クラス転移した俺のスキルが【マスター◯ーション】だった件 作:スイーツ阿修羅
「待ってて、すぐに服着るから」
賢者になった俺の前で、浅尾和奈はあたふたと、くしゃくしゃになった服を掴んで手足を通し始めた。
「うわ……汗でびっしょびしょだぁ、気持ち悪……」
サッカー終わりの汗が染み込んだシャツとパンツを、冷たそうに顔をしかめながら身につける和奈から、俺はさりげなく目を逸らす。
衣擦れの音、むわっとした汗の香りを、必死に見ないふりをした。
賢者タイム特有の冷静さを得て、俺は計り知れない罪悪感に、胸が押しつぶされそうだった。
「……ごめん、ごめんなさい、和奈……」
申し訳なさに耐えられなくて、俺は、泣きそうな声で彼女に言った。
「……いいってば……謝らないで。……ほら、着替え終わった! 早く行こっ! みんなを助けに!」
「うん……」
3か月ぶりの賢者タイムだ。
浅尾和奈の手によって、小さな子供をあやすように、ポンポンと頭を叩かれた。
「背中、しがみついていい」
「うん」
和奈はそっと探るように、俺の背中に回りこんでゆっくりと両手でしがみついた。
和奈の巨乳が背中に押しつけられて、彼女の匂いや吐息が一層強く感じられるようになる。
けっして離れないように、胸の前に回された両手をギュッと左手で握り返して固定した。
彼女の手は緊張か不安か、冷たい汗で濡れて強張っていた。
ごくりと唾を飲み込む。
「しっかりつかまってて」
上ずったような情けない声でそう言って、俺は和奈を背負って空へと舞いあがった。
独特の浮力と和奈の重力に挟まれながら、彼女に負荷をかけないように、少しずつ上昇し加速していく。
「うっ……はは、すっご…… 空飛んでる……」
和奈が武者震いのような、震えながらも楽しそうな声を上げた。
「別にはじめてじゃないだろ?」
「地上で乗せてもらうのはこれが二回目だよ。しかも一回目は血を吐いてお腹痛くて景色どころじゃなかったから、ちゃんと空を飛べたのは、これが始めて……」
「あの時は朝起きたら、突然和奈が血を吐き出して焦ったよ」
もう何年も前の記憶のような気がする。
はじめて獣族独立自治区にきた時のこと、西の旅館で一晩を明かした朝に、和奈はいきなり血を吐き出した。
アルム村へと急行し、和奈に診察してもらった結果。モンスター【天ぷらうどん】に身体を寄生されていることが判明した訳だが……
「……あと9分か、間に合うかな……」
「もっと速度上げていいよ。私はちゃんとしがみついてるから」
和奈の頼もしい言葉に背中を押されて、俺は速度をさらに上げた。
「ふっ……ぐっ……」
吹き荒れる突風が前から後ろに吹き抜けていき、衣服や髪がびゅうびゅうと暴れ狂う。
景色が飛ぶように過ぎていく。
いくつもの煙が立ちのぼる方角、北の街ゼピアへと、俺たちはまっしぐらに飛んでいった。
「……あのさ、和奈……」
俺はつい、不安のあまりに彼女の名前を呟いてしまった。
「な、なにぃ? 風うるさくて聞こえないっ!」
和奈が風に煽られながら、耳元で大声を上げてきた。
うるさい。鼓膜が破けそうだった。
言おうか、言うまいか。
一瞬の間深刻に悩んだ俺だったが、結局言わずにはいられなかった。
「……和奈……君に、人を殺す覚悟はあるかっ?」
「えっ!?」
「相手はマナ騎士団だ。 極悪非道で情けの欠片もない奴らだ。
俺達クラスはあいつに騙された、毒を盛られてダンジョンのボスと戦わされたっ!
誠也さんも死んだ。ニーナとヨウコも俺が殺したっ! 殺さざるを得なかったんだ!」
「うんっ」
思い出しただけで、吐きそうになる。
ニーナ、そしてヨウコ、弟思いの健気な可愛らしい二人のお姉ちゃんを、俺はこの手で切り裂いて、殺してしまったんだ。
「殺らなきゃ殺られるんだっ!
今から俺達が戦おうとしてるのは、そういう危険な危険な相手なんだよ。
和奈をまた、危険な目に遭わせてしまうかもしれないっ。
……引き返すなら今だ……
今、ここから逃げだせば、逃げられる……危険な目に遭わなくてすむんだよ……!」
俺は、和奈を危険な戦場に連れていきたくなかった。
俺は三か月前、マナ騎士団との戦闘直後、新崎直穂を失っているのだ。
もし、浅尾和奈まで悲惨な目に遭って、俺のそばから消えてしまったなら、
俺はきっと生きる希望を失ってしまう。
「行宗は……どうしたい……?」
ふと、耳元に唇が触れられて、
和奈の言葉が吐息と共に、直接鼓膜へとつきつけられた。
「私は行宗にしたがうよ。行宗が一緒に逃げるべきだって判断したなら、私も一緒についていく。
行宗が戦うのなら、私はいくらでも人を殺してやる。
ただ、離ればなれになるのだけは絶対嫌だ。
私だけ安全な場所で、行宗だけが戦うなんて、許さないからね」
和奈は、肯定も否定もしなかった。
ただ、俺の判断にしたがうと言ってくれた。
それで嫌でも分からされた。
俺は、心の底では、浅尾和奈の身の安全の心配をしている訳ではなかったのだと。
そう思いこんでいただけで、本当は、俺自身が怖かったのだ。
「……っ!」
俺は、自分への怒りを込めて、唇をギリリと噛みつけた。
何をいまさら怖がってるんだよ。死ぬのがそんなに怖いか?
新崎直穂に再会するんだろう? あれが最後の別れだなんて許さない。
俺は新崎直穂が好きだ。大好きだ。
直穂の声を聞きたい。直穂の笑顔をまた見たい。直穂の身体と触れ合いたい。
そして、願わくば、一緒に現実世界に帰って、おうちでアニメ鑑賞デートをしたいな。
……夜になったら、同じ布団で、身体を重ねて……
「直穂に……また会いたいよ……」
しぼりだすように、無意識のうちにそんな声が漏れた。
浅尾和奈の俺に抱きつく力が、また一段と強くなった。
「……うん。絶対また会えるよ! 一緒に戦おう、ねっ!」
「あぁっ!」
もう俺の中に迷いはなかった。
マナ騎士団……お前らをボコボコにして問い詰めてやる。
新崎直穂の行方と、元の世界への帰り方についてを。
しばらくして、二つ山を越えた先、北の街ゼピアが視界に入った。
ゼピアは獣族反乱軍が拠点を構える、治安の悪いスラム街であった。
「うそでしょう……」
和奈が喉を詰まられていた。
俺も、その惨状さにショックを受けずには居られない。
木造の家屋が並んでいたはずの街並みは、大規模な魔法の影響により、巨大な氷塊や風穴を開けられて、大規模な炎が広がっていた。
”生命の気配”はぽつりぽつりとしか感じられない。
地震台風火事雷、この世の全ての災害に襲われたような惨状が目の前に広がっていた。
「とにかく降りよう……賢者タイムもあと少しだ」
俺はそう言うと、焼け跡の大地へと、静かに降下して降り立った。
「……行宗、見てあそこ! 男の子が倒れてるっ!」
和奈が叫ぶなり、俺の背中から駆け下りて、一目散に駆け出した。
その先には獣族の男の子がいた。
足から血を流して、地面に突っ伏しながら、両手で必死に地面を搔いていた。
そして、俺の賢者タイムが終わりを迎えた。
久しぶりのオナニーと、久しぶりの賢者タイム、
どっと疲れが押し寄せてくるのを感じながら、俺は和奈の背中を追った。
「ちょっと待っててね。もう大丈夫だから…… 【
和奈はすみやかに男の子に回復魔法を詠唱した。
『ウグ、ギィィ……!!』
獣族の男の子は、和奈の顔を見るなり、血相を変えて叫び始めた。
『……―――……!』
和奈は覚えたての獣族語を使って、男の子をなだめているようだった。
……おかしい。何かがおかしい。
心臓がバクバクと鳴りだした。身体中が異常なほど緊張していた。
……この光景には何か違和感があった。
俺達はひょっとすると、とんでもない見落としをしていたんじゃないだろうか?
……降りる直前に確認した。数個の固まった”生命の気配”。
何気なく、その方向に目を向けた瞬間。俺は心臓が止まりそうになった。
そこには、獣族の鎧を着た屈強な戦士が、
静かに息を潜めながら、浅尾和奈の背中にむかって、大きな弓矢の弦を引き絞っていた。
「危ない和奈……!! 逃げろっ!」
「えっ!?」
一目散に駆け出した。和奈目掛けて飛び込ついて、強く抱きしめて抱え上げる。
「ちょっ、一体どしたの?」
「敵だっ、ここでは全員が敵なんだよっ! 俺がバカだった。早く逃げなきゃ殺される!」
グサッ!
脇腹に、激痛が走った。
「ぐぁあああああああっ……いぎぃぃぃ、いだぁぁああっ!」
俺は発狂した。逃げられなかった。
弓矢でわき腹を打ち抜かれてしまった。
『……――ー!!』『……―――………!!』『……ーーーー・・ーーー!!』
次の瞬間、獣族達の叫び声が、四人ほど俺達の周囲を囲んでいた。
「……『二人だけか、他の仲間はどこに消えたって』、え? どういうこと?」
和奈が、彼らの獣族語を日本語で反芻する。
「アイツら、俺たちをマナ騎士団と勘違い、してるんだっ! 早く逃げろ和奈っ! お前だけなら走れるだろう!?」
痛みに悶絶しながら、必死に声を張り上げた。
そうだ。何を勘違いしているんだ俺は、
マナ騎士団が敵だからといって、獣族が味方だとは限らないじゃないか。
しかも獣族達にとっては、マナ騎士団も俺たちも、同じ人間だ。
フィリアやアルム村の獣族達が特別なだけで、普通、敵認定されるほうが自然なんだ。
「バカ言わないで」
和奈は俺をお姫様だっこして、高く地面を蹴り上げた。
「【
一瞬のうち、獣族たちの包囲を飛び越えて、あっという間に距離を離した。
『――………―――!!』『―……ーー…!?』
俺たちに気づいて逃げ惑い、火魔法や弓矢で襲いかかってくる獣族達を、器用に交わしながら、
和奈は木々の生い茂るほうへ、必死に足を回転させた。
「うぅ……がぁああぁあ」
和奈が一歩を踏みしめるたび、腹部に鋭い痛みが響いて悶絶してしまう。
「ごめんね……追っ手を撒いたら、すぐ回復魔法をかけるからっ!」
森に入り、方向をこまめに変えながら器用に走る
和奈は完全にはぁはぁを息を切らしていた。
病み上がりの身体で、疲労の限界を超えて、迫りくる獣族達の叫び声から逃げ惑う。
森と言っても、木々の間隔は広く、満足に身を隠せる場所は見つからなかった。
ここは獣族独立自治区である。北東に面する無限砂漠の影響で、降雨量が極端に少ないのだ。
特に乾季は厳しく、毎年少なくない餓死者が出るという。
フィリアの父親小桑原啓介の緑化計画によって、死者は大幅に減ったそうだが、それでも土地は貧しく、岩肌で覆われた山ばかりなのだ。
さらに、獣族は人間よりも平均的な体力や身体能力が高い。
しかも、追っ手の声の数はどんどんと増えているようだった。
いかに和奈の足の速さでも、簡単には追い払えそうになかった。
「アルム村は、こっちの方角で合ってる?」
「あぁ、だが走って帰るなんて無茶だ……うぐっ……」
視界がチカチカと点滅した。意識が朦朧としてきて、世界の音が遠ざかる。
「行宗っ……! ねぇっ、どうしたのっ!?」
和奈が動揺する声がする。
ゴツ、と背中に何かがぶつかる感覚。
ごつごつとした石ころを背中で感じて、俺は地面に寝転んでいるのだと自覚した。
「【
和奈の悲痛そうな叫び、それに応えるようにして、お腹の傷口が回復魔法で癒されていった。
「……和奈……」
「ゆきむね、どう? いちおう傷口は塞がったみたいだけど……」
そう尋ねられたが、俺はまだ痛かった。
直穂やフィリアの回復魔法のようには上手くいかないのか、俺の身体は依然として倦怠感につつまれて、身体中がジンジンと痛かった。
「すまん。まだ身体が動きそうにない……」
「了解、大丈夫だよ。私がついてるから」
和奈はそう言って、自身の両足に回復魔法をかけたようだった。
「よしっ」
太ももをパチンと叩いて気合を入れると、和奈はまた俺を抱えて森のなかを走りだした。
申し訳ない。たったの弓矢一発で、動けなくなるなんて……
こんな時、もし新崎直穂が隣にいれば、超回復魔法ですぐに治療してくれていたハズなのに……
三か月ぶりの修羅場を迎えて、俺は直穂の存在の大きさを、ひしひしと感じていた。
いや……そんな事を言ったらダメだろう、和奈に失礼だろうが。
回復魔法を使えすらしない俺の分際で、何を偉そうに考えている。
身体が使えなくたって、俺には頭が使えるはずだ。
考えろ……この状況を突破する方法を、
「……ごほっ……」
俺は、喉の違和感から、体内の何かを吐き出した。
何かが通り出た食道はピリピリと痺れ続け、口の中は鉄か鉛の味がこびり付いたようだった。
「ひぐっ、行宗……血がっ」
和奈が引きつった声を漏らした。
あぁ、そうか、これは血か。
おかしい、どうして、ただが弓矢ごときで……
傷もそんなに深くない筈なのに……頭が、ガンガンと痛い……
「【
和奈が半狂乱になりながら、乱暴に回復魔法を乱発する。
回復魔法でも治らない痛み……そうか。これはまさか……
「毒だ……あの弓矢に……毒が塗られていたんだっ!」
俺は口から血をまき散らしながら叫んだ。
「毒……って、えっ、まさか、解毒魔法でしか治せないってこと?」
「たぶん……そうだ。フィリアなら、薬草を使えば治せるとは思うが……」
「アルム村まで届ければいいってこと? でもそれまで持つの? 私が全力で走っても、たぶん一時間半はかかると思うけれど……」
「そうだな。まてよ……」
俺は心の中で、ステータスオープンと呟いた。
思い返せば、召喚初日のボス部屋で、マルハブシの猛毒の正体が分かったのもステータスウィンドウのお陰だった。
一か月ほど前にその事を思い出した俺は、今度毒を喰らうような目に遭ったときは、ステータスウィンドウを確認してみようだとか考えていたのだ。
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身長 166cm
体重 62㎏
ルックス 45
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レベル 67/100
職業 召喚勇者
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攻撃力 69
防御力 61
魔法力 75
魔法防御力 62
敏捷性 71
知能 65
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総合値 342/600
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状態異常 魔鉱毒
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特殊スキル【
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「………状態異常……魔鉱毒……」
その毒の名前には聞き覚えがあった。
フィリアが話していたハズだ。
獣族独立自治区の魔石採掘士のみがかかる、特有の中毒症状の正体……
魔鉱毒……。
それは、火素や水素が凝固した魔石に似ているけれど、その色は黒く滲み、触れた対象をジワジワと毒で浸蝕していくという危険な石だったはずだ。
確かフィリアは、治療法はあると話していたはずだが……
【展開】と心の中で唱えると、ステータスウィンドウの指定した項目の詳細を確認することができる。
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状態異常 魔鉱毒
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別称:闇魔石中毒。自然界では密度が低くほとんど毒性をもたないが、人為的に抽出することで、約30分で死に至らしめる毒になりうる。解毒スキルで解毒可能。
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視界の輪郭が歪んで曖昧になっていく。
俺は文章のほとんどを理解することができなかったが、かろうじて、30分という数字だけを鮮明にとらえることができた。
「……30ぷん……」
まるで遺言のようにかろうじて唇を動かすと、俺はとうとう意識を維持できなくなってしまった。
「……30分!? えぇっ……嘘でしょう……!」
俺の意識は、そこで途絶えた。
「はぁっ、ねぇっ、目を覚ましてよっ! ねぇ
泣き出した浅尾和奈を、森のなかにひとり残して。