彼女はなにを願いましたか?   作:風遊

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未来について

 学校の近くにある、複合施設の片隅に設けられた、ファーストフード店の席には、見滝原中の制服を着た生徒の姿がいくつか見える。アパレルショップや雑貨屋、本屋、CDショプなどに併設されたここは、放課後に買い物ついでにふらりと寄って、雑談の花を咲かせるにはもってこいの場所で、他にも、近くにある高校の制服を着た女子の集団などが、奥の方の席で笑い声を響かせていた。

「仁美は時間、大丈夫?」

「ええ、今日はピアノのお稽古ですが、五時からですので」

 頼んだメニューを空席に置き、席に座りながら尋ねたさやかに、仁美は時計を確認しながら答えた。時刻は十五時半。ホームルームを終えて、まっすぐここに向かったこともあって、あと一時間ほどは、ここでのんびりできそうである。

「仁美ちゃん、大変じゃない? ピアノに、お花に、英語、家庭教師、あとは――」

「護身術も少々嗜んでいますわ」

「うわ、まさに文武両道。ほむらもだけど、仁美も完璧超人の部類だよね」

「そんなことありませんわ……それに、そろそろ受験も近いので、勉強に集中したいのですが」

「うぐ、受験、かぁ。考えたくないなぁ」

 ポテトを口に運びはじめていたさやかは、仁美の口から出たその単語に、机に突っ伏すようにして、あからさまな拒否感を示した。まどかもさやかの気持ちは痛いほどわかるので、曖昧な笑みを浮かべながら、頼んだオレンジジュースをすする。

「さやかは志望校、決めているの?」

 口にくわえていたストローを離して、ほむらがさやかの頭頂部に尋ねた。さやかは顔をあげないまま、首を横に振る。

「ぜーんぜん。まあ、私の頭じゃ行けるとこなんて限られてるし、近場でいいかなーとか思ってるんだけど」

「近場っていうと、滝南とか?」

「そのあたりかなぁ……今の私じゃそこもギリギリだろうけど」

 滝南、というのは、見滝原南高校という、ここから電車で二駅ほどの近場にある中堅公立校である。略すのなら、見南というのが筋なのだろうけれど、語呂の良さから滝の字を取った略称が、このあたりでは一般的となっている。

「仁美とかまどかはどこ狙ってるの? 仁美はやっぱり風女? まどかは、北高あたり?」

 ようやく顔を上げたさやかが、あたらしいポテトを口に運びながらふたりにたずねる。

「そうですわね、親からは風女か、もしくは東京の方の私立に、と言われてますけど……」

「え、仁美、見滝原離れちゃうの?」

「私も離れたくはないので、できれば風女か、隣の県にある、ここから通える花女あたりを狙っていますわ。難しいところではあるのですが」

「仁美なら大丈夫よ。誰かさんと違って、きちんと下地があるもの」

「誰かさんってのは誰かな……って言い返せないのが辛い。それで、まどかは?」

 さやかがその視線を仁美からまどかに移すと、彼女は少し言い澱むように、何かを遠慮する素振りでもぞもぞとしたあと、おもむろに口を開いた。

「わたしは……えっと、滝高に行きたいなって」

「滝高!? 滝高ってアンタ、このあたりじゃトップクラスじゃない!」

「そうなんだけど、その……ママもそこの卒業生だし、ほむらちゃんも協力してくれるって言うし」

「私も滝高狙おうと思っているし、まどかが一緒に勉強してくれるなら百人力よ」

「ほむらちゃん……」

「ちくしょうまたほむらか! あたしのまどかを返せ!」

「悔しかったらあなたも滝高受ければいいのよ。やる気があるなら、わからないところは教えるわよ」

 嫌味を交えるでもなく、さらりと言い放ったほむらに、さやかの顔色がわずかに変わった。

「……え、なにこれ、ほむらが優しい。こわい」

「これがつんでれというものなのですね……!」

「さやか、仁美にへんな言葉を教えないであげて」

「迷いなくあたしのせい!? いやまあ、あたしだけどさ!」

 四人のかけたテーブルにも、他のテーブルに負けないくらいに、会話の花が咲く。

「ねえ――」

 その最中、不意にさやかが、誰もいない隣の席に向かって声をかけた。まどかとほむらと仁美は、そんなさやかに不思議そうな表情を浮かべる。

「どうかしたの? さやかちゃん」

「え、いや――なんでもないよ、うん」

「誰か、あなたの知っている人でもいたの?」

「うーん、そんなことないと思うんだけど……勘違いみたい」

 そう、とほむらは興味無さげに言って、また何事もなかったかのようにポテトを頬張る。まどかも一度首を傾げてから、また会話に戻っていく。仁美も他の二人と似たような反応を示し、しかしすぐに、まどかの言葉に相槌を打ち始めた。

 なんだろ、これ。

 そこにいつもいたはずの人がいない感覚。呼びかけようとした名前を、舌にのせる寸前に見失ってしまったような違和感。

 しかしすぐにその感覚も意識の外に押し出されて、続く会話に気を取られるうちに、やがてさやか自身でも、気づかぬうちに消失した。

 時刻はあっという間に四時半になろうとしている。そろそろ解散する頃合いである。

 

 

 

 それぞれの家路が分かれる場所で、明日の再会を約束するのは、形式のようなものである。学校という場があり、義務として教育を受ける機会が与えられている彼女たちは、体調を崩すか、もしくは不慮の事故に会うか、そういった確率の低い不運に見舞われない限りは、願おうと願うまいと、誓おうと誓うまいと、明日になれば嫌でも顔を合わせることになるのだと、そう思っているし、事実それが自然である。

 だから、またね、なんて言葉に深い意味はなく、そうすることが自然で、一般的だから行うことであって、本当は表面的な言葉なんてものはなんでも良いのだ。別れ際に無言ではきまりが悪いから、そこに適した言葉を使う。それだけのこと。

 しかしさやかはその日、また明日、と口にする瞬間、そこにいつも以上の意味を込めている自分に気がついて、一人歩く帰路の途中、ずっとそのことについて考えていた。

 何故自分は、いつもと同じ調子で、別れの言葉を言えなかったのだろう。何故、いつもと同じ調子で手を振れなかったのだろう。あの時、なにを考えていたのだろう。そもそも、果たしていつもは、なにを考えて、その言葉を口にしていただろう。

 喫茶店での違和感が、どこからかまた湧き上がって、にわかに大きさを増して、心を圧迫している。自分には他にも、「また明日」と手を振るべき人間がいたのではないだろうか。顔も名前もわからないその人物は、昨日、自分に向かって、手を振ったかもしれないのに、それを忘れてしまっているのなら。いや、忘れているという表現は正しくない。すっかり、消失してしまっているのだから。

 さやかは空を見上げる。そこに雲はなく、しかし太陽の姿もなく、東の空は夜の色が滲み、そこに一番星が金色に輝いている。いつの間に、夜の訪れはこんなに早くなったのだろうか。この時刻に空を見上げて、まだ太陽が西の空から街を照らしていたのが、昨日のことのように思える。

 

 ああ、そうか、そうではないのだ。自分は根本から、間違ってしまっていたのだと、唐突にさやかは理解する。

 

 何故自分は、明日が当たり前に来るものだと、信じきってしまっていたのだろう。

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