「瑛太、朝だよー。起きて」
身体を揺すられる感覚に眠りから覚める。
優しくかけられる声は女性のもので、アニメやエロゲでしか知らないその声はあまりにも現実味がなさすぎる。
思わず、人気VtuberのASMRをイヤホンで聴きながら眠ってしまったのかと思ったほどだ。
微睡の中で現実を理解しきれず、心地良い声に目を瞑って網膜の裏に想像したのは亜麻色の髪に翡翠色の瞳の悪戯っぽい笑みを浮かべる、人懐っこそうな少女。
なんだかやけに鮮明な妄想だな、と思っているとまた肩が揺すられた。
「ほら、瑛太。早く起きないと学校遅刻するよ」
揺すられ続ける身体に鬱陶しさを覚えて、半目で並んだのが微睡の尽きだった。
–––天使がいた。
亜麻色の髪は艶やかに窓から差し込む朝日に煌めき、瞳は翡翠の宝石のよう。制服の上にはエプロンをつけ、スカートから伸びる美脚を包むのは黒のニーハイソックス。引き締まった太ももは、スカートとニーソに挟まれて絶対領域を作り出しており、その引き締まった脚は筋肉と脂肪の程よいバランスを保っている。
そして決定的だったのが、制服とエプロンを押し上げる大きなおっぱい。それが目の前でゆさゆさと揺れるのである。
完全に目が覚めた俺は、思わずその光景を凝視してしまった。
「もう、瑛太のエッチ」
俺が起きたことを確認すると、視線に気づき胸を抱いて隠すように離れる。ただその顔は怒っているわけでも、嫌悪感を示しているわけでもなく、悪戯っぽいもの。
–––理想の義妹がここにいた。
思わず神–––否、ここは親父に感謝してしまったほどである。
容姿も、才能も、あまり恵まれはしなかった平凡な俺ではあるがこんな素敵な義妹が増えて、涙腺が死んでなければ滂沱の涙を流していたことだろう。そういう意味では涙腺が死んでいて良かったと思う。こんな可愛い義妹に引かれたくはないので。
思わず近過ぎる距離にドキッとしながら、俺はベッドから身を起こした。
「おはよう、瑛太」
「……おはよう」
「ちゃんとあたしの名前覚えてる?」
「……渚」
「うん。よろしい」
名前を呼ばれて満足したようで、渚は笑顔を浮かべる。名前を呼ばれるのが嬉しいようである。
「もうご飯できてるから、冷めないうちに食べて」
「おう」
「ほら、早く早く」
渚に急かされて部屋を出て、階段を下りてリビングに行くと卵とベーコンの焼ける良い匂いがした。冷蔵庫のあり合わせで作ったようで、食卓には目玉焼き、ベーコン、レタスの乗った皿と白米に味噌汁と随分と頑張ったようである。俺なら朝は簡単にパンで済ませてしまうからであるが。
椅子に座って渚が合掌する。俺はそれに倣うように、合掌した。一人では久しくしていなかった行為だ。他人の振り見て我が振り直せとはこのようなことを言うのであろう。
「いただきます」
「……いただきます」
遅れて感謝の言葉を告げる。そうして箸を手に取り、まずは味噌汁を飲んでみた。何故か渚がじっと此方を見ているので、料理の感想を求めている気がするので一番頑張った感のある味噌汁を評価しようと思ったのだ。他だと、コメントしづらい。
「どう?美味しい?」
「美味いよ。毎日でも食べたいくらいだ」
「口説いてる?」
「口説いてない」
「でも、なんだかプロポーズの言葉みたいだよ」
過剰に褒めておこうと思ったら、無意識に地雷を踏んでしまった。そういえば、この言葉はそういう意味でも捉えられてしまうのであった。俺は思わず頬が熱くなる。
「違う」
「えー、嬉しかったんだけどなぁ」
「出逢って二日の相手に告るか。しかも義妹だし」
「でも、血も繋がってなければ、結婚もできるし、子供も産めるよ」
「おまえと俺じゃその可能性もないだろ」
米倉渚は可愛い。客観的に見ても、俺個人として見ても。それこそ恋人にしたいだとか、引く手数多だろう。既に初日で男子の視線は二分していたわけだし。
「ねぇ、それはそうとさ」
「ん?」
「Rain交換しよ」
『Rain』とは誰もが使う連絡用のアプリである。電話やメッセージを無料で自由にできる優れもので、大半の人が入れている。家族間でも使われることの多いアプリで、交友関係のある人ならば大抵はこの連絡先を登録しているものだ。登録も簡単だし、メールアドレスも電話番号を登録する必要もない。家族として連絡しておくのは、当然と思えた。
「そうだな、やっておくか」
「QRコードでいいよね?」
「あぁ、そっちの方が楽だしな」
「はい」
渚がスマホに写したQRコードを自分のスマホのカメラで読み取る。それで、完了だ。まぁ、俺から渚に連絡することは殆どないと思うが。俺は返信しかしたことがない。
「えへへ、瑛太の連絡先だ」
「……なんでそんな嬉しそうなんだよ」
「だって、Rainに連絡先増えると嬉しくない?」
「いや、全然」
スマホをネットに繋がるゲーム機として代用しているだけの俺には、電話機能なんて殆ど必要ないのである。ソシャゲと動画サイトばかりを開いている自分としては。
「ごちそうさま」
食べ終えて食器を重ねる。すると、渚が立ち上がった。
「あ、待ってあたしがやるから」
「これくらい自分でやるよ」
「ダメだよ。瑛太は準備してきて」
「いや、自分でやる」
問答無用でキッチンに皿を持っていき、皿を置いた瞬間に背後から腕を掴まれた。
「ダメ、瑛太は準備してきて」
「強情だなおまえ」
「あたしは瑛太のお世話がしたいの」
「そこまで世話になりたくない」
「いいじゃん。あたしがいいって言ってるんだから。それとも瑛太はあたしが迷惑……?」
背中に密着して、上目遣いに見上げてくる。
不安そうな顔と、背中に押しつけられた感触に思わず心臓が止まりそうになった。
献身的な義妹可愛い–––じゃなくて。
「その言い方は狡いだろ」
あまりにも卑怯な方法に俺は何もできなくなる。正直、可愛い義妹に甘やかされるのも吝かではない。
「……わかったよ。準備してくる」
「うん、時間ないから早くね」
そうして俺は、義妹に逆らえず自分の部屋に戻るのだった。
学校へ行く準備を整えたのは朝の七時半頃。
顔も洗って、制服に着替えた俺はリビングへと戻った。
計算上、通学する時間は八時。それも自転車通学なので、電車に乗り遅れる心配もない。
想定より早い時間にニュースを見ながらソシャゲのデイリー消化でもしようかと思ってソファーに座ると、その頭にポンと長方形の箱が置かれた。
「はい、お弁当」
「わざわざ作ったのか?」
「うん。早起きしてね」
「別に気にしなくていいのに」
「ついでだから、気にしなくていいよ」
そう言う渚のもう片方の手には同じような巾着袋が提げられている。
「まぁ、ありがたくもらっておく」
「素直じゃないなぁ」
言葉にできない感謝は伝わったらしく、渚は嫌な顔一つせずそう言って喜んだ。
「それより早く出ないと、遅刻しちゃうよ。それにまだ寝癖ついてるし」
「俺は自転車だからまだいいんだよ。あと寝癖はほっとけ、誰も気にしない」
「あー、もう、あたしが直す」
何処からかスプレーと櫛を取り出して、俺の頭に吹きかけては寝癖を直していく。ものの数分で気にならなくなったのか、「よし」と呟いて満足そうに頷いた。
「それと瑛太は今日からあたしと電車通学だから」
「電車嫌いだから自転車通学なんだけど」
「なんで?」
「人多いし、狭いし、面倒だから。あと自転車で行けば家計に優しい」
正直、親父の財布がダメージを受けるのはどうでもいいが、人混みが嫌いな俺としては電車通学は避けたいところであった。納得できそうな理由を力説すれば、俺の前に定期乗車券が入ったケースが置かれた。
「はいこれ、瑛太の分」
「……」
「瑛太が自転車通学するって聞いて、お父さんに頼んで買ってもらったの」
「なんでさ」
「あたしが瑛太と一緒に登校したいから。それにもし痴漢に遭っても、瑛太がいれば守ってくれるでしょ?」
「……わかったよ」
「じゃあ、行こっ」
渚が俺の手を引く。鞄に弁当箱の入った巾着を入れて、玄関で靴を履き、鍵を閉めて家を出た。
駅に行くという目的で歩いたのは随分と久しぶりだった。自転車を漕げば何処へでも行けたし、使う必要性がなかった。遠くても30kmまでなら余裕だったのである。時間は掛かるが。
「ふんふーん♪」
家を出てからずっとこの調子で、俺の手を握ったまま離さない。自然に手を繋がれたかと思えば、絶対に離れないようにと指を絡め合うようにして恋人繋ぎにされた。
駅について改札を通るのも繋いだまま、待っている間も繋いだままだ。
通勤・通学時間の朝のホームは人が多く、渚が目の前を通るたびに、擦れ違う度に振り返ったり、注視したりしている。あまりにも人目を惹き、隣にいる俺にまで視線が飛んでくる。
「きたよ、瑛太」
それなのに渚は俺以外に目を向ける様子がない。
ホームに入ってきた電車を確認して、一緒に乗り込む。電車の中はサラリーマンや学生で溢れかえっており、座席だけではなく吊革も埋まるほどである。
あまりにも人が多く身動きも取れず、扉付近で待機する。
俺は扉に渚を押しやると、男達の壁になるように立ち塞がった。
「何か適当なものにでも掴まってろ」
「うん」
そう言って渚が選んだのは、俺の制服の裾。ちょこんと端の方を摘んだ。
–––なんでそれを選んだ。可愛いかよ。
扉の近くには、手摺があったはずである。ただ俺にはそこまでの余裕はないため、彼女が背を向けている扉に手を突いている形になっているのだが。これ壁ドンじゃね?扉だけど。
よく見れば渚の頰は赤いし、頬もちょっと今までにない緩み方をしている。笑顔や、微笑みというよりかは、羞恥が混じった悦びにも似たような感情を感じる。
『–––次は、七星学園前–––七星学園前です。お降りの際はお忘れ物にご注意ください』
無言で到着を待つ、僅か数駅の時間。
お互いに視線を向けて、恥ずかしくて逸らして。
時には渚が微笑んできたり、そんな顔をするからドキッとして。
心臓が早鐘を打ち、ドギマギしている間に目的地に到着した。
「……すごかったね。これが、毎日かぁ……」
あの人混みが嫌で自転車通学なのだが、渚の可愛さは想像の遥か上だったようで、一人にしておくのは危険だと思う。俺は改めて電車通学を覚悟した。
駅のホームを同じ制服の学生達が先を急ぐ。
渚を視界の端に捉える度に、振り向いている姿があった。
隣にいる俺を探るような視線も。
二人してホームに立っていると、手の甲が触れ合う。
渚は手のひらから指先まで、合わせるように潜り込ませ、指の隙間に自らの嫋やかな指を絡めてまた恋人繋ぎにした。
「ほら、いくよ〜」
–––人の視線は苦手だ。それでも、繋いでおくだけの価値がその手にはあった。
次回予告通りに日常を書こうとしたら、朝だけで四千文字いってしまった。