僕は今まで生きてきて幸せだと思った事は何度もあるけど、不幸と感じた事はない。
それはきっと幸運に恵まれていただけだと思うんだけど、もしも神様という存在がいるのならば、きっと僕は恵まれているのだろうと思う。
ホームにいる子供たちは、皆何かしらの事情を抱えて生きているのだから。
だけど、特に何かをしていなくたって楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、その終わりが来ることなんて誰も想像できないはずなんだ。
それなのに現実は非情で、容赦なく別れという選択肢を突きつけてくる。
この日は珍しく、他の子たちが寝静まった夜にお姉ちゃんと二人きりで話すことが出来た日でもある。
きっとレオナお姉ちゃんのことだから、院長先生に許可を貰ってきたんだなって今なら想像が容易い。
「どうしたの? お姉ちゃん。話があるって」
「なあ、リエト。私たちがここで暮らすことになった頃の事を覚えているか?」
「うーん……まだ小さかったからなぁ……」
少し考えてみても、昔のことはあんまり思い出せない。
いつも一緒にいるレオナお姉ちゃんが、今よりも幼く見えたって事くらいだろうか。
「あの時はお前の方が大人っぽかったけどな」
「そうなの?」
「私に心配をかけまいと手を握り返してきてくれるなんて思わなかったからな」
「あー……」
確かにそうだ。よく覚えている。
当時は『僕がレオナお姉ちゃんを守るんだ!』という気持ちが強かった頃の話だから尚更かもしれない。
「あの頃から随分と逞しくなったと思うよ」
「そ、そうかな……?」
「ああ、間違いない」
褒められて悪い気はしないものの、面と向かって言われてしまうと照れ臭くなってくる。
誤魔化すために咳払いをして話を戻す事にした。
「えっと……それでなんのお話だっけ?」
そう尋ねるとレオナお姉ちゃんが少し困った様子で微笑んだ。
お姉ちゃんの表情を見て、もしかして何かいけないことを聞いてしまったのではないかと不安になる。
残念なことに、こういう時の勘は良く当たるのだ。
「……リエト。私がホームを離れなければならない時期が迫ってきていることは理解出来るか?」
「…………」
お姉ちゃんには、ホームで過ごせる残された時間が少ない。
それ故に最近は色々と慌ただしく動いている姿を目にすることが増えていた。
これから伝えられる話も、きっと今後のことについてである。
「なんとなくだけど、分かってるよ」
「……私は近い内にここを出ていかなくてはならない」
その言葉に思わず拳を強く握りしめてしまう。
ずっと昔から思っていたことだけれど、いざこうして口にされると心がざわつく。
それがどういう感情なのかまでは分からないけど、少なくとも喜んでいないことだけは確かだ。
「ねえ、お姉ちゃん」
僕は何を言おうとしているのだろう。自分でも分からないまま口を開く。
「僕はこれからも一緒にいられるものだとばかり思ってたんだけど、違うのかな?」
「……すまない。リエトを連れていけるほどの力が私にあれば、違ったのかもしれないな」
悲しそうに微笑む姿に胸が苦しくなる。
本当は笑っていて欲しいのに、僕が原因でそんな顔をさせてしまっている。
そんな顔をさせたいわけじゃないのに。
僕がただ弱虫なだけなのに。
そんな自分が情けなくて悔しくて堪らなかった。
でもここで泣くわけにはいかない。
僕は男の子なんだから。
「……僕は信じてるから。お姉ちゃんとまた一緒にいられる日が来るって、信じているから」
そう言って笑おうとしたのだけど、どうにも上手く笑えないみたいだ。
なんだかぎこちない感じになってしまった気がする。
「ありがとう、リエト」
僕の気持ちを察してくれたのか、それともただの偶然かは定かではないけど、レオナお姉ちゃんは笑顔で僕を抱きしめてくれた。
それだけで気持ちが軽くなったような気がするから不思議だ。
僕も精一杯の力で抱きしめ返すと、嬉しそうに微笑んでくれたので更に嬉しくなった。
……でも、この腕から離れないといけないんだよね。
そう思うと寂しく感じてしまう。
いや、今はそんなこと考えちゃダメだ。
「そういえばさ、レオナお姉ちゃんはここを出て何をするつもりなの?」
少しでも寂しさが紛れるように質問をしてみることにした。
そうしたらお姉ちゃんは少し困ったような表情を浮かべた後、静かに語り始めた。
「実はな、用心棒の仕事を始めようと考えている」
「え、それってつまり……?」
「そうだ。パイロットになって空賊を相手取る仕事だ」
空賊を相手に戦うということは、命のやり取りをする可能性があるということだ。
幼いながらもそのことを理解している為、つい言葉が詰まってしまう。
でも、そんな思いとは裏腹にお姉ちゃんは言葉を続ける。
「私はずっと考えていたんだ。リエトに苦労させない為にはどうすれば良いのかと、そしてお世話になったホームへどうすれば恩返しが出来るかと」
そこまで話した後で、お姉ちゃんは僕に視線を合わせてきた。
真っ直ぐに見つめてくる瞳には、覚悟にも似た思いが宿っているように見えた。
「だが、私にはこれといった才能もない。だから努力することにしたんだ」
お姉ちゃんの言葉は、どこか自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
きっと自分を追い込むためにわざと言っているんだろうと思えたから。
「幸いにも、この世界で生きる為に必要な知識を得る事は出来た。訓練を積ませてもらうことも出来た。後は実戦経験を積むことと、技術を向上させることだ」
レオナお姉ちゃんは更に言葉を続けた。
「もちろん、簡単にいくとは思っていないさ。私一人の力などたかが知れているだろうし、仲間がいるわけでもないしな」
苦笑を交えながら言うレオナお姉ちゃんの顔は、少し寂しそうに見えたのを覚えている。
そして次に見せた顔は、とても印象的だったのも覚えている。
「それでもやれることをやってみたいと思うのは、間違っていると思うか?」
僕の瞳をじっと見つめながら聞いてきたその眼差しはとても力強くて、僕は思わず息を呑んだほどだ。
今まで見たことがないほど真剣な面持ちで語るお姉ちゃんに、僕は思ったままに答えた。
「ううん、間違ってなんかいないよ。お姉ちゃんは今までずっと頑張ってきたんだもん。今度は自分にしか出来ないことを頑張るべきだと思うよ」
そう告げると、レオナお姉ちゃんは目を丸くして驚いた表情を浮かべていたのをよく覚えている。
そして僕は、そのまま言葉を続けた。
「ただ一つだけ言わせてもらうなら、絶対に生きて帰ってきてね。約束だよ?」
僕の言葉に対して、お姉ちゃんは柔らかな笑みを浮かべながら返事をしてくれた。
「ああ、必ず生きて帰ってくるよ」
そして交わされる指切りげんまん。
子供じみたやり取りかもしれないけど、当時の僕たちにとっては大事な儀式のようなものでもあった。