は?」
「その前にいいですか瑛太君」
「今の時間帯、客が少ないからいいけど」
そういう時は少しくらいお喋りしていてもいいと、桃先輩から許可は貰っている。仕事をしているふりをしながら、俺は智香に耳を傾けた。
「どうして綾ちゃんがここにいるんですか?」
「バイトだってさ」
「そんなのわかってます」
「まぁ、そうだろうな」
でも、それ以外に答えがないのだ。
綾乃が偶然、俺と同じバイトをしていることには。
聞かれたことを答えただけなのに、智香は不満そうな顔をしている。
「何を話したのか聞いてもいいですか?」
「いや、特に綾乃とは会話してないぞ。わかったのはおまえらの仲が険悪になってることくらいか」
「そうですか。それならいいんです」
ほっとしたように、智香は胸を撫で下ろした。