煙草は二十歳になってから   作:遠名 彬

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煙草は二十歳になってから

 それは、決まって土曜日の話だった。新西区の最寄り駅から電車で一本、三駅隣の隣街。レナは月の初めの土曜日は、決まってそこのゲームセンターへと行く事にしている。駅から直結の建物の中を通り過ぎ、北口の階段から地上へと降りる。今日は生憎の空模様で、傘を差すほどでもないような小雨がぱらぱらと降っていた。いつもの道をいつもよりも小走りに抜ける。できる限り屋根の下を伝って歩くと、パチンコ屋の自動ドアが反応して開き、篭った鬱憤をガス抜きしていた。レナはいつもの自動ドアを抜け、エスカレーターに乗って運ばれていく。聞きなれた居心地の良い騒音が近づいてくると、レナの心はふわふわと浮き足立った。毎週第一土曜日、駅前の大型ゲームセンター。この日この場所この瞬間、レナは魔法少女水波レナではなく、格闘ゲーマー水波レナになる。

 ゲームセンターに入場したレナは、数多の機械が放つ閃光に惑わされずに一直線に歩いた。リズムゲームが置かれたフロアに入り、壁際へと歩いていく。遮光テープで塞がれた窓の際に置かれた大型の筐体は、人がパネルの上に乗り、音楽に合わせて降ってくる矢印に対応したパネルを足で押す……というダンスゲームだ。いつもの場所、いつもの筐体に、その姿はあった。ポニーテールに縛った長い赤毛を振り回し、画面に大量に流れてくる矢印を一つ残らず踏み抜く少女。普段リズムゲームをあまりプレイしないレナにはとても処理できるように見えないが、佐倉杏子は巧みな身体捌きによって難なくこなしていく。曲のクライマックス、杏子は軽い足取りでテンポ良く矢印を消し、仕上げにジャンプ。空中でひらりと振り返り、ロングノーツを完璧なタイミングで踏み抜きながら、レナと対面した。

 

「よう。今日は遅かったじゃん」

 

 背後にフルコンボの表示を出しながら、杏子はにやりと笑っていた。

 

「別にいいでしょ、まだ時間あるし」

 

 筐体から降り、レナの後ろにある待合用の長椅子に座る杏子の姿を目で追いながら、レナは吐き出すように言った。杏子はどこからか取り出した紙巻煙草を咥え、ガスライターで火を付けた。出会った頃の杏子はいつも何か食べ物を口に入れていたが、いつからか煙草も嗜む様になっていた。レナには杏子は同い年くらいにしか見えず、とても成人しているようには思えなかったが、その事について一々言及しようとは思えなかったし、品行方正に振舞うべきだと諭そうと考えた事もなかった。レナは鞄の中からペットボトルの炭酸飲料を取り出して、一口飲んだ。杏子の煙草の乾いた匂いが、口の中で炭酸と共に弾けて消えた。

 

「ちょっと練習しときたいのよね。付き合ってくれない?」

 

 レナの言葉に、杏子は少し意外そうな顔をした。大会以外ではレナはあまり他人と口を利く事はなく、それは杏子にも同様だった。

 

「どういう風の吹き回しだ? えらく殊勝だな」

 

 そう言いながらもゲームセンターに備え付けの灰皿に煙草を押し付けて、杏子は立ち上がった。そうしてひとつ伸びをして、格闘ゲームのフロアへと足を向けた。レナは杏子の質問に鼻を鳴らすだけで答えようともしなかった。

 対面の筐体に座ったレナと杏子は、揃って百円玉を投入する。それが、戦いの合図。

 

 ──────

 

「あー! 負けた!」

 

 一通りの対戦を終えたレナと杏子は、二人でゲームセンター近くのラーメン屋に入店していた。ゲームセンターで戦い、ラーメンを食べて帰る。これが二人のいつものルーティーンである。ゲームセンターの中では大学生や社会人に混じってボタンを弾くレナと杏子だが、その実力は折り紙つきだ。とはいえ上には上がいるもので、大会に出ては化け物のような強さの対戦相手に叩きのめされる事もよくある。

 

「強かったわね、あいつ。どういう思考してんだか」

 

 レナはお冷を片手に、本気で悔しそうに呻く杏子を横目で眺めていた。杏子の対戦相手として出てきた相手は全国大会の常連であり、杏子は抵抗空しく惨敗を喫した。それを後ろから眺めていたレナにも実力の差は圧倒的で、とても自分がやっても勝てた相手ではないと思っていた。しかしそんな杏子もカウンターの向こう側から湯気を立てたラーメンが差し出されると、餌入れを差し出された子犬のようになるのである。レナはそれを見るのが毎月の密かな楽しみになっている。割り箸を綺麗に割って、熱々のラーメンを口で冷ましながらすする杏子の姿を見て、よくもここまで美味しそうにラーメンを食べられるものだ、とレナは妙な感心をしていた。

 

「……なんだよ」

 

 少し前に自分の分が出されているにも関わらずじっと食事風景を見ていたレナの視線に気がついて、杏子は怪訝そうな目でレナを見た。レナは悪戯がばれたようないたたまれなさを感じて、「なんでもないわよ」とだけ言って自分のラーメンを食べ始めた。杏子は微妙に納得がいっていないようだったが、何も口に出す事はなかった。二人は黙々とラーメンを食べた。先に完食した杏子は、店内に流れる十数年前の懐メロを口ずさみながら、ホットパンツのポケットからいくらかの小銭と一枚の紙幣を取り出して、いくら残るかを計算していた。

 

「よし、そろそろ行くか?」

 

 レナが丁度スープを飲み終えた辺りで、杏子がそう切り出した。何ヶ月も定期的に出会っていると、お互いのリズムのようなものが何となく分かってくる。レナには杏子が意外と他人に気を使うタイプの人間である事が分かってきたし、杏子にもレナがとことん自分勝手である事が分かっていた。二人で時間を共有していてもあまり口数は多くないが、互いに何となく互いの事が分かるようなこの関係を、レナはそこそこ気に入っていた。そして一番レナにとって居心地がよかったのは、杏子といるこの時は、レナが魔法少女としての自分の立場をすっかり忘れられる事だった。

 

「アンタはさ、神浜にはもう来る気ないわけ?」

 

 帰り道、レナは何となくそう聞いた。昼に降っていた小雨はすっかり止んでいて、湿った空気と濡れたアスファルトが残るだけだった。夜の街の街灯に照らされた杏子は、ラーメン屋で貰ったミントガムを口の中で弄びながら、うーん、と少し唸った。

 

「まあね。別に行く用事も無いし」

 

 ちょうど二人は、パチンコ屋の隣を抜ける頃だった。レナは駅まで歩いていくこの帰路が嫌いだった。かっきり九時に発車する帰りの電車に乗ってしまったら、またいつも通りの魔法少女水波レナの日常へと帰ってしまうからだ。杏子はそんな俯きがちなレナの顔をちらりと見て、少しからかってやろうという気になった。

 

「一緒に帰ってやろうか、神浜に。一人じゃさびしーだろ?」

 

 レナはびくっと驚いて、次には顔を真っ赤にして、「バッカじゃないの?」って声を出して、それで今日のところはお別れなんだと、杏子はそう思っていた。けれどレナは杏子の言葉を真剣に吟味するような顔になって、そのまま横を歩く杏子の顔を真剣に覗き込んだものだから、逆に杏子の心が跳ねた。

 

「じょーだんだよ、じょーだん」

 

 取り繕うような杏子の言葉を聞いて、レナは思わず笑みを溢した。普段は大胆不敵な杏子が妙に狼狽している風景が思っていたよりもずっと面白くて、レナはけらけら笑ってしまった。

 

「あはは、知ってるわよ、そんなの。アンタの方が寂しいんじゃないの?」

「バッ……な訳ないだろ!」

「あーおかしい……」

 

 杏子との距離が縮まって、ふわりと煙草の匂いが香った。レナは段々と近づいてくる駅舎の明かりを見ないように、杏子の前に出て駅に背を向けた。上着のポケットから煙草の箱がはみ出ているのが見えて、レナの好奇心に火がついた。

 

「ねえ」

「……なんだよ」

「一本、レナにちょうだい」

 

 ポケットの煙草を指差しながらそう言うので、杏子は目を丸くした。

 

「いいけどさ、別に」

 

──────

 

 二人は近くの公園へと寄った。濡れた砂は不安定な不快感を足の裏から伝えてきた。ベンチは小雨で少し湿っていて、レナは掌で水滴を払ってから座った。スカートが少し濡れてひんやりとした感触を感じて、少しだけ身震いをした。杏子は「ちょっと待ってな」とだけ言って、暗がりの中で光る自動販売機へ歩いていった。公園にそびえ立つ時計は九字きっかりを示していた。

 

「帰らなくていいのかよ」

 

 杏子は熱いコーヒーのスチール缶を投げ渡しながら聞いた。レナはそれを受け取った。

 

「帰らなきゃいけないわよ、ほんとは」

 

 レナはそう言って、コーヒーを煽った。杏子はにやにや笑いながら、同じようにコーヒーを飲んだ。杏子が買ってきたものはブラックコーヒーで、レナは口内に広がる苦味に思わず顔を顰めた。杏子は素知らぬ顔をしているが、レナがブラックを苦手としていることは分かっているはずなのだ。やられたな、とレナは少し腹が立った。

 

「分かってて買ってきたでしょ、これ」

「まあね」

「まあね、じゃないわよ、まったく……」

 

 悪びれる様子も無い杏子のにやけ顔を前にして、レナは怒る気も無くなった。杏子は早くもコーヒーを飲み終えて、煙草を取り出してひとつ咥えた。そのまま箱がこちら側に差し出されたので、レナは恐る恐るその中の一本を摘んだ。煙草は思ったよりも華奢だった。杏子はライターで火をつけて、大きく息を吸って、吐いた。暗い空に灰色の煙がふわりと消えていった。レナはそれをぼうっと眺めていた。

 

「ほら、咥えな」

 

 杏子がガスライターを片手にこっちを向いていた。レナは煙草をくるくる回した。茶色いほうだ、と杏子に言われるがままに咥えた。吸って点けるんだ、と言いながら杏子が煙草の先に火を持っていったのを見て、レナは思い切り吸い込んだ。フィルターを通した煙の奔流がレナの喉を焼き、肺を犯し、レナは反射的に咽せた。何とか異物を排出しようとする拒絶反応を止められずに、涙目になりながら何度も咳をした。杏子は笑いながらレナの背中をさすっていた。レナは何とか火の付いた煙草を地面に落とさずに済んだ。杏子はレナが落ち着くのを見て、コーヒーの空き缶を灰皿代わりにしていた。レナはもう一度口に咥えて、今度は慎重に吸った。じりじりと赤い炎が煙草を燃やし、舌の根を苦く刺す煙が充満した。それを一息で吐き出すと、レナの口から出たとは思えない紫煙が暗闇の空へと消えた。煙の向こうの時計は九時十五分を指していた。

 

「……まずっ」

「文句ばっか」

「こんなの好き好んで吸ってんの、頭おかしいんじゃないの?」

「へえへえ」

 

 杏子はレナの言葉はいつものことだと受け流した。レナはそれでも、不味い煙草を再度咥えた。少し頭がぼうっとした。この火が燃えているうちはまだ自分が非日常の中に居てもいいのだと思った。隣で何も言わずに煙を燻らせている杏子の存在も、その考えを補強してくれていた。

 

「……それ終わったらさっさと帰りなよ」

 

 レナの煙草が半分を割ったあたりで、とっくに吸い終わっていた杏子が声をかけた。レナは一気に現実に引き戻されたような虚脱感を感じて、露骨に嫌な顔を向けた。

 

「うるさいわよ、家なき子」

「あのなあ。レナにはまだ帰れる家があんだろ」

 

 杏子はいつからか、レナの事を「アンタ」と呼ばなくなっていた。その冷静な返しでレナははっとした。

 

「……あ、ごめん」

「別にいいけどさあ」

 

 杏子の呆れ顔が自分を責めてくれなくて、レナはふいと顔を逸らした。左手に嵌め込まれた現実は、少し濁った輝きでレナを見下していた。ベンチに置かれた杏子の空き缶からは細い煙が立ち上っていた。手元の煙草は、もう殆ど焼け落ちてしまっていた。

 

「……帰る」

「そうかい」

 

 杏子は何でも知っているようだった。夜風がレナの髪を揺らした。鞄を手にとって、ベンチを背にして歩き出した。杏子はそこから動かなかった。レナは自分の息が少し臭かった。遠くない駅の明かりは、何度も電車を飲み込んでは吐き出し、轟音と共に人々を送り出していた。レナもあの一部になるのかとぼんやりと思った。そうして何度か振り向いたが、特徴的な赤毛のポニーテールはじっとしていた。杏子は絶対にあの中には行かないのだろうと思った。レナにはそれがどうしようもなく羨ましかった。

 プラットホームには誰も居なかった。レナは九時三十分の電車に乗った。電車の中もレナだけだった。流れていく街の街灯は暗闇に沈んでいた。レナは鞄の中から飲みかけの炭酸飲料を取り出して、飲んだ。すっかり気の抜けたそれはただ甘ったるいだけで、レナの口の中に残った煙草の苦さを発散してはくれなかった。

 レナはそのまま、明るい神浜の駅に運ばれた。

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