第六話 『サイカイ』
授業も終わり、誰もいなくなった2-Aの教室。夕陽で赤く染まった机達の中に、僕達はいた。
絢辻「ん? ちょっと、手が止まってるわよ」
橘「え? あぁ、ごめん」
絢辻さんの声で我に帰る。
絢辻「何考えてたか当ててあげる。塚原先輩の事でしょ」
橘「うん………」
ふと、窓の外に視線を移す。山の向こうは、すでに紫に染まっていた。
森島「それにしても、ひびきが階段から落ちちゃうなんて、意外とドジなところもあるのね」
橘「……え?」
塚原「はるか、今なんて?」
森島先輩の一言で、周囲の空気が一変した。さっきまでの穏やかな雰囲気から一転、迷いと不安が僕たちの間に広がる。
橘「塚原先輩を落としたのって、森島先輩じゃないんですか?」
森島「え? ち、違うわよ!」
もしかして嘘をついてるのか?………いや、森島先輩はもう元に戻ったわけだし、ここで嘘をつく理由もないだろう。
塚原「………うん、嘘はついてないみたいね」
塚原先輩も同じ考えらしい。
確かに思い返してみれば、森島先輩は一度も『自分が塚原先輩を落とした』とは言わなかった。それはあくまで僕らが勝手に早合点しただけだった。
あの日の食堂でも、先輩が怒ったのは、『自分と話している途中で他の女性の話をしたから』だった。
広がった不安の波紋はやがてその大きさを増していき、僕の胸の中をザワザワと揺らめかせる。様々な疑念が頭をよぎっていく。
しばらくして、一つの確信だけが残った。
橘「まだ、終わってない」
絢辻「塚原先輩は、何か犯人の特徴とか言ってなかったの?」
橘「スカートが見えたから、女子生徒なんじゃないかって言ってた。髪色とかは見えなかったって」
絢辻「………」
僕の証言を聞いていた絢辻さんは、手を止めてしばらく考え込んでいた。
橘「絢辻さん?」
絢辻「! ………いいえ、何でもないわ。さ、作業に戻りましょう。他にも仕事はあるんだから」
そう言って作業に戻る絢辻 さん。時折髪をかきあげながら資料を整理するその様子は、クラスのみんながよく知る彼女だ。
絢辻「ん?何よ。 あたしの顔を見る暇があったら手を動かしなさいよ」
呆れた顔でため息をつくその様子は、僕がよく知る彼女だった。
橘「ごめんごめん。すぐにやるよ」
〜☆〜
作業を終えた僕たちは、夕陽が照らす並木道を歩いていた。結構遅い時間なので、帰っている生徒もほとんどいない。
橘「ごめん絢辻さん。かなり遅くなっちゃった」
絢辻「別に良いわよ」
絢辻さんは表情を変えずに歩いていく。まるで、『そんな事どうでも良い』って言ってるかのように。
でも、やっぱり申し訳ないよな。創設祭実行委員の時も、僕の仕事が遅かったから暗くなるまで学校に残って、そのせいで倒れちゃったこともあったし。
………そういえば、あの時の絢辻さん、なんか変だったよな。僕が一緒に帰ろうって誘っても、頑なに帰ろうとしなかった。
まるで、家に帰りたくないみたいに。
あの時は怖くて踏み出せなかったけど、今なら聞ける気がする。
橘「ねぇ、あやつ……」
僕が口を開いたその時、絢辻さんが急に立ち止まり、何やら上を見上げた。彼女の視線を僕も追う。
そこにあったのは石の階段だった。さらに上を見ると、大きな鳥居も見える。
橘「ここって………」
すると、絢辻さんは石の階段を登り始めた。
橘「あ、絢辻さん?」
僕は、無言のまま階段を登る絢辻さんの後について行った。
〜☆〜
階段を登り、鳥居をくぐる。周りは雑木林になっており、石畳の上には枯れ葉がまばらに散っている。
絢辻「何だか、何年も来てなかった感じがするわ」
絢辻さんのローファーが石畳をコツコツと叩く。彼女の言葉は僕に向けられたもののような気がするし、独り言のような気もする。
橘「絢辻さんの手帳を拾って以来だから、1ヶ月ぶりぐらいかな」
絢辻「そっか、もうそんなに経つのね………」
どこか遠いところを見ているような絢辻さんの瞳。その様子があまりにも儚げで、僕はつい見惚れてしまった。
絢辻「残念だったわね。みんなの人気者のクラス委員長が、放課後に自分をこき使うような女で」
橘「え?何で?」
絢辻「は?」
橘「僕、絢辻さんと一緒にいるの楽しいよ。思ってることははっきり言ってくれるし、厳しさの中に優しさがあるって感じで」
絢辻「………ふ、ふん! 褒めたって仕事を減らしてなんてあげないわよ」
橘「そ、そんな事考えてないよ」
絢辻「………そうね。そんな貴方なら、きっとわたしも………」
絢辻さんが何かを呟いたような気がしたが、サァっと枯葉を攫う風が吹いて、僕にははっきり聞き取れなかった。
絢辻「じゃああたし、寄るところがあるから帰るわね」
絢辻さんはそう言って、クルリと踵を返して去っていく。その表情はいつもの無表情で、仮面のようだと思った。
橘「余計なこと言っちゃったかなぁ」
ポリポリと頭を掻く。すると、後ろの茂みで物音がした。
桜井「あれ、純一?」
橘「! 梨穂子。 何でここにいるんだ?」
桜井「え?んー……何でだっけ?」
おいおい、大丈夫か?こいつ。
桜井「あっ、そうだ! これだよ!」
すると、梨穂子が茂みの方を指差す。そこには、大人が1人ギリギリ入れるくらいの、段ボールで出来た空間があった。
橘「おお、懐かしいな」
桜井「昔は漫画とかお菓子とか持ってきてたよね」
そうそう。で、特に何するでもなく、ずっとぼーっと過ごしてたんだ。
桜井「ねぇ、ちょっと入ってみない?」
橘「え? いやいや、流石に無理だろ」
桜井「あはは………だよね」
僕や梨穂子のどちらか1人ならどうにか入るだろうけど、2人は無理だろうな。
(プルルルル)
すると、梨穂子の鞄から変な音が聞こえてきた。梨穂子はカバンに手を突っ込むと、小さな機械を取り出した。
桜井「はい、桜井リホです。………え?そうなんですか?………分かりました。はい。じゃあ、よろしくお願いします。はい、失礼します」
(ピッ)
橘「梨穂子、それって………」
桜井「え? あぁ、これ? 携帯電話だよ。アイドルのお仕事の連絡用にってマネージャーさんが」
橘「そうなのか。やっぱりアイドルってすごいなぁ」
前に商店街の電気屋に置いてあるのを見たけど、値段を見て飛び上がったのを覚えている。
僕みたいな庶民には、とても手が出せない代物だ。
橘「それで、何の連絡だったんだ?」
桜井「うん………グループの活動、再開するって」
橘「えっ、本当か? よかったじゃないか」
グループというのは、梨穂子が所属しているKBT108というアイドルグループのことだ。そのグループの1人が暴力団と関わっているという噂が流れ、その噂の調査のために一時的に活動を休止していたのだ。
無事に再開できたということは、噂はデマだったということだろう。つまり、梨穂子は危ない関係を持っていないということで、僕は心からホッとした。
橘「そうなると、それこそ漫画を読んだりお菓子を食べたりする暇もなさそうだな」
桜井「うん。でも、私が選んだことだから」
橘「頑張れよ梨穂子。僕はずっと応援してるからな」
桜井「………うん。私、頑張るね」
僕を見つめる梨穂子の瞳。幼い頃からずっと見ていて、見慣れているはずのその瞳。
でも、その日のそれは、どこか濁りを帯びていた。
一方その頃………
(コツコツコツ)
?「ねぇ、あんた」
絢辻「ん? あら、棚町さん」
棚町「純一とえらく楽しそうに話してたじゃない」
絢辻「私だって、男の子と話すことくらいあるわ。それがたまたま橘君だっただけ」
棚町「あんたが誰と話そうが勝手だけど、あたしの純一に手を出すのはやめなさいよ」
絢辻「どうしたの?棚町さん。 いつものあなたらしくないわよ?」
棚町「茶化さないで!」
絢辻「棚町さん落ち着いて? そもそも、あなたと橘君はお付き合いしてるの?」
棚町「それは………今はまだしてないけど」
絢辻「じゃあ、橘君が誰と仲良くしてようと、それこそ橘君の勝手じゃない? お付き合いしてるならともかく、そうでないなら、仲良くするだけなら問題ないと思うのだけれど」
棚町「っ………」
絢辻「安心して。私と橘君の関係はあなたが想像するようなものじゃないし、私はあなたのように橘君を独占するつもりはない」
絢辻「だから、橘君にアプローチするなら私は邪魔しないから。それじゃあね」
(コツコツコツ)
棚町「………ウカウカしてられない」
棚町「あいつの目の独占権は、あたしにあるんだから………!」
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