クラス転移した俺のスキルが【マスター◯ーション】だった件 作:スイーツ阿修羅
―フィリア視点―
オレたちは壁を超えて、馬にまたがり、夜の道を駆け出した。
虫の音が鳴り、星が綺麗な、静かで幻想的な夜だった。
でも、オレの頭のなかは父さんのことでいっぱいで、不安と焦燥でおかしくなりそうだった。
「なぁ……ジルク、いったい何があったんだ……?」
オレは
父さんが、
聞き間違いじゃないかと疑った。信じたくなかった……
オレの父さん──
体内に魔力が吸収できなくなる奇病である。
でも、余命まではまだ2ヶ月以上猶予があったはずだった。
充分間に合うはずだった、オレが手に入れたキルギリスの骨で治療できるはずだった。
そんな父さんの容態が急変したということは……原因は
『フィリアたちが村を出てすぐ、獣族独立自治区全体に、感染症が流行ったんだ……』
ジルクの言葉に、私は心臓を突き刺されたような心の痛みを感じた。
……やっぱり、か……
『どんどんと住人が病に罹って、死人も出て、たくさんの人が診療所に押しかけてきたんだ。
俺もジュリアさんも、みんなで必死に朝から晩まで薬を配ったよ……
やっぱり、啓介さんは凄かった。間違いない、世界最高の医者だ……!』
ジルクの目には、涙が滲んでいた。
ジュリアというのはオレの母親の名前だ。
父さんが
血は繋がっていないけれど、オレ達は本物の家族だ。
『……ナグサバの葉に、解毒魔法を併用する新しい治療法だ……
啓介さんは魔法が使えなかったから、解毒魔法はジュリアさんが使って、感染症の治療法を確立したんだ……』
『はぁ……?』
オレは驚きのあまり声をあげた。
『……ナグサバの葉に、解毒魔法を合わせて使う? 何を言ってるんだ?』
オレは耳を疑った。
ナグサバの葉って、毒草じゃないか!
体内の病原菌に結びついて、その毒性を大幅に強化する厄介な毒だ。
それに、薬草と解毒魔法は、同時には使えない。
解毒魔法は、飲み込んだ薬草までもを、毒と判定して排除してしまうからだ。
薬と魔法は両立できない。
そんなの、医者じゃなくても知ってる常識なのに……
『……その感染症は、どういうわけか解毒魔法が全く効かなかったんだ。
でも、ナグサバの葉の毒は、感染症の病原菌を見つけ出して、結びついてくれたんだ……』
あぁ、あぁ! そういうことか!
感染症の病原体の単体は、解毒魔法では見つけ出すことができなかったけれど、
病原体をナグサバの葉と結びつけ、目立たせることで、解毒魔法に検知されて、
まとめて毒を消し去ることができたということ。
『天才かよ……』
オレは父さんの驚くべき治療方法に、感動のあまり全身が震えていた。目からは涙が流れていた。
『……だめだ……敵わねぇ……敵わねぇよ。父さんっ……』
オレは父さんのような天才にはなれない。すごい医者にはなれないって、分かってしまった。
そして、理解してしまった。
父さんが容態を急変させて、危篤状態になった理由。
『父さんは……その感染症に罹ったってことか?』
『………』
ジルクは無言で頷いた。
そして、
『つい昨日の夜のことだ……
診療所にはずっと患者さんが押し寄せてたし、
こうなるんじゃないかって、恐れてたんだ……
でも、俺には、懸命に患者に向き合う
「個室に閉じこもって安静にしていてほしい」だなんて、どうしても、俺には言えなかった……
ごめん……ごめんな……フィリア……』
ジルクが苦しそうに嗚咽した。
身体の震えが、背中越しに伝わってきた。
『……バカかよ……なんでっ……父さんっ……!』
オレは唇を噛みしめた。
父さんは、感染症に罹ってしまった。
そして、父さんには、ナグサバの葉と解毒魔法を用いた治療法は通用しない!
……父さんの身体は、解毒魔法が効かないからっ!
父さんの罹った病気は、
体内に魔力を取り込めなくなるという奇病である。
だから、回復魔法も解毒魔法も効かなくなってしまう!
しだいに体内の魔力が消費されていき、魔力が枯渇して、約半年後に死に至る。
唯一の治療方法は、マグダーラ山脈に生息する希少モンスター、キルギリスの骨だった。
キルギリスの骨は、大気中の魔力を体内魔力に変換して骨の内部に送り込んでくれる。
オレが、あの大鳥ステュムパーリデスの巣のなかで、子供鳥の口内から奇跡的に手に入れた、キルギリスの骨。
せっかくここまで持って帰ってきたのに……!
『……なぁ、まだ間に合うか? フィリア……?』
ジルクがぐしゃぐしゃの泣き顔で、オレを振り返った。
『お前なら、
お願いだ、頼むよフィリア……お前にしか啓介さんは治せないっ!!
俺たちにはまだ、
ジルクはオレに縋るように、情けない声で言った。
オレは……
『あぁ、あぁ! もちろんだっ!
オレは、世界一の名医
父さんは、いつも絶対に諦めない、最後まで足掻き苦しむ医者だからっ!
オレだって、やってみせるさっ!!」
オレは涙ながらに叫んだ。
瞬間、森を抜けて視界が開けて、正面に、高い崖が見えた。
オレの生まれ育った街、アルム村まで、とうとうたどり着いたのだ。
そして崖の中腹に見える、オレの実家の診療所。
オレは涙で滲んだ瞳で、まっすぐに家の明かりを見つけた。
待ってろ、父さん。
約束通り、オレは帰ってきたぞ。
坂道を登り、ついにオレ達は診療所に辿りついた。
オレとジルクは一目散に玄関に飛び込み、靴のまま廊下を一緒に駆けた。
『
ジルクがオレの手を引きながら、大声をあげた。
オレも大きく息を吸い込んで、震える肺で声を上げる。
「父さんっ、オレだ、フィリアだっ!
ただいま父さん! もう大丈夫だっ!
父さんはオレが助けるからっ!」
廊下には腐ったような匂いが充満していた。
患者さんに溢れていた。
道を開けてくれる患者さんの間を、オレ達は駆け抜けた。
そして、
オレ達は最奥の部屋、治療室に飛び込んだ。
視界に飛び込んだ光景。
ベットを囲む大人達と、ベットに横たわる父さんの姿。
「父さんっ!!」
オレは我を忘れて、ベットへ駆けつけ、身を乗り出した。
父さんは白い布団にくるまったまま、青白い顔で、ゆっくりと目を開けて、
薄い目でオレを見つめていた。
「フィリア……そうか……やり遂げたんだな……
おかえり……フィリア……」
父さんは、弱々しい声色で、オレの目を見てそう言った。
良かった、良かった、
まだ意識はあるみたいだ。
「うんっ……! あぁっ……! うんっ……
帰ってきたよ……父さん!
キルギリスの骨も、サルファメルファも……いわれた薬剤全部持って帰ってきたっ……!
もう大丈夫だ。オレが、治すからっ……!」
少し遅れて、
「……父さんは、オレの命の恩人なんだっ……
出会った時は、オレの病気を治してくれて、オレに生きる意味を与えてくれて……
今度はオレが、父さんを助ける番だから……」
オレはそう言いながら、父さんにかかった毛布に手をかけた。
「フィリア……」
父さんの目から、涙が溢れているのが見えた。
「……オレは、父さんの……」
そう言ってオレは、父さんにかかった布団をめくった。
………………
…………
……
え……?
オレの呼吸が、止まっていた。
目の前の、光景が、信じられなくて、
信じたくなくて……
布団をめくった瞬間、すさまじい刺激臭と消毒液の匂いが溢れ出して、
父さんの身体は、ところどころ黒色に変色して、虫が湧いていた。
身体が内側から腐っていた。
下半身のほうからカビが生えていた。
身体じゅうが、見る影もなく、ボロボロだった。
人目見ただけで、理解ってしまった。
これは……もう、とっくに……
いや……まだ……まだ何か……
……っつ……
医者として蓄えた知識や経験が、希望の余地を奪っていく。
……微かな可能性すらも、オレに与えてはくれなかった。
……………
………
……
オレは、声を失ってしまった。
ただ静かに、涙を流し続けていた。
感染症はすでに、父さんの身体中を腐敗させていた。
今からキルギリスの骨を埋め込んだとしても、もう既に……
「フィリア……」
視界がぐわんぐわんと涙で滲み、思考が停止しようとするなかで、
父さんの声だけは、繊細に聞き取れた。
……かすかに残っていた希望や可能性を打ち砕いたのは、他でもない……オレが今まで蓄えてきた、あらゆる医学知識だった。
「……いい医者になったな……」
父さんの、安心したような、悟ったような言葉。
「……フィリア。お前はもう、一人前の医者だ……」
そう言って、嬉しそうに微笑む父さんに
オレは、堰がきれたように、叫びだした。
「……んなわけ、ねぇだろっ!!
オレはまだ、父さんの足もとにも及んでないっ……!!」
涙が、嗚咽が、叫びが、止まらない。
「……まだオレは半人前だっ! もっと父さんに医学を教わりたいのにっ……!
……あぁっ、なんでっ! なんでぇっ!!!」
全身から力が抜けて、オレは膝から崩れ落ちた。
オレの心を支えていたものが、ポッキリと折れた感覚がした。
「……こんなの……あんまり……だよ……」
オレは、もう立てない……
頑張れない……
大切な人すべてを失って、もうオレには、生きる意味なんて……
「フィリア……立て。お前は医者だろう?」
父さんの、真剣な口調に、オレは身体をビクリと震わせた。
これは、父さんが怒ったときの口調だ。
オレは父さんの声に、何度も厳しく叱られた。
『……医者は命を預かる仕事だから、責任がある。絶対に失敗は許されない……』
オレが小さな不注意をするたびに、何度もこの声に叱られた。
「……フィリア、
彼女はまだ間に合う。
きっとお前の腕なら助けられるはずだ……」
……
もともとオレ達は、父さんと
でも、オレは
父さんが助けられなきゃ、オレはっ……
「……立て、フィリア、お前は医者だろう?」
もう一度、父さんに諭された。
医者……医者……
医者って、一体、なんなんだよ。
オレは一体、なんのために、医者に……
「……お前の憧れた医者は、助けられる患者を目の前にして、膝を抱えてうずくまる医者なのか?」
…………
……違うっ……!
オレは……!
オレは、立ち上がった。
そして、隣で呆然としていた。行宗のほうに振り向いた。
「……
「フィリア……」
オレは涙を止められなかったけれど。
ちゃんと言えただろうか?
オレは、ちゃんとやれるだろうか?
「……フィリア」
背中から、父さんの声が届いてきた。
「……頑張れ……お前ならできる……」
弱々しい震え声、背中越しにかけられた父さんの言葉に、オレがどれだけ勇気を貰えたか……
オレは、父さんの方へ振り向いて、
そして精一杯の笑顔で応えた。
「当たり前だ、オレは父さんの弟子だから」
少し遅れて、お母さんが部屋に飛び込んできた。
ジュリアお母さんは、オレを抱きしめてわんわんと泣いた。
ジルクも、父さんの布団にしがみついて、泣き続けていた。
オレと
ガラガラガラ……と、病室の扉を開ける。
部屋の中には、卵が腐ったような匂いが
「……っ!」
ベットに寝転がる浅尾さんは、身体を白く変色させて、茶色のショート髪を汗でぐっしょりと濡らし、下半身は溶けたように変形していた……
お腹が妊娠したみたいに、爆発しそうなほど大きく膨れていた。
ヴァルファルキア大洞窟の深層モンスター、【天ぷらうどん】に寄生された、
使えそうな薬剤は、マグダーラ山脈から全てかき集めてきたけれど、
今のオレに、治せるだろうか?
「……
行宗がフラフラとした足取りで、ベッドの元まで近づいた。
そして、目を瞑って汗まみれで、弱々しい呼吸を続ける浅尾さんの頬っぺたに手をやった。
「……ただいま、帰ってきたよ、
遅くなって、ごめん…… たくさん苦しめて……ごめん……」
っっ……
目を瞑っている
唇が、ピクピクと震えて……
細く、瞼を……開いた……
「……ゆき……むね……くん……
……これ……夢じゃ……ないよね………」
乾いた唇を震わせて、浅尾さんが言葉を発した。
「……あぁ、夢じゃない。俺たちは帰ってきたっ!
……
「……う、うぅ……うぅ……」
「……ありがとぅ……もう……どこにも……行かないでっ……
……ずっと……そばに居てぇっ……」
弱々しく、安堵と安心の涙を流す
そんな
「……あぁ、もう、ひとりぼっちにはさせない……
「……ねぇ、
直穂ちゃんは……どうしたの……?」
ふと、浅尾さんの不安そうな声に、行宗は身体を硬直させた。
でも、
「……
すると
「……そっか、ふふふ……よかった。
……寝込みを、襲っちゃ、ダメからね……」
「……さぁて、どうしようかなぁ?」
オレは、いよいよ覚悟を決めた。
「……
血も出ることになるし、お腹を切ることになると思うけど……
オレの問いかけに、
「……そばにいて、ほしい……
今だけで、いいから……
手を……握ってて、欲しい……」
涙目ですがるような視線で、
「……もちろんだ。
もう
「うん……うんっ……」
「……じゃあ、麻酔をするぞ……」
オレは注射器に、サルファ・メルファの脳髄液を流し込んだ。
これで
プスリと、二の腕に注射を打ち込んで、
しばらくして
ここからはオレの戦いだ。
オレの医者としての戦いだ。
父さん、母さん、ジルク、
マグダーラ山脈の、鳥の親子……
そして、浅尾和奈さん……
……そうだ、どうして忘れていたんだ。
王国軍に捕まっていたオレを、まっさきに助けに飛び出してくれたのは、いま目の前にいる、
それから、リリィさんに、ユリィさんも、
みんな……オレを助けてくれた……
たくさんの人たちのお陰で、今のオレがあるのだから……
オレも、手の届く範囲の命を、なんとしても助けるんだ。