彼女はなにを願いましたか?   作:風遊

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科学者は猫を殺しますか?

 世界はどのように始まったのだと思う?

 

 世界は、いつから存在するのだと思う?

 

 世界は本当に、百三十七億年前に、音も光も、時間も空間もなにもない、あなたたちが想像さえできない虚数時間の中で、ごくごく小さな、小さなという言葉では想像できないほどの小さな、あるいは存在さえしない、無とよばれる空間にたゆたうたった一点が、わずかに揺らいだことによって、全てが始まったと思う?

 形さえもたなかったそのなにかが、無というトンネルを抜けてから十のマイナス三十六乗秒から、さらに十のマイナス三十四乗秒後までの間に、十の四十三乗倍の大きさに膨張したなんて話を、想像できる? 

 りんご一個分の大きさの空間が、爆発的な膨張を経て、宇宙に、今ここに存在するすべてになったって話を信じられる?

 本当は百三十七億年前など存在せず、ラッセルが問うように、五分前に世界が出来たとして、あなたの記憶も、周囲の人も、物理法則さえも、それを解き明かしてきたニュートンもアインシュタインもシュレディンガーもボーアも、この世界そのものが、あなたのために作られた書割と脚本だと、誰が否定できる?

 そんな仮説にとりつかれて、これまでに幾人が、眠れぬ夜を過ごしたのだろう。しかしそんな彼ら、彼女らも、あなた以外の存在は、そもそもあなたが存在しなければ、存在できないのだとしたら? あなたと共に世界は始まり、あなたの知らないところで、あなたの知らぬ間に、世界は終わる。

 あなたが存在を認識しないあいだ、世界は常に始まり、同時に終わっている。科学者の頭の中で、鉄の箱に入れられた猫のように。

 確率はあらゆる形で存在している。いや、あらゆるものが確率という形で存在している。そうやってしか、存在しえない。

 よく晴れた満月の夜、空を見上げたときに、そこに確実に月があることを、誰が保証してくれる? かつて高名な科学者は、その問いを突飛な理論への疑心とともに口にした。しかし違った。そこに月があることを、誰も認識していないとき、あなたが認識していないとき、月が空に浮かんでいる確実な保証など、どこにもなかった。

 人は脳の働きによってしか、そこにあるものを認識できず、そこにモノ自体が、見たままの確かな色、姿形で存在する保証はないと、しかしそういうことではない。世界は生まれながらにして不確定であり、そこになにかが――月が、確かに存在するのだと、誰かが、あなたが、観測しないうちは、たとえ月であろうと、なんであろうと、存在するすべがないのだ。実存は否定された。まずは、それを認めなければならない。

 人において、それは可能性と呼ぶべきだろうか。あの日、左に曲がるはずの道を、右に曲がった可能性。あの日、家にこもらずに、ふらりと外出した可能性。別の学校に通っていた可能性。大事なものを失わなかった可能性。ある選択肢の、選ばなかったそれをつかんだ可能性。それらは可能性でしかなく、現実はいつも、実際に選びとった道を歩むことでしか観測できず、振り返っても存在しない。

 それは残酷なことだろうか?

 では、もしあなたがいなくなったなら? 誰があなたの可能性を観測するのだろう。誰があなたの世界を観測するのだろう。

 それは、たったひとつではない。いくつもの、いくつもの、無限大に生まれるはずの世界の終わり。

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