クラス転移した俺のスキルが【マスター◯ーション】だった件   作:スイーツ阿修羅

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 大学の春学期が終わりました。五週間ぶりの更新です。
 おまたせして本当にごめんなさい。
 ずっと小説を書くのを我慢してました。うつ病等の問題で、大学に専念しないと留年する状況でした。
 夏休みに入ったので、ガンガン更新できたらいいなと思います。


七十一発目「おはようの朝」

 

 深夜の寝室。

 薄暗い蝋燭(ろうそく)の明かりは心もとなくて、俺はなんども寝落ちしそうになりながらも、手の甲をつねって眠気に抗っていた。

 ベッドの横の椅子に腰掛け、手術後気絶したままの浅尾和奈の左手を握りながら、彼女の目覚めを待っていた。

 

 そして、ベッドから少し離れた壁際にもう一人、獣族の男の子のジルクも、浅尾さんの経過を見守ってくれていた。

 

行宗(ゆきむね)さんは……もう寝てください。俺が、ちゃんと見てます……ので」

 

 ジルクはぎこちない日本語で、何度か俺にそう言った。

 

「……君こそ、フィリアと一緒に啓介(けいすけ)さんの所に行かなくて良いのか?」

 

 もうフィリアの父、小桑原啓介(こくわばらけいすけ)の寿命は長く無いんじゃないか? そういう心配を込めて、俺はジルクに問い返した。

 

「……いいえ。俺はもう、ずいぶん話しました…… フィリアが帰ってきた今夜は、家族水入らずでないといけないんです……」

 

「……そうか……」

 

 俺が相槌を打って、また会話が途切れた。

 うとうとと襲ってくる眠気に抗うように、俺はまた太ももを指でつねった。

 どうしても今夜は寝たくないのだ。

 手も話したくなかった。絶対に。

 

 もし今、俺が眠りについたら、浅尾和奈(あさおかずな)まで居なくなってしまうんじゃないかと不安だったのだ。

 つい昨日の夜、幸せの余韻のなかで眠りについて、目が覚めたら消えてしまっていた直穂みたいに……

 浅尾和奈(あさおかずな)まで居なくなってしまったら、俺はもう、どうすれば良いのか分からなくなってしまう。

 

 直穂(なおほ)から手紙を(のこ)されて、「私のことは忘れてください、探さないでください、大嫌いです」と突き離されて、

 ただ、「浅尾和奈(あさおかずな)を幸せにしてあげてください」という最後の一文だけを、生きる意味だと自分自身に信じこませて……

 俺はこの村まで帰ってきたのだ。

 

 直穂(なおほ)の手紙の言葉の真意は、考えれば考えるほど分からない。

 俺たちはこの冒険で、数多くを失った。

 

 誠也(せいや)さんの命、獣族の女の子のニーナとヨウコ、そして助けられなかった小桑原啓介(こくわばらけいすけ)さん……

 そして、俺の彼女、直穂(なおほ)の行方……

 

 多くの犠牲の末に、助けられたのは、たった一つの命だった。

 浅尾和奈(あさおかずな)……現実世界にいた頃の、クラスメイトの女の子。

 死の縁を彷徨った彼女の手術は成功して、繋いだ手から繋がる彼女の体温は温かくて、じんわりと汗ばんでいて、

 彼女の吐息は夜が更けると共に太く、平常の呼吸を取り戻している。

 まだ完全に安心は出来ないけれど、浅尾和奈(あさおかずな)は命を取り留めたのだ。

 それは紛れもなく、俺達が持ち帰ってきた薬のお陰であった。

 

 でも、どうしても……俺は考えてしまう。

 失ったものの大きさと、目の前の女の子を比べてしまうのだ。

 

 いま、手を繋いでいるのが、直穂(なおほ)ならば……

 

 後悔してるわけじゃない……と、思う。

 俺は少なくとも今日まで、その時々で最善を選んできたつもりだ。

 だから、仕方がなかった……うん。そうだ。……いや……

 

 俺はこれから、どう生きていくべきだろうか?

 明日から、この世界で……

 あどけない寝顔で眠る女の子、浅尾和奈(あさおかずな)とともに……

 

 (さみ)しい……

 

 天井を仰いだら、泣きそうになった。

 

 ……家族に会いたい、家に帰りたい、日常に帰りたい……

 

 口に出したら、きっと泣き叫んでしまうから、心の中に嘆きを留めた。

 

 ……こんな寂しい時、辛い時も……直穂(なおほ)が隣に居てくれたなら……

 直穂(なおほ)が隣にいてくれたお陰で、俺は何が起きても大丈夫だって思えた。

 二人なら最強で無敵だって信じられた。きっと上手くいくって思えたんだ。

 

「……直穂(なおほ)に、会いたい……」

 

 会いたい……会って直穂(なおほ)を抱きしめたい、

 キスしたい……そのまま永遠に絡み合っていたい。

 直穂(なおほ)の匂いがたまらなく恋しい。直穂(なおほ)の声がどうしようもなく聴きたい。

 また……直穂(なおほ)に会いたい……

 

「…………っ………ぇぅっ………」

 

 俺はベッドのシーツに顔を押し付けて、声を殺して涙を流した。

 

 ……失ってはじめて、その大きさに気づいた……

 新崎直穂(にいざきなおほ)は俺の中で、自分自身よりも大切な存在になっていた。

 彼女の笑う顔を守りたくて、彼女と一緒に、クラス全員で元の世界に帰ることを夢みていた。

 ずっとそれだけを希望にして足掻いてきたというのに……

 

 俺はこれから……どうすれば良いんだよっ……直穂(なおほ)……

 

 ただただ無気力だった。

 

 しかし、同時に、左手で感じる和奈(かずな)の右手の体温だけが、冷え切った俺を温めてくれていた。

 手のひらで繋がる浅尾和奈(あさおかずな)の存在が、俺の最後の心の拠り所だった。

 

 もしも、彼女までも救えていなかったならば、俺は……

 本当の意味で絶望していただろう。

 それでも、自殺は……たぶんしない……

 ……俺は生き続けて、どこかで生きているはずの直穂(なおほ)を探し続ける道を選ぶだろう……

 

 ……頭の中には悪い想像ばかりが浮かび上がり、頭が痛くなって吐き気がしてきた。

 きっと今の俺の精神状態は、かなり限界に近いのだろう。

 本来なら、早く寝て休むべきだ。

 でも、どうしても寝たくなかった。

 和奈(かずな)が目を覚ますまで、俺は起きて、和奈(かずな)の手を握り続けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浅尾和奈(あさおかずな)の回想―

 

 3年前、私が中学校に入ったばかり、中学一年生の頃のこと。

 あの頃の私は、死ぬのがすごく怖かった。

 人は死んだらどうなるのだろう? 意識は消えてしまうのだろうか?

 

 私が死んだら、この私という存在はどうなるのだろう? って。

 

 不安で心配でたまらなかった。

 夜、部屋を暗くして、目をつむるのが怖かった。

 思春期に入った私は、六年生の頃から一人部屋で寝ることになっていたけれど、

 夜がどうしようもなく怖かったから、両親の寝室で眠るしかなかった。

 

 でも、たとえ両親がそばに居たとしても、それはただの気休めだった。

 両親と一緒に寝たからといって、死ぬ確率が下がるわけじゃない。

 

 人はいつか必ず死ぬ。

 これは占い師じゃなくても当てられる絶対の予言であり、例外はない。

 そして、死のタイミングは自分では決められないのだ。

 大人だろうが子供だろうが死の前では平等なのだ。

 ……それはすごく、理不尽で不平等だ。

 

 この世の中に、壊れないものなどない。

 この夜の森羅万象には寿命があって、犬も地球もこの銀河すらも、いつかは消えて無へと帰す。

 

 だったら、いつか全て消えてしまうのなら、私の生きる意味は何だろう?

 

 死ぬのが怖い。夜寝るのが怖い。朝起きるのが怖い。

 一日一日が過ぎ去るのが、まるで私には、終わりへのカウントダウンのように思えてしまったのだ。

 

 色んな本や、両親から聞いた話で、死への不安を取り除こうと思ったけれど、

 天国とか輪廻転生とか、どれも宗教じみていて、私には信じたくても信じきれなかった。

 死ぬのが怖くなくなる理屈が欲しかった。魔法じゃなくて。

 

 まぁこれは、今となっては、可愛らしい悩みだ。

 

 中学一年生の秋。女子サッカーチームの選抜に選ばれて、過酷な練習とレギュラー争いの環境に身を置くようになってから、死への恐怖は薄れていった。

 中学のサッカー部では私が一番上手かったけれど、選抜チームには私より上手い人がたくさん居て、楽しい気持ちと悔しい気持ちで、毎日が泣いて笑っての日々だった。

 

 家に帰る頃には全身汗びっしょりで、お風呂に入ってご飯を食べて、ストレッチして眠りについた。

 もう、自分の部屋で一人で寝られるようになった。

 全身がくたくたで、悩む間もなく眠りにつく。

 

 今日死んでも別にいいや、とすら思っていた。

 毎日が波乱万丈で、辛い事も楽しい事も溢れるなかで、私は夢中で生きていた。

 

 熱中している瞬間ならば、首を切られても本望だと思えた。

 鈍感な私はきっと、気づくことなく夢中のまま死ねるから。

 

 これらの経験を通して、私は一つ学びを得た。

 私なりの、私が生きる意味とも言っていい。

 それは、今の自分を幸せにすること、だ。

 未来の幸せのためだと言って、今を苦しむなんてバカげてる。

 

 受験勉強とか過酷な練習とか、修行とかの努力で、未来のために今を犠牲にするのは不健全だと私は思う。

 だって未来は今の積み重ねなのだから。

 夢中な”瞬間”を積み重ねていくことで、夢中な”今”が繋がっていって、やがて夢中な”未来になる。

 私はそう信じてる。

 

 もちろん、過酷な練習や受験勉強を否定するつもりはない。

 むしろ私自身はサッカーに夢中になって勉強にも夢中になって、時間を忘れて没頭してきた人間だから。

 楽しければそれでいいのだ。

 苦しさよりも達成感や喜びが勝っていれば、それは夢中になれることだから。

 

 私の中学時代も、手放しで楽なものじゃなかった。

 女子選抜のサッカーチームで、自分の限界を思い知らされて、毎日悔しくて歯を噛み締めていたと思う。

 ずっと補欠以上になれなくて、全く試合に出られないわけじゃないけど。才能のある人間とそこそこの人間の、超えられない壁を思い知った。

 引退して、受験勉強が始まって、私は一度サッカーをやめる決断をした。

 別にサッカーが嫌いになった訳じゃなかったけど、二年間一生懸命やって、満足したのだ。

 学力を上げて良い高校に入って、のんびり高校生活を過ごそうと考えていた。

 

 そして無事、第一志望の偏差値71の夕霧高校に合格し、

 何を血迷ったのか私は、男子だらけのサッカー部へと入部した。

 もう一度、本気でサッカーをやる決断をしたのだ。

 

 そのキッカケは、お正月、テレビで観た高校サッカーのインターハイだった。

 私のお兄ちゃん、浅尾純輝(あさおじゅんき)のハットトリック。

 3対2での初戦突破。優勝候補筆頭の撃破。

 たったそれだけ。

 試合開始時は勉強の片手間に観るつもりだったその一試合が、私の魂に火をつけた。

 ぐちゃぐちゃに泣いて感動した。

 お兄ちゃんは3年年上で、強豪私立で寮生活だったから、私が中学生の間はほとんど話す機会がなかったけれど……小さい頃毎日のようにサッカーしていた身近な存在が、テレビの向こうで大活躍しているのを見て、私はもう一度本気でサッカーがしたいと思ったのだ。

 

 

 

 そして夕霧高校に入学して、2ヶ月が経ち。

 友達も増えて、クラスメイトやサッカー部員達の名前も覚えてきた頃。

 私の運命は大きく変わることになる。

 

 数学の授業中、私達一年五組はみんな、異世界へと召喚された。

 最近人気の異世界召喚というやつだ。

 

 この世界に来てから、怒涛の毎日だった。

 はじめてのモンスター討伐、はじめての異世界スキル。

 私のスキルは【爆走(バーンダッシュ)】と【剛脚(スチルキック)】だった。

 特殊スキルは自分の特技が関係すると説明されるが、いかにもサッカーバカの私らしい能力だった。

 かと思ったら、いきなり【スイーツ阿修羅】とかいう化け物と戦わされて、変な薬を飲まされ一時間後に死ぬと言われて、

 化け物に殺され、クラスメイト同士の乱闘が起こり、洞窟のなかに取り残されて、

 それからは私と行宗(ゆきむね)くんと直穂(なおほ)ちゃんの三人だけ。

 【天ぷらうどん】に丸呑みにされるも、異世界の人たちの力も借りて、何とか地上へと抜け出したのだ。

 

 ……そして私が、その【天ぷらうどん】に体内を寄生されて、今に至る。

 

 余命は一週間。

 病気の進行を遅らせるために、吸魔石で体内魔力を吸い出して、お腹の中の【天ぷらうどん】の幼体を弱体化させることで、なんとか一週間生きられるらしい。

 

 ベッドの上で動かない身体で、朝から夜まで長い一日を過ごした。

 起きてる間は何も出来ない。

 どうやら獣族独立自治区では感染症が流行っているらしく。私は二階の個室に隔離されていた。

 スマートフォンなんてあるはずなく、一人きりで、倦怠感と周期的に襲ってくる腹痛や吐き気に苛まれながら。

 生理の何倍も地獄だった。死んだほうがマシと思える瞬間が何度もあった。

 ジュリアさん……フィリアのお母さんが絵本や本を枕元に置いてくれたけれど、手足がしびれて本を開くどころじゃなかった。

 

 夜、寝るのがたまらなく怖かった。

 一日一日が過ぎるたびに、命が削れていく感覚があった。

 寂しかった。怖かった。

 誰でもいいからそばにいて欲しかった。隣にいてくれるだけで良かった。

 ここには、怖い夜に隣で寝てくれる両親は居ない。

 お父さん、お母さん

 私は毎晩、涙で枕をぐちゃぐちゃにした。

 

 お風呂も食事も排泄物の処理も、私一人じゃ当然出来なかった。

 

 感染症が拡大し、診療所は大忙しらしく、主治医の小桑原啓介(こくわばらけいすけ)さんは治療法の研究、母のジュリアさんは患者さん対応に追われていた。

 私の世話の多くは中学生くらいの男の子のジルクくんがやってくれた。

 

 裸を見られて、処理されて、変な性癖に目覚めてしまいそうだった。

 そんなこと言ってる場合じゃないんだけどね。

 でも、三日目くらいには、そんな日常にも慣れてしまった。

 

 ベッドの上、車窓から射す夏日に照らされながら、

 私の頭の中には、家族やクラスメイトのこと、私のために薬をとりに行ってくれた行宗くんたちのこと、私の歩んできた過去。

 いろいろ考えるほど、不安や焦燥で呼吸が荒くなる。

 身体が動かないから、どうしても頭が動いてしまう。

 

("走れメロス"で、メロスを待つセリヌンティウスも、こういう心境だったのだろうか?

 

 私はふと病床で、"走れメロス"のセリヌンティウスの心境に思いを馳せていた。

 走れメロスは、太宰治の小説だ。 人間の弱さと友情を描いた物語だ。

 私はずっと、メロスに感情移入して走れメロスを読んできた。

 友との約束を果たすために、殺されに行くためだけに、苦難を乗り越え必死に走るメロス

 でも、今の私はふと思うのだ。

 本当に辛いのは、セリヌンティウスの方だったんじゃないかって。

 セリヌンティウスは、ただ待つことしか出来ないのだ。

 手錠で手足の自由を奪われて、トイレや食事すら思い通りに取れず、頑張る自由すら許されない。

 

 メロスは頑張ろうと思えば頑張れる状況だった。

 でもセリヌンティウスは、頑張ろうと思っても何も出きなくて、無力で、ただ信じて待つことしか出来なかったじゃないか。

 まるで今の私、トイレすらまともにできない。

 誰かの助けがないと生きられない。自分の力じゃどうにもならない。

 私にはそれがたまらなく怖い。

 死にたくない。

 ……父さんや母さん、みんなと、こんな形でお別れなんで嫌だ。

 

 ……私はただ、約束を信じて待つことしかできなかった。

 きっと、行宗(ゆきむね)直穂(なおほ)なら、私に薬を届けてくれる。

 今もきっと私のために、必死になっているはずだから……

 ……同時に、申し訳なくも思う。私は足を引っ張ってばっかりだ。

 

 五日目が来た。

 みんなはまだ帰ってこない。

 私が死んだときのために、遺書を書こうと思う。

 ジルクにお願いして、私の言葉を書き留めてもらった。

 男の子のジルクは日本語の発音は聞き取りづらいけれど、書く文字は綺麗で漢字もよく知っていた。

 この世界の人間語はほぼ完全に日本語に一致していて、ジルクは獣族だが日本語の勉強中らしい。

 もし私が助からなかったら、行宗と直穂に渡してほしいと頼んだ。

 同時に、もしも私が助かったら破棄してくれとも頼んだ。

 

 六日目が来た。

 4日目くらいから膨らみ始めたお腹は、今では妊婦さんのお腹のように膨れ上がっている。

 お腹のなかでモゾモゾと、ゆっくりなにかが動いている。

 気持ち悪い。想像するだけで吐きそうになる。

 血を吐いて、身体中から腐った匂いがする。

 まだ、二人は帰ってこない。

 もうすぐ日が暮れる。

 死がそこまで迫っている。

 私に、明日の朝は来るのだろうか?

 

 もう、心のなかは真っ暗だった。

 私の勇者は、結局帰っては来れなかったのだ。

 

 希望が途絶えて、終わりを受け入れて、絶望して、

 静かに目を瞑ろうとした時。

 

 下の階から慌ただしい音が聞こえた。

 帰ってきたのだ、みんなが!

 タイムリミットギリギリで、行宗(ゆきむね)くんと直穂(なおほ)は約束通り、帰ってきれくれたのだ。

 

 良かった。良かった。本当に良かった。

 ずっと一人ぼっちで怖かったから、ちゃんと日本語で話せる人に会えて、安心しすぎておかしくなりそうだった。

 私がお願いしたら、行宗くんは私の手を握ってくれた。

 

行宗(ゆきむね)くんは直穂(なおほ)の彼氏なのに、こんなことを頼んでいいのだろうか?)

 一瞬そんな考えが頭をよぎった。

 でも、ごめんなさい。

 あとでいくらでも謝るから。

 今だけは、今夜だけは……

 私のそばに居てください。

 

 手を握ってくれているだけで、もうなにもかも安心できて、なにも怖くなくて、

 ひとのぬくもりを感じながら、私はうとうとと意識を手放していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ん……」

 

 目を覚ます。

 静かな夏の朝。眩しい日差しが窓をすり抜け、私の身体を温めていた。

 

「…………?」

 

 私は、違和感に気づいた。

 今まであったものがない。

 それは倦怠感とか、頭痛とか腹痛とか、吐き気とか臭いとか。

 

「…………」

 

 目を開けた。そして驚いた。

 よく見える。木造りの天井の木目までよく見える。

 この一週間、どんどんと視界がぼやけていた。

 昨日なんかは、視界全体が薄暗くって、ずっと夕方みたいだった。

 でも、この朝は眩しい。

 目を瞑りたくなるほど明るい。綺麗だ。私は生きてる。

 助かったの……私は

 

「……あ……ぅ……」

 

 じわじわと、涙腺が崩壊する。

 綺麗に見えていたはずの視界が、涙のせいでまたぐわんぐわんと歪む。

 

「……和奈(かずな)? 目が覚めたのか!?」

 

 隣で、図太い男の子の声がした。

 聞き間違えるはずのない。行宗(ゆきむね)くんの声だった。

 あぁ、よく聞こえる。すごくよく聞こえるよ。

 

 私はゆっくりと首を右へと傾けた。

 視界に入るのは、行宗(ゆきむね)くんの心配そうな顔、目の下には隈ができていた。

 そして、私の握られたままの右手からは、行宗(ゆきむね)くんの汗と熱が鮮明に感じられた。

 

 目があって、行宗(ゆきむね)くんが安心したように微笑んでくれて。

 私はもう、だめだった。

 涙が、止まらない。

 

「うぁあぁあああぁああ……あぁああああああっっっ!!」

 

 私は不細工な泣き顔でむせび泣いた。

 こんなみっともない顔なんて、見られたくないんだけど、両手はまだ動かせない。

 

「………うぅぅぅうううっ……おえぇ……うぁぁぁああぁぁ……」

 

 何も喋れない。止まらない。

 良かった。良かった。

 私は、生きてる!

 私は助かったんだ!

 

和奈(かずな)…… 良かった……。……遅くなって本当にごめん。怖い思いをたくさんさせたと思う。

 俺たちを信じて待っててくれてありがとう」

 

 行宗(ゆきむね)くんの温かい言葉が、私の胸に染み渡る。

 

「……ホントだよバカぁ! すっごく怖かったんだからぁっ!! もうだめかと何回も何回も思ったよっ!! 早く帰って来てよぉぉ……!」

 

 思わず私は、溜め込んでいた感情をぶちまけてしまう。

 

「ごめん……ほんっとにごめん……」

 

 真剣に私に頭を下げてくれる行宗(ゆきむね)くん。

 

 あぁ、だめだな私は、

 行宗(ゆきむね)くんの温かい言葉に、また甘えてしまった。自分本位な感情を押し付けてしまった。

 

「……ありがとうぅ……行宗(ゆきむね)くんっ、直穂(なおほ)っ……!! ……ごめんねっ、きっとたくさん無理させたよねっ……!

 私が今生きているのは、みんなのお陰なんだよぉっ!」

 

 私は幸せすぎておかしくなっていた。

 まだ身体はうまく動かない、けれど、私の運命は変わった。

 みんなが変えてくれた。

 

「……行宗(ゆきむね)……くん……私っ……」

 

 私は涙を振り払い、行宗くんのほうを見て、

 そして言葉を詰まらせた。

 

「……え……」

 

 昨日はぼやけた視界で見えなかった行宗(ゆきむね)くんの姿は、今の私にははっきりと見えた。

 一週間ぶりに見る彼の姿。

 私にとってはとてつもなく長かった一週間。

 彼は明らかに元気がなかった。

 目には隈ができて、髪はボサボサで、ヒゲも伸びていた。

 そして、彼の右肩の先に……あるはずのものがなかった。

 

「……右手……」

 

 そう私が呟いたのを聞いて、

 行宗(ゆきむね)くんははじめて気がついたみたいに大きく目を見開いた。

 

「……あぁ……見ての通り、剣で斬られたんだ……」

 

「え……」

 

 絶句とは、こういう時を言うのだろう。

 頭のなかが真っ白になった。

 右手が、右腕が、斬られた……?

 

 今まで泣いていたのが嘘のように涙が引っ込んで、喜びの代わりに重たい何かが私の胸を埋め尽くしていった。

 ……それはつまり、激しい戦いがあったということ。

 地頭の良い私の脳は思考を始め、すぐに最悪の結論を導き出した。

 

 両目から別の涙が溢れ出してきた。

 

直穂(なおほ)はっ!? 直穂(なおほ)は今どこにいるのっ!?」

 

 私は声を荒げた。

 大声を出すのは久しぶりで、声が掠れると同時に、肺にピリリと痛みを感じた。

 

 新崎直穂(にいざきなおほ)、私の親友であり、行宗(ゆきむね)くんの恋人……

 昨日の夜、確か行宗(ゆきむね)くんは、『直穂(なおほ)は疲れて一階で寝ている』と言った。

 ……でも、でも……でもっ!

 ……冷静に考えて、あれは私の心を守るための……

 

「……ねぇっ、直穂(なおほ)はっ………」

 

 私は言葉に詰まった。

 だめだ。聞きたくない。聞きたくない……

 私の言葉を聞いてから、行宗(ゆきむね)くんは歯を噛み締めて目を伏せた。

 私の右手を握る左手が、小刻みに震えてるのが分かった。

 聞きたくない。聞きたくない。

 

「…………教えて……直穂(なおほ)に、何があったの?」

 

「…………直穂(なおほ)は…………直穂は、俺の前から居なくなった……」

 

 私の心が粉々に砕け散った音がした。

 居なく、なった……

 はぐれたってことも……それとも、死……

 

「それってどういう……」

 

 ……私の……せいだ。

 二人は私を助けるために……

 

「ごめんなさい……」

 

 ……私が、

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさいっ!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさいっ!!」

 

 『和奈(かずな)のせいじゃない』

 

 そう言ってくれる行宗(ゆきむね)の言葉が、私には痛くてたまらなかった。

 最低だ、私は。

 助けてもらってばっかりで、自分のことしか考えられなくて。

 彼女を失って悲しんでる行宗(ゆきむね)くんに、慰めて貰って、手を繋いで貰ったりして。

 慰められるべきなのは行宗(ゆきむね)くんじゃないかっ!

 気持ち悪い……なんで私は、どうしてこんなっ……

 

 私は自分の惨めさに泣いた。

 こんなのも悲しいのに、苦しいのに、こんな時でさえ、「自分じゃなくて良かった」「私は助かって良かった」だなんて安心している自分に、心底嫌気がさした。

 

 

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