野球部の川端くんが、この前の試合でエラーをして、そのせいで負けてしまった、という。隣のクラスの、陸上部のカナエさんは、新しい部員が欲しいと嘆いている、という。聞くつもりはなくても聞こえてくる、クラスメイトの会話である。
私には関係のない話だ。
ほむらは一人席に座り、クラスの喧騒に背を向ける。陸上部には誘われたけれど、断った。部活、とくに運動部というものは苦手だった。集団の中で、集団と同じ方向を向いて努力をする。そういった行動が苦手だった。もともと人付き合いは得意ではない。長い間入院していたということもあるし、生まれ持っての性質というものもあるのだろう。
「ほむらちゃん、今いい?」
喧騒の中でも、聞き逃すことのないその声。少し高く、幼さを残した、人懐こさを感じさせる声。
「どうかした?」
ほむらは声のほうを向いた。まどかが、数学の参考書を持って立っている。
「昨日の宿題でわからないところがあって」
「そう。数学? そういえば、難しい問題があったわね」
「うん、多分それだと思うんだけど……教えてくれないかな」
「いいわよ」
ぱっと明るくなるまどかの表情に、ほむらもわずかに口元を緩めた。
人付き合いの苦手な自分が、転校生として上手くやっていけるとは、ほむらは最初から思っていなかった。だから、早々に遠巻きに眺められる存在になったことは想定していたことだし、それについて、特段なにを思うわけではなかったけれど、そんな状況を見かねたのか、積極的に声をかけてきたのが、まどかだった。
まどかはクラスに馴染んではいたものの、特別に仲の良い、親友と呼べるような存在はいなかったようで、孤立していたほむらに近づいたのは、もしかしたら無意識の打算もあったのかもしれない。
しかし本質的に裏表がない彼女に、ほむらは好感を持った、有り体に言ってしまえば、可愛らしいと思った。まどかもほむらに対して、悪い感情は抱かなかったようで、共に過ごす時間が長くなるのに、それほど期間は要さなかった。
「ほむらちゃんって、なんでも出来るよね」
数学の問題を解説していると、他意なく、心から尊敬するといったふうにまどかが言ったので、ほむらはくすぐったさを覚える。確かにほむらは、勉強も苦手ではないし、運動も苦手ではない。
「友達を作るのは苦手よ、私」
冗談めかしてそう言うと、そうかな、とまどかは思いのほか真剣に悩んでみせた。
「でも、わたしとは友達になれたよ」
「それは、まどかだからよ」
「なにそれ。変なほむらちゃん」
まどかがくすくすと笑う。他の人は、何故この笑顔を見て、彼女と仲良くなりたいと思わないのだろうと、ほむらは不思議に思う。それと同時に、それを占有しているのが自分だけだという事実に、たとえようのない優越感も、同時に抱く。
「いいから、勉強の続きしましょう。ここまでの説明はわかったかしら」
「はーい。ほむら先生」
明るくそう言いながら、ノートを覗きこむために顔を寄せてきたまどかに、ほむらはどきりとする。
心の距離まで近づけてしまいそうな引力を彼女は持っている。そんなことを考えて、わずかに赤くなった頬を悟られないよう、いつも以上にいつもどおりに、ほむらは淡々と、数学の問題を解説しはじめた。