塚原先輩のお見舞いに行った次の日、僕は絢辻さんと『3年生を送る会』の作業をしていた。
橘「……………」
僕は作業をしながら、昨日の塚原先輩との病室での会話を思い出していた。
〜☆〜
塚原「えぇ。 多分、はるかよ」
橘「も、森島先輩が!? そ、そんなはずは………」
塚原「………ありがとう。 貴方がそう思ってくれるのが、せめてもの救いね」
塚原先輩が微笑みながら、僕の方に身体を向けた。
塚原「もちろん、私もはるかじゃなければ良いと思ってるわ。 でも、今ある状況証拠的には、はるかが一番怪しいのよ」
橘「そんな………」
正直、僕にはまったく信じられなかった。
あの天真爛漫な森島先輩が、親友の塚原先輩を階段から突き落とすなんて。あの公園で、僕を助けてくれた、あの森島先輩が………。
でも、あの時の七咲との会話や、僕に見せたあの表情が、現実を受け入れるしかないことを迫ってくる。
橘「…………本当に、森島先輩がやったんでしょうか?」
塚原「橘君………」
橘「もしかしたら、森島先輩に似た他人って事もあるかもしれません! だってあの森島先輩ですよ? 僕の机に落書きをするぐらいしかイタズラを思いつかない、あの森島先輩が、そんな………」
塚原「……………橘君は」
すると、僕の言葉に被せるように塚原先輩が口を開いた。
塚原「橘君は、はるかの何を知ってるの?」
橘「え?」
塚原「はるかがどんなものが好きで、どんなものが苦手か。はるかが好きな場所は? 好きな音楽は? どんな事をされるのが嬉しくて、どんな事をされるのが嫌なのか。 貴方は全て知っているの?」
塚原先輩の言葉に、僕は何も言い返せなかった。口を開いてはみるものの、そこから言葉が出てこない。
塚原「橘君。 貴方が知ってるはるかが、はるかの全てではないのよ」
塚原先輩の言葉は、的確に僕の心臓を突いてきた。まるで、刑事に追い詰められた犯人のように、僕の心は、キュッと締め付けられるようだった。
前に森島先輩が言っていた。『外見で選ぶ男の人が苦手だ』と。
あの時は、僕は違うと言ったが、本当は僕も、森島先輩を外見で見ていたのかもしれない。
『森島先輩は天真爛漫な人だ』っていう、理想の押し付け。だから、そうでない森島先輩が見えた途端に、『そんなのは森島先輩じゃない』と蓋をする。
………あっ、そっか。 そういうことか。
僕が彼女達に一歩踏み出せなかった理由。
それは、怖かったんだ。
それ以上踏み込んだら、僕が知らない彼女達の一面を見ることになる。それは、必ずしも綺麗な側面ばかりではない。
それがきっと、怖かったんだ。
橘「………ごめんなさい。 僕、何も知らないで偉そうに………」
塚原「こっちこそごめんなさい。 貴方を傷つけるつもりはなかったんだけど、少し厳しい言い方になってしまったわね」
塚原「とにかく、この話はまた後日しましょう。 今後の事とかも、またしっかり話し合いましょう」
橘「はい………失礼します」
そうして僕は、病室を出たのだった。
〜☆〜
そして今。 僕は、あの時の塚原先輩の言葉を頭の中で反芻していた。
『僕が知ってる森島先輩が、森島はるかの全てではない』、か………。
絢辻「随分と浮かない顔ね」
すると、一緒に作業をしていた絢辻さんが話しかけてきた。
絢辻「貴方が冴えない顔をしているのはいつもの事だけど、今日は特に酷いわ」
橘「僕、いつもそんなに酷い顔かな?」
絢辻「えぇ。 野良犬に追いかけ回された挙句、川に飛び込んだみたいな顔ね」
橘「そ、そこまで?」
クスクスと意地悪そうに笑う絢辻さん。 きっと、他のクラスメイトはこの絢辻さんを知らないんだろうな。
橘「絢辻さんはさ」
絢辻「ん?」
橘「もし、絢辻さんが知らない僕の一面を知った時、どう思う?」
絢辻「貴方の一面によるわね。 それがあたしの不利益にならないようなものであれば、そのまま放置するわ」
橘「な、なるほど……」
絢辻「まぁ、どっかのお馬鹿さんは、自分の不利益になるような一面も受け入れてしまいそうだけれど」
絢辻さんは表情を変えず、淡々と作業をしながら答える。 その言葉が裏表のない心からの言葉であると証明するかのように。
橘「じゃあ、もし絢辻さんの不利益になるような事だったら?」
絢辻「そうね………」
絢辻さんが作業する手を止める。しばらくして、絢辻さんは口を開いた。
絢辻「やっぱり無視ね。 貴方程度なら、あたしは簡単に手篭めにできるもの。下手に動いて、貴方以外の人にボロを出すよりはマシよ」
橘「なるほど………」
絢辻「………感心してんじゃないわよ。 貴方、今馬鹿にされたのよ?」
橘「えぇ!? あっ、確かに言われてみれば……」
絢辻「はぁ………今の会話で、貴方にあたしが知らない一面が無い事を知れたわ」
絢辻さんがため息をつくのと同時に、昼休みの終了のチャイムが鳴った。
絢辻「さ、戻りましょ」
絢辻さんが扉の方に向かう。僕もそれに続いて、部屋を出ようとした。
絢辻「あっ、そうだ。 橘君」
すると、絢辻さんが僕の方を振り返った。
絢辻「人の知らない一面って、必ずしも汚いものばかりとは限らないわよ」
橘「え?」
絢辻「……………あたしから言えるのはここまで。 後は橘君が決めると良いわ」
不明瞭なアドバイスを残して、絢辻さんは廊下を歩いて行った。1人残された僕は、ポツンと立ち尽くしていた。
〜☆〜
授業が終わって、放課後になった。 今日はどこにも寄る気分にはなれなかったので、そのまま帰ることにした。
美也「あっ、お兄ちゃん!」
すると、廊下の向こうから美也が走ってきた。
橘「美也か。 どうした?」
美也「今日、お母さん達仕事が遅いから、自分達でご飯食べてって。 だから、美也が何か作ってあげる」
橘「そうか、分かった。 じゃあ僕が作るから、美也は家で待ってろ」
美也「えぇ! 美也が作りたい!」
橘「馬鹿言え。美也が料理なんてしたら、とんでも無い事になる。 この前だって、筑前煮の隠し味とか言って、サイダー入れたじゃないか!」
美也「うるさい! 誰にでも失敗はあるのだ!」
何が失敗だ。 成功した試しが無いじゃないか。
橘「とにかく、今日は僕が作るから、お前は家で待ってろ」
美也「ぶぅ〜!」
橘「はぁ……まんま肉まんも買ってきてやるから」
美也「本当に!? ありがとにぃに!」
橘「にぃにって呼ぶな。 じゃあ、ちゃんと待ってろよ」
美也「は〜い」
美也はそのまま階段を登って行った。 まったく、騒がしいやつだ。
橘「さて、それじゃあ商店街の方にでも行くか」
桜井「あれ、純一?」
橘「え?」
声の方を見ると、梨穂子が立っていた。
桜井「純一も今帰り?」
橘「うん。 今日の晩ご飯、僕が作ることになったから、今からその買い出しに行くところ」
桜井「そ、そうなんだ」
橘「じゃあ、またな」
桜井「あっ、待って!」
すると、梨穂子が僕の袖を掴んだ。
橘「えっ?」
桜井「よ、よかったら途中まで一緒に帰らない?」
〜☆〜
商店街では、様々な出店が並んでいた。 創設祭ほどではないけど、ここもかなり賑わっている。
橘「大丈夫なのか? 梨穂子の家、こっちじゃないはずだけど」
桜井「き、今日は、この近くでお仕事があるんだ」
橘「へぇ、そうなのか」
桜井「う、うん………」
梨穂子が俯きながら返事をする。 その顔は、どことなく浮かない顔で、疲れているようにも見えた。
橘「最近、仕事はどうだ?」
桜井「グループのお仕事が無いから、結構暇だよ。 学校にもちゃんと行けてるし、お仕事も、マネージャーさんが夜のお仕事を増やしてくれたんだ」
橘「そ、そうなのか。 夜のお仕事………」
桜井「あっ! べ、別に変な意味じゃ無いからね!? いつもはお昼にやる撮影のお仕事を、夜の時間にズラしてもらったっていう……」
橘「わ、分かってるよ!」
桜井「う、うん………」
2人の間に流れる、気まずい雰囲気。
あれ? この感覚、どこかで………。
………あ、あれだ。 女の子と会話が続かなかった時のやつだ。
何か話を繋げようとするけど、それが女の子の好みに合うのかと気にして、話すべきか迷う。そうこうしている間に、時間だけが過ぎ去っていく、あの感覚だ。
橘「梨穂子、ひとつ聞いても良いか?」
桜井「ん? どうしたの?」
その感覚に危機感を覚え、僕は思わず口を開いてしまった。
橘「もし、自分がよく知ってる人の嫌な一面を見ちゃったとしたら、梨穂子はどう思う? もうその人と関わりたくないって思うか?」
桜井「純一? それってどういう……?」
橘「あっ………いや、良いんだ。 ごめん」
僕は何を聞いてるんだ。
桜井「………私は」
すると、梨穂子が話し始めた。
桜井「私は、その人の悪い一面だけがその人の全てじゃないと思う。 良い面も、悪い面も、全部を含めてその人なんだと思う」
桜井「だから、純一が知ってるその人の一面もその人本来の姿だし、純一が知らないその人の一面も、その人本来の姿だと思う」
橘「梨穂子………」
桜井「だから、えっと……何が言いたいかって言うと、その………」
梨穂子の言葉を頭の中で咀嚼してみる。頭の中で、しばらく思考を重ねる。
やがて、僕はふぅっと息を吐いた。
橘「そうだよな、うん。 そうだよ」
桜井「純一?」
橘「ありがとう梨穂子」
梨穂子に礼を言うと、僕は踵を返して走り始めた。
桜井「えっ!? どうしたの? 買い物は?」
橘「すまん、用事を思い出した!」
困惑する梨穂子をよそに、僕は目的の場所へと走って行った。
桜井「純一、どうしたんだろう?」
………あの質問、やっぱり私のことなのかな?
そうだよね。 だって私、アイドルになっちゃったんだもん。 純一からしたら、遠くに感じるのも無理ない、か
桜井「私、何でアイドルになっちゃったんだろうなぁ………」
?「ねぇ、ちょっと良いかな?」
桜井「はい?」
〜☆〜
昨日来た病室のドアをノックし、僕は部屋の中に入った。
塚原「あら、橘君」
橘「こんにちは」
ベッドで上半身を起こして寝る塚原先輩。脇の方には、本が3冊ほど積まれていた。
塚原「入院中って意外と暇なのね。 親に持ってきて貰っちゃった」
塚原先輩が本を手に取る。本のタイトルは、『嫉妬/事件』
橘「身体も動かせませんもんね。 水泳が恋しくなってきたんじゃないですか?」
塚原「ふふっ、正解」
開けた窓から吹き込む風は、冬の輝日東らしく乾いた風だった。窓の外に見える枯葉が、木から飛んでいくのが見えた。
塚原「ごめんね、昨日は酷いこと言っちゃって」
すると、塚原先輩が唐突に話し始めた。
塚原「いくら何でも、あれは言い過ぎよね。 本当に、ごめんなさい」
橘「そんな、謝らないでください。 それに、もう大丈夫です」
昨日の塚原先輩の言葉や、絢辻さんの言葉、梨穂子の言葉を受けて、僕は僕なりに一生懸命考えた。
そして、今の僕が出した答えは───
橘「塚原先輩。 僕、森島先輩ともっと色んな事がしたいです」
塚原「橘君………」
橘「一緒にお昼ご飯も食べたい。馬跳びだってしたい。グッズを交換したり、ゲームセンターで遊んだりもしたい」
塚原「……………」
橘「確かに、僕は森島先輩の全部を知ってるわけじゃない。 塚原先輩を傷つけた森島先輩も、僕に冷酷な表情をしたのも森島先輩の一面なんだと思います」
橘「でも、だからってそれが他人を傷つけて良い理由にはならない」
橘「今の先輩は間違ってる。だから、僕はいつもの森島先輩に戻って欲しい。僕は、あの何でもない日常を取り戻したい」
これはきっと、僕のエゴだ。でも、それでも良い。
絢辻さんがいて、梨穂子がいて、薫がいて、中多さんがいて、七咲がいて、そして、森島先輩がいる。
梅原や、美也や、茶道部の先輩達、塚原先輩、ケン、マサ、他にもたくさん……….。
あの何でもない日常を、もう一度だけ過ごすチャンスが欲しい。
橘「お願いします。 森島先輩を元に戻すのに協力してください!」
塚原「……………」
僕の話を聞いていた塚原先輩は、黙ったままで僕をじっと見つめていた。
塚原「……そうね。 いつまでもこのままで居るわけにもいかないものね」
塚原先輩は呟くと、僕の肩に手を乗せた。
塚原「ありがとう。 君がはるかを見捨てないでくれる、それだけで嬉しいわ」
橘「先輩……」
すると、病室のドアが急に開いた。そこにいたのは、何とも意外な人物だった。
美也「にぃに!」
橘「み、美也!? 何でここに……」
美也「何でじゃないよ! 怪我してない? 骨とか大丈夫?」
美也の様子は明らかに変だ。 慌ててる美也は何度も見た事があるが、こんな焦った美也は見た事がない。
橘「ど、どうしたんだよ。 何があった?」
美也「どうしたじゃないよ! さっき病院の人から家に電話がかかってきて、『お兄さんが病院に運ばれました』って!」
橘「は? お前何言って………」
美也の様子から、冗談やからかいの類ではないことは分かる。 でも、僕が病院に運ばれた? なぜ、そんな事を美也に?
(コンコン)
すると、空いた病室のドアを看護師さんがノックした。
看護師「橘純一さんにお電話です。 そこの電話の『1』のボタンを押せば、繋がりますよ」
看護師さんが、部屋に備え付けの電話を指差す。僕は恐る恐る受話器を取り、1のボタンを押した。
橘「も、もしもし」
?『純一………助けて』
その声は、とてもか細いものだった。 まるで絹の糸のように細く、今にもプツンと千切れてしまいそうなほどに弱っていた。
でも、そんな声でも、僕には声の主が誰だか一瞬で分かった。 だって、幼稚園の頃から聞いていた声だったから。
橘「梨穂子? 梨穂子か!?」
すると、電話の向こうで別の誰かが動く音がした。ガチャガチャという音の後に、『オッホン』という咳払いが聞こえた。
その咳払いも、僕がよく知る人物のものだとすぐに分かった。 だって、その天真爛漫な声に、僕はずっと憧れていたんだから。
森島『はぁい♪ 元気そうで何よりだわ、橘君』
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