いま僕とキリエの前には、大変ご立腹な様子を隠そうともしないエンマさんの姿があるわけでして……。
自分の知る限りだと淑女といえばエンマさんを思い浮かべるほどであり、共に過ごしてきた友達の中でも内面も外見も大きく変わった女性であろう。対象はキリエと今だ会えぬケイト。
そんなエンマさんの怒りの矛先は今、ご家族に向けられている。
理由はとても簡単で、優しいご両親がお金に困っていると相談を持ち掛けてくる他者に対して深く考えもせず簡単に貸してしまい、結果としてそういった輩は悪党なわけでお金が戻ってくるわけもなく……。
エンマさんも頑張って説得したらしいのだが、結果はご覧の通りである。
ここ最近のお茶会はもっぱら愚痴大会となっているのだが、今日の内容は一段と酷いものであった。
「まったくもう、あの人たちは何度言えば理解してくれるのかしら!?」
「エ、エンマ。落ち着いて……どうどう……」
珍しく荒れる友達の姿に、流石のキリエも困惑している様子である。
だが、それも無理はない話だ。
普段は冷静沈着な彼女がここまで感情を露にした姿を目の当たりにしているのだから。
「(これは相当溜まってるなぁ……)」
恐らく今回の一件だけではなく、普段から色々と溜め込んでいるものがあるのかもしれない。
そう思うと、少し気の毒にも思えてくるものだ。
「はぁ……近年は庭先のソメイヨシノも咲く気配を見せず、わたくしの楽しみが……」
そう言いながら彼女は紅茶の入ったティーカップを口に運ぶと一息つくようにして樹木を眺めた。
既に桜が咲く季節は過ぎ去り、季節は暑さのピークを迎えようとしている。
彼女の住む屋敷の庭に植えられている一本の大きな樹木は、近年あの素晴らしい景色を見せてくれることもなく、枝葉を伸ばし続けるだけであったのだ。
「一昔前のわたくしであれば咲くまで待ち続けるだけでしたけれど、流石に何年も続くとなると我慢なりませんわ」
そう言って彼女はソメイヨシノを再び咲かせる為に、ある計画を立てることにしたのだ。
その計画とは、屋敷にある蔵書から得た知識を元に、様々な道具や手法を用いて試行錯誤を繰り返していくという非常に地道なものである。
「ですが、わたくしが毎日世話を出来るのもあと一年ほど……その間に花を咲かせることが出来れば……」
「あーそっか、来年の今頃はお嬢様学校に通うことになるんだっけ? 寮暮らしだとか?」
「ええ、そうですわ。ですから今のうちにやれることはやっておきたいと思いまして」
なるほど、だから最近は何時にも増して熱心に庭木の手入れをしているわけだ。
「そうなると、お茶会も暫くの間はお預けだね」
「あら、寂しいのですか?」
悪戯っぽく笑う彼女に釣られて僕も笑いながら答えた。
「そりゃもちろんだよ。エンマの入れてくれた紅茶を三人で喋りながら飲めなくなると思うと寂しくなるに決まってるさ」
「ふふっ、嬉しいことを言ってくださいますわね。わたくしもこの時間はかけがえのないものと感じていますのよ」
「あっ! あたしもそう思うよ! エンマの入れてくれる紅茶は美味しいもん!」
エンマの言葉に同意するように頷くキリエを見て、エンマは再び笑みを零す。
そしてふと何かを思いついたのか僕に視線を向けたかと思うと、今度は彼女の方から問いかけられた。
「そういえばリエト、貴方も来年の今頃はホームを出ている頃なのでは?」
「うん、そうだよ」
そう、ついにその日が僕にも刻一刻と迫ってきているのだ。
レオナお姉ちゃんがホームを出た時の年齢に自分が近付こうとしている事実に喜びを感じつつも、同時に寂しさを感じるのも事実であった。
ホームの後輩たちに伝え忘れたことはないか、院長先生のお手伝いや畑仕事などをしっかりと出来るかなど不安もあるからだ。
……ああ、お姉ちゃんもこんな気持ちを抱きながらホームから旅立ったのだろうか……?
きっとそうだ。
僕よりももっと沢山の事を悩みながら決断してきたに違いないだろう。
それからも前を向いて歩くことを選び続けてきたのは、やはり強い意志があるからなのだろうなと思う。
「でも仕事場がラハマにあるから、住む場所以外はあまり変わらないかな」
「あら? ご自身の夢の為に、一念発起する良い機会ではありませんこと?」
「あはは、確かにそうだね。飛行船の技術を学びにイヅルマへ行こうと思ったこともあったけど……少し考え方を変えてみたんだ」
「それはどういうことですの?」
「僕の夢は飛行船に乗ること。乗客ではなくて飛行船に関わる仕事として搭乗したい。そこを突き詰めると造船技術はまた別の話になるからね」
「なるほど、そういうことでしたのね」
「どういうこっちゃ?」
「キリエってば……話を聞いてなさらなかったのかしら?」
エンマさんは呆れた様子でため息を吐きながら説明する。
「つまり彼は旅客や造船ではなく、運航に携わる仕事をしたかったということですわ」
「あ~そういうコトか~」
キリエは納得したようでポンッと手を叩く。
「それじゃ今のところ、ラハマを離れる予定なのはエンマだけってことだよね?」
「そうなってしまいますね」
残念そうに呟くエンマ。
しかしすぐに表情を引き締めて言葉を続けた。
「丁度良いですわ。二人に一つお願いがありますの」
「どったの? 改まって」
「わたくしが実家から離れている間、ソメイヨシノの世話と両親の監視をお願いしたいのです」
「うぇえ!? そんな大役あたしにはムリムリ! あたしの性格知ってるでしょ!?」
「ええ、知っております。なのでキリエにやれとは言いませんわよ? わたくしには頼りになる殿方を知っておりますので」
「……もしかしてリエトのこと言ってる?」
「それ以外に誰がいると仰いますの?」
「いやいや! 確かにアイツは気が利くし、細かい作業は得意だし、約束は破ったことないし、なんだかんだ言って付き合いも良いヤツだけどさぁ……!」
「キリエってば、そんなに褒めなくても彼についてはわたくしも理解しているつもりですよ?」
「いや! 褒めてないからっ!!」
本人を目の前にして無茶苦茶なことを言う友人たちにどうすれば良いか判断に困る。
だが、そんな僕の状況を無視して彼女は続けた。
「真面目な話を致しますと、リエトならばわたくしの両親とも仲が良好ですし、信頼関係もありますわ」
「例えそうだとしても、人の家のお金の話に割り込むなんて無茶だよぉ~!」
「心配ありませんわ。わたくしの名前を出せば大義名分が立ちますので問題ございませんわ」
「それって大丈夫って言うのかなぁ……?」
キリエが不安そうな態度を見せる中、僕はどう返事をすれば良いのか悩んでしまう。
するとエンマさんは小さく笑った後、椅子から立ち上がり僕の目の前まで来ると、視線を合わせるように前屈みになりながら言った。
「では言い方を変えましょう。これは貴方にしか任せられない事なのです」
「……僕じゃないとダメなの?」
「はい、リエトでなければ出来ません」
僕の質問に即答したエンマさんの目は真剣そのもので、冗談ではないことが窺える。
どうやら本当に重要な任務を任されたようだ。
「……わかった。やるよ」
僕がそう言うと、エンマさんは本当に嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます。頼りにしていますよ、リエト」
感謝の言葉を述べながら僕の両手を包み込むように優しく握り、自分の胸元に引き寄せた。
彼女の柔らかな感触や温もりだけでなく、鼓動さえも指先を通して伝わってくるような錯覚に陥る。
その感覚に戸惑いながらも何とか言葉を絞り出した。
「ど、どういたしまして……」
「ちょちょっ! ちょっと待った!! なに二人でいい雰囲気になってんのさ!?」
「もう、そんなに照れなくても良いではありませんか」
「ええ!? なに? あたしの存在忘れてない!?」
僕らの会話を遮るようにして声を上げるキリエだったが、エンマさんはまるで聞いていない様子である。
現に手を引っ込めようとするのだが、彼女がそれを許してくれない。
それどころか更に力を込めてくる始末だった。
「あの……エンマさん? そろそろ手を離して頂けませんか……?」
「あら、何故ですの?」
「流石に恥ずかしいというかなんというか……」
「わたくしは恥ずかしくありませんよ? 指先から伝わります貴方の体温はとても心地良く感じますもの」
そう言ってエンマさんは目を細めて微笑んだまま、さらに強く手を握ってくる。
そんな彼女の様子に呆れ果てたのか、キリエは諦めたような表情を見せつつ大きくため息を吐いた。
「あーはいはいそうですかーお熱いことでー」
投げやり気味に言いながら視線を逸らすが、その表情からはどこか羨ましさが感じられるような気がした。
その体勢のまま幾度か深呼吸をするエンマさんであったが、やがてゆっくりと僕の手を放すと、改めて口を開いた。
「これで前払いは済みましたわね、リエト?」
「ま、前払い……?」
突然のことに理解が追いつかず、聞き返すが彼女は構わず続ける。
「今のやりとりで貴方は、わたくしに協力せざるを得なくなりましたわ」
「ええっ!? いや、でも!」
「もし断るのであれば、先程のことを全て貴方のお姉様に報告をさせて頂きますが、よろしくて?」
ニッコリと微笑みながら言うエンマさんに対して返す言葉が見つからず、キリエは馬鹿笑いしているだけだった。
そして僕は、観念したように項垂れるしかなかったのである……。