第0話
幼い頃の記憶はあまりない。
ただ、私が物心ついた時には既に親はいなかったと思う。
でも、それはこの世界では珍しい事ではない。
どこかで誰かに襲われる、貧困が原因で亡くなってしまうこともある。
それに……戦争で家族を亡くしてしまった人はもっと多いだろう。
私たち姉弟もそうだったように。
◇◇◇◇
雨の降る中、あの子は泣き言一つ言わず私の隣で立ち尽くしている。
気が付けば手を握り締めていた。
女の子かと思うほど、か細い指と腕。
それでも握り返された手に込められた力は、私を心配させまいという意志によるものだ。
私たちは、今日からここで生きていかなければならない。
あの家にはもう帰れない。
だからせめて、ここが帰る場所になれるよう私はこの子を守り育てていこう。
それが私にできる、たった一つの事なのだから。
ホームが私たちの新しい家だ。
◇◇◇◇
私たちにとって救いであったのは、院長先生を初めとした職員の方々が、イジツという世界に身を置きながらにして人間性のある優しさを持ち合わせていた事だ。
濡れていた身体を拭いてくれて、優しく抱きしめてくれたり温かい食事を用意してくれたりと、その一つ一つが嬉しかったことを覚えている。
あの子も感謝の言葉を述べ、私もまた頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いいのよ。子供は遠慮なんかしないの」
そう言って頭を撫でてくれた事が忘れられない。
今まで出会った人の中で、一番優しい手だった。
それから私たちはホームでの生活が始まった。
最初の頃は慣れないことだらけで苦労もしたけど、周囲の大人たちや私たちよりも先にいた年長の先輩方が親切に教えてくれた事でどうにか生活することができている。
だけど、皆が忙しそうにしていて自分だけ何もせずにいるのが心苦しかったし、何かをさせてほしいとお願いしたこともあった。
その時、院長先生はこう言った。
『あなたはまだ子供なのだから、そんなに焦らなくてもいいのよ』
そしてこうも言った。
『あなたは今いる場所で、できることをすればいいの。それを学んで大人になって、大きくなったらあなたのやりたいことを見つけなさい』
この言葉に救われたのは確かだった。
でも、その言葉は子供の私には少し難しかったかもしれない。
だから私はよく院長先生に質問していた。
「どうして? ですか?」
「そうね……もしあなたが何か夢を見つけたなら、それがあなたを助けてくれるからよ」
「助ける……?」
「そう。いつかきっと分かるわ」
その時の私には分からなかったけど、未来の私ならその言葉の意味が理解できる。
だって、優しく手を差し伸べてくれたあなたを助けることができたのだから。
よろしければお付き合い下さい。