彼女はなにを願いましたか?   作:風遊

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彼女はなにを願いますか?

 今日は月が出ていない。曇っているわけではなく、新月の日だから。

 街の、様々な灯りで夜が濁っている。本当の夜を長い間見ていないな、と、ほむらは薄緑色に近い空をぼんやりと眺めた。

「ったく、魔獣も時間を考えて欲しいもんだね」

 背後で、杏子が悪態をつく声がする。振り向いてみれば、彼女は既に変身を解いており、どこから取り出したのか、棒付きキャンディーを口にくわえている。

「それだけ、今の世の中の闇が深いってことなのかしら」

 杏子の隣にいるマミが、深刻な口調で言う。彼女はまだ魔法少女の姿である。ほむらはもう一度、空を見上げる。濁った空に、星の姿は見えない。夜はこんなに明るくなったのに、その分、どこかに影が落ちているということなのだろうか、なんてことを思う。

「まあ、いつどんだけ出てこようが、全部ぶっ潰しちまうからいいんだけどさ。とりあえず今は、腹減った」

「はいはい。ご飯用意してるから、私の部屋に来なさい」

「おう、さすがマミ」

「そうじゃないでしょ」

「感謝してますマミさん」

「よろしい」

 聞こえてくるやり取りが、先輩後輩というよりも、さながら親子のように聞こえて、その微笑ましさに、どこか暗澹としていたほむらの気持ちが少しだけ晴れる。

「暁美さんは? ご飯食べてく?」

「……そうね、お言葉に甘えて、いただこうかしら」

「言っとくけど、あたしの分はやんないぞ」

「そんなに食べないわよ」

 マミが変身を解く。ほむらもそれに倣うように制服姿に戻ると、じゃあ行きましょうか、というマミの声に促されて、歩き出した。

「そういえば暁美さん、今日はどうかしたの?」

「……私、なにか変だった?」

「なんだか、心ここにあらずというか、いつもよりぼーっとしてるように見えるわ。気のせいなら、ごめんなさい」

「なんだよ、寝不足か?」

 心配気な目を向けるマミに、茶化すような口調の杏子。そのどちらも間違いではない。ぼんやりしていることは確かで、その原因の末端に、寝不足という事実があることも否定しない。しかし原因の本質ではない。

「……二人は」

 何故か、その質問を投げかけることをほむらは躊躇した。しかし一度言葉を舌にのせてしまった以上、ここで留めることは出来ずに、結局口にした言葉は、二人に気付かれない程度に、わずかに震えていた。

「過去に戻って、今とは別の可能性を探したいって思ったこと、ある?」

 

 

 

 薄暗い部屋の中の、本棚や机やベッドや椅子は、デスクライトの灯りにぼんやりと浮かび上がる。ほむらは眩しさを感じながら、椅子に腰掛け、机に向かったまま、じっと手の中のリボンを見る。

 赤いリボン。彼女が存在した証。かつて、何度も繰り返した時間の輪の、終着点で得たもの。

「また『まどか』かい」

「……キュゥべえ、勝手に部屋に入らないでちょうだい」

 いつの間にか、窓辺に立つ白い生き物。ほむらの叱責を意に介すことなく、それはぴょこんと音を立てて床に降りる。

「そうは言っても、やっぱり君の話は興味深いからね」

「理由になってないわよ」

 ため息混じりにそうは言うものの、ほむらは追い出すようなことはしなかった。

「魔女の話? 言っておくけれど、もう生まれることはないはずよ。宇宙規模でそういう『法則』に書き換えられたはずなのだから」

「わかってるよ。そもそも僕たちも、より効率的な感情エネルギーの回収方法を研究する過程で、感情を持つ知的生命体の魂が相転移を起こした際の、感情エネルギーの放出と回収については、長年研究していたんだ。君たちが想像もできないような、長い時間をかけてね」

「ご苦労様。それで結果は?」

「わかっているくせに。相転移を起こすその瞬間、どうやら別の次元に魂を引き寄せる力が働くみたいだ、とはわかったけれど、それがなんなのかは僕たちにもわからない。まだ発見していない粒子による力の作用――君たち人類で言うなら、重力子のようなものと考えられるが、未だに観測は果たされていない。だからそれこそ、『法則』や『理』と言うしかないね」

「それは残念なことね」

「心にも無いことを言うね」

 キュゥべえはやれやれといった素振りで、しかしその実、何も思っていないのだろうけれど、小さく首を振った後、部屋の中央に置かれたテーブルへと飛び乗った。

「君の話では、その理の正体が『まどか』なんだろう」

「そうね。信じてもらえるとは、思っていないけれど」

「なにも、僕は頭ごなしに君の話を否定はしないよ。ただ、信じるに足るものがないってだけさ」

「ありがとう。でもあなた、フォロー下手ね」

「そういうつもりはないんだけどな」

 くすりと笑みを浮かべながら、ほむらは机のほうに手を伸ばす。キュゥべえはそれに対し、せっかく乗ったばかりのテーブルから降りると、その手をつたい、ほむらの肩へと飛び乗った。キュゥべえの重さはほとんど感じない。魔法少女としての素質を持った人間以外からは見えない、というあたりも含めて、そういう生き物なのだろうと、ほむらは納得している。

「君の話が本当なら、君は僕を嫌っていたんじゃないのかい」

「別に、今も好きではないわ。ただ、昔ほど警戒する必要もないだけ」

 私の、まどかの話を聞いてくれることに、多少ではあるものの感謝もしている、とは、ほむらはさすがに口に出さない。

「ふぅん」

 キュゥべえは気のない返事をして、肩の上から、覗き込むようにほむらの手元を見た。そこにあるリボンは、見ただけでは、ただのリボンでしか無い。

「そういえば君の話は、『まどか』や魔女もそうだけれど、君が時間遡行者だということも興味深いね」

「そう? なんでも願いが叶うと言われたら、時間を戻す人だって珍しくないでしょう」

「そうだね。でもそういう場合の時間遡行がどういう形で行われるか、君は考えたことがあるかい」

「……わからないわ」

「そうだろうね。現在の人類の常識では、時間とは本来不可逆なものだ。ミクロの世界ではワームホールが存在し、必ずしもその限りではないのだけれど、そのワームホームを無理やり広げようとすると、フィードバックループを起こして空間自体が崩壊してしまう。僕たちは願いを叶えた際の膨大な感情エネルギーの放出によって、空間そのものの相転移を起こし……いや、原理はここでは本質ではないね。つまりは、大体のケースにおいて、願いを叶えた際の時間遡行は、一度きりなんだ」

「よくわからないけれど、そういうものなのかしら。でも、おかしいわ。私は何度も」

「そう。だから君の話から想像する限りだと、君が行なっていたのは、厳密には純粋な時間遡行ではない。おそらく、遡行ではなく世界の移動だ」

「移動? なにが違うの?」

「ほむら。君はこの世界が、今僕たちが存在する、たったひとつだけだと思うかい?」

 ほむらは肩に乗るキュゥべえに視線を向けた。赤いガラス玉のような瞳と目が合い、そらすことができなくなった。

「以前話した、クオリアのことかしら?」

「それとはまた別の話しさ」

「……パラレルワールド?」

「その言葉が一番近いね。この世界の遍く存在は、あらゆる確率、可能性を孕んでいる。いや、すべてのものは確率という形で、あらゆる可能性を収束させながら存在している。簡単に言うと、その可能性の数だけ世界は分岐していて、つまり今この瞬間にも、いくつもの世界が生まれているんだ」

「……つまり、どういうこと?」

「本来、それぞれの世界は完全に断絶していて行き来は出来ない。でも君の能力はよほど特殊だったんだろうね。君の時間遡行とはつまり、別の可能性をたどって分岐した別の世界の、ある特定の瞬間に、君の魂を移すものだったんじゃないかな。物理的質量をもたない魂だけなら、それも可能だ」

「……私が繰り返していると思っていた世界は、実は全て違う世界だったということ?」

「そう。何度も繰り返したというその世界は、全てが同一の世界だったかい?」

 そう問われれば、ほむらには心当たりがいくつもある。細かな違いをあげれば、同じ世界はひとつもなかったと言っても良いくらい、全ての周回は、同一ではなかった。

「そう考えれば、『まどか』という存在に因果が集中してしまったという理由も説明がつく。純粋な時間遡行であるなら、世界の因果は一本のままだ」

「……そういえば、あなたが言っていたわ。数多の世界の因果を束ねた、みたいなことを」

「それを言ったのは、厳密には僕じゃないんだけどな。でもやっぱり、そういうことなんだろうね」

 

 

 

「可能性?」

「どういうことだ?」

 マミと杏子が、首を傾げながらほむらを見る。当然の反応だと思う。あまりにも唐突で、要領を得ない質問だった。

 たとえば、マミの両親が事故で死ななかった可能性。たとえば、杏子の家族が心中の道を辿らなかった可能性。たとえば、美樹さやかがあそこで消えてしまわなかった可能性。

 ほむらの頭に浮かんだ例は、しかし口にするにはあまりにも不躾で、無神経で、だからほむらは、言葉を濁した。

「そうね、言ってしまえば、過去を変えたいと思ったことはあるかしらってこと。でも過去と言っても、そこは厳密には今とは違う世界で……」

 説明をしようとして、ほむらは言葉に詰まる。自分でも深く理解できていないから当然のことだった。今、自分が何に覚えている違和感が何に対してのものか、それさえも判然としないのだから。

「んー、なんかよくわかんないけどさ、つまり、過去に戻って今の運命を変えたいかってこと?」

「……そう考えてくれてかまわないわ」

 ほむらは頷く。そこが違和感の根源であるのか、わからないまま。

「そうね……そう思うことが、ないわけではないわ」

「ま、まともな人生送ってないもんね。まともってのがそもそもどんなもんか、知らないけど」

 歩きながらマミと杏子は言う。ほむらは二人の過去を知っているから、その答えが当然だと思う。

「まあ、でもさ……今だって、そんな捨てたもんじゃないと思うんだよ、あたしは」

「え?」

「そうね、私も、そうかもしれない」

「……でも」

 そう言いかけて、ほむらは口をつぐんだ。そんなほむらを見て、マミは笑う。

「確かに、私はいろんなことを後悔したし、悲しかったし、辛かったし、苦しかった。でも、それを経てここに立っている自分が、嫌いじゃないの」

「あたしもそうだよ。それにさ、きっと、そういうあたしじゃないと、今こうやってマミにも会えなかったし、ほむらにも会えなかったし……アイツにも、会えなかったと思うんだよな」

「そうね。だから私は、きっと、今のままでいいと思うわ」

 そう言って、二人はほむらに向かって笑う。きっと、二人は自分の質問の意図を理解していない、とほむらは思った。それでもその答えは心に突き刺さって、ほむらは曖昧な笑みで二人に答えた。

 

 

 

「彼女たちは、間違っているの?」

「厳密に言えば、間違っているね。あらゆる可能性が存在するということは、あの二人がどんな道を進んだとしても、今この世界と、別の分岐をたどって、同じような立ち位置に至る可能性はゼロではないよ。あらゆる世界を、高い次元から観測できる存在がいるとしたら、そんな世界も知っているんじゃないかな」

「……かつて私が捨ててしまった世界は、どうなっているのかしらね」

「考えるだけ無駄なことだ。世界の移動は不可逆だから、移動してしまった時点で、君の中でその世界は消失したのと同じことだからね」

「でも、私がいなくても、世界は回るわ」

「それは違うよ、ほむら。君にとっての世界は、今こうしているこの場所が全てだ。だから君が観測しえない世界は、確実にそこにあるという確証を失う。存在しているかもしれないし、していないかもしれない。そういう存在になるんだ」

「それも、まどかしか知りえないこと?」

「『まどか』が高次元の存在だとしたら、もちろん知っているだろうね。でも僕たちには、観測する術がない」

「でもそれは、存在しているのと同じことではないの? まどかにそれが見えているというのなら」

「言っただろう、人間は個々に情報を処理し、感情を有している。だから世界はそれぞれの中にしか存在できないんだ」

「……私たちは、実際に、その可能性を選びとった後、初めて世界の形を知る。そして他人の生きる可能性の世界も、他の可能性を辿った世界も知ることは出来ない。自分が選びとった今の世界を生きるしかない」

「そういうことだね。だから、彼女たちの言葉は、間違っていると言い切れるものでもない」

「……おかしな話だわ。理解できそうにない」

「仕方ないさ、理解できる人間はいないよ。でも……もしかしたら、人間ならば感覚的に、他の世界の存在を感じ取ることが出来る可能性はある。といっても、ごくごくわずかな、デジャヴュと呼ばれる現象程度に」

「どういうこと? 他の世界とは、完全に断絶しているって」

「『まどか』という概念が、媒体になっている可能性がある」

「……え?」

「人類の、他の生命体にない特徴はなんだと思う?」

「それは、感情の有無でしょう? だからあなたは、地球にやってきた」

「そう。これはあくまで仮説でしかないし、正確な言い方ではないのだけれど、君の話の通りだとするなら、『まどか』という概念は、もしかしたら宇宙に数ある力、法則や概念の中で、唯一の――」

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