飴と鞭という言葉があるが、今回の場合はどちらが飴だったのだろうか?
アレンは飛行機と世界を知る楽しみを教えてくれた。
ケイトは飛行船と知識を学ぶ楽しみを教えてくれた。
どちらも同じくらい楽しい事だったので、甲乙つけ難い。
いや、この場合は違うかな。
甲乙つけられるものじゃないんだ。
二人のおかげで今の自分がいるのだから。
でも、僕の頭がプスプスと煙を吹いていてもお構いなしに知識を植え付けようとするのは、とても良く似た兄妹だと思う。
あ……あれかな……二人に共通している事は、とにかく面倒見がいいってことだ。
よし、それでいこう。
一人で納得するように頷きながら、僕はナカミズさんの到着を待っている。
気が付けば早いもので最終日。
お別れ前の最後の一日が始まったのである。
「アレン、ケイト、お世話になりました」
ぺこりと頭を下げる僕に、二人はそれぞれの表情で応える。
アレンはいつものような穏やかな笑みを湛えており、ケイトはというと、どこか寂しそうな気配ではあったけど、すぐにその表情を隠していつも通りの表情に戻った気がする。
別れ際に漂う独特な空気はいつまで経っても慣れる気がしない。
せめて最後は明るく終わりたいなと思うのだけど、これがなかなか難しい。
こういう時に限って何も浮かばないし、良い言葉が思い浮かぶこともないのだ。
そんな中、真っ先に口を開いたのはアレンであった。
「大丈夫、また会いに来ればいいだけの話だからね」
そう言って微笑む彼に釣られるようにして僕も笑顔を浮かべることが出来た。
そして最後にケイトへ視線を向けると、小さな声でこう言った。
「……待ってる」
それは小さな約束であり、二人の優しさでもあり、僕にとってかけがえのない思い出となると確信していたけど、結局それを形にすることなく別れることになるなんて、この時はまだ知る由もなかった。
「あ、手紙を書いて送るよ。よかったら読んでほしいな」
「ん、分かった」
「よかったね、ケイト」
「もちろん、アレンの分もあるからね」
「えっ? 僕にも書いてくれるのかい?」
「うん、書くよ」
「そっかぁ……嬉しいなぁ」
にこにこ笑うアレンを見て嬉くて微笑む僕に、その会話を見つめているケイト。
僕らの雰囲気はどこまでも穏やかである。
そんなほのぼのとした空気の中で、一人だけこちらをジーっと見つめ暗い表情を浮かべている人物がいた。
「むぅ……うちを除け者にして仲良うすんなや……」
そう不満げに呟いた人物は、口をへの字に曲げて腕を組みながら頬を膨らませてむくれている人物がいる。
不機嫌さを隠すことなく表現しているのは、言うまでもなくナカミズさんなわけだが、その様子に気付いた僕と目が合った瞬間、彼女はとんでもないことを口にした。
「エリトぉ、うちにも手紙書けぇな?」
まさかの発言に目を丸くしてみせる僕に対して、ナカミズさんはなおも続ける。
「えーやん、減るもんちゃうんやし」
「構いませんけど……レオナお姉ちゃんやナカミズさん達の仕事先まで分かりませんよ? どうやって届けるんですか?」
「せやった……!」
ハッとした表情を浮かべるナカミズさんを見た僕は、思わず吹き出してしまう。
どうやら、そこまでは考えていなかったらしい。
「ナカミズらしいと言えばらしいね。ふふっ」
「なんやの! 笑わんでもええやろ!?」
慌てて反論する彼女だったが、アレンの言葉には同意せざるを得なかったようで、口を尖らせながらそっぽを向いてしまった。
「ナカミズさん、落ち着いてくださいってば。僕は書かないなんて言ってないじゃないですか」
そう言うと、今度はこっちを向いてくれたものの、相変わらず不機嫌そうな表情のままではあった。
「書いてくれたとしても、うちの居る所は分からんやが? うちらは用心棒をしとるであちこち飛び回っとるがね」
「レオナお姉ちゃんがホームへ帰省する時に、持ち帰ってもらいますよ」
僕がそう言った直後、彼女の表情がぱぁっと明るくなったような気がした。
そんなに嬉しかったのかな?
と思っていると、彼女が口を開く前に別の声が割り込んできた。
「ほう? 私を配達人扱いするとはいい度胸じゃないか、リエト」
そう言いながらこちらへと近付いてくるのは、いつの間にやら現れたレオナお姉ちゃんの姿だった。
いつものように仁王立ちしながら腕を組むその姿は、どことなく得意げというか嬉しそうである。
「アレン、ケイト、弟が世話になったな。礼を言うぞ」
「いやいや、僕こそ有意義な時間を過ごさせていただいたよ」
「ケイトも、楽しかった」
二人がそれぞれ感謝の言葉を口にすると、満足したのかうんうんと頷くレオナお姉ちゃんの姿があった。
しかし、その直後に僕へと向き直ったお姉ちゃんの表情は一変していた。
「……だがリエト、お前に関しては別だ」
険しい表情を向けてくる姉に若干の恐怖と申し訳なさを覚える僕だったが、次の瞬間には身体をひょいと持ち上げられてしまう。
あっという間にお姉ちゃんの肩の上に乗せられてしまったので、もはや抵抗するだけ無駄というものだ。
「あはは……アレン、ケイト、またね」
半ば諦め気味に手を振りながら別れの言葉を告げる僕の様子は、傍から見たらどんな風に映っているのだろうか? などと考えてしまうのは、現実逃避に他ならないのかもしれない。
「帰るぞ、リエト」
「はーい!」
元気に返事をする僕とは対象的に、レオナお姉ちゃんの声音はとても冷ややかなものではあったものの、僕を肩上に乗せたまま歩みを止めないのは、流石としか言いようがない。
◇◇◇◇
レオナお姉ちゃんが操縦する九七式に、再び抱えられながら搭乗させられた僕は、お姉ちゃんからの小言……もとい心配の声を耳にする。
「全く……知らない人について行ってはいけないと、あれほど教えただろう?」
「え? 僕、知らない人に付いて行った覚えはないですけど……?」
首を傾げながら答える僕に呆れ顔を浮かべるレオナお姉ちゃんは、ため息を吐くと小さく身体を揺する。
「恐怖で記憶が混濁しているのか? 無理もない、怖かっただろう。お前の姉はここに……」
『黙って聞いとりゃあ好き放題言ってかん! レオナ!』
唐突に怒鳴り声を上げたのは、無線機越しからでも分かるナカミズさんの声。
「なんだ。いたのか、ナカミズ」
『当たりみゃーろぎゃー! あんだけ堂々とおったんじゃけぇ』
「エリト、あいつの言葉に耳を貸すな。どうせろくでもないことだ」
『弟が絡むと本当に面倒な性格になるがね! おみゃーは!』
「ふんっ、何とでも言え」
「ちょ!? 二人共やめてよぉ!! 僕を挟んで喧嘩しないでぇ!!」
口喧嘩をする二人を宥めようとする僕を抱きしめようとしているのか、レオナお姉ちゃんの力が強くなり、ただでさえ狭い機内の中で密着される羽目になった僕は、息苦しさを感じていた。
「狭い……苦しい……でも幸せを感じてしまうのは何故……?」
何かイケナイものが目覚めてしまわないように、必死に堪えていた僕だけど、この窮屈さのせいで思考がおかしくなりつつあったようだ。
そして、そんな状態のまましばらく飛行を続けていると、ようやくラハマに到着したらしく機体がゆっくりと降下していく感覚に襲われたのだった。
着陸した機体はそのまま駐機場へ、発動機が停止したところで僕はようやく解放されたわけである。
「はぁ、やっと着いたぁ~」
九七式から降り、大きく伸びをしながら機体から離れると、同じように機体から降りてくるナカミズさんの姿が見えた。
彼女は僕と目が合うや否や、こちらに歩み寄りながら話しかけてくる。
「お疲れ様だがや、リエト。アレンのところではどうだったんでゃー?」
「人生で一番頭を使いましたよ。アレンから頂いたノートも使い果たしそうな勢いでした」
疲労感を隠さず答えた僕に対し、ナカミズさんは笑顔を浮かべていた。
「それよかったわ。それで? 学んだ知識は活かせそうきゃー?」
その問いに対する答えは一つしかないと、僕もまた笑顔で答えることにする。
「もちろんですとも!」
その答えを聞いたナカミズさんは、満足そうに頷きながら口を開く。
「ユーハングから伝わる諺に、『三日会わざれば刮目して見よ』ってのがあるがや、本当にその通りになったでにゃーか」
僕は自分を指さしながら尋ねると、頷くナカミズさん。
「僕、成長できてます?」
「うむ、よくできとるで。偉いがや、リエト」
そう言って頭を撫でてくれるナカミズさんのおかげで自信が付いた気がした。
「えへへ……ありがとうございます。ナカミズさん!」
嬉しくなった僕は彼女にお礼を言いながら抱き着くと、彼女もまた優しく抱きしめてくれる。
そんな僕達を見ていたレオナお姉ちゃんも、何か言いたげだったのを諦めた様子で小さく微笑えんでいた。
◇◇◇◇
「リエトを送り届けて早々だが、私たちは次の現場へ向かうとするよ」
「もう行っちゃうの、お姉ちゃん?」
僕の疑問に対して首を縦に振りながら肯定の意を示すレオナお姉ちゃんを見て、寂しさが込み上げてくるのを感じた。
「次、いつ帰ってくるの?」
僕が再度問いかけると、少し考える素振りを見せてからお姉ちゃんは口を開いた。
「そうだな……半年後ぐらいだろうか」
思っていたよりも長い期間だったので驚いたけど、仕方のないことだ。
僕にはまだレオナお姉ちゃんの手伝いも出来ないし、何より実力が足りないのだから。
「分かった! それまで勉強しておくね!」
だからせめてもの思いで笑顔を向けたのだけど、何故だか頭を撫でられてしまった。
理由は分からなかったけれど、お姉ちゃんの手がとても優しくて気持ちよかったのでよしとしよう。
「すまないな、お前にはいつも寂しい思いをさせてしまう」
申し訳なさそうな表情を浮かべるレオナお姉ちゃんを見ていると、やっぱり胸が痛くなるなぁと思いながら僕は首を横に振った。
「ううん、大丈夫だよ! 僕はお姉ちゃんを信じてるから!」
本当は寂しかったりもするんだけど、ここで本音を打ち明けたらきっとお姉ちゃんを困らせてしまうかもしれないと思ったので、嘘を吐くことにしたんだ。
「リエトは強い子だな……必ず戻ってくるから待っていてくれ」
そう言いながら微笑むお姉ちゃんの表情に安堵しつつ、力強く頷いた僕であった。