キリエに自分の夢と現実的な問題について打ち明けてから、しばらく経ったある日のこと。
僕はいつもどおりの日常を過ごしていた。
駐機場に置かれた赤とんぼの清掃を行い、他の整備士たちと談笑しながら機体の状態を確認していく。
機体の調子は良好であり、特に目立った不具合は見られない。
これで塗装の塗り替えが必要な箇所がなければ、今日の作業は終わりだ。
作業が終われば自由時間となり、街へ出かけたり、雑談をしたり、キリエと同じ時間を過ごして夜を迎えたりもするのだが、今日に限っては少し事情が異なる。
とんぼ便の事務所に、僕宛の電話が掛かってきたのだ。
その相手とは……。
「はい、リエトです」
『やぁ、僕だよ。僕。分かるかい?』
「僕僕詐欺は間に合ってます」
『あはは、面白いことを言うね。君と僕との仲じゃないか』
「冗談ですよ。貴方の声色は特徴的だから」
『確かにそうだね。それで、僕が誰なのか理解出来たかい?』
「僕の師匠と呼べる一人であり、大切な友人でもあるアレンでしょ」
『大正解。リエトにそう言って貰えると嬉しいよ』
僕がアレンの名前を告げた後、受話器の向こう側で彼は嬉しそうに笑う。
「ところで、アレンはどうして僕に連絡を?」
『実はね、マダムについて知り得た情報を伝える為さ』
「何か分かったんですか?」
『ああ、とても興味深い事実が判明したよ』
アレンはそう言うと、とある情報を僕に伝えてきたのであった。
『まずは結論から伝えよう。マダムがラハマで事業を興し、飛行船建造に着手する計画があるのは間違いないそうだ』
「本当ですか!?」
『うん。本人に会って直接確かめたからね』
「……はい?」
僕は思わず聞き返す。
今、この人はとんでもない事を言わなかっただろうか?
「あの、アレン。今、何と言いました?」
『マダム・ルゥルゥに直接会ったと言ったのさ。彼女から直接聞いたんだから間違いないよ』
「えぇっ!?」
『あれ、聞いていなかったのかい?』
「聞いてましたけど! ちょっと待ってください!」
『うーん、相変わらず君は真面目な子だねぇ。もう少し肩の力を抜いてみたらどうだい? もっと楽に生きた方が人生楽しいよ』
「いや、そんな簡単に言われてもですね……というよりどうやって知り合ったんですか?」
『簡単さ。噂を元に彼女が求めてるものを考えて行動していたら、いつの間にかね』
「な、なるほど」
『彼女はとても聡明で、物事の本質を見抜く力に長けている。だからこそ、僕のような人間でも接触できたのかもしれないね。世の中は広いようで狭いのさ』
「はぁ……」
『まぁ、それはともかくとして、話を戻そう。マダムにリエト君のことを話したら興味を持ってくれてね。近いうちに一度会おうという話になったのさ。良かったね!』
「い、いきなり過ぎませんか?」
『確かにそうだね。だけど、彼女の方から提案してきたんだよ。それに僕は乗っただけさ。リエト君だって機会があるなら逃す手はないと思うだろう?』
「……確かに。アレンの言うとおりだと思います」
『だったら話は早い。ラハマに迎えを送るように手配しておいたから、明日の朝一番にこちらへ向かうといい。あ、そうだ。一応、伝えておくけど、この通話には長距離無線を使用しているから通話料金はとても高い。そして通話料から送迎費までマダム持ち。つまり……リエト君に逃げ場は無いということだよ。あははっ』
「あははっ……と笑うところじゃないでしょう!」
『いやぁ、つい面白くてね。リエト君の困る顔が目に浮かぶようだよ』
「もう、勘弁してください」
『ごめん、ごめん。僕を助けると思って頑張って欲しいな。期待しているよ、僕の可愛いお弟子さん』
「了解です。頑張りますよ、師匠」
『よろしい。それじゃあ、お待ちしているよ。良い一日を、リエト君』
「はい、アレンも」
そう言い終えると、僕は受話器を置いた。
それから大きな溜め息を吐きながら、事務所のソファにもたれかかる。
「疲れた……」
「お疲れ様、キミ宛てに電話が掛かってきて驚いたよ。例の件についてかい?」
「はい。仕事場で転職の話をして申し訳」
「いやいや、気にしないでくれたまえ。昔からキミの夢について聞いていたからね。むしろ、応援したい気持ちの方が強いくらいさ」
「ありがとうございます」
「それで、何か分かったのかい?」
「明日の朝一で人と会うことになりました」
「それはそれは。実に喜ばしいことだね。ところで、何処に行くんだい?」
「それが……迎えが来ること以外はサッパリ分かりません」
僕がそう告げると、おじさんは楽しそうに笑みを浮かべる。
「ははっ、成程。相変わらずだね」
「行き当たりばったりという感じでしょうか。あはは……すいません」
「謝ることなんて無いよ。むしろ、僕は安心したかな。リエト君は小さな頃から変わらないなぁ、と思えてね」
「僕としては変わって欲しいんですけどね」
「それは無理な相談だ。まぁ、とにかく気をつけて行ってくると良い。お土産を期待して待っているよ」
「善処します」
「素直で宜しい。それじゃ今日は上がっていいよ」
「ありがとうございます」
僕はおじさんに礼を告げると、駐機場に戻り赤とんぼの整備道具を片付けていく。
明日はアレンとマダム・ルゥルゥと会わねばならない。
その為の準備も必要になる。
「うーん、どうしようか……」
とりあえず、必要なものは……。
「なーに眉間にシワ寄せてんのさ? 怖い顔してたら私以外誰も寄り付かないよ? それでいいけど」
僕が悩みながら片づけをしていると、背後から声を掛けられた。
振り返ると、そこにはキリエの姿があった。
彼女は腕を組み、ジトッとした視線を僕に向けている。
「明日、急遽人と会うことになってね。準備をしないといけないんだけど何を持っていけばいいのか悩んでいて」
「ふーん、人に会うんだ。誰と?」
「マダムと呼ばれている方で、僕の夢に関することで直接お会いしてくれるみたいなんだ」
「おぉー、そりゃ重要じゃん。しっかりしないとね」
「うん。それで何が必要だと思う?」
「えーっと、そうだなぁ。まずは服だよね。その人に失礼の無いような格好でいかなくちゃ」
「確かにそうだね」
「あとは……そうだなぁ。何か指定された物とかあるの?」
「特段、これといったものは無いよ。でも作業着は一応持っていった方が無難かな。整備士志望だから試験があるかもしれないし」
「うん、それも大事だね! ……よし! 私が服装チェックをしようじゃないか! 今からお店巡りするよ!」
「ちょ、ちょっと待って。これだけ仕舞うから」
「早く早く!ほら急げ~」
「はいはい」
キリエに引っ張られる形で僕は駐機場を後にする。
ラハマの街へ繰り出すと、僕たちは洋服屋を探した。
一軒ごとに彼女は僕に服を当てては首を傾げる。
「うーむ……いまいち」
「そう?」
「ま、気を落とすなよ! 次行こうぜ、次!」
特に僕は気にならなかったが、キリエは僕の腕を引っ張って次の店へと連れて行く。
「襟付きシャツとベスト。後はズボンが良さそうだね。リエト、試着してみなよ」
「ほいほい」
「おー! いいじゃん! 似合うって。ほらほら! こっち来て見なよ!」
キリエの言われるままに、鏡に映る自分の姿に目をやる。
「着慣れていないせいか、背中がムズムズするなぁ」
「そのうち慣れるって。でもさぁ、リエトは背が高いから何でも似合ってカッコいいよ」
「キリエにそう言って貰えれば自信になるよ」
「そう? それなら良かった。服装はこれで良し。靴は私と出かけた時の物で大丈夫。財布とかはきちんと鞄に仕舞うこと。おっけー?」
「問題ないよ。ちょっと購入してくるね」
「行ってらっしゃーい」
僕が会計に向かうのをキリエが見送ると、彼女は再び店の商品を眺め始めた。
なんだろうと疑問が浮かんだが、僕が支払いを済ませると、キリエからは先に外へ出るように促される。
「お待たせー」
「大丈夫、急だったのにありがとね、キリエ」
「なになに、このくらい大したことじゃないよ。それに私から言い出したことなんだから!」
彼女は笑顔を見せると同時に、僕の目の前に袋を突き出してきた。
僕は不思議に思いながらも、それを受け取って中身を確認する。
「これは……白手袋?」
「うん。私は別に隠す必要性も無いと思ってるし、リエトの手も大好きだけど、整備士の手はどうしても油汚れとかが目立つからね。念の為に用意しておいた方が良いと思うよ」
「確かにそうだね。ありがと、キリエ。助かるよ」
「どういたしまして! ちなみに……さっ」
「ちなみに?」
「相手がリエトの手を見て顔をしかめるような人だったら、さっさとラハマに帰ってきて、次さがそ? ねっ?」
「……ん。了解しました」
「よろしい。じゃあ、帰ろっか」
そう言うと、キリエは僕の手を握って歩き出す。
僕も彼女の歩幅に合わせて一緒に歩くことにした。
これがあと何回続けられるのだろうかと考えながら僕はキリエの横顔を見る。
「ん? なになに、どうかした?」
「キリエは可愛いなって」
「またそういうことをさらりと言うんだから。もう、しょうがないなぁ」
「突然ごめんね」
「いや、謝ることなんて無いよ。むしろ嬉しいくらいだし。……ねぇ、リエト」
「なに?」
「私、リエトの夢が叶うことを信じてる。だから、頑張ってね」
「ありがとう、キリエ。頑張ってくるよ」
キリエは僕に微笑みかけると、ゆっくりと僕の腕にしがみ付いてきたのだった。