第二話 「イワカン」
午前の授業を終え、昼休みになった。僕はカバンから財布を取り出し、教室の後ろの席にいる梅原に声をかけた。
橘「梅原。 昼はどうするんだ?」
梅原「んー? あぁ、今日は食堂に行こうかと思ってる。お前は?」
橘「僕も食堂にしようかと思う」
梅原「そうか。 そんじゃあ一緒に行こうぜ」
橘「あぁ、そうするか」
〜☆〜
食堂に着くと、何だかやけにザワザワしていた。人が多いこともあるんだろうが、やけに話し声が多いように感じる。
梅原「今日はなんか落ち着かないなぁ。どうしたんだ?」
梅原もそんな違和感に気づいたらしく、キョロキョロと辺りを見回している。
ケン「あ、おーい! 梅原!」
すると、クラスメイトで友達のケンが僕たちに声をかけてきた。
梅原「よーっすケン。 お前も食堂だったのか」
ケン「そんなことどうだって良いんだよ! それよりお前ら、聞いたか?」
橘「聞いたって、何を?」
ケン「昨日、塚原先輩が怪我して入院したらしいんだ!」
ケンの言葉に、一瞬世界が止まったかのように感じた。
梅原「はっ!? 塚原先輩って、水泳部の!?」
ケン「あぁ。 今、下級生の間ではその話題で持ちきりだ。 情報通のお前なら知ってると思ったんだが………」
橘「そ、それで、先輩は何で入院してるんだ?」
ケン「それが、俺も人伝に聞いた話だから詳しくはわからないんだけど、どうも階段から落ちたらしいんだ」
『幸い、命に関わるほどじゃないらしい』とケンは付け加える。僕はその言葉にホッとした。
梅原「あぁ、心配したら食欲無くなっちまったぜ。 何か購買で適当に買うか」
ケン「そうだな」
梅原達が購買の方に向かおうとしたその時、僕は目の端にある人物を捉えた。
橘「ごめん、先に行っててくれ」
そう言うと、僕はテラスの方へ走り出した。
〜☆〜
テラスに出ると、寒い風が制服の間から入ってきた。今年はまだまだ寒くなりそうだな。
そんなことを考えながら、僕はテラスでご飯を食べているその人のところへ向かい、声をかけた。
橘「森島先輩」
森島「ん? あら、橘君。 こんにちは」
橘「こんにちは。 あの、今お時間、良いですか?」
森島「いいわよ。 何?」
先輩が笑顔でこちらを見つめる。その青い瞳は、まるで僕の心を丸裸にしてしまいそうで、少しだけ苦手だった。
彼女は森島先輩。僕の一個上の学年で、この前行われたミスサンタコンテストで、前人未到の3連覇を達成した、この学校始まって以来のマドンナ的存在だ。
橘「あの、塚原先輩の事なんですけど」
森島「え? ひびき?」
彼女は、さっき話に出てきた、塚原先輩と仲が良く、よく一緒にいるのを見かける。森島先輩に聞けば、塚原先輩のことについて何か分かるかもしれない。
橘「はい。 先輩が入院したって聞いたので、森島先輩に話を聞こうと………」
すると、森島先輩は持っていた箸をお盆の上に置いた。
森島「…………どうして、ひびき?」
橘「え?」
森島「今は私と話してるのよね? どうしてひびきが出てくるのかな?」
その口調は、いつものような天真爛漫な声ではなかった。氷のように冷たく、鋭利な声だった。
橘「い、いえ………何でもないです」
その威圧感に押された僕は、咄嗟にそう言ってしまった。
森島「そう? なら良いんだけど」
すると、さっきまでの冷ややかなオーラは鳴りを顰め、いつもの天真爛漫な雰囲気が僕を包んだ。
森島「そんな事より、せっかく来たんだからお話ししましょ」
橘「は、はい……」
それから、僕は昼休みが終わるまで森島先輩と話をした。
それにしても、さっきの違和感は何だったんだろう。まるで、背中にナイフを当てられているかのような緊張感があった。
でも、相手はあの森島先輩だぞ? いつもニコニコしてる森島先輩が、そんな冷徹なオーラなんて出すはずがない。
橘「勘違い……だよな?」
胸の奥にちょっとだけモヤモヤを抱えながら、僕は教室へと帰っていった。
〜☆〜
教室に帰る途中、僕は廊下を歩いていた。すると──
??「あっ、純一!」
階段の下から梨穂子が声をかけてきた。
橘「梨穂子か。 どうした。何か用か?」
桜井「いや、用事は無いよ。 純一が居たから声かけただけ」
梨穂子が階段を登り、隣に駆け寄ってくる。僕達は徐に歩き始めた。
橘「最近はアイドルの方はどうだ?」
桜井「個人の仕事が週に一回あるくらいだから、結構暇だよ〜。 元々グループに入ったのも最近だからね〜」
梨穂子の言う通り、梨穂子は大人気アイドルグループ・KBT108のメンバーとして芸能界デビューした。
彼女は本来なら学校は休学しているのだが、グループの方で問題があり、一時、活動を休止している。そのため、グループが再開するまで、こっちに帰って来ているというわけだ。
幼稚園の頃から仲が良かった幼馴染の梨穂子がそんなすごいところに行ってしまったと知った時は、とても複雑な心境になった。
だが、僕が何を言おうと、それは梨穂子自身が決めたことだ。僕に出来るのは、それを全力で応援することだけだ。
橘「頑張ってるんだな」
桜井「………うん。 私、頑張ってるよ」
ふと、梨穂子の顔を見る。小さい頃からずっと見ていたはずなのに、何故か初めて見るような気がする。
スッと遠くを眺めるような目だ。まるで、ここに無い何処かを見ているかのような、そんな表情。
そうか。 梨穂子って、こんな顔するんだ。
全部知った気になってたけど、僕は梨穂子の事を何にも理解できていなかったんだ。
そんな自分の無力さと、遠いところに行ってしまった幼馴染が今は隣にいるという、滑稽な安心感が胸の中に広がった。
〜☆〜
放課後になったので、僕は荷物をまとめて外に出た。
するとふと、校舎裏に入っていく人影を目の端で捉えた。何となく気になった僕は、その子の後について行った。
七咲「うん。 この角度なら問題ないかな」
物陰から見つめる先にいたのは七咲だった。階段の上をじっと見つめ、時折何かをブツブツと呟いているが、ここからではよく聞こえない。
??「あら? 何してるの?こんな所で」
すると、七咲の後ろから七咲に声をかける人がいた。
七咲「あ、森島先輩。 こんにちは」
森島「こんにちは。 今日は水泳部の練習は無いの?」
七咲「えぇ。 塚原先輩が入院中ですから」
森島「へぇ、そうなんだ」
何を話しているんだろう? もっと近くに寄ってみれば聞こえるだろうか。
そう考えた僕は、2人に気づかれないようにサッと近くの茂みに隠れた。
バレないように身を隠しているので2人の表情などは分からない。耳を澄ましてみると、2人の会話が聞こえてきた。
七咲「でも、怖いですよね。 あの塚原先輩が階段から落ちるなんて。私も『背後には気を付けないと』いけませんね」
森島「…………ふーん、そういうこと言うんだ」
七咲「どうしました? 私はただ、『階段で転ばないように気をつけよう』って意味だったんですけど」
2人とも明るい口調で話しているが、どこか違和感がある。妙な緊張感というか、張り詰めたような感じだ。
七咲「とにかく、私はこれから塚原先輩のお見舞いに行こうと思います。 確か、輝日南病院でしたよね」
森島「えぇそうね。 それじゃあ、一緒に行かない?」
七咲「そうですね。『1人だと危険』ですしね」
森島「………そうね。1人だと危険だもの。 『上から何が落ちてくるのか分からない』から」
七咲「………チッ」
どうにかして表情が見えないものかと、僕はゆっくりと身体を起こした。すると、七咲の後頭部と森島先輩の顔が見えた。
その時の森島先輩の顔は、きっとこれから、ずっと忘れられないだろう。
それは、いつも僕が見ていた先輩の笑顔じゃなかった。明るくて天真爛漫で、邪念なんて1ミリも無いような、あの笑顔では無かった。
いつもの明るいオーラは奥に隠れ、まるで氷のように冷たい笑顔。僕はその顔を見て、さっきの会話と、今日のお昼に感じた違和感の正体に気がついた。
それは、先輩の目だ。その目は一切の光を湛えておらず、冷静に目の前にいる七咲をじっと見つめていた。
2人は『笑顔のまま』歩き始めた。2人が行ったのを確認した後、僕は茂みから立ち上がった。
1人残された僕は、さっきの先輩の顔を思い出していた。
橘「先輩って、あんな冷たい笑顔をする人だったっけ?」
あれは、僕が知らない先輩だった。僕が知ってる先輩はもっと、弾けるような笑顔をする人だったはずだ。
僕はたまらなく恐ろしくなった。
僕は先輩のことを何も知らなかった。梨穂子にしたってそうだ。僕が知ってる梨穂子や森島先輩は、あんな顔しなかった。
まるで、僕だけ何も知らされていなかったかのように、僕の知らない皆んながどんどん見えてくる。
でも、理由は分かってるんだ。
あの時、僕がもっと女の子に踏み込んでいれば、その時に知れたはずなんだ。
それは決して良い側面ばかりでは無かったかもしれないけど、それでも、自分で見つけた方が、幾分か心へのダメージは少なく済んだはずだ。
僕が居た日常が崩れる音がする。それまで微妙なバランスで成立していたトランプタワーが、一気に崩れる感覚。
怖い。嫌だ。やめてくれ。
前後不覚になって震える足を押さえながら、僕はゆっくりと歩き始めた。
橘「…………とりあえず、輝日南病院に行かなきゃ」
〜☆〜
看護師の人に通され、僕は病室の戸を叩いた。中から声が聞こえて、僕はドアをゆっくりと開いた。
塚原「あら、橘君」
橘「こんにちは」
白い病衣を身に纏い、白いベッドに横たわる先輩は、まるで雪国の姫のようだ。
彼女は塚原先輩。 今日話していた、怪我をして入院した人だ。
塚原「あなたが来るとは思わなかったわ。どうしたの?」
橘「いえ。ただ、先輩が入院したって聞いたから、心配で」
塚原「………そう。ありがとう」
塚原先輩が微笑む。その笑顔は、いつも見ていた先輩の笑顔だった。僕は少しホッとする。
橘「そういえば、七咲と森島先輩来ませんでしたか?」
僕はふと先輩に聞いてみた。もし森島先輩が来ていたら、一度話して、確かめようと思っていたからだ。
すると、先輩からは意外な反応が返ってきた。
塚原「………は、はるか? え、えぇ。 さっき、七咲と一緒に来たわ」
森島先輩の名前を聞いた瞬間、塚原先輩はビクッと肩を震わせた。さっきまでの笑顔から一転、引き攣ったような笑顔に変わった。
その変化に、僕の中にモヤモヤとした違和感が広がった。これは、今日感じた違和感と同じだ。
僕の心が言っている。今の塚原先輩は、『いつも通り』では無いと。
橘「先輩? 森島先輩がどうかしたんですか?」
塚原「え? べ、別にどうもしないわよ?」
そう言う塚原先輩の顔は、やはりどこかぎこちない。まるで、何かを隠しているかのような顔だ。
そういえば、今日の森島先輩が言っていた。
森島『今は私と話してるのよね? どうしてひびきが出てくるのかな?』
僕は確信した。今の塚原先輩は、森島先輩に対して『何か』がある。そしてきっとそれは、僕が今日見た先輩の異変と関連がある。
橘「先輩。 実は………」
僕は、今日の森島先輩に関することを塚原先輩に話した。昼休みに先輩が言っていたこと。七咲との会話の時に見せた、あの表情。
塚原「………そう。 やっぱり」
僕の話を聞いた塚原先輩は、俯いて何かを考え始めた。身体はまだ震えている。
塚原「…………ねぇ、橘君。 今から話す内容は2人だけの秘密よ。決してはるか………いいえ、他の誰にも言ってはいけないわ」
そう前置きした塚原先輩は、ゆっくりと口を開いた。
塚原「橘君も知ってる通り、私、階段から落ちたの。 それでね、落ちる瞬間、階段の上がチラッと見えたの」
橘「階段の上?」
塚原「………誰かが居た」
橘「………っ! それって………」
塚原「えぇ。 多分、はるかよ」
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