コーチ「1.2.3.4! はい、ストップ!」
前で私たちの踊りを見ていたコーチの声がレッスン場に反響する。「ハァハァ」という息遣いが不規則に周りから聞こえてくる。
コーチ「はい、じゃあ10分休憩」
コーチがそう言うと、その場の緊張の糸が切れたようにフッと身体の力が抜け、フワフワと宙に浮かんだように感じる。
今日は私、桜井梨穂子が所属するKBT108の久々の合同練習です。活動休止期間に帰省している子を除いて、来れる子達だけで踊りのトレーニングです。
KBT108はとある理由で最近までお休みしてたんだけど、昨日ようやく活動が再開されたのです! 皆んな気合が入っていて、レッスンにも熱が入ります。
コーチ「休憩が終わったら、選抜メンバーは私のところに来てくれ。他のメンバーは各自で自主練だ」
メンバー「「「はいっ!」」」
桜井「はい!」
コーチの言葉に、私も返事をする。
『選抜メンバー』っていうのは、ファンの人達からの人気投票で上位になることで歌や踊り、テレビのイベントなどに参加する事が出来るメンバーのこと。
うちのグループはメンバーの数が多いから、メンバー全員が歌って踊れるわけじゃない。だから、メンバーを絞って活動を集中させているわけです。
正直、競争とかはあまり好きじゃないけど、アイドルで生き残るためには仕方がない。私にだって、譲れない目標があるんです。
水を飲みながら気合いを入れ直し、私はカバンから一枚の写真を取り出す。そこに写っている1人の男の子の笑顔を見ると、身体に力が湧いてくる。
桜井「純一、今何してるかなぁ………」
また変なことに巻き込まれてないかな? この前も森島先輩絡みで大変なことになってたし………。
コーチ「よーし、そろそろ始めるぞ!」
すると、コーチがみんなに声をかけた。
純一への不安と、彼の隣に居られない悔しさを振り払い、私はまた気合いを入れて練習に向かった。
〜☆〜
目を覚ますと、湿った土の匂いが鼻の周りをくすぐっていた。起きたばかりだからか、周りの景色もよく見えない。虫の鳴き声がどこかから聞こえてくる。
身体を動かそうとすると、ギシギシという縄の音が響く。どうやら僕は今、どこかの部屋に縄で監禁されているらしい。
意識が覚醒するのと同時に、後頭部にじんわりと痛みが広がる。そうだ、僕は確か──
?「あ、起きたんだね」
すると、暗がりの中から声がした。少し気が弱そうなその声には聞き覚えがある。
橘「もしかして、田中さん?」
田中「う、うん」
橘「田中さん、どうして僕は拘束されてるんだ?」
田中「そ、それは……」
(ガチャ)
言い淀む田中さんの後ろ(僕の耳の感覚では後ろだ)で、扉が開く音がした。「カチッ」という音が聞こえたかと思うと、部屋の中を光が包んだ。
棚町「恵子、どう? 変わりない?」
田中「うん。ずっと寝てて、今起きたところ」
棚町「そう、てんきゅ。 ごめんね純一。少しだけ我慢しててね」
薫が僕の頬をそっと撫でる。その手はヒンヤリと冷たく、少しだけカサカサしていた。
棚町「ふふふっ♡ あんたの怯えた顔、最高ね。あのクラス委員長は白だったけど、他にも純一を狙う女狐は多いから。これも純一を守るためなの」
薫が僕を優しく抱きしめる。さっきの薫のセリフからは想像もできないほどに優しいその抱擁に、僕は少し面食らってしまった。
棚町「じゃあ、見張よろしくね。何かあったらその電話で連絡しなさい」
薫が側にあった固定電話を指す
田中「うん、任せて」
田中さんといくつか言葉を交わした後、薫はどこかに行ってしまった。
田中「ごめんね、橘君」
橘「田中さん、どうしてこんなことするんだ?」
田中「それは………」
田中さんはバツが悪そうに目を逸らす。しばらくして、徐に口を開いた。
田中「………薫のためだよ」
橘「薫の?」
田中「橘君も、薫の気持ちには気付いてるでしょ? まぁ、今更隠す気は薫にもないだろうけど」
まぁ、ちょうど似たような女性に同じように監禁されたばかりだからな。
橘「田中さん、こんなの間違ってるよ。こんな事したって、僕の心は手に入らない」
田中「…………ょ」
橘「田中さん?」
田中「そんなの分かってるよ。でも、薫がそれを望んでるの。私に出来るのは、それを叶えてあげることだけ」
ふと、田中さんの目が合う。その瞳はこの前の森島先輩のように光が差してはいない。でも、先輩のように、僕への愛に狂ってるというわけでもない。あれとはまた異質の狂気だ。
田中「ねぇ、橘君。多分、橘君には分からないよ。 どんなに告白しても、誰にも振り向いてもらえなかった女の子の気持ちは。
手紙を回し読みされても、キスを迫られても、それでも好きだったのに、振り向いてもらえなかった女の子の気持ちは」
淡々と語る田中さんの口調は突き放すような冷たさがあった。
田中「でも、薫は違った。こんな私の隣にずっといてくれた。どんな時も私の力になってくれた。
だから今度は私の番。薫の望みを叶えてあげる。それが、親友に私がしてあげられる唯一の事なの」
『そんなの間違ってる』
そう言うのは簡単だ。でも、僕には田中さんの言葉も理解できてしまう。
自分がどうしようもなく辛い時、支えてくれる人の存在がどれだけ大切か。自分で自分の事を嫌いになった時に、そんな自分の隣にいてくれる人の存在がどれだけ有難いか。
僕にとって、2年前のクリスマスイブがそうだったから。
田中「ごめんね、勝手な事言ってるっていうのは分かってる。 でも、全部橘君の為になることなの」
どこからか吹いてきた冷たい風が床を軋ませる。虫の鳴き声はさらに大きくなり、遠くでは鹿の鳴き声も聞こえる。
もし仮にここから抜け出せたとしても、ここはきっと山奥だろう。まともな防寒対策も施していない僕が真冬の山奥で生きていられるとは思えない。
自分の置かれた状況の悪さを噛み締め、身体の力がフッと抜けてフワフワと宙に浮かんだように感じる。
今はとりあえず何もせずに居るのが良いだろうな。
そう考えながら、僕は目を閉じた。
〜☆〜
(数時間前)
美也「あ、森島せんぱーい!」
帰り支度を済ませて、下駄箱に向かって廊下を歩いていると向こうから私を呼ぶ声が聞こえた。
森島「ん? あら、美也ちゃん。どうしたの?」
美也「お兄ちゃんを見ませんでしたか?」
森島「え?橘君? 見てないけど、どうして?」
美也「今日はお父さんとお母さんの帰りが遅いから、みゃーが何か作ってあげようと思ったんです。それで、お兄ちゃんに今日は何を食べたいかを聞こうと思って」
森島「そうなのね。 グッド!美也ちゃんはやっぱり優しくて良い子ね〜」
こんなに可愛い妹なんですもの。きっとお料理だって美味しいに違いないわ。
絢辻「あら、森島先輩」
すると、階段の方から絢辻さんが歩いてきた。見てみると、何やら段ボールを抱えている。
絢辻「今帰りですか?」
森島「そうなの。絢辻さんは?」
絢辻「今度の三年生を送る会の作業です。資材倉庫から必要なものを運んでるんです」
なるほど、段ボールの中身はその備品って事ね。
美也「それって、お兄ちゃんもその係でしたよね? お兄ちゃん、どこにいるか知りませんか?」
絢辻「私も探してるの。先輩は何か知りませんか?」
私は首を横に振る。美也ちゃんも同様だ。
美也「まったくも〜、どこにいるんだろ?」
絢辻「そういえば、校舎裏に行くのを随分前に見かけたわね」
校舎裏? 一体何の用事かしら?
絢辻「森島先輩。悪いんですけど、橘君を見かけたら私のところに来るように伝えてください。今日はずっと資材倉庫に居るので」
森島「分かったわ、『絢辻さんが怒ってた』って伝えておくわね」
絢辻「ふふっ、是非そうしてください。 それじゃあ」
そうして、絢辻さんは廊下を歩いていった。
森島「じゃあ、私帰るわね。帰り際に校舎裏の方も見てくるわ」
美也「あ、みゃーも行きます!」
・
・
・
校舎裏とは、特別教室棟の裏にある校舎裏花壇のことだ。人があまり通らないので私は苦手だけど、秘密の話をするのにはもってこいだと生徒の間で知られている。
校舎裏は少しジメジメしていた。陽の光が来ないからか、お花や草も元気がないようだった。
美也「こんな所に何の用事だろう?」
森島「そうね………っ! ねぇ。この足跡、橘君のじゃない?」
私は花壇の横にある足跡を指差す。他には女子のものと思われる足跡が一つあった。
美也「あれ。でもこの足跡、ここで終わってますよ」
森島「本当だわ。どういうことかしら?」
?「あ、あの………」
すると、物陰から1人の女の子がおずおずと出てきた。
黒に近い焦茶色の髪をショートカットで切り揃え、まんまるなお目目を節目がちにしてモジモジと身体を揺らしている。
?「えっと、橘君を探してるんですよね? 話し声、聞こえました」
森島「そうだけど、えっと………貴女は?」
黒沢「すみません、自己紹介が遅くなりました。私、2年の黒沢典子です」
森島「黒沢さんね。それで、橘君の事、何か知ってるの?」
黒沢「その………信じてもらえないかもしれないですけど、私見たんです。橘君が後ろから殴られて拉致される所」
森島・美也「「えっ!?」」
黒沢「2人組だったんですけど、1人は同じクラスの棚町薫さんでした。もう1人は顔が見えなくて分からなかったんですけど」
美也「棚町先輩!?」
森島「知ってるの?」
美也「お兄ちゃんの中学の時からの友達です」
そういえば、たまに橘君と一緒にいるのを見かけた黒い髪の子がいた。名前が分からなかったけど、あの人が棚町さんね。
美也「それで、お兄ちゃんはどこに!?」
黒沢「分かりません。その後に黒い車が来て、それに乗ってどこかに行ってしまったので、どこに行ったのかまでは………」
これはとんでも無い事になったわね………。
森島「ありがとう、黒沢さん。 あとは私たちが何とかするわ」
黒沢「あの……私も橘君を探すの、手伝います!」
森島「ありがとう、でも大丈夫よ。 貴女を危険に巻き込むわけにはいかないわ
………それに、これは私がしなくちゃいけないことでもあるから」
黒沢「え?」
困惑する黒沢さんをよそに、私は踵を返した。
黒沢「………………ふっ」
〜☆〜
目が覚めたら全てが夢だった、という事もなく、僕はまだ縄で縛られた状態だった。
監禁され始めてからどれくらいの時間が経っただろうか。時計が無いので時間の感覚も曖昧だ。かろうじて分かるのは今が夜だということだけだが、前に目覚めてから何日後かも判然とはしない。
身体を動かそうとするが、ギシギシという縄の音が虚しく響くばかり。
田中「橘君? 起きてるの?」
暗闇の中から田中さんの声が聞こえる。田中さんは部屋の電気をつけると、こちらに歩み寄ってきた。
田中「ねぇ、橘君。そろそろ諦めてよ。 その縄は私が結構キツめに絞めたから、多分外れないと思うよ?」
ここしばらくの間、僕は何とか縄を外せないものかと苦心していた。手を擦ってみたり、腕を捻ってみたり。まぁ、まだ僕が縛られてるところからも結果はお察しである。
田中「毎日飽きないよね。私だったら、とっくに諦めてるなぁ」
橘「………………」
そういえば、田中さんはどうして僕が逃げようとするのを眺めているのだろう?
普通だったら、逃げようとしている人がいたら全力で阻止しようとすると思うのだが、田中さんはそんな事は一回も無かった。
どうせ逃げられないと、たかを括っているからだろうか。それとも何か他の理由が………?
田中『そんなの分かってるよ。でも、薫がそれを望んでるの』
橘「………っ! もしかして………」
随分都合のいい解釈だけど、やっぱりそれしか考えられない。
橘「あぁ、もう良いや。逃げるのやめよっと。どうせ美也あたりが見つけてくれるだろうし」
田中「え? 何、いきなり」
橘「きっと今頃、僕のことを探して家族が捜索願を警察に持っていってる頃だろうなぁ」
田中「け、警察………」
やっぱり、思ったとおりだ。
橘「ねぇ、田中さん。僕はクラスメイトが捕まるのは見たくない。でも、田中さんがこのまま僕を監禁してると、僕は田中さんを警察に引き渡さなくちゃいけなくなる。でも仕方ないよね」
田中「………………」
田中さんの顔が一気に青ざめていくのが分かる。身体は小刻みに震えている。
これで確信した。田中さんはきっと、僕に逃げて欲しかったんだ。
田中さんはきっと、この監禁が長くは続かないと思ってる。何故なら、狂気に満ちている薫とは違って冷静だから。
冷静だからこそ、自分達の状況が把握できている。つまり、自分達が今、犯罪を犯しているという状況が。
余程の極悪人でもない限り、自分が何か悪いことをしている時は居心地が悪いものだ。普段から真面目な田中さんなら尚更だろう。
田中さんがこの監禁に協力しているのは、これが薫の願いだからだ。
しかし、いくら大切な親友の願いのためとはいえ、数日も経てば冷静になる。冷静になれば、その願いが達成されるべきではない事に気づく。
大切な親友への想いと自分達の置かれている状況との間で板挟みになっていたのだろう。
そんな状況を打破する手段はただ一つ。それがすなわち、僕が逃げ出すことだったのだ。
橘「さぁ、早く縄を解いてくれ」
田中「………………」
すると、田中さんは黙り込んでしまった。
田中「…………ダメ」
橘「田中さん!」
田中「ダメだよ。絶対ダメ! だって橘君が逃げたら、薫の望みは叶わないんだよね? じゃあダメだよ!」
橘「田中さん………」
田中「薫は私を救ってくれたの! 何の取り柄もない私に優しくしてくれて、私に居場所を作ってくれた。だから私は、そのお返しに薫の願いを叶えてあげるの!」
今まで聞いたこともない田中さんの声。それはまるで目の前の事実から目を背けるような声だった。
橘「田中さん。間違ってる事を、間違ってるって叱ってあげるのも親友の務めだよ」
田中「え?」
橘「今の薫を認めたら、薫は今後どんな事も間違ったやり方でやろうとする。田中さんはそれで良いの? 親友が苦しんでるのを見たい?」
田中「………………嫌だ」
ボソッと口から出たその言葉に、1番驚いたのは田中さん自身だった。
田中「………でも怖いよ。 薫に見捨てられたくない! 薫の側にいたい………!もっと薫と一緒にいたいよぉ………」
橘「大丈夫だ。本当の薫は、田中さんを見捨てたりなんてしない」
・
・
・
田中「大丈夫?痛くない?」
橘「結構キツく縛ってたから、少し痛い」
田中「ご、ごめんね!?」
さて、解放されたは良いが、これからどうするか。
田中「とりあえず、この電話で知り合いに電話するのは?」
橘「あぁ、それが良いね」
受話器を手に取り、家の番号を入れる。
(プルルルル)
(プルルルル)
(プルルルル)
(プルルルル)
橘「うーん、繋がらないなぁ」
?「はろ〜、お二人さん♪」
聞きなれた声に、全身を鳥肌が瞬時に覆う。振り返ろうと顔を向けると、何かが僕の左の頬を掠めた。
壁を見てみると、手の平ぐらいのサイズのナイフが刺さっていた。
棚町「大丈夫。当てる気は無かったから。それより、いつまでその受話器を持ってるつもり?」
薫に促され、僕は受話器をそっと戻した。満足そうに頷いた薫は、サッと田中さんの方に視線を移した。
棚町「さて、恵子。 説明してもらえる?」