翌週の月曜日。生憎の雨。
午前の授業が終わると同時に生徒たちが購買へと飛び出していく。先を急ぐのはまだ見ぬ一日限定十個のパンを求めてである。それが利益度外視の美味しいパンらしく、今日こそは手に入れようと必死だ。
先に飛び出して行った購買目的の生徒に続いて、学食で席を取ろうと足早に教室を出る生徒達もいたが、俺はただ椅子に座りその様子を眺めるばかりであった。
残ったのは、弁当を持参している生徒達。
俺はため息をついてその時を、ただ待っているばかりであった。
「瑛太、一緒にご飯食べよう」
先週に続いて俺と一緒に昼食を摂ろうとする渚は、周りの視線などお構いなしに同席しようとする。その手には二つの巾着袋があり、中身がわかっている俺は嘆息して俯いた。
「瑛太君、一緒にご飯を食べませんか?」
渚に続いて智香までもが二つの巾着袋を手に、俺に近寄ってくる。
もう既に、教室内の男子の視線は嫉妬で人を殺せそうですらある。だというのに、その手にある包はまさしく男子生徒達を更なる阿鼻叫喚の地獄へと落とす、最後の一手となり得る可能性を秘めていた。
せめて、屋上が使えればと何度思ったことか。
今日という日に限って、役に立たない鍵を手のひらで転がして胸ポケットに仕舞い込む。
目の前には笑顔の二人。手には巾着袋。
「はい、瑛太君」
「はい、瑛太」
二人ともが巾着袋を差し出し、智香が驚愕に目を見開き渚を睨む。それに対して渚は、澄まし顔で机の上に巾着袋を置いた。
「なっ、どういうつもりですか!?」
「どういうつもりって何が?」
「今日は、私が瑛太君にお弁当を作る約束だったはずですよ!」
「そんな約束したっけ?」
「なっ!?」
約束したのは、俺とである。
だからといって、渚が作らない理由はなかった。
作らないのは暗黙の了解であろう。
渚はそれを理解していて、わざと作ってきたのである。
今朝、いらないと言った時も「もう作っちゃった」と可愛らしく言っていたが、動揺する素振りもなかったため確信犯であるのは間違いないと思われる。
「米倉さんの手作り弁当!?」
「倉崎さんの手作り弁当!?」
「くそっ、あいつを殺してぇッ!!」
「手作り弁当のダブルブッキングだとッ!?」
周りからは怨嗟の声。購買に行った者、学食に行った者を減らしても、大半の男子生徒が残っている教室では濃厚な殺気が教室中を駆け巡り俺へと押し寄せる。
こうなることがわかっていたから、今日晴れなかったことに嘆息していたのだ。雨が降っていると屋上が使えないので。
「瑛太、あたしのお弁当の方が食べたいよね?」
「私の作ったお弁当ですよね瑛太君?」
迫られた選択に俺が取った選択肢は–––
「両方食べればいいだろ」
贅沢過ぎる回答であった。
これには争っていた二人も脱帽。
選択肢とは、二つではない。無数にあるのである。
二人とも二段重ねのお弁当箱でお腹いっぱいになるため、盲点であったのだろう。もし俺が片方しか食べられないのであれば、間違いなく大惨事が起きていた。
「……では、味の良し悪しで決着をつけるということで」
しかし、完璧な回答であったとしても最適解ではなかったらしく、智香はそんなことを言って椅子に座った。自分の分の弁当を広げて、隣に身を寄せてくる。
「む。まぁ、いいけど」
思い通りにいかなかったようだが取り敢えずは食べてくれることにほっとして、渚も椅子に座って身を寄せてきた。智香に対抗するようにより近い位置へ。
そして、渚に対抗するように智香がさらに近づき、トドメとばかりに渚が椅子をくっつけたところで智香も対抗して椅子をくっつける。密着するほど近い距離に俺はまた動けなかった。
「近い近い。少し離れろ」
さすがに教室では憚れるため、二人を物理的に離すため遠ざけると、ようやく彼女達は争いをやめてくれた。
「まぁ、瑛太君が言うなら従います」
「瑛太が言うなら、ね」
まったく周囲を省みない二人は男子生徒達に血の涙を流させているのを知らない。「なんであいつだけ」とか嫉妬に満ちた声は、二人には届いていないのだ。
「さて、どちらから食うかな」
物欲しそうに人を殺してそうな視線を浴びせる男子生徒達の視線を無視して、俺は二つの巾着袋を開ける。二つとも二段重ねのお弁当箱でサイズは大体同じ。取り敢えず、二つとも蓋を取ってみることにした。
「おぉ、これはすごいな」
思わず感嘆の声を漏らしてしまった。その理由とは、圧倒的手作り感によるものだ。
冷凍食品の類は見当たらず、おかずは全て手作り。白米は細工がしてあり、渚のお弁当には玄米が混ぜられており、智香のお弁当には海苔が敷かれていた。共通するのは卵焼きくらいであろうか。それ以外に、共通するおかずがないのである。
渚のメインはミニハンバーグ。
智香のメインはアスパラガスのベーコン巻き。
どれもこれも美味しそうで、飽き一つなさそうなメニューとなっている。まずは食べ慣れている渚の料理から、メインっぽいハンバーグを食べてみることにした。
「もぐもぐ……すごいな、これ。中までしっかり焼けていて、玉ねぎもいい存在感が……」
それに白米に混ぜられた玄米がいい感じにハンバーグの油を中和してくれる。端的に言って美味い。
「次は智香のアスパラかな」
二人が行動を起こさないうちに、次は智香の弁当のメインに手を伸ばす。
「おぉ…すげぇ…アスパラ柔らかッ!?」
俺が作ると芯が硬いアスパラも、智香にかかれば物凄く柔らかくなっている。ベーコンの油がアスパラに中和され、食感も歯応えも味もバランス良く、海苔を敷いたご飯と相性もいい。しかも海苔とご飯の間には塩昆布が敷き詰められており、ご飯だけでも美味しい細工がされている。
「……美味い……」
感動に打ち震えていると、そこかしこでガタガタ椅子が音を鳴らす。ついに我慢ならなくなった男達が、続々とこちらへ押し寄せてきた。
「影山、だったか」
「いや、釘宮だ」
一文字も合っていない誰何に俺は即答する。
確か相手は、青山の取り巻きの一人だったはず。
後方を見れば、青山は青い顔で「やめろぉ!」と口パクでジェスチャーしている。
そんなことも知らず、青山の取り巻きは俺に問いかけた。
「……おまえ、倉崎さんとはどういう関係なんだ?」
青山の取り巻きはよほど訓練されているらしく、渚の名前は出さずに智香との関係を聞いてきた。既に青山周辺では渚警戒警報でも発令されているのか、気にはなるものの友人の忠告に従ってちらちらと渚を気にしながら智香とのことだけを聞いてきた。
「幼馴染だが」
「……それだけか?」
「それだけって?恋仲でも疑ってんのか?」
見るからにわかりやすく智香の頰が染まる。羞恥による顔の紅潮に、一部の察しのいい男子が崩れ落ちた。
「……邪魔したな」
それだけで全てを察したらしく、青山の友人は青山の下へ戻っていく。それだけで満足すればいいのに、他の男達は未だ俺達を取り囲んでいた。
「なら、米倉さんとの関係は!?」
ついに青山君が顔面真っ青にする追求がとある男子生徒から放たれた。
俺が返答に困っていると、渚はなんでもないことのように淡々とこう言った。
「一緒に住む間柄かな」
–––また誤解する言い方を。
「「「「なっ!?!?!?」」」」
渚の何気ない爆弾発言に男子生徒の大半が崩れ落ちる。誰も彼もが二人を狙っていたがために、教室内の男達は全滅寸前であった。
青山を除く、全男子生徒の夢、あるいは恋が無惨にも散ったのだ。クラスのアイドル的存在に懸想している男がいるなぞ、男達は聞きたくなかったに違いない。その気持ちはよくわかる。
「瑛太君、はいあーん」
煩わしい虫はここで潰しておくと言わんばかりに、トドメを刺しにくる智香に俺はそっとため息を吐いた。
時間が足りない。もう一つ書きたいものがあるのに。