棚町薫編のハーメルン限定エピソードはもうしばらくお待ちください。
棚町「さて、恵子。 説明してもらえる?」
薫が田中さんの方を見ながら壁に突き立てられたナイフを抜く。僕と田中さんは、そんな薫の一挙手一投足を注視している。
田中「薫………」
棚町「どうして純一の拘束は解けてて、どうして恵子はそれを止めず、どうして2人は電話をかけようとしていたのか。 あたしが納得できるような説明をしてもらえるかしら?」
橘「薫、これは僕が………」
棚町「純一」
笑いながら僕の言葉を遮る薫。口元は弧を描きながら、目だけはジッとこちらを見据えていた。
『お前は黙っていろ』
薫の無言の圧力に押され、僕はおずおずと口を閉じた。
田中「そ、それは………薫のためだよ」
棚町「………あたしの?」
田中「薫、やっぱり辞めた方がいいよ。こんな事して、もし警察に捕まったら大変だよ?お母さんだって心配するよ?」
棚町「…………」
田中さんの必死の説得に、薫は無言で応じる。
いくら狂っているといえども、母親を引き合いに出されては少しは考えざるを得ないようだ。
なぜなら薫は今まで、母親と2人で頑張ってきたのだから。
他の人たちが遊んでいる間に薫はバイトして必死にお金を稼いできた。もっと遊びに使いたいお金もたくさんあったはずなのに、家のために頑張ってきた。
そしてそれは薫の母親も同じだ。薫のためにずっと働いて、女手一つで薫をここまで育ててきた。
そんな母親を誇りに思っている薫だからこそ、田中さんは母親の事を口にした。
田中「薫、こんな事しても橘君の心は手に入らない。だから、もうやめよう?」
薫はというと、まだ黙って俯いたままだ。夜の山風が外の木々を揺らす。
棚町「……………ふふっ♡」
外の風の音が止み、夜の静けさに包まれたその時、薫は静かに嗤った。
棚町「あんな女、どーでも良いわ」
〜☆〜
マネージャー「ごめんねリホ。せっかくの帰省なのに、飲酒検問の列に引っ掛かっちゃうなんて」
桜井「良いんですよ、警察の人達も頑張ってるんですから」
マネージャー「それにしても抜き打ちで市内一斉検問とは恐れ入ったわ。県外に通じる道路には全部検問の列が出来てるわね、きっと」
空を見上げると紫色の雲が山の方にかかっている。街の方は徐々に灯りが増えて、夜の準備を始めている。
桜井「市内一斉の抜き打ち検問って、そんな簡単に出来るものなんですか?」
マネージャー「簡単ではないけれど、まぁ無理じゃないわね」
〃「多くの場合は市議会で話し合いが行われて実施されるから、市議会議員の中に『12月29日に抜き打ち検問をした方がいい』っていう議題を挙げた人が居れば、それが審議にかけられて、通ればそれが行われる。まぁ実際行われてるから、通ったって事なんでしょうけど」
桜井「へぇ、議員さんって良さそうですね。お菓子を毎日食べる条例とか作れそうですし」
マネージャー「そうでもないわよ。まず議題に挙げるには、それが本当に市の中で問題になってるかどうかとか、それが市のためになるかどうかを検討しなきゃいけないし」
桜井「なるほど」
マネージャー「そもそも選挙で選ばれなきゃ議員にはなれないから、リホみたいに好き勝手にやってたら選挙で選ばれなくなっちゃうのよ? まぁ、そこはアイドルと似てるわね」
桜井「皆んな大変なんですねぇ…………」
・
・
・
桜井「ありがとうございました」
買いたいものがあったので駅前で降ろしてもらった。運転席のマネージャーさんに一礼すると、マネージャーさんはにこやかに手を振って車を走らせた。
何でも今度のイベントの打ち合わせがあるそうで、マネージャーさんやコーチの人達もスケジュール調整で忙しそうでした。
イベントに向けて、私達のグループの練習も日を追うごとにハードになっていってます。最近は輝日東に行けない日も多くて、事務所の方で借りてもらった部屋にもっぱら帰ってます。
一応一人暮らしって事にはなるんですけど、その部屋はただ寝に帰るだけって感じで、あんまり一人暮らしっていう感じはしません。だから、たまに帰れる今日みたいな日に食べるお母さんの料理がささやかな楽しみです。
学校の友達はどうしてるかな? 確か今日から冬休みだったはずだけれど。そういえばしばらく連絡も取ってないなぁ…………。
桜井「……………本当にこれで良かったのかなぁ」
アイドルの活動は楽しい。応援してくれるファンの人達やメンバーの子達もみんな優しいし、歌うことも踊ることも楽しい。
でもそれって、今までの日常を捨ててまで手に入れたかったものなのかな?
香苗ちゃんや茶道部の先輩、それにお母さんやお父さん。アイドルにならなくても、皆んなが居ればそれで良かったんじゃないかな?
ふと、私は鞄の中に手を入れる。取り出したのは、一枚の写真。幼稚園の頃に純一と一緒に撮った、私の宝物。
桜井「…………そうだ、私には目標があるんだ」
それは、たった一つの目標。
皆んなとの楽しい日常を全て賭けてでも叶えたい目標。
その目標を叶えるために、ここで諦める訳にはいかない。あの日、この道を選んだ選択が正しかったんだと証明するために。
桜井「うん、頑張ろう!」
頬を手のひらでパチンと叩く。張ったような痛みがじんわりと広がる。
美也「りほちゃん!」
すると、聞き覚えのある声で後ろから声をかけられた。振り返ると、美也ちゃんがいた。
桜井「美也ちゃん……と、森島先輩」
森島「こ、こんにちは桜井さん」
桜井「こ、こんにちは。それで美也ちゃん、どうしたの?」
美也「大変なの! にぃにが攫われちゃったの!」
桜井「えっ!? だ、誰に!?」
美也「あのね、棚町先輩って分かる? ほら、にぃにと同じ中学校だった」
棚町さんなら知ってる。いつも純一や梅原君と3人で仲良さそうにしてるのを見かけていたから。
桜井「まさか、棚町さんも?」
森島「えぇ。多分、私と同じだと思うわ」
そうか、やっぱり棚町さんも純一の事が………。
美也「それでね、森島先輩と一緒に探してる所なの」
また、私が知らない所で純一が大変な目に遭ってた。
その事実だけで胸がギュッと締め付けられるほどに痛い。
桜井「私も手伝うよ。それで、連れて行かれた場所の目星は付いてるの?」
森島「それが……橘君、車で連れて行かれたらしいの」
森島先輩からあらかたの状況説明を受けながら、私達は駅前の看板地図の所にやってきた。
桜井「……………」
車で連れて行かれたとなると、なかなか見つけるのは大変かもしれない。人が運ぶのとは違ってどこにでも運んでいけるから、場所の目星もつけようが無い。
桜井「…………ん?車?」
美也「りほちゃん?」
桜井「そうだ! 検問だ!」
森島「検問?」
そう、市内一斉検問。車で移動してるってことは、市外に出ようとすれば必ず検問に引っかかるってこと。つまり………
森島「橘君達は市内の何処かにいるってこと?」
桜井「多分、そうだと思います」
美也「でも、輝日東だけに絞っても結構広いよ」
確かに、美也ちゃんの言う通りだ。輝日東を[[rb:虱潰 > しらみつぶ]]しに探してる時間はない。
森島「……ちょっと待って」
すると、森島先輩が口を開いた。
森島「もしかしたら、分かるかも。橘君の居場所」
美也「ほ、本当ですか!?」
森島「桜井さん。今日実施されてる検問は、本当に市内一斉なのね?」
桜井「は、はい。さっきマネージャーさんに送ってもらった時に私も検問に捕まって、その時に警察の人から聞きました」
森島「なるほど、それなら確実ね」
美也「先輩、それがどうしたんですか?」
美也ちゃんが不思議そうに尋ねる。森島先輩は少しバツが悪そうにしながら説明を始めた。
森島「結論から話すと、多分橘君が居るのはここよ」
そうして森島先輩が指差したのは看板地図の上の方。バスも1時間に一本しか通っていない山の上だった。
美也「どうしてここだと思うんですか?」
森島「ほら、検問って必ず警察の人が立ち会うでしょ?」
桜井「それはそう…………あっ」
森島「そう。もしそこで橘君の誘拐がバレたら大変じゃない? 仮に何らかの方法で橘君が眠らされていたとしても、途中で起きる可能性だってゼロじゃない。だからなるべく、人の目が無い所に行きたいっていうのが犯人の心理だと思うの」
美也「でも、ここだって市外に出られる道ですよね?だったら警察の人が居るんじゃ……」
森島「いいえ、多分いないわ。だって元々、バスが1時間に一本しか来ないほど往来が少ない道路なんですもの。警察もそんな所に人員を割く余裕なんてないわ」
検問を避けるために来る人が居るかも……とは考えたけど、多分いない。だって、そのための『抜き打ち』だから。
森島「もちろん、絶対にここに居るわけじゃない。それに私は、その……………」
きっと先輩は、自分が前に私を監禁した事をまだ気にしているのだろう。
桜井「先輩、もう大丈夫です。先輩が純一を好きな気持ちは痛いほど伝わってきました。幼馴染として、変ですけど、何だか嬉しいです」
森島「桜井さん…………」
美也「先輩、急ぎましょう!」
森島「えぇ!」
〜☆〜
棚町「あんな女、どーでも良いわ」
田中「か、薫?」
橘「どうでも良いって、どういうことだよ!」
棚町「そのままの意味よ。あんなすぐ他の男作って乗り換えるような女、あたしはもう興味なんて無い」
橘「お前、自分が何言ってるのか分かってるのか?」
身体が怒りで震える。
橘「あんなにお前のために必死に働いて、学校にも通わせてもらった母親に対して、なんて言い方するんだ!」
棚町「…………ねぇ、純一」
すると、薫が僕の名前を呼びながらゆっくりと近づいて来る。
ふと薫の肩が震えているのが分かった。すると次の瞬間、薫が僕との距離を一気に詰めてきた。木が切れる音と共に、左の壁に何かが突き刺さった。
それは、薫が手に持ったナイフだった。薫に壁に押し付けられたような体勢、いわゆる壁ドンの体勢に近い。
棚町「あんたこそ、自分が何言ったのか分かってんの?」
橘「え?」
棚町「あんただって知ってるでしょ。あたしには父親が居ない。あたしが小さい頃に居なくなっちゃったから。でも、あたしは今でも思い出せる。すっごいカッコよくて、すっごい優しかった」
〃「お母さんがずっと再婚しないのは、お父さんが今でも好きだったからなんだと思ってた。でも違った。あの女の中ではお父さんはもうどうでもよくなったみたい」
違う。多分、それは違う。
棚町「あぁ、あの人にとって、愛ってそんなものなんだってその時思った。でもあたしは違う。アンタの事が世界で一番好きだし、アンタの事は全部独占したい」
橘「薫…………」
棚町「例え純一が居なくなっても、あたしの心は純一のものにしたいし、純一もあたしのものにしたい。あの女とは違う!!」
いや、それは違うよ薫。
人を好きになるのはとっても怖い。その人に嫌われたらって思うと、怖くて身が縮んでしまいそうになる。
でも、だからこそ、好きな人の事は簡単には忘れられない。そしてそれはきっと、薫のお母さんも同じはずだ。
そう、お前と同じはずなんだ。
棚町「それを邪魔するってんなら、例えアンタだろうと容赦はしないわ」
すると薫が右手を振り上げた。その手は拳で握られている。
田中「薫、ダメ!!」
田中さんが声を上げる。田中さんの声を聞いて、薫がピタリと動きを止める。
田中「ダメだよ。それ以上やると、薫が戻って来られなくなっちゃう」
棚町「………………」
田中「橘君の事がどうしようもなく好きなのは分かる。だけど、それはダメだよ」
棚町「『分かる』? 恵子、今『分かる』って言ったの?」
田中「そうだよ。薫の事なら……………」
棚町「あはははははははははははは!!!」
橘「薫?」
棚町「アンタがあたしの何を知ってるっていうのよ。あたしがどんだけ苦労してきたのか知らないくせに」
田中「わ、分かるよ。だって薫、いつもバイト頑張って……………」
棚町「恵子。 あんたさ、一度でも家族の命を背負ったことがある?」
薫が田中さんに問いかける。
棚町「自分のミス一つで、家族が苦しむかもしれない。そうやって必死に頑張って、やっと人並みの幸せを手に入れられるって経験、した事ある?」
僕も田中さんも、薫の言葉に何一つ言い返せなかった。 だって、僕も田中さんも、薫の言葉が正しいって、思ってしまっているから。
お母さんと2人で力を合わせて頑張ってきた薫を知っているから。そんな自分やお母さんを誇りに思っている薫を知っているから。
棚町「無いでしょ? だからそんな無責任な言葉が出てくるのよ。 あたしにとって、純一がどれだけの存在なのかも分からないからそんな事が言えるのよ」
棚町「あたしにとって純一は、もう居ないお父さんの代わりが出来る、たった1人の人なのよ。 あんたの好きな人やお母さんの新しい恋人みたいに、コロコロ変わるような存在じゃないのよ!」
田中「……………っ!!」
薫の言葉と、その怒気に当てられた田中さんの目には、じんわりと涙が溢れていた。
橘「お、おい薫! それはいくらなんでも………」
すると、田中さんが僕を手で制した。
田中「良いの橘君。 本当の……事だから」
田中さんはそう言うと、薫の方に向き直り、そのまま歩き始めた。
田中さんが一歩一歩、薫の方へと歩みを進める。知らないうちに開いてしまっていた薫との距離を踏み締めるように。親友との間に出来た、深い迷路を掻き分けるように。
そんな田中さんの雰囲気を察したのか、薫は持っていたナイフを構えた。その切先は鋭く光っている。
田中「ごめんね、薫。 私、薫のこと何でも知った気になってた。 いつも隣で支えてくれていた薫の優しさに甘えて、薫をここまで追い詰めちゃった」
田中さんの声が震えている。 足元には、ポタポタと水滴が落ちていた。
田中「だから、せめて………」
田中さんが薫の目の前までやってきて、ナイフを構える薫の手を取った、その次の瞬間だった。
橘「た、田中さん!?」
棚町「恵子!?」
田中「くっ………!!」
田中さんが薫の持っていたナイフを自分の右肩に刺した。田中さんの肩からは、ドクドクと血が流れている。
橘「何やってるんだ! は、早く血を止めないと!」
田中「来ないで!!」
橘「っ!」
田中「ねぇ薫、すっごく痛いよ。 でも、薫はこれよりももっと痛かったんだよね? それに何年も耐えて……でも、そんなの隣に居ても感じさせないくらいに明るく振る舞って………」
棚町「……………」
田中「ごめんね? 気付いてあげられなくて。 ごめんね? 親友だって言ってくれたのに、薫にばっかり辛い思いさせて」
田中さんが薫の頬に両手を添える。壊れないようにそっと、慈しむように。
田中「でも私じゃ、薫の苦しみを取り除いてあげられないから………だからせめて、薫と同じ苦しみを………」
田中さんの血が止まらない。
薫の持っていたナイフが小さいのが不幸中の幸いではあったが、それでも早く血を止めないと。
でないと、田中さんが死んでしまう。
でも、身体が動かない。 まるで金縛りに遭ったみたいに、目の前の光景をただ呆然と眺めていた。
田中「ねぇ、薫。 私が死んだら、お墓の前でいっぱいお話ししてね。 橘君との事とか、お母さんとの事とか」
棚町「………………ょ」
田中「時々でいいから、私の事を思い出して。 私にした悪戯とか、一緒に遊んだ思い出とか」
棚町「……………ぃょ」
田中「これまで一緒にいられなかった分、これからは……ずっと薫の……心の片隅に居させて。 私は、それだけで………幸せ……だから」
棚町「やめなさいよ!!!」
響く薫の怒鳴り声。 それはしばらく部屋にこだました。
棚町「ズルいのよ、恵子は! いっつもいっつも被害者ヅラして! あたしが居ないと何も出来ないのに、そのくせ何でもやりたがって、それでまたあたしに迷惑かけて!」
田中「そ、そこまで言う?」
棚町「そして今度は何? 悲劇のヒロインにでもなったつもり? 馬っ鹿じゃないの!?」
強い言葉とは裏腹に、薫の目には涙が溢れていた。薫が口を開くたびに、その光の粒はどんどん大きくなっていった。
棚町「嫌、失くしたくない! お父さんも純一も失って、恵子まで失ったらあたし、これからどうしたらいいの………!」
田中「薫………」
棚町「お願い恵子、行かないで。 これからもあたしの側に居てよ………」
薫が田中さんに抱きついた。田中さんの肩から出た血が薫の服に染み出していた。でも、薫はそんなの気にも留めずに、ひたすらに田中さんを抱きしめていた。
田中「薫………! ごめん、ごめんね……!」
棚町「あたしこそごめん……! ごめんなさい………!」
ふと、後ろから足音が聞こえてきた。 振り返ると、森島先輩と梨穂子と美也が走ってきていた。
森島「橘君! 大丈夫だった!?」
橘「………はい、もう大丈夫だと思います」
僕はまた薫と田中さんに視線を戻した。抱き合う2人の肩に流れる血の滴りは、一点の濁りもなく澄み切っていた。
〜☆〜
田中「痛い………」
棚町「これくらい我慢しなさい!」
橘「いや、これは痛いだろ………」
外に出てみると、既に夜になっていた。
辺りを見回してみると、そこはどこかの山奥で、遠くからは鹿の鳴き声も聞こえてくる。近くにバス停もあるが、時刻表を見てみると1時間に一本しか走っていなかった。
田中さんの傷は思ったよりも浅く、しっかりと手当てをすればすぐに治る程度だった。今は帰りのバスを待ちながら、薫が応急処置を施している。
棚町「でも、これは血管がかなり切れてるわね。 傷自体は浅いけど、血が結構出てるわ。 純一、何か布持ってない? ハンカチとか」
橘「ごめん、持ってないや」
棚町「はぁ? まったく、使えない男ね。 こんな男に惚れたあたしが馬鹿みたいだわ」
橘「………悪ぅござんしたね」
すると、薫は自分の服の左腕のところに手をかけ、勢いよく引きちぎった。薫は手に持った服の切れ端を、クルクルと優しく田中さんの腕に絡ませた。
棚町「これだけあれば大丈夫でしょ」
田中「えへへ、ありがと薫」
それは、いつも通りの2人の会話だった。でも、前よりもずっと2人を近くに感じるのは気のせいではないだろう。
森島「ワオ! この辺、鹿さんがいーっぱい居るわよ!」
梨穂子「クンクン……それにこの匂いは、温泉かな? 何だか硫黄の匂いがする」
遠くの方ではしゃぐ森島先輩達を眺めながら、僕は夜空を見上げていた。今日の空は何だか遠いように感じるな。
棚町「ねぇ、純一」
すると、薫が処置をしながら話しかけてきた。
棚町「本当にごめんね。 恵子の事とか、監禁した事とか、色々」
橘「別にいいよ、気にしてない。 それよりも、薫が元に戻ってくれてよかった」
棚町「………そっか」
山から吹き下ろす風が冷たく肌を撫でる。月の光がやけに目に眩しい。
棚町「ねぇ、純一。 今回の事があったから、本当はすごく言いづらいんだけど、あたしが純一を好きな気持ちは本当だから」
橘「……………」
棚町「今のあたしには、『付き合ってくれ』なんて偉そうな事を言う資格は無い。 きっとこれからも、あたしはあたしを許せないと思う」
棚町「でも、いつか純一がそんなあたしを許してくれる日が来るまで………その時まであたし、純一を好きでいて良い?」
その質問が意味する事を、僕は理解していた。
僕の胸の中にある想い。きっとそれは、薫に辛い未来を強いるものだ。この想いが僕の中にある限り、薫の望みが叶う事は無い。
きっとここで、首を横に振る事が薫にとっては楽な選択なんだ。
でも、薫のためを思えばこそ、僕は………。
橘「………うん」
棚町「……………厳しいね、純一は」
そしてきっと、薫はそれを分かっている。
棚町「お母さんとも、もう一度話し合ってみる。今度は頭っから否定するんじゃなくて、お母さんの気持ちも、尊重してみる」
橘「そっか、頑張れよ。陰ながら応援してるぞ」
棚町「陰ながらなの?」
橘「あぁ。俺はお前の悪友だからな」
棚町「………『悪友』か。………うん、そうね。あたし達はやっぱり、それが一番よね!」
そう言って笑う薫の笑顔は、夜だというのにまるで太陽のように明るかった。
棚町「…………さ、恵子の治療も終わったし、帰ろっか」
橘「………そうだな」
これは薫が選んだ結末だ。だから僕には、その結末を紡ぐ義務がある。
………でも、いつかは──
今はとりあえず、前に進もう。
薫が前を向いて歩き始めたのに、悪友の僕が後ろを向いてたら、薫に笑われてしまう。
僕たちの関係は、それで良いんだ。
笑って笑われて、励まし励まされる。これが薫の言うところの、『イーブン』ってやつだ。
棚町「ほら、早く行くわよ」
薫の言葉に促され、僕は薫の方に顔を向けた。すると………。
橘「ぶっ!!」
棚町「ん? どうしたの、純一?」
僕の視線に映ったもの。それは色で言えば、パステル系のピンク。
薫が田中さんの為に引きちぎった服の箇所からチラッと見えるそれは、前に見たあの色と酷似していた。多分、上下でお揃いなんだろうな。
棚町「純一、大丈夫?」
田中「か、薫、その………」
棚町「ん? ……………っ!」
棚町「す、寸止めっ!!」
(ドスッ!)
橘「げほっ!」
ぜ、全然………寸止めじゃ……………な……………い─────
〜☆〜
?「うわぁ、暴力を振るうなんて怖いね、逢ちゃん。 あんな怖い先輩が消えてくれてよかった」
?「ううん、油断は禁物だよ。 本当に怖い先輩がまだ残ってるからね」